二十三話:邪教
「あ、これって……」
エミリアが、何かを見つけたらしく、少し先にある木まで走って行った。
何をしているかと言えば、今夜と明日の食料を求めて、エミリアと紫苑、アーサーと一緒に森を探索している。
まぁ肉自体はエミリアが氷漬けにした魔獣を何匹か〈ストレージ〉に詰めて終わったので、今は湖に戻る途中の道だ。
「というかアーサー。あの起こし方はないだろう」
「ははっ、まあ仕方ないんだよ。本当のことを知ったら、面倒になりそうだったから」
「……??」
あの時、俺はいつのまにか寝てしまったらしく、アーサーに起こされて目が覚めた。
だが、その起こし方が過激というか、眠っている俺に向けて魔法を放ってきたのだ。
殺気と魔力に気が付いて、咄嗟に飛び起き相殺したからいいものの、気付いていなかったら死んでいた。
しかも、立ち上がった俺の真後ろに正座をしているエミリアがいたということは、エミリアごと攻撃していた訳だ。
主人を狙われた護衛として、エミリアに止められるまで一戦交えたのだが……まあ、それはいい。
「シン、これ食べてみて?」
「了解……あの、なんで持ったままなの?」
エミリアの持つ、赤い小さな果実を食べようとしたのだが……何故かエミリアが手を離さない。
「はい、あーん」
「…………え──」
しかも、それだけでなくその果実を、俺の口に向けて差し出してきた。
ま、まあ何をしたいのかは分かるんだけど……流石に驚いてしまうんだが……。
それに、今ここにいるのは紫苑とアーサーだけだ。
別に嘘だとバレても大丈夫なんだけど……。
「はい、あーん」
だがエミリアは、全く変わらないポーズで全く変わらない宣言。
僅かに頰が紅くなっているので、全く同じ訳ではないが。
「え、いや、あの……」
「はい、あーん」
どうやら、エンドレスになりそうだ。
「…………んっ」
恥ずかしい気持ちを押し殺して、エミリアが手に持って差し出す果実を口で奪うようにして食べる。時間にして、一秒もない。
赤色の果肉は見た目以上に歯応えがあり、少し力を入れて噛むと、弾けたように口の中で果汁が広がる。
「……美味い」
「えへへ……でしょー? この前市場で見つけて、シンにも食べさせてあげたかったんだー」
「へー、すごいもん見つけたな。この辺りだとあまり見ない木だし、結構希少なんじゃないか?」
「うんっ、だからそれ以降お店で見つけられなくて、店主さんに聞いてみても、仕入れる程の量が採れてないんだって」
「なんでかなー」とエミリアが首を傾げる。
これは予想なんだが……ここまで美味しいと、魔獣や魔物も好んで食べそうだし、多分そういうことだろう。
木の幹には獣の爪痕が残っているし、周囲の草も所々へし折られている。十中八九、魔獣たちが……特にさっきの魔狼の群れが原因だ。
となると、この森やその付近の畑で採れる作物も怪しい。
この森の土は栄養価の高い肥沃な土らしく、この森周辺で農村が特に発達している。王都がここにある理由も、この森に近いからだ。
「……他に、品薄の物って何かあるか?」
「えっと……うん、ほとんどの作物の収穫量が例年より少ないって、その店主さんは嘆いてた」
「その割には米の値段が高くなってないよな?」
「うん、なんでだろうね? あと、お米だけ値段を調べてるのかは気になるかも……」
ジト目で俺を見るエミリア。
そっと目を逸らし、思案するフリを……いや、フリじゃない。何故なのかはちゃんと考えている。
需要が増してる訳だから、値段を吊り上げたほうが需要と供給の関係では理想値に近づくはずだ。経済を勉強していた訳でないので、よく分からないが、多分間違ってはないと思う。
需要が増えても値段を上げないのは、何か裏がある?
値段を高くすれば、いくら需要が高いといっても、買う人数はやはり減る。多くの人にお米の良さを知ってもらうため、値段を上げないってことか?
「あ、シン、魔獣が……」
『風刃』
「……風魔法の無詠唱って、こうして見ると怖いよね。突然魔獣が死んじゃうんだもん」
歩きながらも、見つけた木ノ実を摘んで瓶の中に詰めていたエミリアが、もう一匹の魔狼を氷の矢で射抜きながら言った。
そういうエミリアも、無詠唱で放っているのだが。
「薄利多売……とは違うけど、売っている米の量が増しているのか? それなら値段を上げなくとも利益は上げられるから……」
「……米と言えば、拙者の生まれ故郷である天照国の特産品でござるな」
「うん、それは知ってるけど……少し気になってさ」
何故他国の少女が王国軍に所属しているのかは疑問だったが、かくいう俺も王国民かと言われれば怪しいところだ。二十五番隊は色々ルーズ、半分傭兵団のようなものだから仕方ないのかも知れない。
「作物の値段なんだが……」
王国軍第二十五番隊で諜報活動を担当している"影"の紫苑なら、何か知ってることがあるかも知れない。
そう思って、俺の疑問を話した。
「……米の値段でござれば、上がらない理由は予想がつきまする。帝国付近で正神教徒が出没したらしく、帝国に対して米の出荷が出来ないと。その商人が王国に流れているのでござる」
「ああ、それは私も聞いたな。だが、教徒の狙いが分からなくてな。穏健派と討伐派で意見が二分されているのだ」
「正神教徒…………」
「どうしたの、シン?」
「ああ、いや、なんでもない」
正神教徒とは世界的に恐れられている邪教徒であり、その信仰対象は、マーリンに敵対したという魔人や魔女たちだ。
名前の通り、正しいことが善で誤りは全て許されない悪とする宗教で、まあそれは別にいい。大事なのは、その基準がとてもあやふやということだ。
つまり、信徒によって『正』の概念が違う。
だから信徒同士で争いが起こることも多く、しかも突然争いが始まるものだから避けることもできない。
そして、そんな信徒同士の争いに生き残った者たちは、当たり前だが異常に強い。
その強さと言えば、戦いに巻き込まれれば、たとえ高ランク冒険者でも、そう簡単には生きて帰れないと言われるほどだ。
理不尽で、神出鬼没で、手のつけられないほど強い。
世の中の不思議で恐ろしい出来事は、全て正神教徒で話がつくとまで言われている所以だ。
「正神教徒が、また争ってるのか?」
「いや、それならこんなに騒がないさ。触らぬ神に祟りなし、ではないが、無視しておけば良いのだから」
「ああそうか。討伐隊を組むかを話してるんだもんな……。そうなると……」
「正神教徒が、また何かを始めたのかな?」
「……そうなるでござる。そして、これは天照国と帝国だけの問題ではありませぬ。王国も、場合によっては被害を受ける可能性がありまする」
神妙な顔で、頷きあう俺たち。
まあ、そんな話の中でもエミリアと俺の手は握られていて、外から見れば緊張感溢れる空気の理由が分からないだろうけど。
俺が緊張している理由は、エミリアの手が予想以上に柔らかくて小さいからでもあるが。
手汗が気になって仕方がない。どうしよう、変に思われてないかな……? エミリアにキモがられたら、俺は生きていける自信がないよ……。
「…………奴らのこと考えなんて、予想するだけ時間の無駄だ! ここは有意義に……尊敬する人物なんてどうだろう。私は父上だ」
沈んだ空気を払拭しようとしたのか、アーサーが大きな声で場の雰囲気を変える。
まあ、話題が尊敬する人物なのは少し気になるが、アーサーも咄嗟だったのだろう。苦い顔をしているので不問にしてやる。
「父上って、つまり国王ってことか。帝国人らしく、やっぱり強いからか?」
帝国の王様は、エミリアとアーサーの婚約話の時(昔はそう思っていなかったが)に何度か見たことがあるが、正直言って化け物だった。
何というか、オーラが違う。
その姿を見るだけで、彼の前に立つだけで、まるで自分が何度も殺されたような感覚を得るのだ。
不意打ちなんて、頭の隅にも思い浮かばない。
魔王は数十年前に倒されてから、現れたという報告はないが、魔王と一騎打ちをしても十分戦えるような気がする。
実際は人に怖がられそうだからなりたくないが、漢としては、ああいう人間になりたいと思う。
「私は父上を見て育ったからな。自然、父上のような男になりたいと思うわけだ。……少し前までは、あの強さを越えたいと思っていたが……」
「?」
アーサーは、そこで言葉を区切って俺を見た。
好戦的な目だったが、敵対心とは違う。
それは、多分俺が初めて向けられた目だった。
「この学院には、化け物が異常に多い。まずは彼らを越えなければ話にならん。そして、シン。いつかはお前を越してやる」
アーサーのそれは、乗り越えるべき壁を見る目。
ここで俺は何かを言うべきなのだろうが……誰かの目標にされたことがないので、はっきり言って何を言えばいいのか分からない。
口を開けば、「頑張れ」と言ってしまいそうだ。
「ははっ、まあそう困った顔をするな。あくまで私の目標は父上。実力という意味で、父上以上の存在を見つけたというだけだ」
「いや、別に俺はそんな大層な人間じゃないんだけどな……」
師匠やレイ先輩は当然のこと、真の天才たるエミリアもそうだし、二十五番隊団長は努力の天才だ。
街を歩けば、低ランク冒険者の中にも俺以上の逸材は見つけることが出来るだろうし、魔王や勇者を前にすれば俺はその他大勢の一人に成り下がる。
少し前から実力も伸び悩んできているし、どんなに高位の魔法を覚えたところで自己満足に過ぎない。
「俺の魔法習得スピードは人並みだぜ? ただ、エミリアを護るための力が必要だったから、死にものぐるいで鍛錬しただけだ」
その努力も、きっと二十五番隊の団長には劣る。
「実力というのは、単純に身体や能力のスペックだけではない。シン、お前のその意思は、十分尊敬されるべきものだと思うぞ?」
「うんっ、そうだよ。だって、私の尊敬する人はシンだもん。私を何回も助けてくれて、今でも十分強いのにずっと練習してるもん」
片手だけでなく、俺の両手を握りながらエミリアが言った。
えっと……これは演技、とかじゃないよな?
流石に俺でも分かる。エミリアが、これを本心で言っていることくらい。
まあ、そんな純粋な目を向けられると、色々と恥ずかしいというか……いや、本当に手汗が気になって仕方がない……!
手汗を止める魔法とか、レイ先輩に聞いてみるか……。
「何回もじゃないだろ。最初に会った七、八歳の時から数回だ」
「…………実は、五歳の時に私はシンと会ってるんだよ? シンは、多分覚えてないんだろうけど……シンが私を背負って走ってくれたこと、私は忘れない」
「五歳の時に背負って……?」
五歳の時は師匠に捨てられないように必死で、赤の他人のことなんて全く気にしていなかった。
そもそも、師匠と住むようにからは人と会わなかったしな……。
俺が徐々に失っていく記憶の中に幼いエミリアとの記憶があるのか、それとも単純に忘れているだけか。
「ほら、人攫いの人と魔狼から逃げてた」
「魔狼…………」
魔狼から逃げていたのは、覚えている。
魔狼から逃げている場面からは、何故か記憶の消去がされていないのだ。
あの時は、日本での記憶を取り戻すギリギリのところまで来ていたからな。
もしかしたら、俺の身体が若返っていたことと、日本を思い出す前の記憶が薄れていくことは、何か深い関係があるのかも知れない。
「女の子と一緒に逃げてたのは覚えてるんだけど、その直後に日本の記憶を思い出したからな……頭が混乱したんだろうな……」
「ニホン? どういうこと?」
「ああ、いや。なんでもない。多分エミリアだろう子は思い出せたけど、ごめん、よく覚えてない」
「ん、別に大丈夫だよ? 私だって、あの時は意識が薄くて、はっきりと覚えているわけじゃないし」
そう言うエミリアだが、やはり寂しそうだった。彼女は、多分鮮明に覚えているのだろう。
うん……絶対に、思い出そう。
俺が転移した理由も、死んだ筈の師匠によく似たレイ先輩がいるのも、多分その時代に全て答えがある。
「五歳というと、十年くらい前だな。王女が攫われるなど話題にならない筈がないが……すまない、聞いたことがないな。私の方で調べておこう」
「拙者も……今初めて知ったでござる。これでも、諜報に携わっている身。拙者も調べてみるでござるよ」
緊迫感溢れる空気を払拭しようとした話は、結局またこうしてシリアスな空気を作ってしまった。
俺もあの時代については自分で調べてみたが、二人は俺とは違った方向から調べることの可能な人間だ。素直に、二人の申し出はありがたい。
「ありがとな。二人とも」
「うん、ありがとう。アーサーくん。シオンちゃん」
頭を下げてお礼を言うと、アーサーと紫苑は焦ったように頭を上げてくれと懇願し始めた。
一国の王女が、そう簡単に頭を下げるなと言いたいのだろうが……
「それと、アーサーくん。シオンちゃん。私に様をつけなくても良いからね? ほら、私たち、お友達でしょ? 様づけなんて、なんか他人行儀じゃない」
エミリアも俺も、権利には極力関わりたくない人間だ。
プライベートでくらい、そういった息苦しさから逃れたいのだ。
「……では、エミリア殿と呼ばせていただきまする」
「それなら、ハンゲルで構わないか? さすがに、名前を呼び捨てには出来ないのでね」
返ってきたのは、望むのと違う反応だった。
だが、考えてみれば当たり前だ。
紫苑は同じ立場の俺に対しても『殿』を付けるのだ。紫苑にとっては、これが普通なのかも知れない。
アーサーは昔縁談を持ち込んだ張本人だ。馴れ馴れしく呼ぶことは、さすがに少し外聞が悪い。ただ、敬語は止めるみたいだ。
そのことが分かっているのか、エミリアもそれで満足したようだった。
と、丁度その時、俺たちは湖に出た。
どうやら集まったのは俺たちが最後だったらしく、「うむ、全員戻ったな」とキラ先生が頷いた。
「そろそろ、日が落ちるまで時間がないのじゃ」
「とすると、今日はここで寝るんですか?」
質問したのはケビンだ。俺が目を覚ました頃に、「知らない天井だ……」と言いながら目を覚ましていたのを覚えている。
……あれ? そう言えば、俺はいつの間にかエミリアへの恐怖心を忘れているな。目が覚めてからは特に何もなかったし、眠っていた時に何かあったのかもしれないけど……まあいいか。
「うむ、食料は全員集めたな? それじゃ、テントを張って食事の準備。終わった者から自由時間にして良いぞ」
キラ先生の掛け声で、ワッと生徒たちが寝床の準備を始める。
どの場所を取るかで、その人の性格が如実に現れるよな……。ほら、グラムなんか木の上だぞ?
「よし、俺たちも準備するか」




