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四話:平和な世界

遅れました、すみません

 

「ちょ、ちょっと待っててくださいねっ。今元に戻……じゃなくて、一生懸命愛情を込めていますから!」

「了解です、師匠」


 時代が変わっても、レイはいつまでもレイらしいな。

 レイが立っている台所の方から聞こえてくる焦った声にそれらしい返事をし、そこで俺はふと気が付いた。


「あれ? なんで俺今レイのことを師匠って……いや、今も師匠ではあるんだけど……」


 あの頭痛の後、俺は日課となっているレイとの模擬戦をしたのだが、今日もまたレイには届かなかった。


 山を散策してる時に出会った正神教徒の集団を簡単に一掃できたこともあったから、それなりに強くなっているとは思っているんだけどな。


 やっぱりレイは強い。癖のある能力を持っているわけでもないのに、手数に精度、威力、その全てが段違いなのだ。


「って、レイの強さは今関係ないんだった……。…………」

「ふんふふーん……らんららーん……ふにゃぁ!」

「今年もまた盛大だなぁ……」


 陽気な鼻歌だけでなく、何故台所から爆発音が聞こえてくるのか。

 どうして緑色の煙がこちらまで漂ってくるのか。


「…………」


 無詠唱で吹かせた風で謎の煙を外に出しながら、俺は料理(もしくは実験)をしているレイを眺める。


 結婚して妻となっても、冒険者らしい大胆な料理は生み出され続け、こうしてまともな料理を作ろうとすると、何かの実験をしているようになる。


 俺は今十六歳。

 俺が成長したせいで小さく見えるが、レイの実際の容姿は俺を拾ってくれた頃と全く変わっていない。ただ昔より甘えてくれることが多くなった以外は、レイはそんなに変わっていないのだ。


「レイがレイのままだから、かな……」

「? どうしました? シン」

「ああいえ、新聞を見ていただけですよ」


 俺はレイを見ていたことを誤魔化して、王都で買った手元の新聞に目を向けた。

 印刷技術が発展したおかげで、今じゃ情報集めはこれが主流になっている。


 すると早速、とある記事が目に入った。


「『王女誘拐事件の首謀者とみられる男が、昨日夜に死体で発見された』……?」


 今から九年前だか十年前だか、王女が侍女の裏切りによって誘拐された事件があった。

 森の中で魔物の襲撃に遭ったと思われる無残な誘拐犯の死体があったのだが、何故か王女だけは見つからず、その数日後近くの湖で遺体が発見されたという、嫌な事件だ。


 実行犯は死んだが、首謀者はまだ生きている。そいつを、国王が血眼になって探していたのを覚えている。


「『何者かに無抵抗に切り裂かれたと考えられており、また近くには精霊の痕跡があったため精霊使いの仕業だと思われる。軍は遺体の身元確認を急いでいるが、とある関係者は正神教徒大司教の一人ではないかとも言っている』……か」


 仮にそいつが正神教徒の大司教だとして、抵抗させずに殺すことができるような精霊使いなんているのだろうか。


 身元がすぐに分からないような程、身体を切り裂くなどあまりに残虐。余程恨みを持っていたのだろうか。


「…………」


 やけに喉が乾いていたことに気が付いた。

 喉を潤そうと、何気なく水の入ったグラスに手を伸ばし……


 ──パリンッ!


「っ!」

「大丈夫ですか!? シン!」


 手に触れた途端、グラスが粉々になった。

 慌てるレイに大丈夫だと伝え、回復魔法をかけようとして、気が付く。


「なんだ俺……震えてるのか……?」


 右手が、何か堪えきれない想いがあるかのように、震えていた。

 試しに触れてみると、とても熱い。その部分だけ、全力で身体強化を行なっているようだ。


「ぐうっ……!!」


 身体が中々言うこと聞かない。身体強化を解除した頃には、汗びっしょりになっていた。


「シン……あの、料理がやっとできまし……シン!? なんでそんなに汗だくなんです!? そ、そうです! 先にお風呂に入りましょう! 料理は〈ストレージ〉に入れれば良いので!」

「え、ええ……すみません師匠……ちょっと調子が悪いかも知れません」


 頭痛と言い、怒りのような感情の昂りと言い、なんだか今日はおかしいようだ。

 ああしかも、また師匠って言ってるし……。


「結婚記念日なのに、すみません……」

「いえ……シンの身体の方が大切ですから。ね、今日は早く寝て、明日その分楽しみましょう?」

「はい……すみません……」


 心配そうに、俺の背中をさすってくれるレイ。

 とてもありがたい。


 ……ありがたいはずなのに、何故かとても吐き気がした。


 ♦︎♦︎♦︎


「シンは可愛いですね……むにゃむにゃ……。にゃぁ、そこは駄目ですよぉ……」

「ん、んんっ……」


 夜中に、ふと目が覚めた。

 すぐ隣には、俺の腕を抱き締めながらレイがすやすやと寝ている。なんだか興味深い寝言を言っているが、一体どんな夢を見ているんだか。


「すみません」

「ふにゃぁ……」


 小さな胸を優しくサラリと撫でると、レイの俺の腕を抱える力が緩んだ。

 何年も一緒にいるから、レイの拘束から抜けるのは慣れたものだ。


「少し待っててください、レイ」

「んミュぅ……」


 レイの顔が少し寂しそうに見えたので頭を撫でてあげると、安心したようにまた静かな寝息を立て始めた。


 それを確認して、俺は寝室から出る。

 不思議なことに、眠気はほとんどなかった。


「……そうだ、レイの部屋から本でも取ってくるか……」


 そう思って、レイの部屋にお邪魔する俺。

 何か面白い本があるか、本棚を物色する。


 と、その時だった。


「え…………?」


 ──カチリ。


 突然そんな音がしたかと思うと、本棚が音もなく横に移動を始めたのだ。

 そして、本棚が元々あった場所には、本棚よりひと回り小さな四角い穴があった。


「なんだここ、隠し部屋……?」


 レイの部屋に隠し部屋があったなんて、今初めて知った。

 少し悪いとは思いながらも、レイが隠し部屋に何を隠しているのか気になるワクワクの方が強くて、俺は隠し部屋の中を覗いてみる。


「物は少ないな……。あ、でもこれって、俺が小さい頃に書いた魔法陣だ……」


 なんだか温かい気持ちになりながらも探索を続けると、ふと一見なんの変哲もない箱が目に入った。


「…………」


 初めて見るはずなのに、何故かその箱のことがとても気になる。本当に不思議なことだが、その箱をどこかで見たことがあるような気がするのだ。


 部屋が無音の状態だからか、心臓の音がよく聞こえた。


 ゆっくりと手を伸ばし、箱を開ける。


「…………何もない?」


 が、中には何も入っていなかった。

 なんだか大事なものが入っている気がしたのだが、どうやら気のせいだったみたいだな。

 …………帰るか。


「えっ……?」


 だが、レイのところに戻ろうと思って立ち上がった途端、俺は酷い頭痛に襲われた。


「ガアッ……!」


 箱の中に何もない……?

 いや待て、待ってくれ。それは何かがおかしい。だって俺は見たことがある、この箱の中に、何かが入っていたことを……!


「なんだこれ……! 俺はこんなのを見たこと……!」


 気持ち悪い。吐き気がする。

 床を殴り、身体中を、頭を激しく掻き毟ると、指輪が指から取れて転がった。


 その瞬間、ある文字が俺の目に入った。


「『シン・ゼロ』……?」


 俺の名前だ。レイの家名である『ゼロ』が、俺の名前であるシンについたもの。

 なんてことのない、俺にとって当たり前の名前。


「俺が『ゼロ』…………?」


 なのに、強い違和感が湧き上がる。


「ッ……!!」


 ふとある考えが思い浮かんだ俺は、急いで隠し部屋から飛び出し、レイの部屋に置いてあった今日の新聞を見る。

 そして、最初読んだ時には気にしていなかった部分を改めて見ると、やはりそうだ。


「『エミリア・ハンゲル』……!」


 その名前を見た途端、頭痛がさらに強まった。


「エミリア……エミリア……!! どこかで……エミリア……!」


 王女だからとかではない。

 もっと個人的な理由で、エミリア・ハンゲルという名前は身近なものだったはずだ。


「ぁ。──そうだ…………」


 前触れもなく、頭の中にエミリアの姿が思い浮かんだ。

 幼い頃に死んでいるはずなのに、俺の頭の中のエミリアは、俺と同じくらいの歳だった。


『どうしたの? シン?』


 そう言って、頭の中のエミリアが首を傾げた。


 ──なんで忘れていたんだろう。


 そうだ、師匠は死んだはずだ。

 そしてエミリアは、俺が助けたはずだ。


 俺はエミリアを、守ると誓ったのだ。


「この世界は、まやかしだっ……」


 ♦︎♦︎♦︎


「────ッ!!!」


 硬い床の上で、俺の身体がビクンと大きく跳ねた。

 身体は汗だくだ。


 そしてそんな俺を、覗き込む奴がいた。


「幻の世界から一番最初に抜け出したのは、やはり君だったね。ようこそ、世界の果てへ」


次話は木曜日です

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