二話:俺が死なせない
「「ただいまー」」
「んにゃ? おかえりにゃぁ〜。ふにゃぁ……」
寮から地下室に転移し、階段を登るという帰宅ルートを通って屋敷に帰ると、グラムが眠そうに欠伸をしていた。
グラムは、休日を返上して発情期で学院を休んでいた分の補講を受けているからな。気温が寒いというのあって、よくベッドの上や炬燵の中で丸まっている。
「また、それ飲んでるのか? 好きだなぁ」
「眠気が飛んでって、夢から覚めるから、この時間に飲むと寝付きが良くなるのにゃよ? 大丈夫にゃ、昔から伝わる安全なものにゃから」
マジックバックや〈ストレージ〉と同じ原理が使われている、亜空間に通じる棚から乳酸菌飲料のような白い液体を取り出すグラム。
材料に幻惑耐性があるという、雲の花という名前の白い花の露が使われており、味は見た目に反してお茶に近い。
なんでお茶に近い味なのかは知らないが、見た目とのギャップが大きすぎて俺はあまり好きじゃない。
「あー、おかえりシンくん」
「スーピルさん」
と、二階からスーピルが階段を降りて来た。
スーピルは毎日、雪風の様子を見に来ている。未だに身体が元に戻らない理由を探っているらしいが、
「駄目だね。まだ理由は不明。何かあってくれた方が良いんだけど、何も身体に異変がないからなぁ、これが」
「そうですか……」
精霊の専門家であるスーピルでも分からないのだから、治しようがない。
今の雪風も可愛らしいのだが、やはりあの頃の雪風に戻って欲しい気持ちはある。今の雪風は疲れやすく、長い時間活動できない。
帝都にいた時も、俺と一緒にいない時は眠ることで魔力の消費を抑えていた程だ。
元気いっぱいに走り回って敵を翻弄する、あの雪風に会いたい。
その気持ちは、俺だけのものではない。
「心配にゃ……」
「うん……あの、雪風ちゃんは、大丈夫なんですよね?」
「一応大丈夫だよ。……まぁ、今後何が起きるか分からないから、これからも検診は必要だと思うけど」
普段はあんなんだが、精霊と仲間に関する話では、スーピルはとても真面目になる。
「まっ、契約を超える契約とかすれば、一気に元通りかも知れないけどね!」
「それってのは、どうすれば……」
「知らない! でも多分深い愛だよ! 愛! さぁ今すぐ精霊の元へ行くんだシンくん! そうして熱いキスを浴びせて朝チュンコース!」
だからこれも、俺たちを元気付けるためのスーピルの冗談なのだろう。……多分。
スーピルは俺のツッコミを待ってるんだろうが、すまんな。雪風が危険なら俺は迷わない気がするから、ツッコミはできない。
「……朝チュン?」
「朝に鳥の鳴き声がすることを言うにゃ。エミリアは知らなくて良い言葉にゃ」
「それはそうとシンくん、軍の方で話があるんだよね」
「軍、ですか?」
なんだろうか。
今年は既に沢山働いたから、もうこれ以上働きたくないんだが。というか俺の仕事は、本来エミリアの護衛だけのはずなんだが。
俺とスーピルは場所を移して、二人きりになった。
すると早速、スーピルが口を開く。
「雪風っちを、正式に二十五番隊のメンバーにしようという話が出ているんだよ」
「本当ですか!」
スーピルから伝えられたことは、何を今更と思われるようなことかも知れない。
そもそも二十五番隊は形式とか肩書きを全く気にしないような部隊だろ、と言われるかも知れない。
でも、俺はこの報告が嬉しかった。
殺戮マシーンとして生きてきた、生きるしかなかった雪風が、二十五番隊に入って国を、人を守る。
ついに、雪風の努力が認められた。そんな気がしたのだ。
少し、鼻の奥がツンとして、泣きそうになった。
「やっぱり、その反応だよね。でも、一つ条件があるんだよ」
「条件?」
「うん。まぁ何せ精霊が軍に所属するなんて前例がない。そもそも人の姿をした精霊自体、空想上の存在に近かったわけだし」
「はぁ……」
確かに、言われないと雪風が精霊だということは分からないだろう。雪風が精霊だと知っている人間が、王都にどれくらいいるのだろう。
同じ姿をして、同じ言葉を話し、同じように怒ったり悲しんだり喜んだりする。これまでの、精霊と人との関係性は契約しかないという常識的な考えを、根本から打ち壊すような存在だ。
「今年中に戦果を挙げること。それが、雪風っちが入隊できる条件だ。元々無理を言って認めさせた約束、失敗すれば次はないよ」
「ッ……!!」
戦果を挙げる。
ここで言う戦果とはつまり、純粋に『〇〇を打ち倒した』というものだろう。もしくは、紫苑のように隠密行動で重要な情報を得ること。
隠密行動は雪風に向いていない(俺に入ることは可能だが、俺が隠れて移動しても雪風の戦果にはならない)から、戦闘能力で認めさせるしかない。
「そんな……もう、来週には聖夜祭ですよ……? 重大な事件なんて、そうそう起きない時期……」
聖教の人間が聖教の大事な祭りの日に事件を起こすことが稀な上、警備も強化されるから、ここ数年で重大事件なんて一件もなかった。
というかそもそも、今の雪風は戦っちゃいけない身体なんだぞ……!
「シンくんの言いたいことは分かってるよ。私も、思わず殴りそうになったからね……。どうやら私たち、活躍しすぎて嫌われたみたいだ」
「くそっ! 今からでも力尽くで……!」
「やめな。それこそ向こうの思う壺。今度はシンくん、君がエミっちの護衛から外されるよ」
「っ…………!」
どうやら、スーピルが既にやり合った後らしい。殴りたくなったじゃなくて、実際に殴ったんだろう。
そりゃそうだよな……雪風が結局認めてもらえなくて、スーピルが納得するわけないじゃねえか。
「じゃあ、なんで俺はそれを伝えたんですか? ぬか喜びするだけなのに……」
「シンくん。お姉さんは……私は精霊が一番大事だ。それは他人の契約精霊であっても変わらない」
「知ってます」
「よろしい。なら、お姉さんを殴らないでくれよ? シンくんのは痛いからねぇ!」
冗談っぽく言って、しかしすぐに真剣な顔に戻ったスーピル。
「この前王都でクーデターを起こした首謀者。彼の行方が分かったんだ」
「えっ……? ほ、本当ですか!?」
それが本当なら、それをどうにかして雪風に捕まえさせれば……。
だがその希望も、スーピルの次の言葉で砕かれる。
「場所は地獄。悪魔に操られている状態だ」
「地獄……!!」
罪を犯した人間が死んだ後に行く世界であり、そこでは悪魔に恐怖心などの負の感情を無理矢理生み出されて搾取され続ける生活を余儀なくされると言う。
既に死んでいるから死ぬこともできず、永遠の苦しみを味わうことになる世界。
「一応言っておくと、死んでいるわけじゃない、つまり完全な悪魔の所有物にはなってないから、連れ帰ることは可能だよ。可能なだけだけどね」
「…………」
「……世界図書館。地獄とこの世の狭間にあり、世界の果てにあり、また私たちのすぐ側にもある図書館がある。この世界全ての出来事を記録が保存されている特別な場所だよ」
「世界図書館……?」
なんだか、胡散臭いような話だ。
「もしかしたらそこでは、雪風っちを治す方法が書いてある書物が見つかるかも知れない」
「本当ですかっ!?」
「おいおいシンくん。お姉さんを疑っているのかい?」
そう言ってスーピルは、悪戯っ子のようにニヤッと笑った。
スーピルは、こういう時に冗談を言わない女性だ。
「どうする? 行くかい? 恐らく、この世で一を争う危険な場所だよ。シンくん、君ですら死ぬような」
危険な場所……だが、それでも……
「雪風は俺が死なせません」
ああ、雪風にこの世の素晴らしさをもっと見て欲しいのだ。
天照国にだって連れて行ってやりたい。
俺が、死なせない。
「よく言った」
そう言うとスーピルは、誇らしげに微笑んだ。
期末考査があるので、次話は日曜日です。




