三十六話:消えた悪魔
エストロ先輩が勝ったことで、次の戦いにさえ勝てばルシフィエルを引っ張り出すことができるようになった。
その肝心な役を任せられたのは……
「エストロ先輩の次は……あの人か」
何故か俺に敵意を向けてくることで同じみの、あの女性だ。ちなみに一度も話したことがない上、名前さえ知らない。
帝都の前に横並びに並んでいる俺たち、その真ん中から彼女がゆっくりと進み出た。俺たち王国軍は端っこだから、全体を見やすくて良いな。
「…………あれ?」
「……シンも気付いたのです? 何か、おかしいのです」
「相手が出てくる気配がないけど……この場合って不戦勝になるのか? シン」
「さぁ……ただ俺たちは誰が出てくるか知らないから、いくらでも代理は出せると思うけど……」
全体を見やすい位置にいるからこそいち早く気が付けたのだが、ルシフィエルたちの方から誰も進み出てこない。
そのことに、俺たちだけでなく徐々に帝国軍も気が付いていったみたいだ。怪訝そうに敵軍を見て、隣の人間と話し合っている。
「…………アンリさん……じゃないよな」
♦︎♦︎♦︎
帝国王国連合軍が何事かと警戒している時、悪魔正神教徒連合軍の方でも同じことが騒がれていた。
「おいアンリ。あいつはどこに行きやがった」
「申し訳ありませんルシフィエル様。お姉様……あの方の行方は私も存じ上げておりません。気が付いたら、忽然と姿を消しておりまして……」
「私が空を飛び回っていました時も、あの紅髪の子を見てはいませんね」
「お前……」
ルシフィエルとアンリの会話に、気負うことなくなんでもないように混じってきた男を見て、ルシフィエルは目を細める。
それは先程、エストロに脳天を叩かれ気絶してしまった戦士だった。
治療班に運ばれて行ったというのに、もう何事もなかったかのように話している。なんとも凄まじい回復の早さだ。
それは、先程の敗北が演技であったかと疑ってしまうくらいには。
「どうかされましたか? ルシフィエル様。私な顔に何かついておりますか?」
「いや……なんでもねぇ」
疑わしくはあったが、ここでそれを暴き罰すると、周りの者にそれが負けた者の処遇だと誤解されてしまう可能性がある。
ルシフィエルは、この得体の知れない悪魔を信じることにした。
「探すのは困難ですよ? 何せあの子は、姿も気配も消すんですから」
「…………」
ニヤニヤと笑う悪魔の言葉には答えず、ルシフィエルは黙って周りを見渡した。
周囲の者の中には、ルシフィエルの方を見てどうするのかと無言で問う者もいたが、しかしほとんどは好き勝手に近くの者と話し、自分が立候補しようという冗談まで言っている。
正神教徒が、ルシフィエルに忠誠を誓わないのはまだ分かる。何故なら、正神教徒が信じるものは自分の中の正しさだけだから。
しかし、ここにいる悪魔のほとんどでさえ、ルシフィエルを主人と認めてはいないようだった。
基本的に実力と血筋が密接な関わりを持つ悪魔族は、あまり知られていないが貴族主義的な所がある。
ルシフィエルは上級悪魔だが、堕天使であるが故に悪魔としての家柄はない。
心から自分を主人だと思っている者はここに存在しないのだと、ルシフィエルは思った。
だから、この戦士のようにルシフィエルを馬鹿にする者もいれば、ルシフィエルの考えを無視して勝手に動く集団もある。
主人のために戦うのではなく、自分の欲求を満たすために戦う。人を殺す、人の恐怖心を味わう。
だが……たとえ誰も自分を主人だと認めてなくとも、
「──主人とは、配下を守るものだからな」
「……ルシフィエル様?」
小さく呟いたルシフィエルの言葉に、アンリだけは気が付いた。正神教徒でも悪魔でもなければ、特別な力もないただの人間。
悪魔の集団と共にいることすら危険だというのに、ルシフィエルに付き従う女性。
──いや、全員というわけじゃないか。
しかめっ面をやめて、ルシフィエルは小さく微笑んだ。
そして同時に、言葉にしないで、心の中だけで目の前の女性に謝った。
「……構わねぇ。俺が決着をつける」
「ルシフィエル様……っ」
ルシフィエルの言葉を聞いて、アンリが表情を厳しいものにした。悪魔の戦士も、真剣な表情になる。
いや、それだけでない。ルシフィエルの言葉を聞いた周囲の悪魔がピタリと話を止め、それが徐々に伝染していき、ついには誰一人として喋らない静寂が訪れた。
だがルシフィエルに向けられる目は、決して応援の目ではない。ルシフィエルを見定めようとするような、不躾で遠慮のない目だ。
「さぁ、決着をつけるぞ! 帝国!」
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「っ!!」
そう来たか……。
まさか、不戦勝になるとは思ってなかったな。
「シン……」
「大丈夫だ雪風。俺は死なない」
心配そうにこちらを見上げる雪風に、俺は心配するようなことは起きないと頭を撫でる。
幼女になったせいで頭が手頃な位置にあるから、考えるよりも先にパッと撫でてしまうのだ。
「……女神に浮気しないか、心配なだけです……」
恥ずかしさを誤魔化すためか冗談を言う雪風だが、その表情は未だ不安そうなままだ。
「先に死んだら、シンがロリコンだって言い触らすのです。だから……──」
「分かってるって。俺を信じろ、雪風。あまりこういうことは言いたくないが……お前らを救ったのは誰だ? なぁ、メア」
「なっ……オ、オレは何もしてないだろっ」
そうは言うが、言葉にしていないだけでメアだって心配そうにしてくれているのだ。
勿論それは、メアだけではない。スーピルも、ファントムも、団長や『閃光』にエストロ先輩も……この後の作戦を知っている人はみんな心配してくれている。
そして、キラも。
だがキラは、年長者の役目を感じたのか、話した言葉は激励の言葉じゃなかった。
「アーサーが進み出たぞ。しかと、見届けるのじゃ」
その言葉の通り、中央ではアーサーとルシフィエルが向かい合っていた。
俺は大きく息を吸って、声を張り上げる。
「頑張れよ、アーサー!」
次話は明日です




