三十二話:悩み
本格的に海回を始める前に、少し重い話になります。
「はぁ…………」
浜辺に敷かれたシートの上に座り、楽しそうに遊ぶエミリアたちを眺めながら、俺はため息をつく。
やってしまった。
よりにもよって、エミリアを押し倒したような体勢になってしまった。
アニルレイの時と同じだ。エミリアが恥ずかしがるだけで良かったが、あれでもしエミリアが怯えたりしたら、俺はきっと立ち直れなかった。
「さっきからどうしたんですか、シン」
「レイ先輩……」
俺が過去を悔やんでいると、レイ先輩が隣に腰掛けて話しかけてきた。
「押し倒したことをまだ後悔しているんですか? あなたらしくありませんね」
「…………そう、ですかね?」
「悩みがあるんでしょう? 私はあなたの教育係です。話してくれませんか?」
悩み……悩みか……。
誰にも話さず、墓場まで持っていくつもりだったけど…………レイ先輩になら、話して良いかも知れない。
「……最近、エミリアは俺のことを好きなんじゃないかって、思ってきたんです」
「…………」
レイ先輩の手からコップが落ち、中に入っていた水がシートの上に飛散した。
顔はすまし顔だが、明らかに動揺している。
「でもそれだけじゃくて、エミリアが自分のことを好きだと考えた時、俺はもう一つの事実に気が付いたんです」
「自分が鈍感で、これまでエミリアを傷付けていたことですか?」
「それもそうですが……個人的にはもっと重要なことで、俺が今悩んでいることです」
「…………?」
「俺は、エミリアのことが好きです。アニルレイでエミリアを襲ってしまって、初めて気が付きました」
「…………そうだったんですか」
「驚きましたか?」
「……いいえ。意外と、驚きは感じていません。あなたの護衛としての考え方は少し異常でしたからね。いつか恋心に変わるだろうとは思ってました。予想よりも、少し早かったですが」
「…………」
な、なんかそう言われると恥ずかしいな……。
ま、まぁ確かに、レイ先輩の言った通りなんだろうけど……。
最初は、幼いエミリアに師匠を重ねていた。
エミリアを守ろうとして行く中で、師匠とは関係なくエミリアを大切に思うようになった。
エミリアが成長して行くにつれ、それが今の気持ちに変化していったんだろう。
「ですがそれでしたら、何故悩む必要があるのですか? 相思相愛だと分かっているのですから、さっさと想いを伝えて結ばれれば良いでしょうに」
「それは駄目なんです」
「……駄目?」
「はい。俺と結ばれれば、エミリアは不幸になってしまうんです」
アニルレイで、思ったことだ。
「俺はエミリアの唯一の護衛です。王女であるエミリアが引き起こすトラブルを、これまで解決してきました」
それが俺たちで、俺もそれが普通だと思っていた。
「でも最近は、むしろ俺がエミリアを危険に晒している。雪風が俺を殺しに来たのもそうですし、アニルレイに行ったのも俺がグラムの尻尾を触ってしまったからです」
「それが、不幸になるということですか? あなたに関わると、不幸になるということですか?」
「はい」
でも、俺がエミリアを危険に晒しているのは、どちらかと言えば護衛として恥ずべき所なのだ。
俺の……護衛ではなく一人の人間としての悩みはむしろ、
「俺は独占欲が人より強いんだと思います。人の少ないビーチにしようとしたのも、エミリアの水着姿を他の男に見られたくなかったからなんですよ?」
本当はここまで喋るつもりはなかったが、いざ話し始めると、言葉が止まらなくなった。
「紫苑や雪風が好いてくれているのも嬉しいですが、二人とも、こんな俺は知りません。この醜い俺を見せないのは、なんか卑怯じゃないですか」
「それは、どうでしょう……」
「卑怯ですよ。だって、それを伝える勇気がないんですから。エミリアを拒絶する勇気も、醜い自分を見せる勇気もない」
「……なんで、勇気が出ないんですか?」
「だって…………一人は、辛いじゃないですか。あんな経験は、もうしたくない……」
師匠を喪い、独りで森を彷徨い続けたあの日々は、本当に空虚だった。何もないカラッポの生活。何があったかすらも思い出せない、無意味で悲しい辛い時間。
「俺はもう、独りになりたくないんです……」
結局の所、エゴなのだ。
エミリアのため、みんなのためと言っておきながら、その実本心では自分のことしか考えていない。
「最低ですよね……俺」
「本当、最低なのです」
「ですよね……。……えっ……?」
聞こえた返事は、レイ先輩のものではなかった。
「ゆ、雪風!? なんでここに!?」
「飲み物を取りに来たのです。ですが……シン、まさかそんなことを思っていたのです?」
「うっ……そうだよな、幻滅したよな……」
「? なんで幻滅する必要があるのです?」
「え……?」
今、なんて……?
思わず顔を上げて雪風を見ると、雪風は本気で分かっていなさそうだった。
「だ、だって気持ち悪いだろ!? こんな独占欲のある奴! それに雪風に教えなかったのも全部、自分のためなんだぞ!?」
「雪風は別に気持ち悪いとは思わないですし、雪風はシンを観察していたのですよ? シンの独占欲は最初から知っていたのです。……それに、シンの気持ちも分かります。雪風だって、ずっと独りでしたから」
「…………」
雪風の言っていることが、信じられなかった。
でも雪風の顔は真剣で、俺を慰めるために嘘をついているわけではないことが、見るだけで分かってしまった。
「じゃあ、なんで最低って……」
「シンが、雪風たちを信頼していないからなのです。雪風が何回、あなたに気持ちを伝えたと思っているのです? それなのにまだ、嫌われて何処かへ行くのが怖いだなんて……本当、最低なのです!」
「ぁ……………」
「雪風は怒っているのですよ!? これはもう、撫で撫でではすまないのです! ぎゅーっと抱きしめなきゃ許さないのです! 雪風がどれくらいシンのことが好きか、もう一度分からせてやるのです!」
そう言って、ハグをねだるかのように両腕を突き出す雪風。
「…………」
「ん!」
ポカンとする俺を見て、さらに頬を膨らませて腕をもう一度突き出す雪風。
膝立ちになった俺はヨロヨロと近付いて、視線で本当に良いのか聞く。すると雪風はムッとしていた顔から一転、優しげな表情になって、
「ぎゅーっなのです!」
「っ!!」
俺に飛びついて来た。
雪風の飛びつきの勢いに負けて俺が倒れても、構わず強く抱き締めてくる雪風。
髪から微かに潮の匂いがした。
「大丈夫なのです。どんなことがあっても、雪風はあなたの側にいるのです」
何も解決してはいない。
俺のエゴも、俺の悩みも。
「雪風はあなたが、大好きですから」
だけどなんだか、救われたような気がした。
今話はどちらかと言えば暗い話でしたが、次話からは明るくなると思います!




