十六話:森の入り口
「…………」
「…………」
森の中だ。木々は生い茂っている。うん、当たり前だな。
だけど師匠と暮らしていた小屋の周辺と違い、俺たちが今歩いているのは、まだ低ランク冒険者がパーティーで討伐に来るような所だ。まあつまり、歩くのは全く困難じゃない。
踏み固められた獣道が出来ていて歩きやすいし、何より出てくる魔物のレベルが低い。
まあ、少なくともSクラスの敵ではないよな。
全員、出てきた魔物には目もくれず、半ば片手間に討伐している。
「あ、シン。魔物……」
「……」
俺の振り抜いた刀が、草陰から飛び出してきた小型の魔物を斬り払う。
少量の返り血が、エミリアの片頬についた。
「ご、ごめん!」
「う、ううん。私の方こそ……ごめんなさい。あ、えっと、その……あの……」
「と、取り敢えず浄化魔法かけとくな」
「う、うん……」
「…………」
「…………」
浄化魔法の応用で返り血を落とした後は、俺もエミリアも黙り込んでしまう。
…………き、気不味いなんてものじゃねえぞ、これ。
い、いやでも昨日の今日で何を話せば良いのか……。
俺たちが、お互い目も合わせず黙りこくっている後ろで、
「……御二方……何かあったのでござろうか」
「さあ……シンはともかく、エミリア様がああなるのは少し考えにくいな」
「む? 拙者は、どちらかと言えばシン殿の方が無理しているように思いまする。反応が、コンマ以下の差でござるが、些か遅くなっているかと」
「だが、エミリア様がシンを励まそうとしないのは少し考えにくいな。いや、私も彼女をよく知っている訳ではないのだが、それでも、やはり彼女にシンへの遠慮を感じる」
アーサーと紫苑は、真面目に俺たちを分析しておられた。
いや、何してんだよ。こっちにはバッチリ聞こえてんだよ。
その後も二人はあれこれ考察しているのだが、その声が大きい。というか、周囲が静かすぎる。
全員、俺とエミリアに関する話に耳を傾けているんだよなぁ……。お前ら暇なの? それとも王族の婚約だからなの?
俺としてはやめさせたいところなのだが、迂闊に話しかけると「それなら何故なんだい?」とか、理由を聞かれそうで怖い。
説明することになれば、俺の痴態がクラス全員にバレるわけで……どこかの龍の末裔が喜ぶ事態になってしまう。
「ふにゅ? どうしたのじゃ? こっちを見よって」
「いや、先生が龍化して俺たちを乗せれば楽なのにって思っただけですよ」
「ふふ、それは出来ぬ相談じゃな」
「これも授業ですからね……」
こんなのが授業なのかという落胆も込めて、俺は溜息をつく。
「いや、そうでなくてじゃな……」
だがキラ先生は、ニヤニヤと嗜虐的な笑みを浮かべている。
いじめっ子の顔だ。小柄な美少女が、いじめっ子の顔でこっちを上目遣いで見上げている。
やべえ、俺にそんな趣味はないんだが……。あ、師匠なら別ね。師匠はもっとちっちゃいので絵面ヤバいことになりそうだが、それでもオーケー、無問題。俺が捕まるだけ。
「お主に安寧を与えるわけなかろう」
「ですよね! 知ってた!」
エミリアとぎこちない俺を揶揄うためだってことくらい知ってたよ、畜生!
流石、人の不幸は見逃さない二十五番隊。
その後ニヤニヤと眺めるのもワンセットでって普通に悪魔だな俺たち。王国軍の名が廃る。
あ、だから表に出せない部隊なのか。納得。
だが、ただ眺めて愉悦に浸るだけでないのが、二十五番隊の特徴にして変態たる所以だろう。
「まあ、冗談は兎も角じゃ。本当にお主ら何があったんじゃ?」
「その変り身マジ尊敬するっす」
「ほほお、はぐらかす気でおるな? "刃"副長たる妾に口を閉ざすとは。自白剤、無痛剤、媚薬どれが良い?」
「おい変なとこで本気出すな」
自白剤は兎も角、無痛剤とか今は売買禁止品だろ。痛覚をなくして体罰を加える精神的拷問が残酷なので、売買は厳重に禁止されている筈だ。
既に購入していたブツの所持自体は禁止されていないとは言え、少なくともこんな所で使うようなものではない程、とても希少な品だ。
媚薬? うん、まあ、あれは用途が広いからね……。自白、撹乱、集団分裂、集中力阻害、様々な場面で活躍間違いなしだ。
俺も何回か分を〈ストレージ〉に入れてるから、人のことは言えない。
「冗談じゃ、冗談」
「言葉の割に目が笑ってない!?」
あ、これはやられる。
戦場に身を置く者が感じるという確信、こんな所で発揮されても困るね。……ええ、すごく困る。
と、俺がここで洗いざらい話すか割と本気で悩んでいた時だった。
「シン、前の道がぬかるんでるよ」
不意に後ろからクイクイっと制服の袖を引っ張られ、色々と周囲を警戒していた俺は反射的に振り向いた。
「お、おおエミリア! じ、じゃあ先生、あれの対処法を考えなくちゃいけないので──」
「〈フリーズ〉」
「…………」
……………………。
い、いやぁ、はは。問答無用で凍らされるとは。
うん、流石の俺も予想してなかったね。
これは負けたよ。負けた。
……いろんな意味で。
「うむ、解決したな。では、まず媚薬から……」
「最初から最後の手段、だと…………!」
ぬかるんだ所を凍らせた犯人が、楽しそうな顔でウキウキとポーチの中に手を入れる。
〈ストレージ〉の魔法が付与された魔道具で、きっとあの中には即効遅効様々な媚薬があるのだろう。
いや、全然場面を俯瞰している場合じゃない!
えっと、えっと……。
「エミリアと手を繋ごうか迷ってただけですよ〜。ほら、森は慣れてないと歩きにくいですし、エミリアは昔迷子になりましたからね」
「ふえ!? シ、シン!?」
俺が半ば無理矢理エミリアの手を握ると、エミリアは顔を真っ赤にして目を白黒させている。
そ、そりゃ急に手を握られたら驚くよな! てか、なんだよ手を繋ごうか迷うって!
もっと良い案あっただろ、俺!
「ふむ……仮にそうだとして、エミリア様……エミリアがあれ程緊張していたのは何故じゃ?」
「エ、エミリアが緊張していた理由……!?」
や、やばい。それは予想してなかった!
た、確かにそうだよな。アーサーもエミリアの方に違和感を感じていたらしいし……。
「そ、それはその……」
クラス中の視線を一身に集めてたじろぐエミリア。なんなら、さっきは興味なさそうに空を飛ぶ鳥を見ていた猫ちゃんでさえ、こっちを見ている。
「わ、私もシンと手を繋ぎたかったんです! だ、だってシンは私の憧れで、頼れるお兄ちゃんで、何度も助けてくれて。それにすごく優しくて、一緒にいるだけで楽しいし、朝寝顔を見る度にこう胸が熱くなって……それにそれに…………」
「エ、エミリア?」
「はっ! ち、違うの! あの、これは、その……。あれがこうした感じになって、それですごく止まらなく……じゃなくて! えっと……そ、その……」
顔を真っ赤にしたエミリアが、繋いだ手をパッと離しワタワタと手を振って何かを否定する。
いや、否定されるも何も……あ、俺が勘違いしたと思ってるのか?
その誤解を解くため、エミリアに近寄って耳元で囁く。耳の良いキラ先生対策だ。これくらいしないと、龍の聴覚からは逃げられないからな。
「分かってるって、演技だろ?」
「え、演技…………う、うん……そう、だよ……」
囁いたのだが……。
最初はものすごく焦っていたのに、何故か今は肩を落として意気消沈といった様子だ。
元気を取り戻した(?)のか、こちらを上目遣いで可愛らしく睨んでくるエミリアが少し気になったものの、まあ、嘘をついたことが気に食わなかったんだろう。
気を取り直して、ツッコミで乾いた喉を潤すため、俺は魔法で生成した水を飲む。
「成る程、付き合ったのじゃな?」
「ブホォ! ゲホッ、ゲホッ。……な、ななな何を根拠にぃ!?」
語尾が上がったのは、器官に水が入ったからだと思いたい。
「そ、そそそそうですよ! わ、私がシンのことを好きだなんて、そんなこと思ってないもん! 確かにシンは優しくてカッコいいし、優柔不断で鈍感だけどそこも可愛くて……じゃなくて! 本当に思ってませんから! むしろ嫌いだもん!」
嫌いだと言ったのは、照れ隠しだと思いたい。かなり切実に願う。
というか、そうか……。
少なくとも好意的な感情は抱いてないのか……。
こ、これから帰ってくる時間遅くした方が良いのかな……! いや、というか部屋を変えるべきではないのか?
エミリアに彼氏が出来たとき困るよな……?
彼氏、か…………。
「む? 付き合ったのに、お互いの感情に気付いてないじゃと……?」
キラが何やら呟いていたが、そんなことより俺は次どこに住むかを考えるのに忙しい。
師匠の部屋は……駄目だ、理性が持たない。
二十五番隊の兵舎は……論外だな。
結論、どこも良いところがない。
と、俺が絶望に打ちひしがれていた時だった。
「ああ、そういうことか。シン、お前婚約を破棄したのか?」
「む、そういえばそうでござったな……。成る程、婚約破棄したものの、関係性を変える勇気はない。だから恋人同士になると。…………ヘタレでござる」
この二人が爆弾を投下してきた。
その衝撃発言を聞いた生徒たちは……、
「あ、あいつが王女様の婚約者……ふふ、遂に見つけたよ。我が最大の怨敵……」
「違えよ、あいつは元婚約者だろ?」
「婚約破棄とか最低……」
「しかも自分から破棄していて交際を申し込むとか……マジありえない。死んで」
「んにゃ? 弱っちい奴と子供を作るより強い奴と子供を作った方がいいにゃよ? 獣人ならよくあることにゃ。グラムも、自分より強い男を見つけにこの学校に来たのにゃ」などと好き勝手に感想を述べ合う。
俺、こうやって相手の事情考えないのキライ。
そして悲しいのが、誰がどの発言をしているのかが分からないこと……。いや、最後のは簡単だけど。
「ち、違うの!」
と、エミリアがみんなの前に出た。
「婚約を破棄したのも、つ……つつつ付き合ってって言ったのも私なの!」
「…………え」
一拍の後。
「ええええええっ!!!」
十数人分の悲鳴が森にこだまする。
それを聞きながら俺は、どうしてこうなったのか──その経緯を現実逃避気味に思い返すのだった……。