十話:天邪鬼メイドは回想す(2)
「ほんと、馬鹿だったよな……」
今にして思えば滑稽だが、あの時のオレは、とにかく周囲と距離を置いた。オレに武器の作成を依頼する奴は特に。
オレが槌を握ったのは、昔からよく師匠を頼っていた顔馴染みのためだけ。噂を聞きつけてやってきた奴には、一度も武器を与えていない。
そうだ、オレが貴族を敬わなくなったのも、この時からだ。
オレに武器の作成を依頼する貴族ってのは何故か、自分が偉いと思い込んでいるような若い奴ばかりだったのだ。
二十五番隊の兵舎で、毎日のようにソファに寝そべって本を読み、時々思い出しように武器を作る。
そんな怠惰な生活を、半年くらいオレは続けていた。馬鹿だと分かっていても、自分の中のプライドのようなものが邪魔をして、もう引くに引けなくなっていた。
「でもそれを、あいつが変えてくれた」
オレがいつものように本を読んでいると、突然、鍛錬場から轟音が響いたのだ。
慌てて駆け付けたオレとスーピルは、そこで、見た。
『イッテェェェ!! この人大剣でぶん殴りやがった!! こんな十三歳の少年に対してですよ!? みなさーん、この人大人気ないです! 素手の少年を痛めつけてまーす!!』
『んなっ! ひ、人聞きの悪いことを叫ぶんじゃねえ!』
左手の手首を押さえながら、親父の剣筋を躱していく青いローブの魔術師。
なんとも情けない声だったが、その目は常に親父の目に向けられていて、これまで色んな強者を見てきたオレでも、こいつは何かが違う、只者でないと、一目で分かった。
『ん? あれ? 君たち、学校はいいの? ってあぶなっ!』
それが、オレとあいつの、多分最初の出会い。
師匠の次に、いや、師匠と同じくらい、オレの人生を変えた奴。言わば、二人目の師匠。
王女唯一の護衛、シン・ゼロワン──
『ようメア! 今日も出かけるぞ!』
その日からあいつは、兵舎に顔を出すたびに、オレにしつこく付き纏ってきた。
オレがどんなに嫌がっても、あいつは本当にしつこかった。
でもあいつは、どこからが駄目でどこまでが大丈夫なのか、結構見極められるタイプだ。情に流されたりも多いが、多分あいつは、オレが本気で嫌がってないと気が付いていたのだろう。
だってあいつは、他の奴と違って、オレの能力じゃなくてオレ自身を見ていたから。
シンの目は、人を利用とする、上に立つ者の目ではなかったから。
『なあ、オレの正体を知ってんだろ……?』
『えっと……なんだっけ、ああそうだ、有名な練成士だろ? オレは詳しいんだ』
なんなら、ドヤ顔で間違えやがった。
それは、オレを鍛治師ではなく、メア・マーカスとして見てくれているという何よりの証で。
「本当に、最近だったよな……」
まだ十三歳のオレに婚姻の話が来た。
相手は、帝国の重臣。一部隊の隊長の娘に、断れるわけがない婚姻話だ。
オレだって、嫌だった。相手は会ったこともない中年の男で、オレの鍛治師としての能力欲しさに結婚を申し込んで来ているのだ。
断ることのできない婚姻話に、当然オレの親は怒った。だが、緊急用である二十五番隊隊長とはいえ、親父はただの軍人だ。
当然、反対しても意味はない。
さらに、王国の連中も、反対しなかった。武器を作らない鍛治師など不必要、帝国に渡っても痛くも痒くもない。そんなとこだろう。
ある意味、オレのせいだった。
だからオレは諦めて、婚約話を受けることにした。相手の要望でオレは帝国に一人で向かい、夫となる相手と初めて顔を合わせた。
やっぱり、怖気がした。
その男の目は、オレを、オレとして見ていなかった。人間ではなく、ただの武器を作る機械だと思っていた。
ふざけるな、オレは心ある人間だ。
そう唇を噛んだが、ただの女であるオレには何もできない。
『子供は好みではないが、その鍛治師の血を我が血筋に加えるためだ。さあ、早く股を開け』
顔を合わせ、最初の言葉が、それだった。オレは愕然とした。
外から鍵のかけられた部屋には、オレとその貴族だけ。
屋敷の中には武装した使用人が、屋敷の周囲には凄腕の冒険者が待機している。
王国からは山を挟んだ向こうの国、当然助けなどこない。
気付けばオレの頬には涙が流れていて、でもその貴族は、眉をピクリとも動かさなかった。
なんで……なんで……! どうしてオレがこんな目に遭わなきゃなんねえんだ! オレだって、こんな力欲しくないのに!! オレだって、普通の女の子でいたかった……!!
そんなことを叫んでも、無駄だ。この男は、それくらいで心を動かさない。
オレはもう疲れていた。もう、どうでも良かった。これ以上、人として生きるのが辛かった。鍛治師だと認めて、人に使われることの気楽さが、あの時のオレには甘美なものに見えた。
だからオレは目を瞑り、自分の着る服に手をかけ、勢い良く引きちぎって下着姿になった。
「あの時は、痛かったな……」
本当に痛かった。死ぬのではないかと思った。
身体が、心が、胸が張り裂けそうになった。
『ふざけんじゃねぇよ!!』
下着姿になったオレの頬を、シンが拳でぶん殴ったのだ。
意味が分からず呆然と座り込むオレは、白目を向いて倒れ込む貴族の男と、本気で怒っているあいつを見た。
殴られた頬は、滅茶苦茶痛かった。
でも、嬉しくて、本当に嬉しくて、嬉しさで心が張り裂けそうだった。
『な、なんでここに……?』
『団長に言われて飛んで来た。俺なら、相手も文句を言いにくいからな』
王女の護衛であるシンに喧嘩を売るということは、王女に喧嘩を売るということでもある。
他国の少女に関係を迫ったという負い目のある帝国では、表立って文句を言うことはできない。
あいつが守ってくれたのは、オレの処女だけではない。心も、人間としての生き方も、あいつが守ってくれたのだ。
「それで、どうなったんだっけ…………」
ああ、どうやらのぼせてしまったみたいだ。
肝心の、その後が思い出せない。
確か、使用人から借りたブカブカのメイド服を着せられて、笑われたんだっけ……?
でも、なんだか笑われるのも嫌じゃなくて……それで……
「────か?」
「────メア?」
「──大丈夫か? メア」
「…………?」
誰かに名前を呼ばれた気がして、オレはゆっくりと目を開ける。
「シン…………?」
「おお、気が付いた! 全く……びっくりしたよ、湯船の底に人が沈んでるんだからさ」
「そうか…………オレ、気を失ってたのか……危なかったんだな……。んんっ……ここは……?」
まだフラフラする頭を上げて、周囲を見渡した時、身体に感じた冷たい風と共に、なんだか嫌な予感がした。
ゆっくりと、自分の身体を見る。
「…………」
「あ、いや、その……これは……」
オレの身体にかけてあったタオルが、オレが起き上がったせいで落ちていた。
「…………」
「……俺は悪くないと思うんだ」
当然、オレはさっきまで全裸で風呂に入っていた。
気絶しているオレを助け出し、タオルをかけてくれた奴なんか、一人しかいない。
いやというか、この状況だ。重要なのは、今のオレの格好だ。
「…………ほん、ほん……ほん……」
「メアさーん……?」
オレはそのままの格好で、フラフラと自分の部屋に戻る。
後ろからシンの声が、途中会ったエミリアたちの慌てる声が聞こえるが、そんなことはどうでも良い。
全裸でベッドにうつ伏せに寝て、枕に顔を押し付ける。
「うっ……ヒグッ……グス……全部見られた……もうやだぁ……」
もう、ほんかくてきにころして……。




