九話:天邪鬼メイドは回想す(1)
────再会して、気が付いたことがある。
高い位置から落下してくるシャワーの水を顔で受け止めながら、オレはこの自分の中のイライラした気持ちを整理する。
あいつは、変わってしまった。
オレの知るあいつは、あそこまで節操なしじゃなかった。
オレとあいつが初めて会った頃は、綺麗な女の人によく声をかけていたりしたが、それでも口を開けば「師匠」の話。
ただ、この頃のオレたちは接点も少なかったから、なんとも言えない。
少し成長して、オレが初等部を卒業する頃、あいつは死に物狂いで鍛錬をして、過労で倒れることなんかもう日常だった。
なのに困っている奴は放って置けない性格で、勝手に仕事を増やしてまた倒れる。オレのために本気で怒ってくれたのも、両親を除けばあいつだけだ。
そして、オレが帝国に派遣される前。あいつはどこか焦っていたように思う。
エミリアと……王族との関係が上手くいってないと、よく嘆いていた、エミリアに避けられていると、悲しそうによく愚痴を聞かされた、
「それじゃあ、今のシンは……」
今のシンは、はっきり言って、よく分からない。
オレの知らない、綺麗な女の人の知り合いが沢山いて……中には、小さな子供までいる。猫系獣人のマリンを除けば、実際の年齢はみんなオレより年上らしいが……そういうことではない。
綺麗な女の人がシンの周りにいて、共に戦った仲間のように語り合い、友人のようにじゃれ合うのが、なんだかとてもイライラした。
──あいつが困っている時、手を差し伸べることができなかったこと?
──あいつが他の奴を見てばかりで、オレを見てくれなくなったこと?
「…………分からない……」
なんでオレがイライラしているのか、分からない。
でもなんだか、これ以上あいつの側に……あいつが他の奴と一緒にいる所を見ていると頭がおかしくなりそうで、だからオレは一人でシャワーを浴びている。
シャワーの水音がタイル張りの床を叩き、そのうるさい音が浴室に孤独に響く。でも、シャワーを止めることはできない。
認めるわけにはいかないからだ。オレの顔が濡れる理由が、シャワーだけではないと、そんなことを認めたくはない。
オレの顔が熱いのは、シャワーのせいではないと、そんなことは知りたくない。
「なんなんだよ、これ……」
自分で自分が分からない。
ほんの半年ほど会わないだけで、寂しくなって胸が締め付けられるように痛くなった。
ほんの半年ほど会っていなかっただけで、話そうとするたびに心臓がバクバク言って逆のことを言ってしまう。
半年前から、オレはオレが分からなくなっていたが、今日ここに来て、さらに分からなくなった。
時刻はもう夕方。今日中に、オレは分かるのか?
「…………無理だ」
なんとなく、直感で、そう理解した。
練成士として可能不可能を見極め続けてきたオレの直感は、こういう場面では中々外れない。
だから、オレは考えることをやめて、シャワーを止める。
湯船に浸かり、ゆっくりと手足を伸ばした。
大浴場なんて初めてだが、ワクワクとした気持ちは浮かばない。
「…………そういえば、昔、こんなことがあったな……」
ふと思い出したのは、過去の記憶。
オレがシンという人間を初めて意識した、遠い昔の出来事。
当時初等部に通っていたオレは、虐められていた。
と言っても、そんなに酷いものじゃない。
せいぜい、筆記具を隠されたり、無視されたり、椅子がなくなっていたりする程度。
直接的な暴力も暴言もなかった。本当に、気に食わない奴がいるから意地悪しようというくらいのものだ。本当に、小さな話。
オレも、そこまで気にしていなかった。
二十五番隊の兵舎にはいつも当時の"砦"副長のドワーフがいて、オレに鍛治の技術を教えてくれていたからだ。
学園に行っても楽しくない。師匠の元で鍛治の技術を学ぶ方がオレにとっては断然楽しかったし、そのまま師匠を継いで鍛治師になるつもりだった。
気付けば学園には通わなくなり、毎日のように師匠に技術を学ぶ日々。
そんな状況が大きく変わったのは、確かオレがまだマリンくらいの時。
師匠が、突然死んだのだ。
ドワーフは大酒飲みで、師匠も例に漏れず毎日浴びるように飲んでいた。遅かれ早かれ、きっと死んでいたのだろう。
いつ死んでも良いように師匠は遺書を残していて、そこにはオレに"ド"の位を与えることも書かれていた。
なんとも光栄なことだろう。そして、ああそうだ……
──それからは、地獄だった。
人間にしてドワーフに認められたオレは、周囲からもてはやされた。
天才少女のエストロとアイリス、王女を一人で守る正体不明の護衛、そして天才鍛治師のオレ。
誰もが、ハンゲル王国は安泰だと、万歳三唱。
それが、オレには何より辛かった。
オレは気が付いてしまったのだ、師匠の居場所なんて、この国にはなかったのだと。
オレなんかより優れた鍛治師の師匠のことなんか、誰も覚えていない。みんな、オレを尊敬の目で見てくる。
それが、何よりも気持ち悪かった。
学園に戻れば、かつてオレを虐めていた子供の何人かが、退学していた。
自主退学なのか、親に退学させられたのか、学園側の処置なのかは知らない。
でもたとえどんな理由であろうと、オレへの忖度であることには変わりない。
それが、何より理解できなかった。
師匠が死んで、オレが注目を浴び、みんなオレを敬った。
──気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!
「だから…………オレは……」
オレが人間不審になるまでには、そう、時間はかからなかった。




