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七十七話:崩壊

 

「ふぅ…………」


 風呂から上がった俺は、早速畳の上でうつ伏せに大の字に寝転ぶ。

 ゴロゴロゴロゴロ。

 浴衣が着崩れるのも気にせず部屋でゴロゴロ転がると、畳と肌が擦れて気持ちが良いんだよなぁ……。


「やっべこの後どうしよう」


 エミリアと一緒の部屋で眠るとか、もう何年ぶりだ?

 少なくとも、エミリアの胸がまだ小さかった頃だな。

 今の俺はエミリア耐性がゼロだ。エミリアと同じ部屋で……本当に寝られるのか?


「…………無理な気がする」

「何が無理なの?」

「そりゃ理性が……ってエミリア!?」


 いつのまに部屋に!?

 さ、流石のステルス能力(対俺特化)だぜ……。


「シン……ちゃんと浴衣着なきゃダメだよ?」

「お、おう……」


 すぐ隣に正座したエミリアが、ゴロゴロ転がったせいではだけた俺の浴衣を直してくれる。

 ちょっとだけ顔が赤いのは、お風呂上がりってだけじゃないんだろうな。

 い、いやそれより、改めて間近で見てみると……やっぱり危険だわ。

 何が危険ってエミリアが危険。俺という男に襲われる危険がある。


「? どうしたのシン?」

「いや……なんでも」


 浴衣の合わせが重力に従って開き、そこから覗いていた谷間を見ていたなんて言えない。


「お、俺は布団を敷く!」


 エミリアのあどけない瞳にバツが悪くなって、俺は誤魔化すようにふすまから布団を一組取り出した。


「あ、私も手伝う」

「大丈夫、あとはもう枕だけだから」

「え?」

「……え?」

「今敷いているの一人分だけだと思うんだけど……、シンも一緒の部屋で寝るよね?」


 あ、やべ。

 そういや、普通はそうだったな……。

 雪風とはいつも同じ布団で寝ていたから、感覚が麻痺していたかも知れん。

 一組だけで、なんとなく寝る支度はできたように思っていた。


「…………雪風ちゃんとは、いつもそうやって寝てたんだ」

「い、いやこれは…………」


 メールを誤送信した浮気彼氏の気分だ。

 頰を可愛く膨らませて下から睨みつけてくるエミリアに、俺はたじたじ。


「はい……寝て、ました……。二組使わずに同じ布団で寝てました……」

「ふーん、なら、私もそうする」

「えっ!?」


 予想外の言葉が聞こえて、逸らしていた目をエミリアに戻すが……。


「…………ダメ?」


 ……。

 …………。

 ………………。

 俺は諦めて、降参と言うように両手を上げた。


「えへへ……やったぁ!」


 胸の前で嬉しそうにガッツポーズを取るエミリア。


 だがすぐに顔を引き締めると、畳の上に正座した。…………どうした?


「大事なことを忘れてた。あのね、シン、大事な話があるので聞いてください」

「大事な話?」


 なんだろう。心当たりがない。

 でも、なんとなくそれが正しいような気がして、俺はエミリアと向き合うようにして正座した。


「え、えっと……ですね。まず、お礼を言わせてください。私をあの男の人から助けてくれて、ありがとうございました」


 そう言って、頭を下げるエミリア。

 銀色の柔らかな髪が、さらりと背中から肩に流れた。


「い、いやお礼なんて別に……」

「ううん、それじゃ、私の気持ちが収まらないの。だって……すごく怖かったから。シンのことを忘れてあの男のことしか考えられなくなるって聞いた時、本当に悲しくなったの」


 そう言って、その時のことを思い出したのか、悲しげに顔を歪めるエミリア。

 本音を言えば、俺はこれ以上、彼女にその時のことは思い出して欲しくない。

 でも、今回、エミリアがこうして改まってお礼を言ってくれるのなら、俺は聞かなければいけないと思う。

 エミリアが、一体、何をされたのか。どんな戦いが繰り広げられていたのか。それが、護衛である俺の義務だ。


「良ければ、話せる範囲で良いんだけど……何があったか、教えてくれないか?」

「うん。ちゃんと、全部話す。シンなら、私がなんであんなに怖いと思ったのか、分かるかもしれないし」


 苦笑に近い笑みを浮かべて、エミリアがそう言って、間を置いて話し始めた。


 ザーノスの配下である四人の戦士のこと。

 キラ先生がやられそうになって、でも何故か助かったこと。

 キラ先生に言われた通り逃げて、でも追いつかれたこと。

 すぐにザーノスのことしか考えられない身体にしてやると言われて、初めて感じる種類の恐怖を感じたこと。

 そして、俺のことを忘れさせてやると言われて、どうしようもなく悲しくて、寂しかったこと。


「あの男の手が私の胸を触ろうとして、でも、アルディアさんが助けてくれたの」


 ──それからは、シンも知ってるでしょ?


 ああ、知っている。

 でも、その前は知らなかった。

 襲われたということは分かっていたが、具体的なことは何も知らなかったのだ。


「ありがと、シン。私あのままだと、とぉっても後悔していたと思うの。身体を触られそうになった時、本当に嫌だったから」


 結果的に何もなかったとは言え、エミリアは確かに襲われていたのだ。

 アルディアの射撃技術が低ければ、あいつが間に合っていなければ……エミリアは、純潔を散らすことになっただろう。

 俺が〇〇しなければ……ではない。アルディアの行動で、エミリアの大切なものが左右されていたのだ。


 それが…………なんだか、俺の心にしこりのように残った。


「ご、ごめんね突然こんな話して。混乱したよね?」

「い、いや…………」


 混乱したとかじゃない。

 いや、混乱はしているのか。なんだか心がざわついて、身体が熱くなって、その理由が分からず混乱している。


「もう一緒に……寝る?」

「あ、ああ…………」


 何も考えずに、頷く。

 するとエミリアは布団の上に座ると、柔らかく微笑みながら、俺に手を伸ばしてきた。

 綺麗な手だ。女の子の、小さな手。


「そう……だな。うん、もう寝よう…………っ!!」


 そのエミリアの手を取ったその時、心臓が異常な程大きく跳ねた。

 エミリアと触れ合う指先から、何か電流のようなものが身体中に流れているみたいな感覚。


 自分が自分でないみたいだ。

 心の中を、何かドス黒いものが染めていく。


「一緒に寝よ、シン」


 そうだ、エミリアが奪われるところだったのだ。

 エミリアの初めて、エミリアという人格、エミリア自身。

 何かが食い違えば、エミリアはあいつのものになって、俺はもうこうしてエミリアと触れ合うことも叶わなかったのだ。


「シン…………?」


 いや、それは今回だけではない。

 これまで何度も誘拐されそうになったし、これからも、こんなことは起き続けるのだろう。

 今までは、運が良かっただけかも知れない。これからも、俺はエミリアを守り抜けるのか……?

 今回、本来は敵であるアルディアに頼っておいて?


「えっ……………………?」


 俺に押し倒されたエミリアが、戸惑いの声を上げた。何故なら、浴衣の合わせを掴んだ俺がそのまま横に引っ張ったせいで、エミリアの形の良い胸を覆い隠すものは、既になくなってしまったのだから。

 でも……その声を聞いても、もう俺は止まれそうにない。

 なんだか、頭がうまく回らない。エミリアを自分のものにすることしか、考えられない。


「ど、どうしたのシン!? こ、こんなの恥ずかしいよ……」


 顔を赤くして、手でそんな真っ赤な顔を隠していても、エミリアは抵抗しなかった。

 それどころか、だんだんエミリアの息も熱くなってきていて、どうやら彼女も興奮しているみたいだった。

 俺にこうして押し倒され、胸を見られているだけで。


「なんで……私のおっぱいなんか見るの……? んんっ……は、恥ずかしいから、や、やめて欲しいんだけど…………」


 本当にやめて欲しいのなら、抵抗くらいしてみせろ。

 抵抗しないのなら、それはイエスってことだ。


「シ、シン……? だ、駄目! キ、キスは……駄目、なの……」


 何が駄目なんだ。

 キラ先生としていた時、ムッとした表情をしていたことに、俺は気が付いていたぞ?

 それに、こうして男と一つの部屋で、しかも同じ布団で寝るだなんて……覚悟くらいしているんだろう?


「覚悟って何……? 知らないよ……そんなの……」


 怯えたような表情をするエミリア。

 だが、もう何を言っても無駄だ。


「お願い……駄目……やめて…………!!」


 目尻に涙を浮かべても、駄目だ。

 俺はもう、エミリアを自分のものにすると決めたのだ。

 だから、俺はエミリアのファーストキスも奪う。

 エミリアの唇に、俺の唇を重ねる。


「ひぐっ……うっ……グス……シンの……バカァァ」


 ──その直前、俺の下でエミリアが泣いていることに気がつき、触れる直前で動きが止まる。

 無理矢理脱がされたような浴衣から胸を露出させ、でも、それを隠すことすら忘れて、溢れる涙を拭いていた。

 せめて、浴衣の着崩れを直してあげようとすると、パシンと手を払われ、


「バカァ……バカァ! …………駄目って、グス……言った、のにぃ……! シンの…………バカァァ!」


 エミリアの泣き叫ぶ声だけが、旅館中に響いた。


さて、どうなるのか……。


四章に入る前にエピローグです。

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