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十四話:這い寄るスライム

 

「師匠……どうしてここに?」


 静まり返った教室で、俺はポツリと呟く。

 え、いや、だって。

 師匠が膝枕をしてくれてるんだよ?

 驚きとか通り越して、冷静沈着だわ。

 今なら、何があっても驚かない自信がある。


「だから師匠ではないと…………。人を見間違えるなんて、失礼ですよ?」

「あ……すみません……」


 逆さまに移るレイ先輩の顔は、どう考えても師匠にしか見えない。

 世界には同じ顔の人が三人いるとは言うけれど……流石にここまで似ることはあり得ない、よな?


 それに、だ。

 変態的なことを言うが、レイ先輩の匂いは師匠と瓜二つだ。都市に住んでいるからか、記憶に刻まれた匂いよりも木々の匂いは薄いが、それでも匂いは成分まで同じ気がする。

 俺の対師匠嗅覚を舐めてはいけない。たとえ目で見えない場所に居たとしても、完璧に嗅ぎ分ける自信がある。実際にしたこともある。

 エミリアの匂いでも似たような芸当は可能だが、そこまで正確には出来ないと思う。

 ジッ……とレイ先輩と目を合わせ、その奥の真意を探ろうとするが……


「女神すぎて目が潰れる……」


 俺の視線でレイ先輩を穢すことへの罪悪感をひしひしと感じて、もう目を背けることしか出来ない。

 瞼を閉じたところで、光は遮れない。レイ先輩の神々しさを、瞼一枚で遮れるわけがない。よって俺の目が潰れる。何その無理ゲー。

 日光から逃れる引き籠りの如く、未だに俺の手を大事に抱えている紫苑の方向に顔を向ける。もう、離してもいいと思うんだけど……。

 目に入ってきたのは、袴の朱。それ以外には、何も見えない。


 巫女服の朱色は好きだが、それしか見えないのも何か味気ない。巫女服は好きだけど、目の前に巫女服があっても困惑するだけだ。

 これはもう、反対側を向くしかない。じゃないと、美少女の匂いに俺の理性が誘拐される。

 当たり前だけど、頭を上げるなんて選択肢は元からないぞ?

 やめろと言われるまで寝続ける所存です。


「…………」


 反対側では、やけに顔を引き攣らせたエミリアがいた。

 いつもの格好だと、真横で立っていてはスカートの中が見えてしまうが、今は丈の長いローブを着ているので見えることはない。

 が、その代わりに、背後に背負う氷の龍から無言の圧力を感じた。

 いや、何だよこいつ。出てくんなよ。


「シン。いつまでそのままでいるの? 回復魔法をかけたから、もう大丈夫な筈だけど?」

「ちょっと、俺の人生を見つめ直していただけだから心配するな……」


 日本ではあんなにモテなかったのに、この世界では良い思いをし過ぎている。

 幸福と苦難は連なる山々みたいなもんだから、絶頂期の今が終われば、この先崖なんだよなぁ……と、ちょっとナーバスになってただけだ。


 大丈夫、俺はモテない。そんなことは十年以上前に実感済みだろ? ……ねえ、泣いていいかな?


「ありがとうございます、先輩。それで、レイ先輩は何故ここに?」


 俺が身体を起こしながら聞くも、レイ先輩の返事はない。ついでに紫苑も俺の手を離さない。

 あれだな、廊下の外のスライムだな。

 俺がどれくらい気絶していたのかは知らないけど、廊下がスライムで埋め尽くされるとか、ちょっとしたホラーである。

 俺がダンジョン作るなら、多分スライムフロア作るな。壁も床も一面スライムのフロア。宝箱の中身もスライム。なんなら宝箱もスライム。

 ……話が逸れたな。

 えっと……先輩がここにいる理由だ。


「先輩は何故ここに?」

「え、ああ……すみません。えっと……ここにいる理由でしたよね? それはですね、シン達を止めるためです」

「先輩にならむしろ止められたいです」

「…………はい?」

「あ、いえ何でもありません忘れてください」


 危ねぇ! ちょっとだけ本音が漏れるところだったぜ……。

 いやでもセーフ! 先輩は俺が何言ってんのか分かってないみたいだからな! 俺も自分で何言ってんだかよく分かってないし。


「これも試験の一環なのですが、その……予想したよりも攻略が簡単になってしまって……」

「いやいや、あれが簡単とか何言ってるんですか。俺たちはまだ大丈夫ですが、他の生徒は一体何人医務室送りになったんですか?」

「…………ゼロです」

「…………はい?」


 自己紹介かな?


「ですから、誰も脱落してません」

「それは、私たちが引っかかりそうになったトラップも全て回避しているということですか?」

「回避……はい、誰も引っかかっていません。順調に攻略しています」

「順調に攻略することの、何がいけないでござる? スライムとかスライムなどを見ないだけマシでございまする」

「…………いや」


 それは、違う。

 スライムを見ない方がマシだって? それは当たり前だから良い。


 では、何が問題なのか。

 俺たちが先に進んでいることは構わない。他の生徒を待つ義理などないのだから。

 問題はその攻略方法だ。

 レイ先輩が言うには、これは試験なのだ。生徒の実力を測るための試練なのだ。

 俺たちの攻略方法は、魔法陣を片っ端から凍りつかせるもの。

 凍りついた魔法陣は魔法を発動しないという原理を逆手に取った攻略方法だ。

 レイ先輩が俺たちを止めに来たということは、その攻略方法が駄目だったということだろう。

 つまり──


「俺たちが魔法陣を凍らせたせいで、そもそも罠にかかってない?」


 俺たちが聞いた悲鳴は、俺たちと別のルートを通った生徒だろう。数が少ないということは、ほとんどの生徒が俺たちと同じ道を選んだことになる。

 そして、その道は……凍っている。

 生徒は、足を滑らせないよう気を付けるだけ。

 なんて優しい試験。これは勲章もんだ。


「はい。シンたちが道を片っ端から凍らせてしまったせいで、ほとんどの魔法陣は機能を停止、辛うじて生き延びているものも、危険とは程遠いものであまり意味はありません」

「…………」

「…………」

「…………」

「スライム……怖い……」


 俺、エミリア、アーサーの三人が厳しい顔をしている中、紫苑の独り言がやけに大きく聞こえた。

 周囲の状況が判断できていないとは……常に周囲を警戒している忍者紫苑は、既に過去の産物のようだ。

 ここにいるのは、ただの怖がり美少女である。


「アーサー、俺に考えがあるんだ」

「奇遇だな。私にもある」


 だろうな。こいつの顔を見れば分かる。それと、多分俺と同じ考えだ。

 後続に迷惑をかけずに、この学院を攻略する方法。

 それは──


「「壁を登るしかねぇ」」


 俺の用意周到さに驚くんだな。

 〈ストレージ〉の中から、巻かれたロープを取り出した。誰かを縛る時に使おうと思ってだが……こんな所で役に立つとは。

 二十五番隊の変態に頼まれた時、悪ノリして縛らなくて本当に良かった。ちなみに蹴り飛ばしたら喜んでいたので、誰も損していない。

 俺の持つロープは、長さは一メートルしかないが、それが五本もある。これで多分いけるだろ。


 俺の〈ストレージ〉の中にはなんでも入っているのだ。それこそ、いつ使うかも分からない鬼のお面まで入っている。……買った覚えないんだけど。

 どっかで拾ったんだな。うん。


「アーサー。お前自力で壁登れるか?」

「壁か……試したことはないが、多分いけるだろう。そういうシンはどうなんだ?」

「俺は……まあ、しょっちゅう壁登ってたし……」

「???」


 帰ったら王城の門が閉まってる時は、王城を囲む城壁をよじ登ったからな。

 東西南北にある、堀にかかる橋があるときはまだいい。橋が上がっている時は、堀の水を凍らすか土属性魔法で運ばれるしかない。

 まあ、それはともかく。

 他の面子の確認だ。


「紫苑、お前はいけるか?」

「か、壁登りでござれば得意とする分野でございまする」


 目が輝いていらっしゃった。

 スライムから離れることが嬉しいのだと、もう全身で語っている。

 ちなみに、どんな状況でも俺の右手を離してはくれないようだ。このまま、壁登りの時もホールドされたままだとすれば、俺は左手一本で壁を登ることになる。

 何その無理ゲー。


「エミリアは……氷結魔法でエレベーターできるか」

「えれべーたー?」

「エレベーターってのはあれだ。上下に動くことだ、多分。地面から氷の柱で上に登れるか?」

「地面から……ん……多分厳しいと思う。あれは、高くなればなるほど下の方の維持が大変なの」

「そうか、ならエミリアは俺とだな」


 ロープがあって良かった。これでエミリアを固定して登ればいい。

 紫苑に任せるのは体格的に心配だし、アーサーは壁登り初挑戦で任せられない。消去法的にエミリアを運ぶのは俺となる。

 

「っと、そうだ先輩。壁を登るのはありですよね?」

「ええ。特にルールはありませんから。ちなみに去年は、校舎を破壊した人がいました」


 校舎を破壊……。

 成る程、だからこんなに校舎が綺麗なのか……って、ん?

 なんかこれ、すごい既視感を感じるんだが……。


「あの、まさかその人って……」

「はい。魔法陣を破壊した人です」

「ですよね!」


 いや、何してんだよ。

 彼女は一々何かを壊さないと気が済まないのか?

 俺でも校舎の破壊は理性が押しとどめたぞ。……一応考えとしてはあったんだけど。

 確信した、魔法陣壊して校舎まで壊すとか、多分それもうバケモンだわ。

 体長二メートルを越す巨漢、いや女だから……巨女?

 絡まれたら精神的にもダメージがでかそうなので、見かけたら速攻で逃げようと思います。

 その人がどんな人か分からないのがアレだけど……二メートルを越しているなら流石に判別つくだろ。二メートルを越していることが確定したわけじゃないけどね?


「シン、こっちの準備は終わったよ」


 ん? ……ああ、そういえば壁を登るんだったな。

「エミリア、背中に乗れ」

「ん、分かった」


 エミリアが背中に乗ったのを確認して、ロープでエミリアを固定する。俺は背面捕縛術など覚えてないから、紫苑に手伝ってもらったのだが……。

 なんというか……二十五番隊諜報担当らしい。

 エミリアの身体が、本当の意味で固定されている気がする。例えば俺がここでバク転をしたとしても、この縄は少しもズレないのではなかろうか。

 あれだ、やけに亀甲縛りの上手い奴がクラスにいた時のあの感覚だ。

 俺という柱に、エミリアが抱きついて拘束されて……そうだ、これはもう拘束だ。

 と、そこでレイ先輩がこっちを見ていることに気が付いた。


「どうかしました、レイ先輩?」

「あ、いえ。敬語を使っていなかったので、少し気になっただけです」

「あー」


 敬語? って、一瞬思ったけど、確かにアーサーたちの前なのにエミリアに敬語を使ってないな。

 うん、それなら不思議に思うのも無理はない。


「クラスメイトなのに、敬語を使うのがおかしいと気が付いたんですよ」

「………………え?」


 ポカンとした表情のレイ先輩。今頃? と顔に書かれているが、それは今はどうでもいい。ここで、何よりも言うべきことがある。


 可愛い。


 幼い肢体は濃紺のローブに包まれていて、身体のラインが分かりにくいが、師匠の身体の情報から大体の予想はつく。

 猫のようにしなやかで、朝の体操を見た時は思わず拍手してしまった足腰は細く。

 水色髪は艶やかで、いつもシャンプーのいい匂いがする。長期間の冒険から帰ってきた後は、土や草の匂いの中に師匠本来の匂いがあって、それもまた……。

 って、何俺は興奮してるんだ!

 いいか、今の師匠……もといレイ先輩は服を着てるんだぞ!? この状態のレイ先輩に興奮するとか、それはもう末期症状だ。

 ナース服のレイ先輩に、「もうっ、しっかり寝ないとダメですよ? ね、眠れない、ですか? し、仕方ないですね……。わ、私が隣にいてあげます」とか言われちゃうだろ!? ……もう末期症状(ロリコン)でいいや。


「でも、二人はまだ婚約してるんですよね? 婚約解消とかではありませんよね?」

「まあ一応」


 "まだ"というのも気になるが、この婚約自体正式なものじゃないから、そういうところを気にする必要はない。

 というか、レイ先輩の婚約解消押しがすごい。あくまで推測だが、背中の上でエミリアが少しだけ不機嫌になってる気がする。


「なら……スリリングにした方が良いですよね」

「…………へ?」


 何か、聞いてはいけない何かが聞こえた気がする。

 俺が危機感を覚え、レイ先輩に聞き返そうとした次の瞬間のことだった。


 パチンッ。先輩が指を鳴らすと同時、教室の扉が開いて…………あ。


 こんにちは、スライムさん。

 あ、こんにちは、シンさん。


 目のない筈のスライムと目が合ってしまった。照れるな。

 会釈すると、向こうも返して来た。

 なんだよ。案外良い奴じゃ……こっち来たぁ!?

 青い奔流。どんどんスライムが雪崩のように教室の中に入り込んでくる様は、いっそ美しい。

 だが……取り付かれれば確実に窒息死する。

 このままじゃ、俺が守護霊としてレイ先輩に取り憑いてしまう。特に上手くはなかったな。


「てか、紫苑は大丈夫なのか!?」

「────」


 隣を見ると、既に紫苑の姿はなかった。

 はっと気付いて窓を見れば、開け放たれた窓から心地よい風が入ってくる。

 仲間を見捨てての逃走。清々しい。


「あれが……スライム……! シン、食べられちゃうよ……!」

「食べない食べない。でも、流石にこれはやばいな」


 スライムは、どうやら俺をターゲットにしているみたいだ。レイ先輩を避けるようにして進んでくる。

 悪食とも呼ばれるスライムがわざわざ獲物を選り好みするとは思えないけど……多分魔物除けのアイテムでも持ってるんだろう。


「俺は持ってないからな……」


 取り敢えず、無詠唱で床に〈泥沼〉を作った。

 建物内に作っても浅いものしかできないが……身体が液体のスライムならこれで十分だ。


「よし、取り敢えず学院長には後で一緒に抗議しような」


 ナイフの欠片で作った造花でも持って行ってあげよう。

 きっと、喜ぶだろうね。ふふ……ふふふ……!


「愛してますレイ先輩!」


 去り際に愛の告白をして、俺は窓から飛び出す。

 鞭を使って窓際の手すりを掴み、そのまま急いで壁を登る。それは、さながらゴキブリのようだが、日本にいた時を思い出せばなんてことない。

 なんてことはないが……やけに、俺にしがみつくエミリアの力が強いと思った。


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