七十三話:二分の一の賭け
分割しなかったので、二話分の分量です
グラムがマリンちゃんにしたような、強制契約だろう。
アルディアが倒れたことで、エミリアに対して精神魔法をかけることができるようになったのだ。
「エミリア!」
──俺は、エミリアに刃を向けられない。
──俺は、エミリアに杖を向けられない。
今の俺では、きっと彼女を殺してしまう。
「ごめんなさい!」
「っ!!」
エミリアの手から放たれた凍てつく冷気が俺の足元を凍らせ、俺を地面に縫い付けた。
いや、それだけじゃない。
「ゴボッ」
口から血の塊が飛び出した。
痙攣した目でゆっくりと下を見ると、そこには、
「あ、ああっ……!!」
浮き上がった俺の足と、俺の身体に突き刺さる氷柱。
白く透明で美しいはずの氷は、何故か真っ赤に染まっていた。
エミリアが泣きそうな顔をし、しかしすぐに追撃をかけるかのようにこちらに手を向けた。
向ける手は震えていて、首をいやだと横に振っている。
でも、それでも、契約の強制力の前には本人の意思など無力。
「さて、トドメを刺してもらおうか。貴様の再生能力は『停止』に弱い。氷漬けにされれば無力なのだ。それは、現に貴様の身体を貫く氷柱が示しているな?」
ああ、くそっ。
俺の再生能力の弱点を、ここまで簡単に見つけるとは……。
そうだ。俺のあの能力は、氷に触れている箇所だけ、何故だか回復しない。その原因は不明だ。
だから、エミリアこそ、俺の天敵と言える。氷属性の魔法に長けていて、俺が守るべき存在。
……まさか…………
「そうだ、全ては、貴様を殺すため。私が、あの忌々しいハンゲルを妻に迎えようとしたのも、貴様を殺すためだ」
全部、こいつの策の内だったってことか……。
「いや……いや……」
「やれっ!」
エミリアのから放たれた、過去最高の冷気が徐々に近づいて来るのを眺めながら、俺はぼんやりと考えていた。
──俺が死ねば、エミリアはこいつに何もされない……。
「嫌ァァァァァ!!」
エミリアの絶叫が、大森林にこだました。
♦︎♦︎♦︎
「……まあ、それはそれ、これはこれだがな。こんな美しい女、味合わないわけないだろう?」
ザーノスが不快になる笑みを浮かべながら私の方を見てくるけど、私はそれどころではなかった。
氷漬けにされたシンは、動こうとしない。あの、いつもの回復能力が、なんでか発動しない。
──私が殺した。
心に、ポッカリと穴が空いたみたいだった。
暗い、真っ暗な穴。
「エミリア……」
膝をついて呆然とする私を、キラ先生が抱き締めた。
シンが死んでしまったのがあまりにショックで気が付かなかったけど、キラ先生も泣いていた。
肩を大きく震わせて、涙を拭くこともせず、私を強く抱き締めてくれる。
留まることのない私の涙とキラ先生の涙が、私たちを濡らして行った。
「さて、次はお前だ、アルディア。貴様は、私が直々に手を下してやろう。あの日の後始末だ」
「逃げられるとも思ってないし、逃げる気もねぇよ。……逃げる必要もない」
「…………何?」
どういうことだろう。
何で逃げる必要がないのかは分からないけど、でも、アルディアさんはまだ諦めていないようだった。
そのアルディアさんの顔が、私の中に、もしかしたら……という希望を生む。
もしかしたらアルディアさんは、蘇生魔法が使えるのかも知れない。
「頼みの綱であった魔術師は死んだ。あの能力の殺し方は、お前もよく知っているだろう? 復活などあり得ん」
「ははっ……そうかそうか」
「何がおかしい?」
「いや? お前があまりに滑稽だと思ってね」
「…………何?」
アルディアさんが、ニヤリと笑った。
どうしたんだろう、まさか、シンがまだ助かる方法が……?
期待の目を向ける私をよそに、
「ああ、殺し方はよく知っている。…………だから、お前が何をしたいのかも分かっていた」
「なっ……氷が……!」
シンが氷漬けにされている氷が、中から光り輝き始めた。
「シン…………!!」
「どういうことだ! あの能力の弱点は『停止』! 氷漬けにされた奴が生きているはずが……!!」
そう、私が殺した。
でも……でも!
「お前が予想通りのクズで助かったよ、時間停止の方を使われていたら終わっていた。氷漬けという目に見える殺害方法で、ハンゲルの奴を精神的に追い詰めるつもりだったんだろうが……その加虐心が仇となったな」
パリンっ!
氷が内側から粉々に砕け散って、中から、誰よりも会いたい人が出て来た。
「心配させおって……この……馬鹿者! 馬鹿シン!」
「命張るこっちの身にもなれよ…………ってキラ先生!?」
「妾は心配したのじゃぞ!? お主が死んだのではと……また、喪うのかと……」
「ご、ごめんなさい……?」
ズルイよ、キラ先生。
私だって抱き付きたいくらい嬉しいのに、キラ先生がこんなに喜ぶと、なんだか喜ぶのが恥ずかしくなってくる。
これじゃ、この気持ちをどうすれば良いのか分からない、この嬉しいという気持ちをどうすれば……
「…………エミリアも、騙してごめんな」
「えっ…………?」
だけど私は、気が付けばシンに抱き締められていた。
いや、違う。抱き締めているのは私だ。シンは、それに返してくれただけ。ギュッとシンのローブを握っている手を見て、それを理解した。
私は無意識のうちに、キラ先生と一緒にシンに抱き付いてしまっていた。
頭とは別に、身体が勝手に動いていたのだ。
それを理解して、顔がこれ以上ない程真っ赤になる。
「…………随分と遅かったな。俺も失敗したかとドキドキと肝を冷やしたぜ? 恋する乙女みたいに、な」
言いながら、チラリと、私とキラ先生の方を見て来た。
う、うん……そ、それはそうなんだけど……。
アルディアさんと会ったのは初めてなんだよ? 私って……そんなに分かりやすいかな……?
「嘘つけ。仮面を外して同じことを言ってみろ。笑わずに言えたら信じてやる」
「厳しいねぇ。……ま、全て俺たちのシナリオ通りだったんだから良いだろ? これくらいの冗談は」
…………シナリオ通り?
それってつまり……。
「そ、俺がこいつを庇ってやられるのも、こいつが操られたアンタに殺されるのも、全て計画通りってこと。あ、もう分かってるとは思うが、俺のこれも演技だ。実際はほれこの通り。元気溌剌」
「…………」
「…………」
え? それってつまり……私たちが、あんなに泣いたのって……
「い、今は目の前の敵に集中しようか! エミリアのおかげで、龍の力も馴染んできたし!」
「…………」
「…………」
うう…………シンが生きていたのは嬉しいけど……なんか複雑な気分!
だって、だってぇ〜〜!!
「諦めるです。エミリア。彼らは言っても聞かないのです。……と言うよりも聞かなかったのです」
「私も最初聞いたときは絶句しましたよ……。まあでも二人とも、とっても可愛らしかったですよ?」
「雪風ちゃん!? レイ先輩!? な、なんでここに!?」
「わ、妾は可愛くなどない! さ、さっきのは……ちょっとおかしかったのじゃ!」
と言うよりも、まさかさっきのって二人にも見られていたの!?
「シンが死にそうになったからなのです。あそこの正神教徒が近くにいると、シンが戦っていても雪風には通知が来ないのです」
「俺の権能のせいにしないでくれよ? お前らの契約が強固じゃないのが悪い」
「……ですが、流石に命の危険となれば契約者同士の魔力の繋がりはより強固になり、直接妨害されない限りは届くんですよ」
え、えっとそれって……つまり……
「わざわざ死にそうになったのも、全部、二人を呼ぶため……?」
「……えっと……正解。雪風の速さなら、場所さえ分かればすぐに駆けつけることができるからね。レイ先輩の体重はないも同然だし」
「いや、私も体重はちゃんとあるんですが……最近少し増えて来て大変なんですからね……?」
レ、レイ先輩も色々と大変なんだ……。
「う、ううむ……。最初から、一人で戦う気はなかったと言うことか……」
「いえ、できれば俺だけで倒したかったですよ? ただ、雪風がどうしても出たいと」
「親友の人生を滅茶苦茶にされて、ただ報告を待つわけにはいかないのです」
そっか……雪風ちゃんを一番最初に遊びに誘ったのは、私でもシンでもなく、グラムちゃんだもんね。
私が感慨深いものを感じていると、キラ先生がふと立ち上がった。
「そうか……妾は参加できん。じゃが、助力はしよう。シン、少し頭を下げよ」
「こうですか?」
「うむ。……行くぞ」
「っ!!」
突然、爪先立ちで背伸びをしたキラ先生が、シンの唇にキスをした。
…………え?
あ、あれ?
キラ先生はすぐに唇を離したけど、私は頭が真っ白になっていた。そしてそれは私だけではなかったようで、雪風ちゃんもレイ先輩も、それにシンもポカンとしていた。
混乱する私たちの前で、キラ先生は「せ、背伸びは疲れるな……もっと前屈みにならんか」と言って、シンもそれに従った。
「ふん、勘違いするでないぞ。少しばかり、妾の力をお主に貸してやるだけじゃ。見た所、貴様は力に呑まれそうになっておったからな。これで少しは良くなるじゃろう」
そう言いながら、もう一回シンの唇に唇を押し当てるキラ先生。
だけど今度は、さっきよりも凄かった。
何をしていたのかよく分からなかったけど……なんか凄かった。
唇をくっつける時間も長かったし、なんかピチャピチャって水音がしていた。
それに、キラ先生が唇を離したとき、キラ先生の舌とシンの舌の間に、テラテラとした唾の糸ができていた。
雪風ちゃんとレイ先輩の表情を盗み見たけど、何故だか二人は顔を真っ赤にしている。
「はふぅ……ま、まさか応戦されるとは思わなんだ……」
トロンとした瞳のキラ先生が、その場で腰が抜けたようにお尻をつけてペタンと座り込む。
なんかわからないけど、すっごく色っぽい。
「……成る程、確かにそりゃ最適解だ。だが、まさかこの時点でそこまで行くとはな……やっぱり、既に図書館は信用できなくなってるか……。……おい、相棒。霧が出てくる前に終わらせるぞ」
「ああ…………」
アルディアさんの言葉に、シンが表情を切り替える。
キリッとした、カッコいいシンだ。
だったら、私が言うことは一つしかない。
「頑張れ! シン!」




