六十七話:声を上げて
ベルフェゴールは『好色』も兼ねるらしいのでサキュバスの名前としてふさわしい!
後悔の始まりは、グラムが、時間の正神教徒に再び出会った、その時だ。
『力が欲しいか』
そんな問いに、グラムははっきりと要らないと答えた。当然だ、今ここでその誘いに乗ってしまえば、これまでの努力が無意味なものになってしまう。
そして何より、みんなを裏切ることは出来なかった。
特に、シン。
あの夜、二人並んで星空を見上げたことは、抱きついた時に知ったシンの匂いは、グラムの心に、記憶に、深く刻まれている。
悩みを聞いてもらって、そんな彼を、裏切るなんてことは出来ない。
だが、
『火は、美しいな。この世の不純物を、消してくれる』
轟々と燃える木々の中、紅く不気味に照った顔でそう言われると、グラムから断る気力というものはなくなってしまった。
孤児院を燃やす炎、家族を奪って行った炎、そして、焼け跡の地下室から見つかった、正神教徒の黒衣。
全てが瞬く間にグラムの脳裏に鮮明に蘇り、気付けばグラムは、こうべを垂れて自ら力を得ることを望んでいた。
裏切りをした。
家族愛とは違う感情。エミリアたちに感じる友情と、そして、とある一人の男に抱く友情を超えた想い。
自分の感情にグラムが気付いているのかいないのか、ともかくグラムは、裏切ってしまったという後ろめたさがあった。
だから、助けて欲しいと言うことはできなかった。
言えば、家族が危険に晒される。
言えば、今度こそ見放される。
あの老人に言われた通り、自分は、シンを籠絡して、支配して配下にする。そして、あの老人にシンを渡す。
そうすればきっと、シンはどうにかしてくれる。
大切な家族を、友人を、そしてシンを裏切り続けるのは辛いが、シンがあの老人を殺してくれるまでの辛抱だ。
幸い、混血種の自分は、あの老人の慰めに使われることがない。
だから純潔は、シンに渡すことができるのだ。夫と認めた人物に、好意的に思う相手に、自分を奪ってもらえる。
大丈夫、嘘をつくのには慣れている。大切な人を騙すのには慣れている。昔からそうやって、全てが炎に飲まれた日から続けてきたことだ。
『…………私は嫌いだな、そういうのは』
あの悪魔は、そう言った。
いつもの面倒臭そうな顔を、真剣な表情に変えて。
自分でも、そうだと思う。自分は馬鹿だ。
助けてくれと一言言えれば済む話だ。あの日に、自分は学んだのではなかったのか。火事が起きて、誰も助けてくれなかったあの一ヶ月間で。
とんだお人好しでもない限り、人が人のために無条件で手を差し伸べるなんてことはあり得ない。
族長は、あの日に助けてやれなくて済まないと言った。
だが、それもこれも原因は自分の傲慢だったのだ。
何も言わなかった癖に、後から文句を垂れる。試そうともしなかった癖に、そんなもんだと絶望する。
プライドを捨て、助けを乞えば、救えた命があったかも知れない。
今回もそうだ。一言言えば、何か変わったのかも知れない。
「ううっ……グス……」
こんな虚しいものが、彼との最初であり最後なのだ。
本当に、プライドの高い自分が嫌になる。
夜這いをかけた時、お風呂に乱入する時は、シンなら拒んでくれるという信頼があったから大丈夫だった。
でも、こうして向こうから迫られると、頷くことしかできない自分がいる。
「馬鹿だ……にゃぁ……」
嘲るように、私は笑った。
何度も言う、自分は馬鹿だ。
今、彼の目に自分は映っていない。シンは、自分をベルフェだと錯覚している。
……本当に、虚しい。心が張り裂けそうになるくらい、悲しい。
でも、こうしなきゃ駄目だから、するしかない。シンの手は、すべてを守り切れるほど大きくはない。家族を守るためには、グラムがこうする他ないのだ。
「…………」
ああ、あと少しで、自分はシンと結ばれる。
きっと、誰からも祝福されない。
シンがこの行為を覚えていることもない。
だったらこの行為は、自分の中だけに秘めておく。
自分の初めての行為がそんな唾棄されるべきものだと知った時、その事実はシンの心に深い傷を刻むだろうから。
シンが、グラムの下着に手をかけた。
それを下ろせば、もう、後はない。
「シン…………ごめんなさい」
そして────
♦︎♦︎♦︎
「馬鹿じゃ……ねぇのか」
シンは何もしなかった。
目から流す血の涙が、精神支配への抵抗の証だ。
サキュバスの次期女王がかけた精神支配だ、いくら耐性があるとはいえ、そう簡単に解けるものではない。
「なんで…………」
グラムの口から、意図しない疑問の音が漏れる。
それを聞いてシンは、強く唇を噛んだ。口の端から、真っ赤な血が流れる。
痛みによる、強引な意識の覚醒。
だがそれでもなお、サキュバスの呪いは強固だった。
「ぐっ……あぅ……あぁ……!!」
グラムの下着に触れる右腕が、小刻みに震える。
何年も原因を断ち続けた、中毒患者のようだ。
だが、それでも、シンは抗い続けた。
そして、グラムの身体を起こすと、背中に腕を回した。
「よく、頑張ったな」
全身が、暖かい。
あの日と変わらぬ匂い。
「ありがとう、お姉ちゃん」
突然、後ろから、小さな身体がグラムの全身を包み込んだ。
二人に挟まれ包まれる。
──ああ、自分は近くにいた妹の存在すら、気がついていなかったのか。
「シン……グラムを、助けてにゃ」
「ああ、勿論だ」
髪はグシャグシャになったけど、不思議と、直そうとは思わなかった。
今週の木曜日からラブコメを投稿しようかと思っています。




