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六十六話:サキュバスの王女

 

 マリンちゃんを背後に、俺はグラムと三つ首の猛獣に杖を向けた。

 頭が三つの犬、ケルベロスか。地獄にしかいない筈だが……なんでここにいる?

 正神教徒とは言え、そう簡単に地獄に行けるわけもない。グラムがケルベロスを従えている……まさか悪魔が関係しているのか?

 というか、反映されるのは力の一部だとしてもそれがケルベロスなら、もっとグラムは強化されていてもおかしくはないんじゃないか?


「…………」


 チラリと横に目を向ければ、木の幹に寄りかかるようにして座り込む紫苑と、倒れたままピクリとも動かない二匹の魔物がいた。

 俺も初めて見るが、トロールとグリフォンか。トロールはともかく、グリフォンはベテラン冒険者でさえ手を焼く凶暴な魔物だ。

 魔物使いでもないのに、紫苑はよく四対一の状況でここまで善戦したな。やっぱりグラムの強化は、そこまで大きなものじゃないのか?

 だがまずは、紫苑の治療だ。俺は今にも死んでしまいそうな紫苑に近づき、肩に手を当てた。


「シン……殿……」

「大丈夫だ、紫苑。気休め程度だが……安心して寝てくれ」


 俺は回復魔法が苦手だ。

 とは言え、それでも紫苑にとってはありがたかったらしく、ふっと表情を柔らかくしたかと思うと、コトリと首を落として眠った。


「……グラム」

「シン……」


 グラムは一瞬、ホッと安心したような表情をし、しかしすぐに頭を振って頰をパンと叩いた。


「そっちから来てくれるのにゃら好都合にゃ。これがグラムの……奥の手にゃ!」

「奥の手……?」


 奥の手か。だが、五枠の内、グラムが従えている相手は四。俺を従えようとしているのなら、一人は開けなくてはいけないからな。

 トロール、グリフォン、ケルベロス、そしてマリンちゃん。これで、その四枠は埋まっている筈だ。

 だが……


「なっ…………!!」


 グラムと俺の間に魔法陣が現れ、その中から、一人の人間が姿を現した。

 俺はそれで、自分の考えが間違っていたことを知った。


「そうか……! ケルベロスを従えているにしてはおかしいと思ったんだ! 本当はケルベロスじゃなくて……!!」


 ケルベロスは、地獄にのみ生息すると言われている伝説の魔獣だ。普段はその姿を見ることはできないのだが、時々、この世界でケルベロスが発見されることがある。

 それは、地獄に住む住人が、ケルベロスをこの世界に連れてきた時。

 即ち、高位の悪魔が、この世界に召喚された時だ。


「うーわ、マジか……。この人状態異常に耐性持ってるじゃないですか……。めんど……」


 ボサボサに伸び切った黒髪! 芋っぽい赤のジャージ! 厚ぼったい眼鏡に、口元についた涎のあと!


「…………え、誰?」


 いや本当に誰? 何これ、ただのニートじゃん。

 もっとこう……あるでしょ? 悪魔っぽい感じの人とか……いるでしょ?


「あー、ども、自分ベルフェって言います。えっと……一応サキュバスの次期女王……とかだったりします、はい」

「サキュバス」


 サキュバス……。……え? この芋っぽい人が?

 サキュバスってあれじゃないの、妖艶な美女とかじゃないの? いや、このベルフェさんも美女ではあるんだろうけどさ、なんかこう……違う気がする。

 来てるジャージが小さいせいか? 身体のラインが強調されてる所と、背筋を伸ばすだけでお臍がチラリズムする所は、まあ確かにどことないエロスを感じるけど……やっぱり違くない?

 サキュバスって、もう、見るからに露出狂みたいな人じゃないの?


「あ、そうそう、シンさん? でしたっけ、あんま私を舐めない方が良いですよ?」

「へ?」

「私、これでも結構強いんで」


 …………そうは見えないけどな。

 まぁでも、本人が言うならそうなんだろう。それに一応グラムの切り札でもあるわけだし、何ならケルベロスはこの子の眷属だし。

 見た目で油断していたけどちゃんと警戒を──


「特に男には」

「!?」


 速い!


「あ、防がれた」


 咄嗟に腕をクロスさせてガードしたが、腕に感じる一撃は疾く、重い。

 気の抜けたようなベルフェさんの声とは違い、俺はかなり焦っていた。

 一瞬であの距離を詰めた、それも、雪風の速度に慣れた俺が感知できないスピードで。

 魔術師は、スピードタイプが苦手だ。確かに、これは油断できそうに……


「後ろだよ」

「!」


 首筋にピリッとした痛みを感じ、慌てて頭を下げる。

 だが、


「おーすっ」


 しゃがんだ目の前に、ベルフェさんがいた。

 予備動作のない目潰しを、無理矢理躱す。

 明らかに俺は無防備な体勢なのに、何故か追撃はなかった。

 俺が起き上がると、ベルフェさんは既に元の位置に戻っていた。


「どうやって……」

「んー、まあ、さっきの全部防いだから特別に教えてあげるけど、サキュバスって夢を見させる悪魔なんですよ」

「ああ…………」

「んでまぁ、戦闘時に出す特殊なフェロモンのせいで、男は私の虜になってしまうわけです。そりゃもう、私のことしか考えられなくなるくらいに」

「それとこれが、何の関係があるんだ?」

「ええっと……シンさん幻術が得意なんですよね? さっき、私一歩も動いてないよ?」

「え…………?」


 一歩も動いていない?

 なら、さっきの攻撃は…………幻術? まさか?


「そー、グラムさん。まー、無理もないか……脳が私を見ようとしちゃってるからなぁ……」

「…………種明かしして、大丈夫なのか? 原理が分かれば対抗策くらい……」

「あー……これって言わなきゃダメ? ダメだよねー……。うわぁ……どうしよ。…………はぁ、仕方ない。あー、ゴホンゴホン」

「?」

「えーっと……残念だったな人間、もう既に私の役目は終わっているのだ。……ウワナニコレハズカシイ」


 …………え?


「あー、何呆けてんですかー。同性の主人がいるサキュバスの役目って言ったら、一つしかないんじゃないの? ……知らないけど」

「いや、知らないってあんた王女なんだろ……。というかその役目って一体…………」


 と、その瞬間、視界が揺れた。


「お兄ちゃん!?」

「あー、近付かない方が良いと思います、はい。今の彼、催淫状態だから。思考能力も低下してるし、目的完了ってことで良いのかな?」

「な……に……を……」

「半月ほど前に二人の女の子が変な夢見てるから気になって……んで、ちょっと協力を申し出たんですよ、彼女に」


 ベルフェさんが何か言っていたが、それがどこか遠くに聞こえる。

 頭が働かない。寝起きのような感じだ。


「と、もう、完全に術にかかったかなー? かかってない? うーん、大丈夫、かかってそう。確認とか面倒だからこれはかかってるね、間違いない」


「お姉ちゃん…………?」

「……マリンは宿に帰っているのにゃ」


ベルフェの由来は……『怠惰』です。(単純)

ちなみに、最初はディアでした。はい、ディアボロスですね。(単純)


でもサキュバスって『怠惰』より『色欲』では?とか言ってはいけない。



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