六十五話:誑かした者
「お姉ちゃんは、私たちを人質に取られているんでしょう?」
「っ…………!!」
マリンのその一言に、グラムの目が大きく見開かれる。
「そのくらい、わかるよ。だって、私たちは家族だもん。それに、お姉ちゃんを一番近くで見てきたのはマリンだから」
「ぐぅ……ぁ……っっ」
「ごめんなさい、お姉ちゃん。あの日、お姉ちゃんがどれだけ苦しんでいるか気付けなくて。これまでずっと、無理をさせて」
「やめて……許しちゃ……」
「ううん、許すよ。それで、謝る。お姉ちゃんがこれまで溜めてきた不満が、多分、今回で一気に溜まっちゃったんだよね? それで弱っていた所に、マリンたちを殺してやるーとか言われたんでしょ? そんなの、許すしかないじゃん」
「…………」
「やめとけグラム。これ以上は、後悔することになるぞ」
「シンッ……!!」
♦︎♦︎♦︎
シンがグラムの前に現れた丁度その時、一人の老人がエミリアとキラの前に音もなく現れた。
老人と言っても、ヨボヨボの柳のような人ではない。背筋の伸びた隙のない立ち方で、ジッとエミリアたちの方を見ていた。
「あ、あの……どうかしました? 大丈夫ですか?」
お人好しのように話しかけるエミリアだったが、その目は警戒に満ちていた。
何故ならその老人は、獣の耳も尻尾も、翼も鱗もなかったのだ。もちろん、ただの人間に見えるだけの獣人という可能性もあったが、エミリアは勘で、それはないだろうと感じていた。
「っ…………」
対してキラは、勘ではなく、はっきりとこの老人が只者でないと見抜いていた。
立ち方に隙がないのはもちろんのこと、こちらの全てを見透かしたような目、そして何より威圧感だった。
ただ立っているだけなのに、その身から発せられる威圧感は、何百年と生きるキラをして涼しい顔で受け流せるものではなかった。
エミリアが危険に晒された時の、静かに激怒するシンが発するそれと、今キラの感じる威圧感はほぼ同等だった。
「エミリア・ハンゲルに、キラ・クウェーベルか。なるほど、期待以上の美しさだ。…………ぜひ、私のものにしたい」
「「っっ!!」」
老人の声は小さかったが、不思議とよく聞こえた。
それはおそらく、他の雑音が全て消えているからだろう。木々の葉が擦れ合う音も、小鳥が囀る声も、この老人を恐れているのか一切聞こえない。
そしてよく聞こえたからこそ、エミリアとキラは一瞬で意識を戦闘状態に切り替える。
「ほう……」
頬や手の甲に這う黒い鱗、漆黒の翼と長く太いドラゴンの尻尾を生やしたキラを見て、老人が感嘆の息を吐く。
キラが完全に龍化しなかったのは、ここが大森林の中だからだろう。ここまで木々が密集しているとなると、あの巨体は動きにくい。
エミリアを守って戦うのだから、尚更だ。
「貴様、何者じゃ? 妾たちに何の用があってここに来た」
「本来の目的であれば、そこの王女だけにあった。が、なるほど。貴様も、殺すには惜しい美しさ、能力の持ち主だ。……龍人族を頂くのは何十年ぶりだ?」
「ふっ……悪寒が走ることをぬかすな。だがすまぬの。妾には、心に決めた一人の男がおるのだ。其奴以外の人間とまぐわることなどあり得ん。当然、エミリアも渡すわけなかろう」
「なるほど……であれば、その威勢の良さがいつまで持つかの勝負といこうではないか。何、私は紳士だ。完膚なきまでに叩きのめし、心が折れるまでは、決して味見などはしないと誓おう」
「やはり、敵というわけじゃな……。エミリア」
「はい。よく分からないけど、あの男の人からはすごい嫌な力を感じます」
キラの呼びかけに応えるようにして、エミリアが片手の平を老人に向け、足を肩幅に開く戦闘態勢に入った。
手に杖が握られてはいないものの、その堂々とした構えはどこか魔術師としてのシンに似ていて、キラは小さく苦笑する。
「師と弟子ほど、近しい存在はなかろうよ」
教師と生徒でも、似たようなことは起きるのだろうか?
一人の教師として、頭にそんな疑問が浮かぶが、キラは今はそんな時ではないと慌てて首を振る。
「始める前に一つ聞きたい、グラムという少女を知っておるか?」
「グラム…………ああ、あの半端者か。無論、知っている。何故なら私は、私だけは、あの混血を矯正させてやろうとしたのだから。まぁ、結果として、今も中途半端なままだが」
「そうか……」
それだけで十分だった。グラムを誑かした存在、グラムがあの不思議な能力を得た理由がこれで判明した。
まぁ薄々、出会った時から、キラも気付いていたのだ。
グラムの能力について、何か手がかりはないかと探していた所に現れた老人。明らかに異質な力を持っていたのだから、予想はしていた。
「あなたが…………!!」
「ああ、何やら困っていそうだったのでな、私が助言を与えたのだよ。木々を燃やす炎の中、『力が欲しいか?』とな」




