六十二話:弱き者同士の争い
両者の戦いは、一見五分に見えた。
「ハァァァァ!!」
グラムの拳は空を切り、紫苑のクナイは小さな切り傷を付けるのみ。
互いが互いに決定打を与えられないまま、時間だけが過ぎて行く戦い。
それは、実力がほぼ五分だからこそ起こる現象だ。
だが、それはあくまで、見えるだけだ。
実際の所は、僅かに暁月紫苑が押していた。
筋力、防御力、体力、速度などをステータスとして数値に表すとすれば、ほとんどグラムが紫苑を上回っているはずだ。
そしてステータスに出ないような、例えば瞬発力や五感、そして戦闘においてはかなり重要な感覚である第六感などにおいても、グラムの方が上。
身体のスペックとしては、グラムの方が紫苑よりも一回りも二回りも上だった。
だが、蓋を開けてみればグラムは若干劣勢気味ではないか。
何故……何故、能力値は圧勝しているのに、こうも紫苑に押されているのか。
「……くぅ……」
グラムの拳が紫苑の左頬を捉える、だがその直前、紫苑は右足を軸に身体を右回転。衝撃を逃すだけでなく、そのままグラムのガラ空きの胴に回し蹴りだ。
しかも、その蹴りは、シンのように相手を吹き飛ばそうとするような蹴りではない。
グラムの身体に、小さな衝撃の波を与えるだけの蹴りだ。だからこそ、グラムの反撃は、紫苑の鼻先を掠めるだけで当たらない。
自分の非力さを理解した上で、いつ逃げに転じれば反撃を受けないかを計算した、最適解の蹴りだった。
そう、技術だ。
紫苑の動きは、全てにおいて完成されていた。
何万と繰り返し身体に染み込ませた動きは、大きな能力値の差を補って余りあるものだった。
グラムがシャルガフに反抗していた時、紫苑は一線級の戦士も裸足で逃げ出す程の鍛錬をしていたのだ。
対してグラムはどうか。もちろん人以上の努力はしていたつもりだが、つい最近近道を通ったばかりだ。
その研鑽の時間差は、今こうしてグラムに牙を向いていた。
♦︎♦︎♦︎
暁月紫苑は、物心ついた頃から血の滲むような努力を強いられてきた。
暁月家の正当な血を引く唯一の人間にも関わらず、落ちこぼれと言われる凡人以下の存在だったからだ。
一番簡単な型でさえ、修行を始めて五年経つまで会得できなかったのだ。
そう言えば遠い昔、名前は覚えていないが、とある虎の半獣が道場破りに来たことがあった。
今は亡き曽祖父が当主……道場主として相手をしたのだが、その戦いの様子は、今もなお紫苑の心に刻まれている。
簡単に言えば、曽祖父は虎顔の男の攻撃を全て躱し、相手の体力が尽きた所で試合終了を提案したのだ。
どこからどう見ても、曽祖父の圧勝だった。
だがその夜、曽祖父に呼ばれた紫苑は、そこで衝撃的な曽祖父の一言を聞いた。
『あれは……儂の負けじゃ』
曰く、暁月家の当主として、自分は負けたのだと。
暁月家は、護衛と暗殺者の家系だ。紫苑は護衛の才能があり、曽祖父もまた同じく護衛の才能があった。
曽祖父は、反撃できなかったのは、護衛としても暗殺者としても失格。相手の体力が尽きるのを待つような戦い方は、暁月家の戦士として恥ずべきことだ、と言った。
暁月家の特徴は、敵の隙を、最短距離で、最小の動きで、最速で突くこと。相手が鬼札を切る前に終わらせることだ。
それは、護衛として暗殺者として、時間のない中相手を打ち倒さなければならない一族だからだろう。
まあ、それはともかくとして。
紫苑は今、とても怒っていた。
「グラム殿は、本当にそれで良いのでござる?」
「…………にゃ?」
「グラム殿の目的、それが、どうにも不透明なのでござるよ。……強くなるため、族長になるため、それが、グラム殿の目的なのでござる……?」
落ちこぼれと言われ続けた紫苑にとって、グラムの境遇はどこか共感できるものだった。
だからこそ、グラムがこうして楽をしたのが許せないのだ。
今までは自分は口出ししまいと思っていたが、昨晩のことで、その意識は変わった。
グラムは理解している。だが、再び元に戻るのが怖くて、力を手放さないでいる。
それが、紫苑の考えだった。
「拙者が同じ境遇に立たされたら、きっと、手放すことはできない。だからこそ……グラム殿には、自ら、その力を捨てて欲しいのでござる!」
グラムから力を奪うことは簡単だが、捨てさせなければ意味はないのだ。
このままでは、グラムは空虚になってしまう。
元々の自分の力に自信が持てないグラムのことだ、自分の力は全て他人から与えられたものだと思うだろう。そんな力、何が嬉しいのか。
今は、族長になるためという思いを利用することで、そのことから目を逸らしている。
だがいずれ、直視しなければならない時がくるだろう。その時、プライドが高く、卑屈な所のあるグラムの心が、果たして耐えられるのか。
「…………族長になるためにゃ」
他人から受け継いだ力を自分の力とするのは、強者の理論だ。
心の底で自分自身に対する信頼があるから、自分の力は他者の力を利用していると考えることができる。
弱き者、自分を信じれない者には、到底耐えられないのだ。
もし、転生の時に能力を与えてやると言われて、それに応えたとしたら、その人物はその時点で英雄に足る人物だ。
これからやることなすこと、全て他人の力によるものだと思い込まない。それだけで、力を操るに相応しい心を持っている。
「いつものグラム殿は、自身の欲望に忠実だ。その状態なら、きっと力に溺れることなく、自我を保てる。でも……今のグラム殿は、余りに、弱々しすぎる」
「グラムが弱い…………?」
「ええ。力を得たことに怯え、怖がり、あまつさえ本来の目的すら見失っている! これが、弱い以外のなんと言い表せようか!!」
だから、紫苑は怒りを隠しきれない。
「拙者では、グラム殿に伝えるのにあまりに役者不足。それは理解しておりまする。でも……そうだとしても、友人として今のグラム殿はあまりに情けない!」
「…………っ!!」
実の所、どうしてここまで自分が怒りを感じているのか、紫苑はあまりよく分かっていない。
「弱い人間が強者の威厳に隠れて、何が悪いのにゃ! そうしなきゃ、グラムたちは生きられない!! ああしろ、こうしろ、そんなこと言われる前にやってるのにゃ! 全部分かってる! 今のままじゃ駄目なことも、誰にも認められにゃいことも!! でも、これしかグラムが族長になる方法はないのにゃ!!」
グラムもまた、どうしてここまで自分が憤っているのか分からない。
意地と意地のぶつかり合いだ。
認めさせたい紫苑と、認めたくないグラム。
「これが、新しい力にゃ!!」
グラムの叫びが大森林にこだまし、そして……
「…………」
三匹の魔物が、召喚された。




