四十四話:グラム〈1〉
過去の話です
「ハァァァァ!!」
裂帛の気合と共に鋭く振り抜かれた小さな拳。
ただの殴打のはずなのに、魔力を浴びたスパークのようなものが一瞬散った。
犠牲になったのは、最近この辺りで悪さを働く魔狼という魔獣。ボールのように空を飛んで行った彼は、この広い大森林のどこかで、他の魔獣の餌になるのだろう。
「……へー。質の高い身体強化だな。獣人のなり損ないとはいえ、やっぱり馬鹿にはできないんだな」
それを見て満足そうに頷く、大柄な虎頭の男。
魔狼を一撃で下した幼い少女は、手をさすりながら男の側に戻ってその意味を聞く。
「……どういうことですか」
「俺は全ての物事に意味があると思ってる。例えば弱小生物であるスライムは、物理耐性が生物中トップだ。同じく、獣化できないクロスブリードにも何かしらの意味があると思ってな」
「…………あっそ」
「なんだぁ素っ気ない顔して、照れてんのか? お? 照れとんのか?」
「うるさい黙れ死ね」
「グッ……」
少女の裏拳が、虎男の腹に深く食い込む。
幼い少女とは思えない力に、虎男は脂汗を流した。
「用が済んだならグラムは帰る。バイバイシャルガフ」
「おおそうかそれじゃあバイバイ……ってなるかぁ! まだ話は終わってないぜ!」
「……族長って暇なの? それとも馬鹿なの?」
「暇じゃねえよ。俺が暇なように見えるか?」
「見える。でもそれ以上に馬鹿に見える。ああそっか、両方なんだ」
「おう……これは手厳しい……」
言いながらも、シャルガフはフッと柔らかい笑みを浮かべた。
もちろん彼は虎顔の男だから、どんな表情をしても、それは必ず恐怖の感情を招くものになるのだが。
だが幼いグラムは、そんなシャルガフの表情に泣くのではなく、不思議そうな表情をした。
「シャルガフ、変わった? いつもより楽しそう」
「ああ? まぁ……なんだ、最近不死の山に行ったら面白いもんを見かけてな。ありゃあやべえ。見た目は子供なのに、中身は化け物。姫さんって呼ばせてもらってる」
「ふーん……」
「お? なんだ? 妬いてんのか? 可愛い所もあるじゃねえの」
「違う。知り合いが小さな子供好きと知って恐怖してる」
身体を腕で守るようにして、一歩シャルガフから離れる幼いグラム。
「ロリコンちゃうわ! はぁ……ほんと、虎系なのに犬系獣人の族長として生きてる俺は味方が少ねえんだよ。身近な人くらい、もっと手加減してくれないもんかねぇ」
「その姫さんに頼んで」
「それは無理だな。あの姫さんが誰かに甘えたり優しくする所なんざ、はっ! 想像することすらできねぇよ」
「ふぅん……」
興味なさげな返事を返すグラムだが、尻尾はどこか不安げにユラユラと揺らめいていた。
それを見たシャルガフはハッと気が付いたように手を打って、
「おい待てグラム。お前、これから語尾に『にゃ』をつけろ」
「……死にたいの?」
「はっ! お前に俺が殺せるわけないだろ。そうじゃなくてだな、そんな無愛想だとどんなに可愛くても嫁の貰い手がつかないからな。少しでも柔らかくしてやろうという、兄心みたいなもんだよ」
「反吐が出る……………………にゃ」
そう言いながらも、幼いグラムの頬は若干嬉しそうに緩んでいた。そして、小さく、本当に小さな声で語尾に『にゃ』を付けた。
だがこのシャルガフという男はそれらに一切気付くことなく、
「すまんすまん! そうだよな。お前にとっての家族は、あの子だけだもんな! まぁ、俺のことは近所のオッサンとでも思ってくれよ!」
「近所の不審者として有名。昇格はまだ駄目」
返事をするグラムは、当然のように少しムッとしている。
「はいはい、それじゃ俺の言ったことを繰り返せよー。……わたしはグラムですにゃ」
「わ、わたしはグラムで…………ぐ、グラムにゃ」
「よしオッケー。明後日会う時は『おはようにゃ』って言えよ? これは修行だ。んじゃ、帰っていいぞ」
「…………え?」
急に帰って良いと言われて、ポカンとするグラム。
「…………シャルガフは帰らないの?」
「え? ああ。まだまだ半獣への当たりは強い。俺がもっと強くなって、あいつらを引っ張ってやらなきゃなならねぇ。だから修行だ」
「ふーん。ま、頑張ってにゃぁ」
「ああ、頑張るぜ! …………って、あれ?」
ガッツポーズで一瞬固まったシャルガフは、スタスタとアニルレイに向かって歩き出しているグラムに声をかける。
だが、
「うるさい黙れ死ね」
グラムからの返事は酷いものだった。
だがそれでも、シャルガフはニヤリと小さな笑みを浮かべる。
それは、きっと……
「尻尾と耳に、出まくってるんだよなぁ」
グラムの耳と尻尾が、これ以上ないほど恥ずかしそうなダンスを踊っていたせいだろう。
虎って犬より猫に近いですよね。なんで犬系獣人族長になってんだこいつ……。




