四十二話:メモ
俺が着いた時、マリンちゃんは丁度ラムさんとの話を終えた所だったらしく、俺を見つけると嬉しそうにトトッと駆けてきた。
だが、今はマリンちゃんの可愛さに絆されている暇はないのだ。
思う存分ギューってして頭を撫でた後に、俺は早速話を切り出した。
するとマリンちゃんは、案外すぐにゲロった。というか、別に隠しているつもりはなかったらしい。
「実は……あの時のこと、メモしてあるの……」
「……え?」
マリンちゃんが、小さく折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
「お姉ちゃんがいなくなって、何が悪かったのか知りたくなって……お話したことを書いたの。これが、それ……」
手渡された紙を開いて中に目を通してみると、俺でもすぐに原因は分かった。
「そうか……」
グラムが族長になりたい理由も、予想通りだった。差別をなくすために、自身が族長になろうとしているのだ。
そして肝心のグラムが何処かへ行ってしまった原因、これは多分……
「グラムが弱いままなら、マリンちゃんが代わりに族長になる、か……」
「本当は、お姉ちゃんにやる気を出して欲しかったの……。お姉ちゃんの目的は差別をなくすことでも、マリンの目的はお姉ちゃんを族長にすることだから……」
マリンちゃんは、グラムの悩みを知っているのだろうか。
話を聞く限りでは、自分が族長になると宣言したことがグラムを傷付けたと思っているらしいけど……。
「その前の日にさ、グラムが悩みを相談してきたんだよ」
「お姉ちゃんが……?」
「うん。自分は弱いって……泣いてた」
「え…………?」
驚愕に目を見開くマリンちゃん。
マリンちゃんにとって、やっぱり姉は一番強い存在なのだろう。
あり得ないと言いたげに、身体が震えている。
こんなマリンちゃんに一から全てを話すのは気が引けたが、姉妹間の関係がここまで悪化してしまった以上、教えない訳にはいかない。
「そっか……お姉ちゃんが……そんなことを……」
「マリンちゃんは……気付いていたのか?」
「ううん。ここを出るまでのお姉ちゃんは、自信に溢れていたから。帰ってきた時に少し変だなとは思ったけど……まさか、お姉ちゃんがそんな風に悩んでるなんて……」
「まあ、確かに普段のアイツからは考えられないよな」
自分は族長になる者だ!とか言っていたグラムは、今では、自分が族長になれる訳がないと泣いているのだ。
井の中の蛙大海を知らずとは言うが……アニルレイの族長になるのに、俺たち外の人間との実力差は関係ないと、個人的には思っている。
アニルレイの中にいた時、自分が族長になれると確信していたのなら、外を知ったくらいで諦めてはいけない。
そのことに、グラムはまだ気が付いていないだけだ。自分の実力で十分だと、アイツならじきに思い出してくれるはずだ。
確かに今は、紫苑や雪風に比べると少しだけ実力が足りないかも知れないけど。
グラムの実力は、あの日、賢狼を一撃で倒すのを見た俺が保証する。あの一撃は、確実に、獣化した獣人でも繰り出せない威力だったのだから。
「お、お兄ちゃん……マリン、どうすれば良いのかな……?」
マリンちゃんが、不安げな瞳で俺を見上げてきた。
「マリンちゃんは、お姉ちゃんのことをどう思ってる?」
「え……? そ、それは……美人で……強くて……それに、すっごぉ〜〜く優しい、自慢のお姉ちゃん、だよ……?」
「なら、それをちゃんと教えてあげれば良いんじゃないか? お姉ちゃんは弱くなんかないって」
「……うんっ!」
元気良く頷くマリンちゃん。
まあ多分、それでもグラムは悩むんだろうが……。
「いっそのこと、雪風と紫苑が殺す気でかかってくれれればなぁ……」
実戦に勝る鍛錬なんてない。殺し合いというのは、スランプを乗り切るにうってつけの鍛錬方法なのだ。
師匠が言っていたから間違いない。
「ま、そんなこと言っても仕方ないか……。ねぇマリンちゃん、少し遊びに行かない?」
「遊び?」
「マジックを見せるって約束してたの、思い出したからさ。どこでも良いからさ、疲れ切るまで遊ぼうぜ?」
悩んだ時は、疲れて何も考えられなくなるくらいはしゃいで、そしてゆっくりとお風呂に浸かるのだ。
そうすれば案外、たいした悩みじゃなかったと気が付いたり、簡単に解決法が見つかったりする。
「じゃあ……行きたい所があるから、そこで遊ぼう?」
「ああ、どうする? 肩車でもしていくか?」
「もうっ、マリンそんなに子供じゃないもん! ……あ、ねぇ、お兄ちゃん。そこに行くまで、良いこと教えてあげよっか」
「良いこと?」
「うん。あの日にね、マリンがあることを言った瞬間、お姉ちゃんがすっごく動揺したの。何を言ったと思う?」
なるほど、クイズか。
楽しそうな表情をしているということは、グラムが弱いとかではないんだろう。
となると…………
「オネショだな。マリンちゃんくらいの年になってもオネショが治らなかったんだな」
「ブッブー! オネショじゃありません! ……なんでオネショ?」
「オネショして慌ててるグラムを想像したら可愛いなぁって思ったから」
「お兄ちゃんって……もしかして変態さん?」
「いやいやいや! 普通だ普通。ちなみにマリンちゃんくらいの子にこちょこちょするのが生き甲斐だ」
「普通…………?」
困惑したような表情を浮かべるマリンちゃん。
なんだ、ロリコンは流石に知っているのか。まあ、マリンちゃんくらい可愛いと自称紳士の変態が寄って来そうだもんな。
自衛のためにも知っているか。
「お兄ちゃんて、やっぱり変態さんだったんだ……」
……冗談だったんだけど、なんか警戒されてる気がする……。悲しい。
「流石に冗談だって。ていうか、そんなことより正解はなんなんだ?」
「……正解? 正解はねー、マリンが代わりにお兄ちゃんと結婚する、だよ?」
「いや、分かるかい! 族長全く関係ないじゃねえか!」
「オネショよりは関係あると思うよ?」
確かに。
「そしたらお姉ちゃん、顔を真っ赤にして怒り出してね? ふふ、あの時のお姉ちゃん可愛かったなぁ……。ねぇねぇお兄ちゃん、なんでお姉ちゃんほ怒ったんだと思う?」
「? そんなの、妹を俺の毒牙にかけたくないってことだろ? …………何よ、その目は」
「んーん? なんでもなーい」
なんでもなくはないだろ。
マリンちゃんから向けられたとは思えない、呆れたような視線だったぞ。
「お姉ちゃんも苦労してるんだね。お兄ちゃん?」
「ん、ん? そ、そうだな?」
「お兄ちゃんが言っちゃ駄目だと思う」
「さっき同意を求められたんですが!」
理不尽すぎる。
…………。
…………。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「ん? せっかくだし、手でも繋ごうかなって思って」
「…………ありがとう、お兄ちゃん」
まあでもなんだ、マリンちゃんがそこまで思い詰めてないようで良かったよ。
そう、俺は思った。




