三十七話:余裕
「…………」
「…………」
「え、ええと……」
雪風が正気に戻ったのは良いものの、無理矢理に近いキスをしたのだ。
少々気まずくなっている俺たちを見て、ラムさんが困ったように頬を掻く。
「ま、まあ……なんです。えっと…………あの、その……………………じ、じゃあ、私はこれで……」
何度も勇気を振り絞って会話を始めようとするが、その度に照れ隠しに取り繕った笑みを浮かべて話すのをやめてしまうラムさん。
そしてついに振り絞れる勇気が尽きたのか、退散しようとし始める。
努力しようとしたのは認めるが、逃げようとするのは許さんぞ。
「「待ってください(です)」」
「うぅ〜〜! わ、分かりましたよぉ〜。お二人が会話できるくらいなるまでは一緒にいますぅ」
俺と雪風に後ろ襟を掴まれたラムさんは、不満そうに尻尾と耳をバタバタ暴れさせながら子供っぽく言った。
くっ……俺の右手がッッ疼く……ッ!!
「シン」
「はいすみません」
雪風の冷え切った一言によって、触りたい気持ちは再び封印された。
恐る恐る雪風を見ると、プクゥと頬を膨らませて、ジト目でこちらを睨んでいた。
気まずい空気の中でも、嫌なものは嫌らしい。「さっきは自分とキスしたのに……」そう、こちらを見る目が語っている。
このまま欲望で突き進めば、グラムに物理的に殺される前に雪風に精神的に殺されそうだな。
物理的な死は一応復活できることが分かったが、この謎の力に精神的な傷を治す力はないのだ。
「ええと……そうです、アニルレイの街を少し探索しませんか? シンさんは、色々あって結局ほとんど探索できてないんですよね?」
俺たちを見て何やら難しい顔で唸っていたラムさんが、突然ポンと手を打った。
「なんでそれを知っているんですか……?」
「暁月さんが教えてくれたんです。自分はエミリアさんの護衛に向かうから、雪風さんを頼むと」
「雪風……です?」
「はい。何故戦っているシンさんではなく雪風さんなのか、私に理由は分かりませんがそう言っていましたね」
それは多分、雪風が正神教徒に狙われていることを知っているからだな。
そのことをラムさんに教えてもいいのだが、雪風のせいで被害を受けたなどと言われると面倒だ。
俺たちは被害者であって、責任の一端を被る必要はない。まぁ……俺たちが被害を広げたという可能性もなくはないが……。
「と言うと、エミリアは紫苑が……」
「はい、一応保険としてリムが後をつけているので大丈夫だと思います」
リムさんの実力は分からない以上、それでも心配だが……。
「いや、キラ先生なら戦闘があったことに気が付いているはずだ」
住人が大勢避難をし、俺は蘇生という大規模な魔法を使ったのだ。キラ先生なら、多分エミリアたちを気にかけてくれているだろう。
だから、俺が心配する必要はない。
「大丈夫なようですね。では、最初はどこに行きましょうか……? 服屋とかはどうですか? 王都とはやはり品揃えも違うんじゃないでしょうか」
「服屋か…………」
俺はまだ行ったことがないな。
チラリと雪風を見ると、彼女もまだ行ったことがないみたいだった。
「決まりですね。では早速…………」
だが、ラムさんの言葉は最後まで続かなかった。
「お兄ちゃん!!」
ラムさんの言葉を掻き消すほどの叫び声が、俺の耳に届いたのだ。
俺が声のした方を見た時にはもう遅かった。
マリンちゃんが目を見張るスピードで、こっちに向かって走ってきていたのだ。
「マリンちゃん!?」
咄嗟に避けようとして、踏み留まる。
俺が受け止めなければ、マリンちゃんはそのまま後ろの建物に突っ込んで行きそうだったからだ。
「グッ……!!」
相変わらず強すぎるタックルだったが、俺はなんとか耐えた。
「ど、どうしたのマリンちゃん?」
「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……!!」
だが、マリンちゃんは少し混乱しているようで、「お姉ちゃんが……」としか喋らない。
まずは落ち着ける必要があるな。
「まずは一旦落ち着いて? 深呼吸深呼吸」
「う、うん。……スー……ハー……スー……ハー」
マリンちゃんは素直に従って、その場で深呼吸をした。
深呼吸が終わった頃にはだいぶ落ち着いた様子で、今度はちゃんと話すことができた。
「お姉ちゃんが、どこかに行っちゃったの……。あの、お兄ちゃんたちが心配で見に来たんだけど、気付いたらお姉ちゃんが居なくなってて……」
「グラムがいなくなった……?」
「うん……。いつの間にか居なくなってて……」
マリンちゃんに何も言わずに居なくなっていたなんて、グラムにしては少し考えにくい行動だ。
まさかこれも正神教徒の仕業……? いや、流石にそれは考えすぎか。
不意打ちを受けたとしても、俺と違って絶縁の正神教徒にグラムが一方的にやられることはないはずだ。
だから多分、マリンちゃんの被害妄想というか早とちりで、単にトイレに行っているとかそういうオチだろう。
「うん、分かった。じゃあ、一緒にグラムを探そうか。大丈夫だって、夜になったらグラムも戻ってくるから」
「でも、旅館は壊れているのです。どこに帰るのです?」
「そういえばそうだな……」
俺は旅館を見上げた。丁度俺と雪風が泊まっていた部屋だけ、障子が突き破られてボロボロになっていた。
確かに、見方によっては旅館が破壊されたように見えるかも知れないな。
「いや、これくらいなら修理できるよ。俺がいうのもなんだけど、街の被害も意外と少ないからね」
「それは……雪風がシンを殺そうとしていたからです。無差別に攻撃していたら……」
想像してしまったのか、雪風が顔を曇らせる。
「…………貴方に非はありませんよ、雪風。ですが少しでも申し訳ない気持ちがあるのなら、街の人たちにもう安全だと伝えたらどうですか? 彼らは今も怯えているのですから、それはできるだけ早い方が良い。速さ……早さは、貴方の領分でしょうに」
「ししょ……レイ先輩!」
「はい、レイ先輩です。少し貧血でフラフラでも頑張って歩いてきたレイ先輩です」
青褪めた顔のレイ先輩が、ペコリと小さく頭を下げる。
随分と毒の少ない嫌味だ。こんな美味しい毒は初めて飲んだかも知れない。
「さあ、雪風。どうするかは貴方次第ですよ」
「……っっ!! 行ってくるのです!」
そう言うと、雪風は走って行った。
雪風の罪悪感を減らすのがもちろん本当の目的だろうが、多分これには俺と雪風を引き離す目的もあったと思う。
雪風と俺が一緒にいるのを見て、大体の事情を察したのかも知れない。
「ありがとうございます、レイ先輩」
「お礼を言われることなんですかね……? まあ良いですよ。それより、グラムを探すんでしたよね?」
「うん、青髪のお姉ちゃん……。と言っても、お姉ちゃんの行き先なんて分からないけど……」
「じきに帰ってくると思いますが……分かりました。私も協力しますよ。まあ、まずはここを直してからですけど」
そう言って、割れた窓ガラスの破片などを風魔法で集め始めたレイ先輩。
小さな穴の空いた壁などを、俺が土魔法を使って修復する。
ラムさんは、割れてしまった窓ガラスなどの数を数えていた。あとでまとめて買う必要があるからだ。
マリンちゃんはさっさとグラムを探したそうだったが、ここを掃除する必要性も理解しているのか、素直にラムさんの手伝いをした。
そう、この時はまだ、俺たちは事の重大性を真に理解していなかったのだ。
──その日、グラムは帰ってこなかった。
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