三十六話:そんなのは反則なのです
前書きで言おうと思っていたことをいつも忘れます。(今回も忘れました)
戦いは、熾烈を極めた。
雪風の力は、既にあの日とは比べものにならないレベルだ。
こいつなら……本当に、正神教徒幹部クラスとも渡り合えるんじゃないか……?
分野が違うのでなんとも言えないが、単純な戦闘能力なら俺を超えててもおかしくはない。
俺が耐えているのも、雪風の速度が遅くなっているからだ。その代わりに力は強くなっているが、紙防御の魔術師にとっては速さこそ敵で、力は一定以上あれば即死級のダメージを与えられるのだ。
暴走状態になると速度を犠牲に力を増すのは、俺にとって嬉しい誤算だった。
「私からこうも逃げ続けるとは……煩わしい」
「雪風……」
そしてまた、雪風はもう雪風ではなくなっていた。
姿は雪風だが、中に違う人間がいる。そんな感じだ。
一人称から喋り方。そして果てには……。
「雪風……? 私の名前はティーだ。お前は何を言っているんだ?」
名前までも、違う。
雪風という精霊は、暴走することでティーという別の人間になったのだ。
元に戻すためには、雪風を正気に戻すには……
「いや、ひとまず倒すのが先か……!!」
何をしようにも、今のままでは不可能だ。
雪風を気絶させるなどしてから、スーピル……いやその前にラムさんに見せる必要がある。
だがその場合……
「あの翼が厄介だな……。暴走状態だから、いつもより精霊の力の扱いが上手くなってんのか……」
翼で叩かれるだけでも結構痛いし、威力の低い魔法程度なら跳ね返す。
防御にも攻撃にも使える翼。
「翼は暴走時特有の物なのか?」
「なるほど! 暴走なんですね!」
「はい、暴走ですね…………え?」
後ろから聞き覚えのある声がして、俺は振り向いた。
「余所見をするな!!」と雪風が向かってきたが、いつもに比べて速度が遅い。難なく躱した。
「ラムさん!? な、何でここに!!」
「実は元々ここに用があったんですよ。それでこちらに向かっている途中、避難している方々に話を聞いて、急遽駆けつけました」
「な、なるほど……」
どこか興奮した様子のラムさんは、女の子のように(女の子だけど)拳をギュッと握って気合を入れている。
「ふふ……シンさん、前にも言ったと思いますが、私精霊に関しての知識もあるんですよ」
「じ、じゃあ!」
「ええ、彼女の直し方……正気に戻らせる方法も分かります。えっへん」
「…………」
「……あの、何か言ってもらえないと私はただの恥ずかしい人になってしまうんですが……」
そんなに自分の力を見せられるのが嬉しいのだろうか、自慢げに胸を張って、すぐに頬を赤く染めてモジモジし始めた。
「とにかくですねっ……! 彼女の意識を争いから逸させてください。敵はいないのだと教えるんです!!」
「意識を向けさせない……?」
そう言われてもなぁ……。
戦闘中に他のことを考えるなんてあり得ないだろ……。
「今は戦っている! 余所見をするなぁ!」
「おっと」
俺のような護衛は主人の安否を常に頭の片隅に入れておくからともかく、暴走状態の精霊が戦いを考えさせないなんてなぁ……。
精霊のことを考えないスーピル並みにあり得ないだろ。
「確かに難しいですが……何かあるはずです。暴走状態になっても、彼女は彼女。彼女が思わず目を奪われるものなら、暴走状態でも効く可能性はあります」
「いつもの雪風…………」
「だから私はティーだ!!」
「グッ……!!」
避けきれず、脇腹に赤い線が描かれた。直後、血が吹き出す。内臓が出ないだけマシだ。
パックリと裂けた脇腹を押さえながら、俺は考える。
雪風に争いを考えさせないようにするにはどうすれば良い……?
まず思い付いたのは、食べ物だ。だが、流石にこれはないだろう。たい焼きを見ると戦意喪失するなんて聞いたことがない。
雪風は戦士だ。人参を見ると何も考えられなくなる馬ではない。
となると……やっぱりどんな時にも使える媚薬か? 新しく買ったのを試しに使うか?
「はぁぁ!!」
「くっ……!」
…………いや、無理だな。
確かに媚薬は強力だが、そもそも雪風に飲ませることができない。アロマのように空気中に成分を漂わせれば、今度は俺も媚薬の影響を受けてしまう。
「何も考えられなくなる…………?」
待てよ……そうだ、別に考えさせないのは戦闘だけじゃなくてもいいんだ。
洗脳とかでも…………いや、俺はそんなスキルはない。他に、雪風の思考力を奪うようなもの……。
雪風が他のことを考えられなくするようなこと…………。
「…………そうだっ!!」
思い出すのは、昨日の夜のこと。
そういえば雪風は、あの時、言っていたよな……?
「シンさん!? 突然何を……」
雪風に向かって行った俺に、ラムさんが悲鳴を上げる。
血迷ったようにしか見えないんだろうな。
だが、もちろん捨て身なわけがない。
「勝ちを急いだな!」
雪風が俺めがけて刀を振り抜くが……
「なっ……!!」
「それは残像だ」
ここに来て、俺はずっと温存していた幻影魔法を使った。
初見殺しの技でもあり、俺の十八番とも言うべき魔法。
渾身の一撃を回避され、雪風は空中で無防備になる。
「捕まえた」
「っ!!」
そう言って俺は、雪風を抱き締めた。雪風の身体が、腕の中で強張る。
そして…………
♦︎♦︎♦︎
「…………?」
目の前の少年の突然の奇行に、ティーは眉を潜めた。
こちらの胸を刺してくるのかと身構えていたら、突然自分の身体は少年の腕の中にあった。
意図は分からないが、攻撃してこないなら好都合だ。
髪の毛先を刃にして首を切り落とす、刃に変化させた手で腹を突き刺す、身体を変化させれば色々な方法でこの少年を殺せる。
身体を無機物に変えるのは、身体を大人にしたりするよりも体力がいるが、殺すためには数秒あれば良いのだ。
「貴様はこれで終わ────」
だが、最後まで言葉が発せられることはなかった。
目の前の少年が、唇同士を触れ合わせてきたからだ。
突然の事態に混乱する。
──自分の知らない新しい攻撃か?
色々と考えが巡る。だがすぐに、それは自分の中に流れ込む……いや、もう訳が分からない。
感情が全身を支配し……いやそもそもこれは感情なのか?
こいつは誰だ。何故接吻を? 戦場で? 何故、なんで、どうして……。油断を作るため? 抱き締めないで攻撃すれば良かった。頭がおかしいのか? こいつは頭が……ああ、そうだ。こいつの名前はシンとか言っていたな。……シン、どこかで聞いたことのある……どこだ? こいつはそれなのか? 頭のおかしいシン……いや、違う。接吻……シン……キス……ああ、どこかで……ア……聞いた、確カに聞いタ……。でも思イだせない……ドこだ、ドコでダ……。
「雪風…………ッッ!!」
雪風? いヤ待て、私は知ラなイ。私はティー、雪風でハない。ソうか、こいツは勘違いをシテいる。こいつはやっぱり頭がおかし……っっ!! なんだ? 今のは? 雪風? あ、アあ、これモどこカで聞いタことガある……。誰だ、誰だ、私はティーじゃナいのカ? 私は雪風?
「目を覚ましてくれ……ッ!!」
何を言っテいる? 目を覚ま「シン」す? 私は既に「雪風」目を覚マしていル? あ、あレ? あタまが……おかシい……? オかしイのはわた、シ……? ナニ……「シン」コレ……ワタシハ「雪風」ノハズ……。エ? アウ? コレジャマルデ…………
「シ、ン…………?」
雪風は確かにその名を呼んだ。
「雪風!! 大丈夫か!?」
「そんなのは…………」
彼の腕の中で、雪風はワナワナと身体を震わせた。
感情が、激情が、雪風の身体を駆け巡る。
だが、それはさっきと違って不思議と気持ち良かった。幸せな感情の奔流だった。
だから……
「そんなのは反則なのです!!」
その怒った顔は、嬉しさが隠しきれていなかった。
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