三十五話:有罪判決
「お姉ちゃん、どうしたの……?」
「にゃ?」
シンと雪風が激しく戦闘している下を、妹マリンの手を引いて走り抜けたグラムは、不意に聞かれた質問に思わず目を点にした。
質問があるとすれば、何故二人が戦っているのかを聞かれると思っていたからだ。
「お姉ちゃんがすっごく怖い顔してたから……お兄ちゃんたちのこと、心配なの?」
「あ、ああ……そういうことかにゃ。心配……別に心配はしてないのにゃ。さっきの感じだと、力が増えた代わりに速さが落ちている。それなら、シンはどうにかしてくれるはずにゃ」
「……? よく分かんないや…………じゃあお姉ちゃんは戦わなくて良いんだよね?」
「ま、まあ……そう、にゃ……」
妹の純粋な姉への心配からくる質問に、グラムは苦い顔をする。
何故なら、グラムは戦わないのではない。戦えないのだ。
雪風の身体から黒い瘴気が立ち昇るのを見た時、グラムは、まるで時間の正神教徒に出会った時のような恐怖を感じた。
膝はガクガク震えていたし、雪風の最初の一撃を防げたのも本当に運が良かっただけだ。
「恐怖心……」
多分、これはトラウマに近いものだ。
時間の正神教徒に手加減されたあげく一太刀も浴びせれず、グラムは自信を粉々に打ち砕かれた。
だから、グラムは奇襲をかけられなかった。雪風の禍々しい瘴気を見た瞬間に足が竦み、まだ雪風が理性を保っていた最大のチャンスを逃したのだ。
「グラムは強い……。シンが言ってくれた……」
「お姉ちゃん?」
「シンが言ってた……グラムにしかできないことが…………」
「お姉ちゃん!」
「っ!」
一喝され、グラムはビクリと大きく身体を震えさせた。
「お、お姉ちゃん……?」
困惑したようなマリンの声。
だが、それも仕方がないだろう。
何故ならグラムは、
「あっ……ぁ……」
叱られた幼い子供のように身体を縮めて、怯えた震える瞳で自分の妹を見ていたのだから。
それは、いつものグラムでは考えられない姿だ。
自信に満ち溢れていた強い少女の面影は微塵もなく、今のグラムはそこら辺にいるただの弱い女の子だった。
いや、まだ他の女の子の方が強い瞳を持っているだろう。グラムの目は、恐怖心に全てを支配された、そんな目だった。
「うっ……ふぇ……グス……」
「お、お姉ちゃん!? な、なんで泣いて……あぁ……えっと、そこの宿屋で部屋を借りよう! 今日はもうあの旅館に泊まらないからさ!」
「グス…………うん…………」
グラムの澄んだ色の双眸から涙が溢れる、それがどれほど異常なことか、マリンはすぐに理解した。
慌てて近くの宿屋で部屋を借り、マリンはそこでゆっくり姉と話をすることにした。
「まずお姉ちゃん。なんで泣いてるの? もしかして怪我したの? 痛いの?」
「…………」
「そっか……なら、悲しいことでもあったの?」
「…………」
「お姉ちゃん……言ってくれなきゃ、マリンも分からないよ……。お兄ちゃんは雪風お姉ちゃんと喧嘩するし……マリンだって泣きたいのに……」
目まぐるしい状況の変化に、マリンの小さな頭は混乱して、感情がぐちゃぐちゃになって……。
そして、マリンの頬に一滴の涙が伝った。
「マリン……大丈夫にゃ?」
頑として理由を説明しなかったグラムは、そこで初めて、いつものグラムらしい顔を見せた。
妹を心配する、少しだけシスコンの入った姉の顔だ。
「うん……ごめんなさい……お姉ちゃんの泣く機会を奪っちゃって……」
「泣く機会なんて……いらないにゃ……」
「うん…………ねぇ、お姉ちゃん」
「……なんにゃ?」
「お兄ちゃんたちは心配だけど、ちょっとだけ遊ばない? ほら、昔みたいに果物を取りに行ったり、洞窟を探検したり。あ、でもまずはお姉ちゃんの話を聞きたいかな? ほら、お兄ちゃんたちのこととか」
頭と心の中がぐちゃぐちゃになっている二人の姉妹は、どちらからともなく身を寄せ合い、言葉を交わし合った。
恋人同士が愛を語り合うように、二人は思い出話や土産話を共有した。お互いの存在そして繋がりを感じるために、堅く手を繋いだ。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「んにゃ?」
ピクニックに誘うくらいの、刺のない可愛らしい声に、グラムは無警戒に聞き返す。
「やっぱり、お兄ちゃんのことが心配なんでしょー?」
刺がないどころか、美味しい花の蜜がありそうな言い方。まさに、姉の恋愛に興味を持っている妹だった。
「姉妹だもん。分かるよ、それくらい。だってお姉ちゃん、お兄ちゃんと話すときはお兄ちゃんに無茶なお願いするでしょ?」
「……どういうことにゃ?」
「あまり気付かないけど、お姉ちゃんって結構相手のことを考えてるよね? でも、お兄ちゃんと話す時は甘えたそうにしてる」
「にゃ!? にゃ、にゃにゃにゃにゃにを言って……」
「帰ってきた時はそんなだったんだけど、昨日の夜とかチラチラ見てたよねー? 夫婦って言葉が聞こえた途端、耳と尻尾をピンッてさせてたし!」
「そ、それはっ………そのぉ……」
悩みを相談した直後だったから、そう言おうとしたのだが、何故か上手く口が動かない。
真っ赤になって口をパクパクさせる姉に、マリンはニヤリとした笑みを深いものにし、
「ねぇねぇお姉ちゃん、お兄ちゃんって、小ちゃい子も好きかな?」
「…………にゃ?」
「でも、お兄ちゃんは青髪のお姉ちゃんのことが好きそうだったし……うん、可能性はあるかも」
「な、何を言っているのにゃ?」
「え〜? 何ってぇー」
どこか焦ったような姉の表情に、マリンは楽しそうに。
「お姉ちゃんの本当の望みを、マリンが叶えることもできるってこと!」
「…………っ!!」
蜜の中にずっと隠していた刺で、無用心に近づいて来た姉を突き刺した。
マリンがそれを言った途端、グラムの表情が悲痛に染まる。それは、半ば絶望とも取れる感情だった。
「……こんなこと言ってごめんね、お姉ちゃん。でも、マリンは今のお姉ちゃんが嫌いなの」
「マ、マリン……?」
「お姉ちゃんの夢を、マリンは応援する。でも、マリンは今のお姉ちゃんを応援しない」
「な、なんで……」
「お姉ちゃんが、そんなだから。だから、マリンが代わりに族長になる。マリンがお兄ちゃんと結婚して子供を作る」
「…………っ!」
グラムに顔に刻まれた絶望が、さらに深くなった。
だが、気にせずマリンは続ける。
それはもう、姉と妹の会話ではなかった。罪人と、それを裁く者の会話。
ただ一つ違うとすれば、裁く者が、罪人を愛する故に裁くことだ。
幼い少女には似合わない深い慈悲を持って、マリンは罪人に判決を下す。
「マリンは戦えないし弱いけど、少なくとも……今のお姉ちゃんよりは多分強いよ?」
「え…………」
「だって今のお姉ちゃん……弱いんだもん……」
それが、終だった。
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