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三十話:時間

 

「んにゃぁ〜〜ぁ」


 昼間のポカポカとした陽気に、グラムは思わず欠伸をしながら大きく伸びをした。

 朝から寝ぼけたマリンに変なことをされたせいで、少しだけ寝不足だ。


「…………んにゃ?」


 道の先で自分がよく知る二人の人物を見つけ、動かしていた足を止めるグラム。


「シンと……シオンにゃ?」


 駆け寄って声をかけようか、だがすぐに、紫苑の顔を見てグラムは思い留まった。

 シンと並んで歩く紫苑の表情が、とても幸せに満ちていた表情だったからだ。


 紫苑がシンに告白し責任を取ってもらった後、すぐに雪風を楽しませる作戦が始まったせいで、紫苑とシンが二人きりになれる時間はほとんどなかった。

 そして全てが解決した頃には、シンと雪風の契約だ。紫苑がシンに甘える時間は、甘えてもらう時間はほとんどなかった。

 グラムから見ても、紫苑は不憫だ。

 折角恋心を自覚し、それをぶつけて想いが届いたというのに、他の大きな出来事のせいで霞んでしまったのだ。

 幸せではあろうが、複雑な心境でもあるだろう。


「一つ貸しにゃよ、シオン」


 だったら今くらい、二人きりで居させてあげたい。

 返してもらう気のない貸しを一方的に作ったグラムは、ふと思って、紫苑の不満に一切気付いていなかったシンにアッカンベーをした。


「せめて、手くらい繋いでやれにゃ。紫苑が繋ぎたそうにしてるのに、ちょっとくらい気付けってもんにゃ……」


 ソワソワと、自分の手をシンに近づけて、しかしすぐに引っ込めてしまう紫苑。

 心の中で二人が手を繋げるようにお祈りをして、グラムは満足気に頷く。

 ──あとはもう二人のこと、自分は関係ない。


「あっちは二人がいるから……来た道を戻るとするかにゃ」


 グラムはアニルレイに詳しいわけではない、自分が知らない店や通りも多いだろう。

 そして何より、アニルレイはグラムの故郷だ。歩くだけで、懐かしい気持ちに浸れる。

 だから、グラムはその場で振り返り……


「にゃっ!」

「おお……すまん」


 咄嗟にその場から大きく飛び退いた。

 丁度、後ろを誰かが通ったのだ。


「いや、こっちこそすまないにゃ。……………んにゃ? お前獣人じゃないのにゃ」

「私か? ああ、私は一応人間だ。知らぬか? 今王都の魔術学院から……」

「グラムはその学院の一人にゃ」

「…………なんと……ふふ……やはり咄嗟の嘘は吐くものでないな。そうだ、私はあの忌々しいハンゲルの名を冠する学院とは無関係だ」

「じゃあ……一体何の用にゃ?」


 グラムは、警戒心を隠そうともしなかった。

 アニルレイに人間が来ること自体珍しいのもあるが、それ以上に、この男から感じる覇気に、グラムは本能的な恐怖を覚えたのだ。

 ──雪風とは互角だったのに……。

 朝、雪風との模擬戦の結果は引き分け。それはグラムにとって知らず知らずの内に小さな自信にもなっていたが、この男の存在感の前では本当にちっぽけなものだった。


「何の用、か……。獣人には強き物が多い。私の五匹の眷属より強い者がいれば、取り替えるのも良いかと思ってな」

「眷属……? っ……貴様ぁ……っ!!」


 一瞬、グラムにはこの男が何を言っているのか理解できなかったが、すぐに気付いて戦闘態勢を取った。

 獣人は便利だ。恐怖心など、怒りの前には消えてなくなってしまうのだから。

 強い獣人と聞いてグラムの頭に思い浮かんだのは、族長たちだ。

 今代の族長たちでグラムと深い関わりがあるのは、蛇系獣人族長のリムと、猫系獣人族長のラムくらい。

 だが、()()()()()()()()()()

 誇り高き獣人の長たちを、この目の前の男は自分の眷属にすると言っているのだ。

 それだけで、十分、グラムがその牙を立てるには相応しい相手だった。


「ほう……良かろう。貴様の力を見せてみよ。獣の人(クロスブリード)よ」

「っ…………!!」


 グラムの殺気が、一気に膨らんだ。

 クロスブリード(crossbreed)、それは、獣人にとって侮蔑の言葉だからだ。

 そもそも、獣人には三つの種類がある。


 普段は獣の特徴を持った人だが、獣化することで獣となる、いわゆる普通の獣人。


 人ではなく、最初から獣の姿の半獣。犬系はコボルトとして有名だ。今でこそ解消されたが、少し前まで差別を受けていた歴史を持つ。


 そして、最後。それが、グラムの属する獣の人(クロスブリード)


「うぁぁぁっっ!!」

「ふん、獣化しない獣人など、取るに足らん。この私が直々に戦う必要すらない」

「黙れ!!」


 グラムの拳が、男に迫る。それは、かつて賢狼を一撃で仕留めたあの一撃より、鋭く、重く、想いが乗っていた。


「ほう……意外だ。獣化しなくとも、その領域に達しておるとは……」


 だが、その拳が男に届くことはなかった。

 突然、男とグラムの間に割って入るように、一人の若い男が現れたのだ。

 男は腕をクロスし、グラムの一撃を防いだ。

 メキッという嫌な音がして……ダラリと下げた男の腕は、あり得ない方向に曲がって既に使い物にならなくなっていた。


「これが……眷属……!!」


 だが、その男の顔に苦痛の感情はなかった。それどころか、防いだという達成感もない。

 およそ、感情というものが欠如しているかのようだった。


「これは……確か百年の付き合いであるお気に入りだったのだがな……。ふむ」

「にゃっ!!」


 グシャリと嫌な音がして、男の頭が潰れた。

 突然のグロテクスな光景に、喧嘩を傍観していた獣人たちは、悲鳴を上げて我先にと逃げ出す。

 だがその時、シンたちがいた方向から、何故か同じように獣人が逃げ出してきていた。

 そのために大きな混乱を生んで、いつヒステリーショックが起きてもおかしくない状況だった。


「あっちでも、何か起こってるのにゃ……? いや、今はそれどころじゃないにゃ……」


 それに意識を割いたのは一瞬、すぐにグラムは、目の前の男に向き直る。

 だが、その一瞬こそが致命症だった。


「ふむ、力が強いだけか……弱いな」

「ぁ…………」


 いつの間にか、自分の後ろに誰かがいた。

 そしてそいつが自分の後ろ首を叩いてきた途端、グラムは突然の眠気を感じた。

 いや、違う。これは…………


「これはごく最近、確か二十年前に奴隷商から仕入れた逸品でな。速さが自慢なのだよ」


 手加減された。

 殺すこともできたろうに、この男は、グラムを殺そうとはしなかった。意識を奪う、それだけで十分だと考えられたのだ。


(舐められたものにゃ……!)


 だが、残念なことに身体は動かない。

 ゆっくりと膝をつき、そのまま前に倒れて行く。

 霞む視界の先で男を睨むと、男は既にこちらに意識を向けていなかった。


「ッチ……遅かったか」

「絶縁のか……。同じ正神教徒であるお前が私に何の用だ」

「オレから時間……アンタへの用なんて一つしかないでしょうに。……死ね、老害」


 絶縁とかいう仮面を付けた男が、時間と呼ばれた男に黒い光線を放つ。

 それを最後に見て、グラムの意識は途絶えた。


そう考えると、紫苑はとても可哀想ですね……。


あ、よろしければ感想とかお願いします。

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