十八話:風呂上り
「シン、今から外を歩きに行くのにゃ?」
「え? ああ。そのつもりだけど」
服の着替えの問題で一足先に風呂から上がっていた俺が、旅館のロビーで紫苑から貰った牛乳を飲んでいると、グラムが濡れた髪をタオルで拭きながら出てきた。
「そうかにゃ……なら、北の区画には行っちゃダメにゃ」
「北? なんかあるのか?」
牛乳の瓶を放り投げながら聞くと、丁寧にキャッチしたグラムが耳を寄せてきて、
「…………この街の貧困層、というか差別されてる人たちがいるのにゃ。見て、面白いものじゃないのにゃ」
「そうか……まあ、どっちにしろ北まで行く時間はなさそうだからな、武器屋とかを見て回るだけにするよ」
ふわりとシャンプーの匂いがした。
おかしいな。俺と同じシャンプーなのに、俺と違ってメチャクチャいい匂いじゃん。
とその時、エミリアが暖簾をくぐって出てきた。
ほんのりと上気して赤くなった肌、濡れた長い髪を手で弄る仕草、俺を見つけるとパッと顔を明るくして駆け寄ってくる可愛らしさ。
どれも、破壊力抜群だった。頬が熱くなるのを感じる、火照った身体は冷ましたはずなんだけどなぁ。
「出かけるの? シン」
「あ、ああ。……エミリアも行くか?」
「んー……シンと街を歩くのは魅力的な提案だけど、ごめんなさい、今日は遠慮するわ。みんな少し、頭を冷やさないといけないから」
「いや、別に気にしなくていいって。……と、そうだ。部屋決めなんだけどさ」
「部屋決め、シンは参加しないんでしょ? それくらい分かります」
「あはは……まあ、一応な。グラムはマリンちゃんか?」
「そうなると思うにゃ。というか、そうなって欲しいにゃ」
まぁ、姉的にはそうだろうな。
これでマリンちゃんが、「お姉ちゃんよりもフロントのお婆ちゃんが良い!」とか言い出したら、実の姉であるグラムが不憫すぎる。
一緒に居れなくて寂しいのはどちらなのか。グラムも軽いシスコンみたいだな。
「あれ? シンとグラムちゃん、何飲んでるの?」
「牛乳。紫苑が大量に買ったらしい」
牛乳を大量買いするなんて、大浴場があると知ったからだろうな。それ以外に牛乳……紫苑が牛乳……胸……いや、やめよう。これ以上はいじめになる。
まあともかく、大浴場のために牛乳を沢山買ったのだろう。その文化を知ってるのは、俺と紫苑しかいないというのに。
レイ先輩と雪風や、店員の獣人とかにはたいそう変な目で見られたことだろうな。
ちなみに、容器は瓶だ。
一日で消費できる量じゃないので、冷蔵庫としても使える〈ストレージ〉持ちの俺とレイ先輩が、大量の瓶を半分ずつ保管している。
「フルーツ牛乳、コーヒー牛乳、普通の牛乳。何か飲みたいのある?」
「うーん……シンは何を飲んでるの?」
「普通の。ちなみにグラムも」
「じゃあ、私も普通のにする」
「ほい。一気に飲むのが美味いぞ」
「手渡しな所に扱いの差を感じるにゃねぇ……」
「……べ、別に上も下もねえよ……」
投げ渡したら、エミリアが驚いて落としてしまうと思ったからだよ。
その点グラムなら、突然投げ渡されてもしっかり反応できるしさ。
あと、単純に投げ渡すには距離が近い。
女湯の暖簾をくぐったエミリアは、俺を見つけてすぐ駆け寄ってきたからな。
「…………」
「…………」
瓶を両手で持ったエミリアが、そっと縁に口を付けて瓶を傾ける。
するとエミリアの白い喉が、一定の間隔でコクッコクッと小さく動いた。
「…………あの、シン、飲む所を見られてると恥ずかしいんだけど…………」
「っ……わ、わりい……」
慌てて目線を下ろし、エミリアの顔が目に入らないようにする。
すると、今まで触れなかったエミリアの服装が目に入る。
「そういえば、グラムもエミリアも浴衣なんだな」
「用意されていてもこれが何か分からにゃかったけど、紫苑が教えてくれたのにゃ」
「どうかな? 変じゃないかな?」
袖先を握って、服を見やすいようにするエミリア。
グラムもエミリアも、淡い色の浴衣だ。
「正直に言えば……エミリアは似合っているとは言いにくいかな? でも、二人とも可愛いと思うよ」
「あ、ありがとにゃ……」
珍しくグラムが照れた。
「似合ってはいないけど可愛い……そ、それは喜べば良いのかな……?」
「それ、元々天照国の服なんだけどさ、天照国の人って黒髪じゃん? エミリアの髪の色は白に近い銀だから…………生地の色を黒とかに変えたら綺麗な髪も映えるんじゃないかな? 俺は詳しくないけど、紫苑に聞けば教えてくれるんじゃない?」
「そっか……。うんっ、聞いてくる!」
和服があまり似合わないのは胸のせいでもある気がしたが、それは言わない。一番似合うであろう紫苑が泣いちゃうから。
…………似合ってない、というのも、俺が気恥ずかしいから言っただけで、本当はすっごく可愛かったけど……。
「…………」
「どうした?」
「いや、別になんでもなーいにゃ」
「?」
何故かグラムが、俺の方をジッと見ていた。
エミリアは、ワクワクした顔で女風呂に戻って行く。
入れ違いに、キラ先生が出てきた。
「キラ先輩は……似合ってますね。普通に和服美人です」
「そ、そうか? 妾はよく分からんが……褒められるのは嬉しいものじゃな」
龍化できるようになって金髪から紅髪に変わったキラ先生は、エミリア以上に派手な髪色だ。そして身体の大きさの割に胸もある。
だが何故か、普通に可愛い。
なんでか分からんが、着痩せして見えるな……。
「その格好……部屋決めには参加せんのか?」
「はい。少し外をぶらつこうかと。誰と一緒でも俺は嬉しいだけですし」
「アーサーの嫌な予感は正しかったんじゃな。はぁ……まあ、お主に寝込みを襲う勇気などないか」
「逆はありそうにゃけど」
ニヤリと笑うグラム。
やめろよ。そんなこと言うと今夜姉妹一緒に襲うぞ。
「襲えるもんなら襲ってみろにゃ〜。ほらほら〜。この服、少し暴れるだけで裸になっちゃうにゃよ〜」
「くっ……!」
胸元をはだけさせて、谷間をチラリと見せるグラム。
くそっ、完全に遊ばれてやがる。
「今夜に待ってるにゃぁ〜。ニャハハ」
笑いながら手をヒラヒラさせて、グラムが背を向けた。
…………。
……………………。
「ヒャン!」
なので、隙だらけの背中に魔法で作った氷を入れた。
浴衣の中に小さな氷を入れられ、グラムが小さく悲鳴を上げる。
「ちょっ、ちょっとシン! やーめーるーのーにゃあ!」
「俺は襲えないわけじゃない。紳士だから襲ってないだけだ」
「……紳士?」
そこに疑問を向けないでねキラリちゃん。
「事実! 俺は目の端に涙を浮かべる雪風の服を切り裂いて全裸にしたことが……って痛い痛い! ごめんなさいごめんなさい!」
「まったく……シンは雪風が目を離した隙に何を言っているのですか……。あれは別にそういうのじゃ……」
嫌な予感でもしたのか、俺の身体の中から雪風がヒョコッと出てきた。
俺の耳を強く抓りながら、雪風が少し赤くなってブツブツと何かを言う。
雪風と本気でやり合った時、雪風の服が俺の攻撃で消滅した話をしようとしただけなのに……。
「状況も違う上、襲ったのはシンではなく雪風なのです。雪風の裸を見たこと、まだ雪風は許してないですからね」
「はい、すみません……」
雪風は、プクゥっと頰を膨らませて、足を肩幅に開き、腕を組んだ。
だが……
「な、なんと……二人はそこまで進んでおったのか……」
「雪風、結構大胆だにゃ……」
その雪風の反応が、二人の誤解を加速させる。
ムキになって反論すればするほど、「はいはい分かった分かった」で済まされるのと同じだ。
あの時を思い出しているのか、雪風は恥ずかしそうに頰を赤く染めている。それが、俺の言ったことが事実だという何よりの証拠になっているんだなぁ。
「ち、違うのです! 確かにシンに裸にされたのですが、そ、その……色々と違うのです!」
「雪風が襲って、シンに返り討ちに遭ったって話は合ってるのにゃ?」
「は、はいです。シンは雪風を優しく抱き締めてくれて……って違うのです! あ、あの……えっとぉ……」
「恥ずかしがることではないぞ。うむ、自分の気持ちに素直になるのは良いことじゃ」
「うぅ〜〜〜〜!!」
自分の言ったことが裏目に出て、涙目になっている雪風。
「飛び火する前に逃げとこ」
最後にチラリと三人を見る。
……うん、誤解を解く必要はないかな。キラ先生は気付いてそうだし。
俺は音を立てないように、ゆっくりと外に出る。まだ夜ではないが、風が冷たい。
フロントに変わらず座っているお婆ちゃんだけが、俺に向かって小さく「行ってらっしゃい」と手を振ってくれた。
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