十四話:慣れ
「妾が他の宿屋に泊まればよい。すぐに解決じゃな」
「いや、それなら俺が出て行った方がいいでしょう。男がいない方が何かと都合が良いはずだし」
誰が俺と同じ部屋になるかではなく、誰が宿屋を出て行くかの話になっていた。
と言っても、実際は俺とキラ先生が言い合っているだけで、マリンちゃんとグラムを除く残りの四人は、困ったように顔を見合わせている。
「いいや、風呂、それも大浴場とあればこの街でここにしかないはずじゃ。そこをお主から奪うのは…………最年長として気が引ける」
「いやいやいや、男湯は誰も使わないのですから、一人で金を払って入りにくれば良い。ここに泊まることにしておいて、俺だけ他の場所に泊まれば良いでしょう」
つまり、マリンちゃん含める八人全員がここに泊まるのだが、俺だけ他の宿屋で寝泊りするということだ。
「む、それは…………そうじゃが…………」
眉を寄せるキラ先生。
これはもう勝ったも同然だ。
俺は脱いでいたローブを身につけ、他の宿屋を探しに行こうとし…………。
「お兄ちゃん、一緒にいてくれないの?」
マリンちゃんが、その行く手を阻んだ。
不安気な気持ちを表す、彼女の胸元で握られた拳。寂し気に、悲し気に揺れる彼女の瞳。俺の中の良心が、罪悪感に軋んだ叫び声を上げる。
ロリコンじゃない俺でも、このマリンちゃんには敵わないわ。
「…………」
「形勢逆転じゃな」
ニヤリと笑いながら、俺の胸を軽く小突くキラ先生。
だがその勝ち誇った表情も、
「みんながお兄ちゃんと同じ部屋が嫌なら、マリンがお兄ちゃんと寝る!」
「…………」
マリンちゃん以外七人の沈黙が重なった。
静かになったロビーに、マリンちゃんの決意の声が反響する。
「ちょ、ちょっと良いでこざるか、マリン殿」
「どうしたの? 眼帯のお姉ちゃん」
「眼帯の……っ! い、今はしていないのでござるが……」
恐る恐る話しかけた紫苑が、中々恥ずかしい名前で呼ばれて意気消沈する。
だがすぐに復活して、
「そ、そんなことより! その……マリン殿がシン殿と同じ部屋で…………?」
「うんっ! あ……その……できれば、同じ布団が良いかなぁ…………」
「お、おおおお同じ!?」
顔を仄かに赤くしながらも、チラチラとこちらを見てくるマリンちゃん。
天然ものの小悪魔かよ。天使と悪魔は表裏一体なんだなぁ。
「だって…………ずっと、寂しかったんだもん……」
「……………………」
実際の年齢は知らないが、両親がいないマリンちゃんにとって、グラムは唯一の家族だったんだろう。
そんなグラムが、学院に入学するためにいなくなれば……一人でいたのは数ヶ月だとしても、寂しさは募ってくるだろう。
「…………」
横目でグラムを盗み見ると、グラムは下唇を噛んで思い詰めた表情をしていた。
グラムもまた、妹が心配だったのか。
族長になりたいという自分の夢を追うのは、誇らしい行為であると同時に、妹を置いて行った苦痛でもあったわけか。
「ねぇ……シン」
「ああ…………そうだな、エミリア」
俺は、俯いたまま黙ってしまったマリンちゃんと視線を合わせるため、彼女の前にしゃがんだ。
チラリと一瞬俺を見て、しかしすぐにマリンちゃんは目を逸らしてしまった。拗ねているというより、子供っぽいことを言ってしまって恥ずかしいんだな。
「マリンちゃん、大丈夫だ。俺もみんなもここに泊まるし、少なくともお姉ちゃんはまだしばらくはこの街にいる」
「ほんと?」
「ああ、本当だ」
そう言ってマリンちゃんの頭を撫ででやると、「えへへ……ありがと、おにーちゃん♪」と抱き付いてきた。
「……そういえば、みんなとお風呂に入るって言ってなかったか? 入ってきたらどうだ?」
マリンちゃんと別れて、俺たちもすぐこの宿に向かった。
歩幅や体力は俺たちの方が上だし、この宿に着いたの時間はそう変わらないだろう。
俺たちは宿屋に着いてすぐマリンちゃんと会ったため、マリンちゃんが既にお風呂に入っていたということは流石にあり得ない。
そう考えて言った言葉だったのだが…………。
「うん…………」
「…………?」
マリンちゃんの反応は、悪い。
俺が首を傾げていると、グラムが
「マリン、もしかしてまた…………」
「ま、待ってお姉ちゃん!! …………ちゃんと、話せるから…………」
向日葵のようなマリンちゃんらしかぬ落ち込みよう、元気のなさだ。
「約束した時間は、もう結構すぎてるの。えへへ……約束、破られちゃった」
「…………」
「…………だ、大丈夫だよ、お兄ちゃん! こ、これくらい慣れてるもん!」
「……………………」
俺から離れたマリンちゃんは、いつもと変わらず、元気で明るい。
あまりにも自然すぎて、不自然だ。
……慣れすぎている。仲間外れにも、感情を取り繕うことにも。
「マリン…………」
妹を心配する、姉の声。
それは、いつものグラムとは思えない程暗い声だった。
何か、事情があるのか。
突然、ライマさんの声が脳内で再生された。
『お前からすれば、あの時助けようとしなかった俺らなんか信用できないかもしれないが……』
やっぱり、過去に何かあったのか?
グラムが族長を目指す理由も、もしかしたらそこに…………。
「ねぇ、シン」
と、その時、エミリアが俺に話しかけてきた。
見ると、何かを決意したような表情だ。悩みに悩んで、やっと答えを出したような、そんな表情。
俺が無言で続きを促すと、
「あのね、シン。マリンちゃんの願い……叶えてあげない?」
「…………つまり?」
「恥ずかしいけど……みんなで、お風呂に入るの。…………駄目かな?」
は? へ? え?
「い、いやっ……駄目ってことは……」
流石に、あのマリンちゃんを見て何も思わない訳がないし……でもなぁ……。
いや、そりゃ! マリンちゃんのためにも良い考えだとは思うし、それに男としても嬉しい限りなんだけどね!?
「エ、エミリアはそれで良いのかっ?」
「う……うんっ! 私は大丈夫! …………だと思う」
いや、エミリアも恥ずかしがってんじゃないかよ…………。
「一応聞くけど、俺だけ入らないのは…………」
「それは駄目だよ。それじゃあ、シンだけ仲間外れでしょ?」
「逆効果になりそうか…………ああくそっ、分かった! 分かったよ!」
「シンっ……ありがとう!」
「べ、別に…………それに、考えたのはエミリアだろ……」
邪な気持ちがなかったと言えば嘘になるし。
深呼吸したエミリアは、マリンちゃんの前にしゃがみ込んで話しかけた。
「ねぇねぇ、マリンちゃん」
「どうしたの? 銀色のお姉さん」
「うん、あのね。もし良ければなんだけど…………私たちと、一緒にお風呂に入らない?」
「お兄ちゃんも一緒……?」
「シン……お兄ちゃんも一緒だよ。ねぇ、お兄ちゃん」
「…………っ!!?」
立ち上がりクルリと振り向いたエミリアが、俺を「お兄ちゃん」呼びした。
後ろで手を組み、前屈みになって上目遣いになるエミリア。そんな彼女が、
「どうしたの? シンお兄ちゃん?」
「…………っ!!」
キョトンとした表情で、ポンポン爆弾を投げてくる。
ボムリアだ……久し振りのボムリアだ……。
「あっ、ああっ」
やっと言えた返事は、どこからどう聞いても上擦った声だった。
みんなの、微笑ましいものを見るようや眼差しが恥ずかしい。
「お兄ちゃんも一緒に入ってくれるって。どうする? マリンちゃん?」
「……お姉ちゃんは?」
「グラムは…………ちゃんと一緒だにゃ。…………ん」
マリンちゃんに気付かれないよう、俺を睨んでくるグラム。
何もするなってことですね。分かってます。
その後もマリンちゃんが一人一人に一緒にいてくれるか聞いて行ったせいで、全員が一緒に入ることになってしまった。
部屋割りを決める前に、まずは風呂。
まともに身体を洗えるのが久し振りだからか、そこまで風呂に入ることを嫌がる人はいない。
そしてそんな俺たちを、この旅館を切り盛りするお婆ちゃんが微笑ましそうに黙って見ていた。
「…………」
ピクリとも動かないけど、あのお婆ちゃん、死んでないよな?
感想評価お願いします!
マリンちゃんが出てくる回は、書いてて楽しい……。




