冒頭──死んでしまえば意味はないけど
「はあ…………」
床に横になって、馬車の天井を見上げる。
木の板剥き出しで、中の人に対する配慮がなってないよまったく。
しかも、ガタガタ揺れるしさ。いや、誘拐ならもっと真面目にやりませんか?
と言っても、五歳の俺にできることなんて何もないんだけどな。
「…………」
チラリと横目で、隣に座る人物を確認した。
俺のような身寄りの無い平民では一生をかけても買えない衣服で身を包んでおり、何か紋章のついた首飾りを付けている。
どこからどう見ても、お貴族様。
なんでそんな偉い人がここにいるのかと言うと、やはりこの子も誘拐されたらしい。お貴族様のご令嬢なんて警備が厳重だろうに……。この誘拐犯達は相当な手練れということか。
「……なぁ、大丈夫か?」
「…………ん、大丈夫」
大丈夫じゃなさそうだから聞いているんだけどな。
顔なんてもう真っ青で、身体は小刻みにプルプル震えている。いや、まぁこんな幼い子が突然知らない男達に捕まり、馬車の荷台の中に投げ込まれたのだ。
俺だって怖いのに、すくすくと育った彼女が普通でいられる筈もない。
「…………」
ふと、一年前くらいから向けられ始めた周りの目を思い出した。
俺が化け物と呼ばれ石を投げつけられた、数日前なのにやけに朧げな記憶が呼び起こされる。
それは、突然だったのだ。四歳になったばかりの時、俺は突然頭が良くなった。それは、頭が良くなったとしか言いようがなかった。
ただ、何かに目覚めたように、世界が違って見えた。何より、当たり前だった魔法の存在に驚きを覚えたのだ。
まるで、もう一つの人生を歩んでいたかのように、突然俺は他の子供と大きく変わり、そして当然のように気味悪がられた。
勿論、俺に分かることなど何もない。気付いたら精神が成長していて、気味悪がられ、そして人攫い達に売られていた。
だが何故か、その村のことはぼんやりとしか思い出せない。こうして馬車に揺られること数日、日に日に村に住んでいた感覚が薄れて来ている。
まるで、村の記憶は全て夢だったように……。
とは言えだ。これから、俺は遠い所へ行くだろう。もう、確かめる術はない。
「…………でもさ、エミリア、君は多分大丈夫だよ」
「どう、して……?」
「ん、さっき話しているのを聞いたんだけどさ。身代金目当てなんだって。娘を返して欲しければお金を寄越せってこと。だから殴られたりしないよ。痛くない」
「あなたは…………?」
「……さあ……分からないな」
「そ、それじゃ、だ──
彼女が何かを言いかけた時、馬車が急に激しく揺れた。
「キャアッ!」
「ッ……俺に掴まれ!」
身体が軽いからか前に転がりそうになるエミリアを、手を伸ばしてどうにか捕まえる。片手で彼女を抱き、もう片方の手で近くの壁を掴んだ。
危ない危ない。
「何が起きたんだ?」
「う、うう…………」
あまりの恐怖に泣き始めてしまった。
だが、俺には慰め方など分からない。彼女の頭を撫でながら、状況が分かる時を待つしかなかった。
鍵が壊れたのか、扉が中途半端に開いているが、すぐに出ることはしない。何が起きたかまだ分からないし、腕の中には歩けなさそうな子もいるからな。
そのまま、少し待っていると、エミリアの嗚咽が徐々に収まり、寝息を立て始めた。
おいおい、流石にそれはどうなんだいお姫様。
いや、まあ、夜も眠れていないみたいだったから仕方ないけど。
俺だって、少し精神が参っているのだ。
「…………唸り声?」
悪態を吐く男達の声と共に、獣の低い唸り声が耳に届いた。
男達の悲鳴も。
考えられることは一つだ。
この誘拐犯達は、いやこの馬車は、魔物に襲われている。
「どうするか…………匂いでバレるよな」
あの唸り声は、狼のような犬系の魔物、魔狼と呼ばれる魔獣だろう。嗅覚が特に発達している魔獣で、泥沼に隠れても意味がないと聞いたことがある。
ここの誘拐犯の方達が言ってた。うん、何故こうなったか分かったわ。「あいつにだけは出会いたくないよなー」って、フラグを立てたせいだろこれ!
くそっ……ここにいても殺さるよな。確実に。
とすると逃げるしか方法はないのだが……獣の脚力に俺が勝てるわけがないんだよな。しかも、エミリアを背負って走らなければいけない。
…………でも、何もしないよりはマシか……!
「…………今!」
入り口付近にいた獣が男達の一人と交戦状態に入った瞬間、エミリアを背負って扉から飛び出す。後ろから男の怒声が聞こえるが、獣達の相手をしなければ自分達が死ぬのだから、すぐには追ってこれない。
問題は、獣達の方だ。
奴ら、俺たちが出た瞬間、牙を向いてこちらに走ってきやがった。
『ウォーターボール』
適性がゼロでなければ誰でもできると言われる、初級の魔法を無詠唱で放つ。
こんなので獣を殺せるはずもないが……
「よしっ!」
獣の目の前に着弾した水球が、土と混ざり合って泥となって獣にかかる。
泥による目潰し。ちょっとエゲツないかも。
でも、目潰ししたところで意味はあまりない。嗅覚に頼って進むらしいから、どちらかと言えば鼻にピンポイントで泥を入れなければならない。
そんな技術力ないけどさ。
「っと……危ねえ」
後ろに気を取られ過ぎていた。土から浮き出た木の根に足を取られそうになり、慌ててバランスを取る。
ここが森なのは確かだが、どこの森かなど分かるはずもない。
王女の誘拐をするような奴らだ。道は誰にも知られていないものを使っているだろう。このままじゃ、どちらにしろ殺される。
まあ、殺されるにしても、それでもやっぱり足掻いてから殺されたいよな。無論、死ぬ気はさらさらないけどっ。
『ウォーターボール』
正直言って、攻撃魔法なんて簡単なものしか覚えていない。
今回は魔獣も理解していたのか、着弾の一瞬前水弾を飛び越すように跳躍した。
『風壁!』
こちらに飛びかかろうとしていた魔獣が、風の壁に阻まれ吹き飛ばされる。
あ、危ねえ……。一歩遅ければ死んでいた……。
「でも……魔力消費が激しい……!」
初級のワンランク上の中級魔法は、効果も大きいけど消費魔力もそれに応じて大きい。しかも、この魔法は範囲魔法と呼ばれるものだから……特に魔力消費が大きい。
『ウォーターボール!』
咄嗟とはいえ、今のでかなりの量の魔力を使ってしまった。
本当はしたくないが……節約するしかない。
一番魔力消費の少ない魔法で、魔獣達の足止めをする。
「やっぱり火を使うしか…………っ!」
横かよ!?
いつの間に回り込んだのか、横から飛びかかってきた魔獣の一体を、前に大きく踏み出してギリギリのところで躱す。
「グッ……!」
だが、あまりにも無茶をし過ぎた。
大きく前に飛び出したは良いものの、咄嗟のことで次の足が出ない。
「くそっ…………!」
背負っているエミリアを前に、庇うように抱き締め、そのまま勢いのままに転がって行く。
坂道だったのが、幸いだな……。
だが、いつ止まれるか分かったもんじゃない。
足が折れるのも構わず、右足を滑り落ちる方向に伸ばしてブレーキをかける。
「────っ!!!」
徐々にスピードが落ちていき、やっと止まった。
痛む足を我慢し、辛うじて立って周りを見てみると……。
「おいおい、嘘だろ……?」
魔獣達が、すぐそこからこちらを見ていた。
その内の一匹が、真正面から俺に向かって突進してくるのを、俺は黙って見ることしか出来なかった。
「ガアッ……………!」
そして気がつけば、脇腹から赤い血を吹き出し、俺は崖の上に身を躍らせていた。
坂道の先は、崖だったらしい。
ああ、ヒドイなこりゃ。止まっても、止まらなくても、どっちにしろゲームオーバーじゃねえかよ。
「あ、死んだ」
腹に穴が開いていても、特に痛みはなかった。この数瞬後に訪れる衝撃も怖くなかった。
彼女にその牙が向かなくて良かったと、俺はそれしか考えていなかった。いや、落ちたら二人とも死ぬんだけど。
少なくとも、苦しまなくて済む。
恐怖に怯えて死なずに済む。
「──ああ、なんだ。そういうことかよ」
──ふと、思い出した。
理由は分からない。
高校生だった俺は、気付けば、この世界に赤子として生まれ変わっていたのだ。いや、生まれ変わったというのも違うか。
日本で死んだのか、そうでないのかも分からない状態だ。
……この世界での記憶の話だが、実は、俺に親はいない。
こちらの世界に俺の両親にあたる人物がいなかったということは、やはり俺は転移したのであって、死んだわけではないのか。
元の世界で、俺は行方不明になっているのか、それとも、別の俺が日本で生きているのか。
いや、そもそもあの記憶は本物なのか偽物なのか……。
「まあ、どっちにしろ死ぬんだ」
全て、どうでも良い。
俺が、全てを諦めて目を閉じたその時。
──そう、その時だった。
「大丈夫ですか!」
ああ、その声が、聞こえたのは。