わかりやすい現代語訳シリーズ その1 源氏物語 若紫の巻より 北山へのお忍びの場面
高校生には、源氏物語の原文は難し過ぎます。
わかりやすい現代語訳とくらべながら、原文を見ると、内容がわかり、原文のリズムもわかります。
そういう古典への接し方もあるという一例を提示してみました。
18歳の光源氏が、病気にかかって、いろんなマジナイや、祈祷などもやってみたが、やっぱり効果がなくて、何度も何度も高熱が出るので、ある人が、「北山の◯◯寺に、ありがたい行者がいます。昨年の夏も、この病気がはやって、みなが困っていた時、すぐ治してやったことが何度もありました。病気をこじらせてしまうと大変ですから、すぐ、ためしてごらんなさい」と申しあげた。
そこで、その行者に来てもらおうとしたが、「年のせいで、体が不自由なので、家の外にも出られません」という。
「どうにもならんなぁ。お忍びで行こうか」と、おっしゃって、供にはお気に入りの四、五人だけを連れて、まだ夜も明けないうちから、お出かけになった。行者のいる寺は、かなり山あいを入った所であった。三月の末なので、京都の街中の花は盛りを過ぎていたが、山の花は、まだ満開で、山に入るにつれて、春霞のかかっている風景は、まるで絵のようであった。光源氏は、御身分がら、勝手に出歩くわけにも行かないので、こんな田舎を見るのは初めてで、めずらしがっておられた。
お寺の様子も、大変おもむきがあった。山の上の、ほら穴の奥に、行者はすわっていた。光源氏が、そこへ入って行くと、こちらからは、身分も名前も言わないのに、その上、ひどく粗末な服装でいらっしゃるのに、いかにも高貴な人物だということがわかったらしく、行者は、「ああ、恐れ多いことです。先日、お呼び下さったお方でいらっしゃいましょう。私は、もう、この世のことは気にもしておりませんので、マジナイの仕方も忘れております。どうして、こんな所まで、いらっしゃったのでしょう」と、ひどく驚いた様子ながらも、笑顔で見守っていた。その姿が、とても徳の高い僧に見えた。
行者が、マジナイのフダをつくって、光源氏に飲ませ、お祈りなどしているうちに、日が高くなってきた。ちょっと外へ出てみると、ここは高い所なので、山の下の方に僧房があるのがよく見える。くねくね曲がった坂道の下に、小柴垣の家が何軒もあって、その中で、とくに一軒だけ、ことさらに小柴垣がきれいで、家屋や渡り廊下もきちんとしていて、植え込みも風情のある家があった。
「誰が住んでいるのか」と光源氏が質問すると、お供の一人が、「ここは、◯◯僧都が、ここ二年間、住んでいらっしゃる所でございます」という。
「そんなに、りっぱなお方が住んでおられるのか。あまりに粗末な服装で来たので、こんな姿が、うわさの種になったら困るなあ」と光源氏はおっしゃる。こざっぱりした女の子たちが何人も姿をみせて、水や花を仏様に供える様子も、手に取るようによく見える。
「あの寺には女がいるぞ。◯◯僧都は、決して愛人なんか囲っておく人じゃないのだが。どういう関係の人なのかなあ」と、みな、首をかしげる。中には、坂を少しおりて、のぞきに行く者もいる。そして、「感じのいい娘や、若い女房、召使いの少女たちも見えます」と報告する。
日も長いのに、ひまでしょうがないので、夕暮れ時、ひどく霞がかかっているのをよいことに、光源氏は、あの小柴垣の所に、お出かけになった。他のお供の者は京都にお返しになって、惟光と二人だけで、のぞきを始めた。すると、すぐ目の前の、西側の部屋に仏像を置いて、お参りをしている尼君がいた。すだれを少しあげて、花を供えている。その後、中の柱に寄りかかって、脇息の上に置いたお経を、苦しそうに読んでいる尼君は、なみの身分の人には見えない。四十歳過ぎくらいで、すごく色白で、上品で、やせてはいるが、顔だちは、ふっくらしていて、目もとや、髪をきちんと切りそろえているところも、「長い髪よりも、かえって現代的だなあ」と、しみじみした気持ちで、御覧になる。
いかにも清潔そうな、年配の女房が二人いる。他にも、召使いの少女たちが、見えたり、見えなかったりする。その中に、十歳くらいかなと思われる少女が、しろい下着の上に、山吹がさね(表は薄い枯葉色、裏は黄色)の、体になじんだ上着を着て、走り出て来たのを見ると、その他の少女たちとは全然ちがっていて、成人したら、すごい美人になるだろうと思われるほど、かわいい顔立ちである。髪は扇を広げたようにゆらゆらしているし、顔は、泣きべそをかいたあとが、まだ赤くみえるのに、そのままで立っている。
「どうしたの? ケンカでもしたの? 」と言いながら、尼君がその子を見上げた時、尼君とその子とが、よく似ているように見えた。それで、「この子は尼君の子だな」と、光源氏は思った。
「すずめの子を犬君が逃したの。カゴの中に入れておいたのに」と、とてもくやしそうにしている。その場にいた女房が、「また、あの子が、こんな、叱られるようなことをしでかして、いやになるわねえ。それにしても、すずめは、どこへにげたのかしら。だんだん、かわいくなって来ていたのに。カラスなんかに見つかったら大変よ」と言いながら、立って行く。髪がゆたかで、長くて、感じのいい人である。「少納言の乳母」と人々から呼ばれているこの女房が、どうやら、この子の世話係なのであろう。
尼君は「ああ、なんて子どもっぽいの。どうしょうもないわねえ。私が今日死ぬか、明日死ぬかという状態なのに、気にもしないで、すずめなんか追っかけたりして。……生き物をいじめるのは、仏様からみたら罪になることと、いつも言ってきかせているでしょう。ほんとうに、情けない。こっちへいらっしゃい」という。すると、例の女の子は、すぐ、ちょこんと座った。
顔立ちが、なんとも言えずかわいくて、まゆのところが、かすんだように美しく、子どもっぽく髪をかきあげた時の、額の所や髪の様子が、また、とてもかわいい。「これから、どんなふうにして大人になって行くのか、見守ってみたい子だなあ」と、光源氏は、さっそく目をつけた。そして、そういう気持ちになるのも、実は、「この上なく、お慕い申し上げているあの方(藤壼)に、とてもよく似ているから、自然と目が引きつけられるのだなあ」と、藤壼の女御のことを、つい思い出しては、また、涙をこぼしてしまう。
尼君は、その子の髪をかきなでながら、「くしを入れるのもイヤがるのに、なんときれいな髪の毛だこと。
それにしても、いつまでも、しっかりしてくれないので、それが、とても心配で……………。この年ごろになれば、もっとしっかりした人もいるのに。…………亡くなった姫君(この女の子の母親)も、十歳くらいで父親をなくした時には、もっとしっかりしていましたよ。いま、私が死んで、あなたのことをみてやれなくなったら、あなたは、どうやって生きて行くつもりなのですか? 」と言って、ひどく泣いておられる。その様子を見ていると、光源氏も、なんとなく悲しくなる。
尼君の心が通じたのか、女の子も、尼君の様子をじっと見ていたが、やがて、伏し目になってうつむいた時、顔の前にこぼれかかった髪が、また、なんともいえず、美しかった。
古典に親しむための一手段として、こんなのは、どうでしょうか。