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気にしない精神!

作者: 宮木

「ああもう! 腹立つ!」


 どうしようもない怒りが沸き起こってきたとき、私は誰もいない部屋の中で叫ぶ。

 そうしないと心が崩壊しそうになってしまうのだ。

 溜まりに溜まった悲しみや怒りに、身を滅ぼされそうになってしまう。


 自業自得、そう言われればそれまでだ。悲しみや怒りといった感情を溜め込んできたのは、紛れもない、自分自身なのだから。


 嫌われることを恐れて、己の感情を押さえ込み、多くの人間に媚びへつらってきたのは、自分であるのだから。


 私は最近、常にイライラしている自分が嫌になってきた。

 いい加減、嫌な人間にいちいち腹を立て、ムカムカすることに、疲れたのだ。


 世の中には、善い人間ばかりが存在する訳ではない。

 光があれば必ず影ができるように、この世界には嫌な人間も確かに存在する。


 嫌な人間というのはたとえば、他人のことなんて微塵も考えない自分勝手な人間や、人を見下すことしか考えていない高慢ちきな人間。人に罪をなすりつける人間、権力を振りかざす人間。


 おそらく、この手の人間に悩まされているのは私だけではないと思う。

 彼らは多くの人を怒らせ、悲しませ、苦しませる。


 嫌な人間たちのお陰で、私たちは様々な激情を抑え込まなければならない。

 激情というのはたとえば、黒い欲望。

 私の場合、自己中心的な人間には「ひとりで生きてみろ!」と言いたくなるし、無駄にプライドばかり高い人間を見れば、その鼻っ柱をへし折りたくなる。

 当然、そんなことをする訳にはいかないので、私はその感情を心の奥底にしまっておくことしかできない。

 強い感情ほど抑え込む度に苦しくなるし、どうして私が……と、怒りさえ湧いてくる。


 こんな感じで、私はいつもイライラしっぱなしだった。

 楽しいはずのことも素直に楽しめなかったし、なんだか生きているのが辛くなった。


 そんなときだった。私の心の中に、とある疑問がふわりと生まれたのは。


 私が、彼らに怒り、悲しみ、悩むのは、果たして有効的な時間の使い方なのだろうか。


 嫌な人間にされた嫌なことについて、悶々と考えた1時間。その1時間は他に何に使えただろう。

 嫌な人間に対する復讐の計画を練った1日。その24時間は何に使えただろう。


 ほんのちょっとイラっとした一瞬だけでも、それは私にとって、無駄にしてはいけない一瞬だったのではないか。


 ここにきてやっと私は、嫌な人間に怒り、悲しみ、悩むことの愚かさに気付いた。

 それは少し遅すぎる気付きだった。今までイライラしてきた時間は、なんて無駄だっただろうかと、悔しくさえ思った。

 でも、遅かれ早かれ、気づけたことは良かったと思っている。

 むしろ遅かったからこそ、今まで無駄にした時間をこれから取り返していこうという、前向きな気持ちさえ持てた気がする。


 皆さんご存知の通り、私たちの時間には限りがある。

 でも嫌な人間に対してはムカムカしてしまうし、それによって時間を無駄にしてまうこともしばしばある。

 しかしそれは、実に人間らしい失敗だ。

 いくら歳を重ねても、やはり私たちは人間。感情を完全に抑えることはできない。


 でもやっぱり、私たちが嫌な人間に時間を割いている暇そんなにはない。

 そんなことに時間を費やせる程、私たちの人生は長くはないのだ。


 そこで私は、時間を無駄にしないために、嫌な人間を「気にしない」 という手段をとった。


 彼らのためにもう怒らず、悩まず、悲しまないことを決意した。くだらない人間たちのために、限りある時間を無駄にすることをやめた。

 嫌な人間の嫌な行動に出くわしたら、また馬鹿が馬鹿なことやってんな、と思うようにした。

 これこそタイトルにある通り、「気にしない精神」である。


 気にしない、ことはなんだか卑怯なことのように思えるかもしれない。現実から目をそらしているようだし、他人を切り捨てる民選思想に通じるものを感じる。正義感が強い人ほどそう思ってしまう。でも私が思うに、「気にしない」は決して逃げることと同じではない。


 現実から目をそらしているのではなく、現実をしっかりと見ていながらも、それをスルーしているのだ。


 他人を切り捨てている訳ではなく、その存在を認めながらも、「嫌な行動を」スルーしているのだ。


「気にしない」ことは決して逃げではない。

 むしろ自分の人生を楽しむための術である。


 人生はたった一度きりだ。


 それはほんのちょっと何かがずれていたら、手に入らなかった一種の奇跡である。


 父と母が出逢わなかったら、今の私はない。

 もっと言えば祖父と祖母、曽祖父と曽祖母も。


 私たちが今、当たり前のように手にしている人生は、奇跡とも呼べる、彼らからの贈り物であるのだ。


 愚かな人間の愚かな行動を気にせず、生きていこう。

 自分が幸せだ、最高だ、と思えるような人生にしよう。


 浴びせかけられた酷い言葉や、してやられたことなんて忘れちまえ。

 あなたの無実はみんな知ってるから。


 さあ、歩み出せ。


 あなたの人生は、あなたにしか歩めない。








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― 新着の感想 ―
[良い点] 軽快で読みやすく、最後の一文にとても力強さを感じました。 [一言] 人に気に入られようと頑張っていればいるほど、相手が自己中心的であったり、思うように行動してくれなかったりすることにイライ…
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