ケイトと謎の人物9
翌日。
サンドバッグはいつも通り、学園のSKエリアの端っこに座っていた。
結局、本体に言わなかったので、バインドシールの呪縛はかかったまま。
あぐらをかいたまま、身動きできないサンドバッグを、後ろから声をかける者がいた。
「サドさん、おはようございます」
「……はよ」
ケイトだ。
彼女は男の何か言いたげな視線を無視し、分かりました、と指を突き付けた。
エウレーカである。
「わたしが、トキワさんのこと嫌いな理由、分かりました!」
「ほお。そりゃあ、めでたいな」
「昨日、帰っていく途中で思い出したんです。わたし、もともとはトキワさんのこと、かっこいいなあって思ってたんですけど、あの日……」
「ちょっとストップ。その話、なげーの?」
「まあまあ長いです」
「昼飯食べてからにしようぜ」
「大丈夫です。わたし、今日三時限目ないので」
お昼のあとにあった三時限目は、支援課全員が受ける座学の授業だ。
先生は、保健室のクラレンス・ポリマー。
重体の患者がいるので、保健室から離れられそうにない、と判断したのだ。
ちなみに、その患者というのは、ジョージア先生。
気丈に学校に出てきたのはいいが、授業中に倒れ保健室に連れてかれた。
ケイトが内心ほっとしたのは内緒である。
「それでですねえ」
「ふんふん」
「ということがありまして」
「ほー」
「そこでですね、しかと気づいたのです」
「うんうん、気付いたのね」
「この人、あんまりいい人じゃないなって」
ケイトの独白に、男は息をつまらせる。
笑うべきか、吹き出すべきか、迷ったのだ。
どんな勘違いをやらかしたら、あいつがいい人に見えるんだ?
いや、違うな。初めからすべての人間はいい人であると思い込んでいるんだ。
いわば、性善説。
付き合う人を疑って暮らすのはつらいから、いい人だと仮定して仲良くなるのだ。
「だって、わたしの住所なんか、犯罪まがいの手段で手に入れてたんですよ!?」
「だいたい想像はつくが。なんだ、名簿でも覗かれたか」
「そうです。先生しか見られない資料をあさった、って言ってました」
「それは犯罪まがいじゃなくて、犯罪そのものだな」
男はのんびりと会話を交わす。
必要なら自分もそうするだろうと思いながら、ちらりと視線の元を見る。
ここでは斧戦士と呼ばれる彼は、愛しい彼女に夢中で、こっちを見てないようだ。
視線を外して、ケイトのほうを見た。
こっちの彼女は、まだあいつに対する愚痴を言い続けている。
小声で。
もしも、この声が全部あいつに届いていると知ったら、どんな顔をするだろうか。
きっとおもしろい結果になるに違いない。
わくわくし始めた心を抑制し、いい加減、続きを促す。
「で、決定的瞬間は、その犯罪行為が暴露されたときだったのか?」
「それもありますけど、あの人、何もないところを掴んで降りたんです」
「そんなざっくり言われても分かるわけないだろ。ちゃんと詳細を、初めから最後まで説明するもんだぜ」
「むっ。これからするつもりでしたよ!」
「はいはい、つもりね、つもり。怒ってないで、詳細をお兄さんに教えなさい」
お兄さんとか言っちゃう、成人男性である。
若く見られたい、その願望の底にあるのは実年齢の高さか。
「説明が難しいんですけど、中央図書館の屋根から降りるとき、窓の桟とかじゃなくて、空中を掴んで、ワンクッション置いて降りて来たんです」
「……オレじゃなかったら、そんな与太話誰が信じるかっていうところだけど、まあ、あいつなら普通にやるでしょ。オレだってたぶんできるし?」
「あー。やっぱり達人だと普通みたいな感じなんですね」
「ちょい、後半にもなんかコメントして」
「後半? なんか言ってましたっけ?」
「……べ、別に悲しくなんかねーし。オレは僻んでなんかないし」
膝を抱えたくなった男である。
しかし、鍛えた身体はしょんぼりしても似合わないし、そもそもバインドシールがかかっているから動けない。男は涙も拭けず、ただ震えた。
一方、ケイトはそれを気持ち悪そうに見ていた。
「もういいですか? その嘘泣き」
「よく……嘘泣きと見破ったな!」
「あれ、ほんとに泣いてたんですか?」
「別に気にしてないし」




