08 裏の顔
さらさらと優しいさざなみが耳を打つ。
岸まで残り五十メートルと迫った頃、沖に佇む一隻のカラベルに目を遣りながら、エマが何気なく呟いた。
「一体どういうつもりかしらね」
それに対し、隣の少年は至極どうでもいいような口調で答える。
「さあな。何にしても、わざわざ面倒事を引き受けてくれるって言うんだ。ありがたいことじゃないか」
「そう、問題はそこなのよ。事後処理なんて、何の利益も出ないでしょうに」
思考の海に潜ろうとしていたエマに、ジンがぽつりと一言。
「もし、あの海賊と《青海の番人》が繋がっていて」
「え」
さっと顔を上げるエマ。その視線はジンの二の句を待っている。
「何かしらの理由で、俺たちをあの場から遠ざけなければならなかったとしたら」
「まさか、そんな……!」
瞬きを忘れ、固まる少女。それほどまでに、彼が口にした内容は衝撃的だったのだ。
場に変な空気が流れ、ジンは堪らず言い繕う。
「たく、そんな真に受けるなよな。もしって言ってんじゃんか」
「えっ、あ、ああ、そうよね。ごめんなさい。そんなことあるわけないのにね」
我に返り、ほっとした表情を浮かべるエマ。取り敢えず、ジンも一安心である。
「まぁこのことに関しては、深く追求しないようにしよう。やっかいなことに巻き込まれるのも御免だしな」
「そうね。気にしても仕方ないしね」
エマは吹っ切れたように海岸に目を向ける。乱れる髪を片手で抑えているその姿は、異性であるならばドキッとせずにはいられないほどフェミニンな雰囲気を漂わせていた。
とは言え、長い付き合いであるジンが今更そんな感情を抱くわけもない。彼はエマを横目に柔和な笑みを浮かべると、そっと左拳を差し出す。
「じゃあ、これにて」
それを合図にするかのように、エマも右拳を差し出し、ジンのそれにあてがう。
「ええ、これにて」
二人はくっ付けあった拳を軽く押し合い、息を合わせて高らかに叫ぶ。
「「依頼完了!」」
そんなこんなで、二人と一匹は、もう間もなく岸に辿り着こうとしていた。
一方その頃。
沖に佇む一隻のカラベル、その船尾楼では海から引き上げられた海賊団の頭が、《青海の番人》により鉄槌を下されていた。とは言え、それは正義の味方が悪を懲らしめる時のそれではない。
「さあ、聞かせてもらおうか、アズーイ船長。例のあれはどうした?」
片手で胸ぐらを掴まれ、軽々と持ち上げられるアズーイという男。その顔には恐怖と焦りが色濃く出ていた。
「す、すまねぇ。どうやらさっきの奴らに船を壊された時、運悪く逃げられちまったみたいだ」
「ほう」
鉄槌を下す側は、腕に込める力を強める。
「やってくれたな、貴様。あれは今度のオークションで目玉商品となるはずだった代物だぞ。この落とし前、どうつけるつもりだ!」
「ぐ、ぐるじい……」
首を締めあげられ、アズーイは呼吸するのも困難な状態。このままでは殺しかねない。
それを見兼ねた残りの《青海の番人》の面々は、仲間の気を落ち着かせようと声をかける。
「そこまでにしておけ、レスタ。それ以上は無意味だ」
「うむ。それより奴はまだ遠くには逃げていないはず。早く探し出さねば」
その言葉に感化されたのか、レスタと呼ばれる茶髪の男はアズーイを解放する。
「それもそうだ。貴様らのような能無しに構っている暇はない。どこへでも勝手に行きやがれ」
レスタは踵を返し、上甲板へと移動しようとする。しかし、ここまで虚仮にされて海賊という人種が黙っていられるはずもなく――
「テメェ、こっちが下手に出ていりゃいい気になりやがって! ぶっ殺してやる!」
尻もちをついていたアズーイは立ち上がると、その左手のフックでレスタに襲いかかる。
だが、そこはさすがの《青海の番人》。咄嗟のことにも拘わらず、見事アズーイの攻撃を剣で受け止めて見せたのだ。
「不意打ちとは、さすがは海賊。やることが汚いな」
「ふん、貴様らのような善人ぶった悪党にだけは言われたくはないわ!」
剣とフックの応酬。金属が激しくぶつかり合う音が響き、その壮絶な戦いを派手に演出する。
「残念だよ、アズーイ船長。あなたとは良い関係を築けると思っていたのに」
次第にレスタの手数が増え、アズーイが後手に回り始める。
「くっ、なんて重い剣だ……!」
「当り前だ。鍛え方が違う」
いつの間にか、デッキの手すり際まで追い込まれていたアズーイ。
万事休すとはまさにこのことである。
「くそったれが!」
アズーイは腰に巻いたホルスターから拳銃を抜き、目の前の男に向かってぶっぱなそうとする。しかし、それを許すレスタではない。彼は瞬時にアズーイの右手を斬り落とすと、とどめの一撃と言わんばかりに、両手で剣に力を込め、奴の腹に突き刺した。
「海賊風情が、我々に逆らうからこうなる」
言い放つと同時に、豪快に剣を抜く。血しぶきを撒き散らし、アズーイは力なく手すりの向こう側へと消えていった。
一悶着を終えたレスタは剣を払い、その刃についた血を落としてから鞘に収める。
「終わったか?」
仲間からの呼びかけに「問題ない」と答え、レスタは彼らに歩み寄る。
「よし。では、いくぞ。ぐずぐずしている暇はない」
「左様。ボスのお怒りを買う前に、何としても見つけ出すのだ」
レスタは真剣な表情を浮かべ、確認を込めてこう告げる。
「ターゲットは――伝説の人魚姫・ネグリティア・ココ。失敗は断じて許されない」