07 青海の番人
他所の者が、ここアステリアに赴く場合の交通手段は以下の二つ。
一つは海列車。アステリアの正面入り口に構える【ブルースカイステーション】と大陸の港湾都市・ヘススポリカは一つの線路で繋がっており、観光客や大陸のお偉いさん方は主にこちらを利用する。
そしてもう一つの交通手段は言わずもがな、船だ。母なる海に囲まれているだけあって、東のヴァランガ、北のジャンパオロ、西のロレンツォ、南のパスティーラと、どの地区に於いても停泊することができる岬が設けられており、常日頃から人や物が大量に行き来している。
しかし、必ずしも岬にやってくる船が正規のルートを踏んでいるとは限らない。特にこのヴァランガ地区の岬に関しては港湾施設及び海岸保全施設の整備が遅れているため物流・旅客輸送に使われることはまずない。訪れるのは精々お尋ね者の海賊くらい。そう、今みたいに――
「でっかい船ね。あれ、何て言うの?」
岸に立ったエマが遠くを見据えながらそう言った。それに対し、隣の少年は端的に返す。
「あれはガレオン船って言うんだ。速度と戦闘力に特化した軍艦だな。甲板を多層化して大量の砲弾を装備していることもあって、砲撃戦に於いては無類の強さを発揮する。かの有名な大海賊、シャ―ロッテ・ビィ・クラウスの愛船――ブラック・スパム号もこれに該当し、そのあまりの火力から『無敵戦艦』と称された」
その人の名前は聞いたことがある。確か、海賊黄金時代を築いてきた一人だ。幾つもの海を渡り、ありとあらゆる財宝を手中に収めた伝説の海賊。十年前に不治の病に侵され他界したが、今も尚、最強の一角として人々の心の中に深く根付いている。
「なるほどね~。じゃあ、用心していかないとだ」
「まぁそれに越したことはないけど、俺たちなら何の問題もないだろう。一気に方を付けるぞ」
相棒からの頼もしい一言に、エマは満面の笑みを湛えて敬礼する。
「らじゃ!」
そのまま彼女は上げた手を口にもっていき、ピィーっと甲高い音を鳴らす。周辺の海に音が浸透する。それから数秒後、何やら大きな黒い影が岸に向かって近づいてきた。やがて水中からぴょこんと丸みを帯びた角部が飛び出し、岸の手前で一気にその姿を露わにする。
「ティィ~~~~~~~ン!!」
全長五メートルはあろうか。長い首、つぶらな瞳、綺麗な水色の皮膚、幅広く扁平な胴体。その容姿はまさに、蛇首が付いた亀だった。
ともすると化け物であるそいつに、しかしエマたちが怯える素振りはない。寧ろ彼女は親しみを込めてこう呼びかける。
「テッピィー、お願い。私たちをあの海賊船の傍まで連れて行ってちょうだい」
「ティィ~~~~~~~ン♪」
可愛らしい鳴き声を発し、ティッピーと呼ばれるそいつは嬉々として背中を指し出す。それを受け、ジンとエマは慣れた手つきで飛び乗った。
「さあ、ティッピー、出発進行よ!」
エマからの呼びかけに頷きを示すと、ティッピーはさっそく沖へと進みだした。
潮の香りが鼻腔を突く。決して早すぎず、遅すぎもせず。心地よい風が頬を嬲り、海をより近くに感じることができる。
「これが終わったらご褒美にサンドイッチあげるからね、ティッピー」
「ティィ~~~~~~~ン♪」
大好物に心躍らせるティッピー。そのやり取りは、どこからどう見ても飼い主とペットそのものである。
そもそも、エマとティッピーの出会いは三か月前。
アステリアの近くを群遊中、突然の嵐に遭い、岸に打ち上げられたティッピー。怪我を負い、体力を消耗していたティッピーを助けたのが、何を隠そうエマなのである。彼女の献身的なケアに心打たれたティッピーは、怪我が治った後もこのアステリア近海に留まり、こうしてエマたちの仕事のお手伝いをしているのである。
「さあ、目標はすぐそこよ! ジン、準備を!」
促され、夜闇の瞳の少年は、その長めの黒髪を靡かせながら背中に手を回し、愛剣――黒刀を抜き放った。
「な、なんだ、あれは!?」
「首長竜だ! 総員、迎撃態勢を取れ!」
ガレオン船まで残り五十メートル。ここへきて、海賊たちもこちらの動きに気付いたようだ。乗組員たちは速やかに自分の持ち場に就くと、ティッピーを仕留めようと砲口を向ける。
「撃て!」
リーダー格らしき人物の合図で、まずは一撃。強力な船首砲が対象者目掛けて放たれた。
だが、これにあたふたするジンではない。
「ティッピー、頭借りるぞ」
そう言って、ティッピーの頭を土台にして空中に身を躍らせると、ジンは剣を逆さに持ち、体の中心で構えた。余計な技は何も要らない。ただ単純に、来た弾に剣をあてがうだけ。
スパッ、バコォォォン!
見事、真っ二つにスライスされた黒い弾丸は、ティッピーたちから逸れる形で海に着水した。
「な、何だあいつ!?」
悠然と首長竜の背中に着地するジンを視認して、海賊たちは驚きを露わにする。まあ無理もない話だ。砲弾を剣で切るなんて、そんな離れ業、中々お目にかかれることではないのだから。
「せ、船長。どうしますか?」
「ええい、狼狽えるな! 撃って撃って撃ちまくれ!」
左手に付けた黄金のフックを前に翳し、船長である男はクルーたちを鼓舞する。それに伴い鬨の声が上がり、砲弾の雨がジンたちへと降り注がれる。
「ジン、今度は私が。ごめん、ティッピー。少し頭を下げていてくれるかしら」
「ティン!」
エマは腰にぶら下げた剣の柄に手をかける。
「手数で圧倒しようなんて思わないことね」
得意げに笑うと、エマは鞘から金色の聖剣を抜きはらう。その軌跡から数多もの光り輝く物体が飛び散り、空中で砲弾の行く手を塞ぐ。
ドカンッ! ドカンッ! ドカンッ! ドカンッ!
聖剣――それは、一振りで幾千の星屑をまき散らす聖なる剣。
ある時は敵の体を穿つ矛として、そしてある時は敵の攻撃から身を守る盾として。瞬く星たちは剣者の心の呼びかけに応え、縦横無尽に宙を駆け巡る。
【星屑乱舞】――これこそ、聖剣を手にするエマのみに許された特殊剣撃である。
「船長! ダメです、届きません!」
撃てども撃てども空中で爆散してしまう砲弾に、クルーたちは為す術なしといった状況。
船長である男は「ぐぬぬ……」と歯噛みすると、やむを得ないと言わんばかりにこう叫ぶ。
「攻撃は止めだ! 全員、逃げることのみを考えろ!」
呼びかけを受け、クルーたちは甲板の上を慌ただしく走り回る。だが、中には得心いかない者もいるようで――
「キャプテンいいんですか!? あのような連中に背を向けるなど、アズーイ海賊団の名が廃りますぞ!」
口周りに髭を蓄えたリーダー格の男が、悔しそうな面持ちで問いかける。彼は一端の海賊として、そして一人の男として、勝負を途中で投げ出すことなどしたくなかったのだ。
しかし、悲しいかな。その思いが船長に届くことはない。
「構うものか! 我々が今優先すべきことは、あれを無事奴らのもとに届けることだ」
有無を言わさぬ一言に、髭の男はそれ以上何も言えずに下がっていく。
「急げ、野郎ども! 奴らの追随を許すな! 面舵いっぱい!」
「イエッサー! 面舵いっぱ~い!」
舵を握る操縦士が無我夢中で操舵輪を回す。
船は右方向に旋回し、ティッピーたちに左舷を見せる形で遠ざかっていく。
その素早い行動は目を見張るものがあるが、でもだからといって見す見す獲物を逃がすほどジンたちは甘くはない。
「ふん、逃げ切れると思うなよ」
ジンは両手で剣を高く振り上げ、天を一刀両断。剣先から全てを無に帰す漆黒の斬撃が放たれ、それは海面を伝い、巨大ガレオン船に突き刺さった。
「「「ぎゃああああああああああ!!」」」
船が真っ二つに割れ、乗っていた海賊たちは足場を失い海に放り出される。
まるで翼をもがれた鳥の如く、海の上で手足をばたつかせる海賊たち。逃げる術を失った彼らに残されたのは、絶望という二文字のみ。
「――観念しろ。市民の安全を脅かす謀反人ども。貴様ら悪名高き海賊がのさばっていては、市民は恐怖と不安で夜もおちおち眠れやしない。ここは神聖なる水の都、アステリア。俺たちがいる限り、貴様ら社会のゴミに好き勝手はさせない。断じてだ」
そう言い放つのは、首長竜の背中で仁王立ちする一人の少年。隣には、厳粛なオーラを放つ少女の姿もある。
「くっ、貴様ら……一体何者だ!」
怒鳴り散らす船長とは裏腹に、エマはすました表情を浮かべるのみ。
「海賊狩りよ。もっとも、ギルドには所属していないけどね」
「そういうことだ。分かったら神妙にお縄につけ、海賊ども。さもなくば――」
脅しのため、ジンは再び剣に手をかけようとする。だがその時、北の方角から一隻のカラベルが近づいてきているのを視界の端に捉えた。
「そこまでだ!」
船首に佇むのは、奇妙な仮面をつけた三人の屈強な大男たち。お揃いの黒鉄鎧に紺色の戦闘服。その胸には特徴的な武器――三叉の矛・トリアイナの印章が施されている。
間違いない。彼らこそ、アステリア五大ギルドの一つであるところの――
「あんたら《青海の番人》の連中だな? 言っておくが、こいつらは俺たちの獲物だ。手出しすることは許さん」
威嚇するように睨みつけるも、男たちが怯む素振りはない。三人は互いに目配せし合うと、代表して真ん中に立っていた男が仮面を取る。右目の下に切り傷を持つ男だった。
「勘違いするな。我々はたまたま通りかかっただけで、別にお前たちの獲物を横取りしにきたわけではない」
「ふ~ん、たまたまねぇ……。で、そんなあんたらが俺たちに一体何の用?」
「私が言いたいことは一つ。既に戦意を失っている者に剣を向けることは、剣士として恥ずべきことだ。それがたとえ、アステリアの平和を脅かす無法者だとしても」
「あっ!? 何かと思えば説教かよ。あんたら、一体何様のつも――」
「ごめんなさい! この人には後できつ~く言って聞かせますので、今回のところはどうか見逃してくださいませ!」
ジンの頭を力尽くで押さえつけ、謝罪のポーズを取らせるエマ。自身も同じように頭を下げると、依然として抵抗を見せる彼の耳元でひそひそと囁く。
「我慢して、ジン。相手はあの五大ギルドよ。敵に回していいことなんか何一つないんだから」
エマの言う通りだ。王族や市長がいないこの地では、五大ギルドの頭首たちの意向こそが全て。それすなわち、彼らの部下にあたる人物たちも、それ相応の権力を握っているということに他ならない。
それが分からないジンでもなかろう。
彼は諦めたように小さく嘆息すると、エマの手を退け、ゆっくりと頭を上げる。
「すいませんでした。以後、気を付けます」
「分かればよい。時に少年よ。今回の件、事後処理は我々《青海の番人》に任せてはもらえないだろうか? もちろん、手柄を奪うような真似はしない」
「それは別に構わないが……」
思わずエマと顔を見合わせる。二人とも、その言葉に込められた意味を理解しかねていた。
「では、そういうことでよろしく頼む。二人とも、この度の働きご苦労だったぞ」
そう言われれば、最早立ち去るしか他ない。
エマから合図を受け、ティッピーはすぐさま岸へと引き返すのであった。