06 朝のひと時
朝の陽光に照らされ、少女の瞼がピクリと動く。
「ん、んん……」
お天道様からの起床命令に抗うようにして、少女は体を丸めて縮こまる。何だか体がすっごく重い感じがして、ベッドから起き上がりたくない気分だった。
「…………」
現実と夢の狭間を行き来する少女。すると、ふと優し気な囁き声が聴覚をくすぐった。
「エマ、もう朝だぞ。そろそろ起きな」
続いて、ゆさゆさ揺れる感覚が体を伝う。その心地よい刺激を受け、金色の綺麗な髪の少女――エマ・ブランカはゆっくりと目を覚ました。
「……う、うぅん」
真っ先に視界に入ってきたのは、黒曜石のような炯々たる瞳を持つ少年だった。その見慣れた顔を見て我知らず安心感を覚えるエマであったが、次の瞬間にはそれを掻き消すかのように昨日の出来事がフラッシュバックしてきて、心臓がドキンと跳ねる。
「ジ、ジン!」
びっくりして勢いよく起き上がる。
期待を裏切らないエマの反応に、ベッドの脇に立つジンは申し訳なさそうにこう告げる。
「あ、あのさ。昨日は悪かったな。いきなりあんなことして」
「う、ううん。別に、それは気にしてないから。ただ、ちょっとびっくりしただけ……」
枕で顔半分を隠しながら、恥ずかしそうにこちらを見詰めてくるエマ。とても気にしていない風には見えないが、まぁ本人がそう言うなら敢えて話をややこしくする必要もないだろう。
「そか。なら、そういうことにさせてもらうな」
「うん」
こくりと頷くエマに、ジンは柔和な笑みを見せる。
「朝食できているからさ。着替えて顔洗ったらリビング集合な」
「あ、ごめん。私がお寝坊しちゃったせいで……」
「いいよ。家事も分担していかなきゃ。エマばかりに負担はかけられないし」
そう言ってジンが寝室から出ていった後、エマは暫くの間、枕に顔を埋めながらバタバタと身悶えていたのであった。
朝食を済ませると、例の如く子供たちは各々の遊びに精を出す。
リオンとシンクは庭で球遊び。エイミーとクリスタはアリスの子守も兼ねてお飯事。そんな子供たちのことを微笑ましい眼差しで見守っているジンとエマ。これが孤児院の日常だ。
基本的にジンたちの仕事は依頼が舞い込んできて初めて成立する。なので幸か不幸か、街が平和な時に限っては今みたいに昼間っからリビングで紅茶を片手にくつろぐこともざらなのだ。
「――そう言えばエマ。話があるんだけど」
「え、なに?」
突然そんなことを言われ、エマは手に持っていたコーヒーカップをソーサーの上に載せる。実に礼儀正しい所作である。
「そこまで畏まる話ではないんだけどさ。もし、もしだぞ。三百万バイカ手に入るとしたら、エマは何が欲しい?」
随分妄想染みた話ではあったが、存外こういうのって盛り上がったりするもんだ。
「そうねぇ、三百万かぁ……」
暫し考えた後、エマは室内を見渡しながら言った。
「やっぱり、この孤児院の改修かしらね。至る所ボロボロだし、今後も住んでいくつもりなら、どこかのタイミングで必要になってくると思うから」
「あ~、言われてみればな」
天国に旅立ったラディックさん曰く、この孤児院は築百年の年季が入ったオンボロ屋敷だ。雨の日は雨漏りも酷いし、台風の時はガタガタと揺れる。エマの言う通り、確かに、いの一番にどうにかしなければならない事案といっても過言ではない。
「実を言うとね。今少しずつだけど、改修工事のための資金、コツコツ貯めているんだよ」
「え、そうなのか?」
「うん。言ってなかったけど、仕事の報酬の何割かはそっちに回してるから。あ、でも安心してね。ちゃんとやりくりして、生活には支障をきたさないようにしているから」
思わず感嘆のため息が漏れてしまう。
感謝してもしきれない。そんな想いが、ジンには確かにあった。
「エマは本当にできた女だな。俺、お前がいてくれて本当に良かったよ」
「な、なに言ってるの!? もう、いきなり変なこと言うのやめてよ……」
顔を朱に染めながら、自身の艶やかな髪を撫でつけるエマ。突然の様変わりに、ジンは頭の上にクエスチョンマークを浮かべるばかりだ。
「そ、そう言えば! なんでこんな話したの? なにか理由があるんでしょ?」
無理やり話を引き戻すエマ。ジンとしても妙な居心地の悪さを感じていただけに、これに乗らない手はない。
「それなんだけど、実は昨夜、エマたちがお風呂に入っている間にロイクがやってきてさ――」
一通り話をしてやると、エマは「なるほどねぇ」と呟きながらソファに深く背を預けた。
「確かに魅力的な話ね。名声とかは興味ないけど、三百万バイカも手に入れば生活は今よりも大分楽になるだろうし」
「だろ? まぁ、サクッと優勝して賞金ゲットしてきてやるよ」
「たく、調子に乗り過ぎないようにね」
一応釘を刺しておいてから、エマはカップに入った紅茶を啜る。
「あら、いつの間にか冷めちゃってるわね。ちょっと待ってて。今、温め直すから」
二人分のカップを持ち、台所へ向かおうとするエマ。だが、そんな彼女に待ったがかかる。
「「ジンにぃ、エマねぇ! おしごとのいらいだよ!」」
勢いよく玄関の扉を開け放ったのは、お外で遊んでいたリオンとシンクだ。その後ろから、ぜぇぜぇと息を切らしながら、中年太りした男がそそくさと姿を見せる。
「海賊だ! 沖に海賊船が現れた! 頼む、上陸前に何とかしてくれ!」
言葉からも異常な焦りがひしぎしと伝わってくる。エマは手に持ったカップをテーブルに戻し、身支度のため部屋の奥へと消えた。一方のジンは、玄関口にあるコートハンガーからいつもの黒コートを手に取り羽織ると、リオンとシンクにこう呼びかける。
「じゃあいってくるから、いつものようにアリスたちをよろしくな」
「「まかせて!」」
力強く頷く子供たちに、ジンは軽くサムズアップして見せた。