02 帰路
「それでは、よろしくお願いします」
長い金色の髪を上下に揺らしながら、エマが深々とお辞儀をして見せた。今、彼女がいる場所は店前の河川岸であり、そのすぐ手前には小型の水上バスが止まっている。
「ああ。そちらこそ、ご苦労であった」
輸送ギルド《水上の馴鹿》のメンバーである中年男性は、軽く手を上げて応えると、ジョルディーノとその一味を乗せたバスを発進させ、アステリアから少し離れた孤島「バルベルト大監獄」へと向かって行った。
「――さて」
小さな身体を背伸びさせてから、エマがくるっと振り返った。
「帰ろっか、ジン」
名前を呼ばれ、酒場の壁に打ち掛かっていた細身の少年が応答する。
「ああ。マスターから報酬も貰ったことだし、もうここに留まる理由はないしな」
ジンは壁から離れ、長いブラックコートをはためかせながら歩き出す。
「あっ、ちょっと待ってよ!」
エマはとことこと後を追いかけ、ジンの隣に並ぶ。二人の身長差はおよそ十五センチ。必然的に、エマは少し見上げながら話しかけることになる。
「あの店員さん、ジンにすごく感謝してたね」
「まあ、寸前の所だったからな。間に合って良かったよ」
前方を見ながら素っ気なく返答するジンに、エマは「うんうん」と感慨深そうに頷く。
「ああいうので心に傷を負っちゃうと、立ち直れなくなる人も多いからね。一応、マスターにはアフターケアをしっかりするよう言ってきたけど、店員さんのあの様子なら大丈夫そう」
深みのある柔らかな声に、ジンが朗らかな笑みを見せる。
「エマは優しいな。このご時世、他人のためにそこまで考えられる人は中々いないと思うぞ」
彼の視線を受け取ると、黄色と青を基調としたブレストアーマーを装備した矮躯の少女は、頬を真っ赤に染め上げる。
「べ、べつに普通のことだよ。同じ女性として、放っておけないと思っただけ」
「そっか。なら、そういうことにしておくよ」
微笑を湛えながら、ジンは再び視線を前に戻す。
暫し無言の時間。
迷路のように狭くて曲がりくねった路地や通りが多いアステリア。
建物は大量の丸太の杭を打ち込み、それを土台に建設されており、玄関は運河に面しているものが多い。
今、二人が歩いているこの辺りも、小さな民家が所狭しと建ち並んでおり、窓からは淡いオレンジ色の光が漏れてきていた。
「…………」
パトロールも兼ねて、注意深く辺りを窺っているジン。すると、
「――ねぇ」
と、唐突にエマが口を開いた。ジンは何事かと、声が聞こえた方に振り向く。
「ん?」
「もしさ、私が男の人に、さっきみたいなことされていたら、どうする?」
その質問の意図するところは読み取れなかったが、ジンは即答することにした。
「まず間違いなく、そいつを殺す」
「ふ~ん。それから?」
「そ、それからっ!?」
まさかの返しに、言葉に詰まるジン。自然と、歩くスピードも落ちていた。
「傷ついた私に、ジンは一体何をしてくれるの?」
随分生々しい話だった。ジンは首を何度か横に振り、
「よしてくれ。そんなこと考えたくもない」
「例えばじゃん。た・と・え・ば!」
予想以上にしつこかったからか、ジンは立ち止まり、強めの口調で告げる。
「エマ、例えばでもそんなことは絶対に言うな。お前のことを大切に思っている人が悲しむだけだ」
次の瞬間、黄色の膝下丈ブーツの「コツコツ」と地面を叩く音が止まった。
「ごめん、そうだよね……」
叱られた子供のように肩を窄めているエマ。
一方のジンはというと、そこまで落ち込まれるとは思ってもいなかったのか、困ったように頬を掻いていた。
「大体、お前には俺がついているだろ。だから、絶対にそういうことは起こらないし、起こさせない」
ばつが悪そうに明後日の方向を向いているジンを、エマはまじまじと見詰める。
「な、なんだよ?」
「うぅん。ただ、カッコいいなぁと思っただけ」
「そ、そりゃどうも……」
二人の間に微妙な空気が流れる。
それを嫌ってか、ジンはコートのポケットに両手を突っ込みながら「さて」と切り出す。
「そろそろ急ごうぜ。あいつらも腹空かせて待ってるだろうし」
「そうね。アリスあたりはもう寝ちゃってるかも」
「はは、違いない」
ジンとエマは互いに微笑み合い、早足で歩き出した。