01 海賊狩り
ジャンパオロ地区とヴァランガ地区の境界線。
グラン・ジガルデに面した、とある酒場。
そこに、本日の犠牲者たちはいた。
「だはははははははっ!」
典型的な海賊衣装に身を包んだ男が、下卑た笑い声を上げる。
「酒だっ! 追加で酒を持ってこいっ!」
「おい、店員! ジョルディーノ様が酒をご所望だ! とっとと持ってこい!」
店内の真ん中に鎮座する丸テーブルを囲んでいる七人の海賊たち。その中でも、一際傍若無人な振る舞いを見せている人物こそが、この海賊団の船長・ジョルディーノである。
「あ、あの……」
二十代前半ぐらいだろうか、この酒場の店員である女性が申し訳なさそうな、ともすれば怯えているような面持ちでゆっくりと海賊たちが座っている席に近づいていく。
「大変申し訳ないのですが、本日はもうお酒を切らしてしまいまして……」
「あァ!?」
頭に赤いバンダナを巻いたジョルディーノの部下が威勢よく立ち上がる。そのまま汚い髭面を女性店員に近づけていき、威嚇するように覗き込む。
「ここは酒場だよな? 酒がねぇなんていうのは、おかしな話だろ、おいっ!」
「そ、そう言われましても、本日分の在庫は、今しがたお客様方が全て……」
店員は足を竦ませながらも、できる限り主張して見せた。
だが、そんなことで「海賊」という人種が納得するわけもなく――
「じゃあなんだ? 俺たちのせいで酒が切れたから、今日はもう商売ができない。だから帰れとでも言いたいわけか?」
「そ、そんなことは言ってないです! 私はただ――」
「ねぇちゃん」
店員の言葉を遮り、ジョルディーノが会話に割って入る。
「俺はまだまだ酒が飲みたいんだが、そっちの都合でそれは叶わない。そういうことだな?」
「……はい」
理不尽極まりないと思いつつも、店員は小さく頷いて見せた。それだけ、ジョルディーノには有無を言わさぬ迫力があったのだ。
「じゃあ、今何をするべきか分かっているよな?」
問われ、店員は一瞬逡巡した後、すぐに深々と頭を下げた。
「この度は、大変申し訳ございませんでした……」
形だけの謝罪を聞いたジョルディーノは、首を左右に振る。
「そうじゃねぇ。俺が求めているのは――」
言葉を切り、ジョルディーノは気味の悪い笑みを浮かべながら立ち上がった。
そして、未だ尚頭を下げている女性の髪を鷲掴みにし、強引に顔を上げさせる。
「ねぇちゃん、あんたいいもん持ってんじゃねぇか。俺の酒を飲みたいという欲求を上書きするには十分過ぎる代物だ」
嘗め回すような視線が全身を嬲り、ようやく店員は理解したようだ。この後、自分が彼らに何をされるのかということを。
「……い、いや、やめて!」
小さな抵抗を見せるが、ジョルディーノはお構いなしに店員の上着の中に手を入れていく。
「お、お客様、当店はそういったサービスは行っておりま――」
急いで店の奥から駆け出してきた店主らしき人物が、ジョルディーノの部下に弾き飛ばされる。この場は完全に海賊たちの独擅場になっていた。
「いいねぇ~その顔、たまんねぇ~」
店員は半ば諦めたように、ジョルディーノにされるがままの状態になっている。目を強く瞑り必死に堪えている姿は、見ていて心に痛い。
「さて、そろそろ……」
言うと、ジョルディーノの右手が徐々に下がっていく。
「――ッ!? いやっ!! それだけはやめて!!」
店員が今日一番の大きな声を上げた、その時だった――。
キィィ、と勝手が悪いドアが開かれ、漆黒の闇を彷彿とさせる少年と、眩い金色の光を放つ少女が姿を現したのだ。彼らこそ、ここヴァランガ地区の守り神と言っても過言ではない二人組「海賊狩りのジンとエマ」である。
「……合計七人か。意外に少ないな」
「そうね、拍子抜けだわ」
二人がぼそぼそと言葉を交わしあっている間に、先ほどの赤いバンダナを巻いた男が、どかどかと床を鳴らしながら近づいてきた。
「おい、ここはおまえたちのようなガキが来るところじゃねぇんだよ。ジョルディーノ様の怒りを買いたくなかったら、とっととかえんな」
不敵な笑みを湛えるバンダナ男。そんな彼に向かって、黒髪束感ミディアムヘアのジンは吐き捨てるように言う。
「邪魔だ」
ジンはバンダナ男の腕を取り、外側に捻り上げる。次いで自身の左手を握り締め、男の鳩尾に強烈な正拳突きを叩き込んだ。
「ぐはァ!!」
男は肺から押し出されるような声を漏らした後、地面に倒れ込んでしまった。
瞬間、その場にいた全員の視線が、一斉にジンに集まる。
「……てめぇ、何のつもりだ?」
激しく怒りを露わにするジョルディーノ。それとは対照的に、至って冷静なジンは左手を腰に当てながら淡々と話す。
「ここのマスターから連絡を貰ったもんでね。海賊が店内で好き放題やっているから退治してほしいって」
一瞬、ジョルディーノは鋭利な視線を酒場の店主に向けるが、すぐに前方へと戻す。
「貴様ら、《青海の番人》の連中か?」
そう言われ、今度は金髪碧眼の少女・エマが答える。
「はずれ。私たちはフリーランスの海賊狩りよ」
小さな頭の両側で結わえられたゆるく波立つ髪が、彼女の凄絶さを引き立たせる。青碧玉の大きな双眸、小ぶりだがスッと通った鼻筋、瑞々しく濡れたような桜色の唇、どれをとっても美しいとしか言いようがない、そんな美少女である。
「……なるほど、フリーランスねぇ」
ジョルディーノは、視線だけで仲間たちに合図を送る。すると、命令を受けた部下たちは、一斉に懐からナイフを取り出し、その切っ先をジンたちに向けた。
「正義の味方ごっこのつもりだろうが、相手が悪かったな、ガキども」
ジョルディーノの威圧が炸裂――と思いきや、ジンとエマは互いに余裕の笑みを見せ合う。
「……何がおかしい?」
目を眇めるジョルディーノに、夜色の瞳の少年は包み隠さず言い放つ。
「その台詞、あんたで三十三人目だ。みんな、数分後には命乞いをしていたよ」
言葉の応酬はそこまでだった。
堪忍袋の緒が切れたジョルディーノは、下顎に力を入れながら目一杯叫ぶ。
「やっちまえ!! お前ら!!」
店内が戦場に変わる。ジンはすかさず背中に担いだ黒い鞘に手を伸ばし、ジャランと剣を抜き出した。
黒曜石のように黒光りしているその剣の名は、黒刀。
「ここは俺に任せろ」
それは一瞬の出来事だった。ジンが剣を軽く振り下ろすと、黒い斬撃が飛び、敵五人を巻き込んで店内の奥に突き刺さった。血が飛び散り、店内の右側は禍々しいほどの赤に染め上げられている。
「き、貴様、魔剣師だったのか……」
唇の端を歪めながら、ジョルディーノが後ずさる。
魔剣師。この世には「魔剣シリーズ」と言われる魔力を備えた剣が存在し、その所有者のことを総じてそう呼んでいる。
現帝国騎士団長、アステリア五大ギルドの頭首、名だたる大海賊など、世界に強い影響力を及ぼしている人間のほとんどが、この魔剣師に該当する。
つまり、それだけ魔剣の力は絶大であり、魔剣師は常人離れした強さを誇っているというわけである。
「言っておくが、俺だけじゃないぜ」
ジンが返答した、次の瞬間――
「ぐあっ!?」
ジョルディーノの左肩を、煌めく小さな何かが突き抜けて行った。自ずと腕の力が抜け、捕まっていた女性店員が解放される。
「さあ、こっちに!」
山吹色に輝く聖剣を手にしたエマが、肌蹴た格好の店員に呼びかける。
「は、はい!」
店員はさっとエマの後ろに移動すると、安堵したように顔を綻ばせる。
「怖かったよね。もう大丈夫だから」
「は、はい! ありがとうございます!」
そんなやり取りを尻目に、ジンは「さて」と愛剣の切っ先を前方に向ける。
「ジョルディーノ、お前の航海はここまでだ。覚悟しろ」
不敵な笑みを向けられたジョルディーノは、鼻息荒くジンに襲い掛かる。
「ガキが!! 調子に乗るんじゃ――」
ジョルディーノが言い終える前に、飛ぶ斬撃が放たれた。
「くっ!」
横に大きく飛ぶことで斬撃を回避したジョルディーノは、懐に仕舞っていた小型拳銃でジンに狙いを定めようとしたのだが、
「遅い」
ほんの一瞬で相手との間合いを詰めていたジンは、神速の膝蹴りをジョルディーノの顔面にお見舞いした。
「ガァッ!」
骨が折れる鈍い音を発しながら、ジョルディーノが後方に吹き飛んでいく。だが、ジンはそこで手を緩めることはしない。彼は再度、右手で愛剣を振り下ろし、黒い斬撃を放つ。その暗黒波動は、先ほど同様に人の身体を巻き込みながら店内の奥にぶち当たり、その直後、ジョルディーノはピクリとも動かずに床に倒れ伏せた。
「依頼完了」
ジンは淡々とそう言って、黒刀を払い、ゆっくりと鞘に収めた。