第5話『秋あかね』
幼い子供が赤子を背負い、泣かないで泣かないでと唄を歌う……子守歌
彼女はコーヒーに少し口をつけると、小さな子供に、昔話を聞かせる様に話し始めた。
『昔はね、今の時代には考えられない様な事が沢山あったの…』
ー時は大正ー
貧しい田舎のある家に、3番目の赤子がこの世に産声をあげた。
初めての女の子だ。
名を『はる江』と名付けられた。
昔は兄弟が5人、6人といても不思議のない世の中だった。
なぜなら、子供は家の大事な働き手なのだから、人数が多いに越した事はない。
子供が沢山いては、学費や何やでお金が掛かるからと、子供を産まない少子化の今とは、全く逆の考え方なのだ。
この時代、学校に通える子なんてほんの一握りの人間だけだった。
はる江の家は、その貧しい中でも最も貧しい部落の村に住んでいた。
幼い頃から家の手伝いは当たり前、ご飯を食べる事もままならない程だったが、一つだけ救いだったのは、忙しい父や母の変わりに面倒を見てくれる兄達は、はる江にとても優しかった。
はる江も、次々に生まれてくる下の妹や弟達にとても優しく接した。
そして、はる江が10才になった時、7番目の子供が生まれた。
名を『あき江』と付けられた。
それが、私だ。
はる江は、兄弟姉妹達の中でもあき江を一番に可愛がった。
あき江も、母変わりのはる江にとてもよく懐いていて、片時もはる江の側から離れるのを嫌がる位だった。
数年の間は、貧しいながらも幸せな日々が続いていた……
しかし、はる江が13才になった時村に天災が訪れてた。
……日照りだ……
何日にも渡って、雨が降らない。
百姓のはる江の家には、僅かの食料もなくなった。
幼い妹達は、お腹を空かせては泣く日々が続いた。
最初に両親がとったのは、父の出稼ぎだった。
しかし、それでは家族みんながこの夏を越す事などできなかった。百姓意外した事のない父の稼ぎはしれていたからだ。
次に、家を出たのは次男の兄さんだった。
長男は家の大事な跡継ぎなので、家から出す事は出来ない。
何とか、父と兄さんの稼ぎでひと夏を越す事はできた。
しかし、これからが最も過酷な季節に入って行く。
冬は、山菜やキノコなども採れず、出稼ぎに行った父や兄さん達も、収穫の時期の過ぎた他の村から返されてしまうのだ。
本当なら、秋に収穫した食料を蓄えて細々とでも、冬を越さなくてはいけないのだが、収穫のなかった今年はその蓄えがない。
どうしたらいいのか……。
父や母は悩んだ。
悩んで悩んで出た答えは、はる江を『奉公』に出す事だった。
この家で、兄達に変わって働けるのははる江だけだった。
はる江は、3年間という長い間奉公に出される事が決まった。
奉公とは、お金持ちの商家の家に行って洗濯や掃除、そしてその家にいる小さい子供達の面倒を見る事だ。
はる江は、近くの街のとても裕福な商家の家に生まれた、まだ赤子の子供の面倒を見る事になった。
話しが決まってから、数日後すぐにはる江は家を出る事になった。
あき江は、出て行くはる江の手を離そうとはしなかった。
最後まではる江にすがりついている。
『もう、行かなくちゃ……』
そう言ってあき江の手を離した。
あき江は、いつも遊んでいたお手玉をはる江に渡した。
『これ、お姉ちゃんにくれるの?』
まだ、言葉が十分に話せないあき江は、ただコクンと頷いた。
はる江は、優しく笑ってあき江の頭を撫でた。
そして、何度も何度もはる江はみんなの方を振り返りながら、歩いて行った。
みんなの姿が見えなくなるまで……
それは、12月の寒い寒い冬の日の事だった…………。
『秋あかね』
赤トンボの名前。
秋の夕暮れの、夕日と同じ色のトンボ。