第3話『宵越し』
夜の闇は、一体何を隠そうとしているのだろう……
静かな部屋に、時計秒針の音だけが
(カチッカチッ)と響き渡っている。
この何もない部屋で、暇な時間を持て余している私は窓の外を眺めたり、寝入ってしまった両親達を眺めたりとただ、時間を潰していた。
昼間よく眠ってしまったツケが回って、寝付く事の出来ない自分に少し苛立ちを覚えた。
(こんな事なら、昼間起きていたらよかった…)
まだ夜明けがくるには何時間もあると思うと、何をしていいのか分からなくなる。
ふと、時計を見るとまだ夜の12時。
そりゃ、夜更けにはかわりないがこの位の時間いつもの私なら疲れていない限りまだ、友人達と遊んでいる時間だ。
『…ハァ…』と重く深い溜め息を漏らすと、下のロビーにあった自動販売機に行こう。と上着を羽織り下へと向かった。
誰もいない静かなロビー、外は真っ暗でだけどロビーは明々と電気が惜しげもなく付いている。
(ジュースにしようかな…それとも、どうせ眠れないんだからビールでも買って行こうか…)
自販機の前で、悩んでいるとロビーの自動ドアがあく機械的な音が耳に入って来た。
見栄っ張りな両親は、いつもの事ながらこの辺りでも一番有名で大きな葬式会場のここにしていたので、今日だけでも何組もの葬式や通夜があった。
なのでまだ他の家の人達が出入りしているのだろう。
人気のない、だだっ広いロビーは少し薄気味悪いけど、葬式会場には似つかわしくないこの派手やかな内装が、そんな気持ちも吹き飛ばしてくれていた。
自販機のビールのボタンを3回押して、ガタン…ガタンと落ちて来たビールを取ろうとしていたら、コツコツ…と足音がこちらに向かっている事に気が付いた。
(こんな真夜中に、私と同じ様に眠れない人がビールでも買いに来たのだろうか)
まぁ、対して気に留める事なくビールを全部取り終えて立ち上がった瞬間…
『あの…。』と足音の主に声をかけられた。
私はさすがにびっくりして、振り返った。
そこには、年の頃60才半ば位のとても上品そうな女性が喪服に身を包み立っていた。
『あっ、ごめんなさい。驚かせてしまって。もしかして…愛子ちゃん?』
私は、この人に何の見覚えもなく
『あっ…はぁ。そうですが……』とバカみたいな返事しか出来なかった。
上品そうな女性は、とても優しく微笑み。
『やっぱり。昔の愛子ちゃんのまんまだから、すぐ気づいたわよ。』
と言った。
この言葉を私は一体どう受け取ればいぃのか、分からないが心の中で
(何、この人私がガキっぽいって言いたいの!)と少しムカッとした。
そんな私の気持ち何て察する事もなく、彼女は私の事を懐かしそうに見つめた。
しかし、私の方は一向に思い出せない。『こんな夜分に失礼だとは思ったんですけど、おばあ様に合わせて頂けるかしら…?』
本当、明日お葬式が朝からあるんだから何もこんな夜中に来る事はないのだろう…。とは思ったが、親しくしていた者ならすぐに駆けつけたい気持ちも分かる。
私は、誰だか思い出せないその上品な女性を祖母の眠る部屋へと案内する事にした。
寝入っている両親と親戚の人達を起こさない様に、静かに部屋へと入ってた。
私は小声で
『すみません。両親達、疲れて眠ってしまって』
彼女小さく、手を横に振って
『いぃえ。こちらこそこんな時間に来てしまったから、本当にごめんなさいね。』
と、また小さい声で返事をしてくれた。
祖母の眠る棺の中をしばらく眺めて、手を合わせると私に話しかけて来た。
『愛子ちゃんは、眠れないの?』
私は、小さく『ハハっ』と笑って『うん』と頷いた。
彼女は、少し寂しそうに微笑み
『今日がおばあさんと過ごすの最後だもんね。眠れなくて当然よ。』
私は、(たんに昼間沢山寝てしまったから…)と心で呟き苦笑いを浮かべた。
『…ぅ、ん…』
母がベッドで身じろぎした。
私と彼女は、あっ。と口を手で押さえて目を合わせた。
彼女は、指先をドアの外に向けて
〔もう行きますね〕と小さく囁いた。
私はコクリと頷いて、部屋の外へと足早に出て行った。
よいごし【宵越し】一夜を越すこと。