ディアー・サマー・フレンズ
数年前に書いた夏モノ短編です。少しこそばゆいです。
―1 前日―
昔は夏になるとウチの家族は決まって祖父の家に行っていた。
恒例行事とも言えるこの家族旅行は、
子どもの頃の俺にとって純粋に祖父の家へ行く事が楽しかった。
だが、親父の仕事が忙しかった事と、
俺の高校受験があったり母親の急な入院などが重なってここ6年はご無沙汰になっていた。
6年という年月は思いの外時の流れというモノを実感させる。
祖父祖母にとっての俺は小学生だった頃の印象しか無い、
あの頃とは考え方はもちろん姿も変わっているのだから。
今年は上手い具合に各所で都合がつき、久方ぶりに祖父の家に行く事になったのである。
訪れる日にちは決まっており8月の第2金曜。
親父とお袋は祖父の家、と言うよりは田舎の雰囲気を大変気に入っているようで、
1週間前からお泊まりの準備に熱心だった。
ウチのリビングは親父達の荷物で溢れかえっており、呑気にテレビも見れやしない。
俺はそんな親父達の様子を尻目に、ふぅっとため息を一つ入れる。
「ったくいつまでやってる気だよ。」
自室に戻りいつものようにパソコンに電源を入れサイトの巡回開始。
クソみたいなネタニュースを鼻で笑いながら横目でちらり、
時事ニュースで甲子園の結果をチラ見し、
あとは巡回しているブログの閲覧と気に入った記事にコメントをカタカタっと。
そして当然のようにチャットソフトを起動させログっているメンツに挨拶。
あとは適当にダベりながらオンラインゲームで遊ぶと。
いつもと変わらない作業の繰り返し。
これが俺の夏の1日だった。
「はぁぁぁ……。」
『どったの?
ため息なんかついて。』
「明日から家族でじいさんの家に行くんだ、
そんでネットが出来なくてつまんねぇなって思って……。」
『あー、それでため息。』
俺は今、音声チャットソフトで知り合ったネット上の知人と話していた。
まだ知り合ってから2ヶ月と経っていないが、やたらと気が合ういいヤツだと思う。
名前は”Liasremmus”と言うのだが名前から男なのか女なのか判断は付かない。
そもそも読み方もよく分からない。
さらに音声チャット上でも変声ソフトを使って、
ころころ変えていることもあり本当に判らない。
まあ、別に俺自身としては”Liasremmus”の正体を探るつもりはないので、
どっちでも別に構わないのだが。
流石に読み方については本人の許可を取って”リア”という略称で呼んでいる。
「ネット依存症ってやつ? まあ否定はしねーけどな。
リアだって似たようなもんだろう?
たいていソフト立ち上げればいるじゃん。」
『失礼だよアキ、いつもいるわけじゃない。
タイミングが合ってただけさ。』
「ほー、その割には凄いやり込み具合で。」
『効率さえ分かれば後は単純な作業の繰り返し。
そんなのアキだって十分知っているだろう?』
「そりゃそうなんだけどな。
ってかネットなしかーっ、精神的に深刻なことになりそうな予感がする。」
『たまにはネットのない生活も悪くないと思うけどなぁ』
「そういうもんかね。
パスも出来ないイベントなんで渋々参加する所存であります、サー。」
『ははは、取り敢えずゲームの続きをしよう。
いい加減、あのクエスト終わらせないと次に行けないってゆうか。』
「オッケー、リア。」
俺はそのあとリアと一緒に、目下大ハマり中のオンラインゲームで遊んだのだった。
目標となるのは高難易度クエストの一つでクリア率20%以下というヤバめなクエスト。
プレイヤーの間ではバグじゃないか、調整ミスだろうと噂されている。
クリア出来ないわけじゃないのであれば、その理不尽なる難易度に挑むのも、
プレイヤーとして冥利に尽きるとは思わないのか。
俺とリアはそんな事を話ながらクエストに挑むのであった。
******************
―2 田舎―
俺は親父の運転する車の窓から、
濃い緑と青い空の下で美しく彩る長閑な田園風景を眠い眼で眺めていた。
昨日、俺が床についた時間は朝方の五時を回ったところ、
辛うじて太陽が顔を出さないあたり。
うつらうつらとベッドに横たわっていたら、お袋に叩き起こされそれが朝の七時。
いや本当に血の巡りが悪いと言うか、今現在は何も考える気が起きなかった。
とにかく眠い。車の窓から吹き込む夏の風も心地よく感じられる程度に眠い。
「秋斗、お前また昨日も遅くまでゲームしてたんだって?」
親父がバックミラー越しに俺を見ながら口を開く。
俺はぼーっと外を見たまま”うん”とだけ答えた。
「今のゲームって、夜遅くまで起きてやるくらいに面白いのか?」
「インターネットに繋いで遊ぶゲームがあるらしくて、秋斗はそれにはまってるのよ。」
「へぇ凄い世の中になったもんだな。
父さんが子どもの頃のゲームと言ったらオセロや双六とかだったからなぁ。」
親父とお袋は俺を話のネタに二人でワイワイと話し続けていた。
二人の子どもながら、よくもまあ俺は性格的に似なかったなと思っていた。
親父はばりばりの体育会系、学生時代はサッカーで国立を目指していたらしい。
お袋はお袋でテニスの県大会ベスト4だったとか。
今でもたまに腕がうずくと言って近所の奥様テニスサークルへ参加している。
車は約3時間程度、高速道路を通り細い田舎道を抜け祖父の居る家に辿り着いた。
祖父の家に着くと祖父と祖母が顔をくしゃくしゃにして、
6年ぶりに遠方より遙々訪れた俺達の到着を歓迎してくれた。
父方の家なのだが親父には兄妹がおらず、祖父と祖母にとっての孫は俺だけなのだ。
久方ぶりの再会、そしてあの嬉しそうな顔、
ああいう祖父母の表情を見ると会いに来るもいいなと思う。
俺自身、祖父や祖母が嫌いなわけではないので、この田舎に来ることについては、
面倒くさいと思っていながらも、やはり顔を見せに来たいという感情はあった。
「父さんただいま。今年は久しぶりにお世話になるよ。」
「おお、良く帰ってきたな。
今年はばあさんと先週からずっと楽しみにしていたよ。
秋斗も随分と大きくなって、身長は今どのくらいあるんだ?」
「……175くらい。」
「ひゃー175か、ばあさん聞いたかい?
秋斗は175センチも身長があるんだってよ。」
「175じゃ街じゃ普通だっての。」
「そりゃ凄いねぇ、畳一枚分くらいかい?」
「確かに畳みの長さはそんくらいだけど、例えが判りづらいってば。」
俺は親父の車から荷物を出し祖父の家に運び込む作業をする事になった。
俺の荷物はボストンバック1個、親父とお袋はトランクが3個に段ボール箱2個。
一体この差はなんなのか。
俺はあらかた荷物を運び込むと、
乾いた喉を潤す為に近くの商店へ散歩がてら行ってみることにした。
久しぶりなので若干場所を覚えているか不安だったが
当時は毎日のように行っていたからきっと大丈夫だろう。
こう見ても道を覚えるのは得意なのだ。
それにその商店にとって俺は、期間限定のお得意様みたいなもんだ。
店の方から俺を見つけてくれるさ。
歩く事15分、俺は無事に目的地である商店へ辿り着くことが出来た。
当時はあまり気にしていなかったが、
駄菓子やジュースを売っているだけじゃなくて
雑貨を取り扱う店だったんだなと今になって理解した。
今で言うところのコンビニエンスストアの元祖的な位置づけなのだろう。
流石に一日中開店してはいないが。
ふと俺の視線が勝手に動く。
店の入り口に付近に白い野良猫がこちらをじっと見て、大きく口を開けて欠伸をしている。
猫も暑そうだ。
通らせてもらうよ、と猫の横を通り抜け俺は自動化されていないドアに手をかける。
ピィン……――
一瞬だが、妙な違和感が俺を襲う。だが直ぐに無くなった。
熱いところから涼しいところへ急に移動したから、身体がビックリしたのだろう。
店内は程よくエアコンが効いていて、現代科学に感謝してしまう程だった。
目当ての品は店の奥、飲料水・冷凍コーナーにあり、と
俺は小走りで移動し冷蔵庫からキンキンに冷えた炭酸飲料を取り出した。
俺自身は割と炭酸系に強い方なのだが、親父やお袋は苦手なので、
2人の分は取り敢えずスポーツドリンクで手を打った。
カウンターには店主がニコニコ顔で
手に持ったカメラを拭きながら俺の到着を待っていた。
ここの店主、店に来る前に父親から聞いたのだが、
どうも筋金入りのカメラ好きでコンクールで賞を取ってしまう位の腕らしい。
店内には店主が撮った写真が飾られており、
ちょっとしたショールーム状態だった。
「よぉ、秋斗くんじゃないか。久しぶりだなぁ何年ぶりだい?」
「お久しぶりです、たぶん6年ぶりくらい。
高校生ですよ俺だって。」
「そうか……そんなになるか。随分大きくなったなぁ。」
「あ、ども。
なんかいつもカメラ触っている感じですよね、おじさんって。」
「私はカメラが大好きだからね、当然さ。」
「はは。」
俺は小銭をカウンターの上に置いた。ぴったり小銭を持っていて良かった。
すると店主は俺の置いたお金を見ずにレジに放り込む。
顔パスってやつですか。
そして手に持っていたカメラをカウンターに置き語り始めた。
「見てくれよこの一眼レフ。
レンズも高かったけどそれよりもこの使用感だなぁ。
オートフォーカスでも絶妙なピント合わせに、
使い手を選ぶが各種取り揃えた撮影モード、うーんたまらないねぇ。」
「は、はは。」
おじさんの自慢混じりのカメラトークは続いている。
おじさん曰く人物を撮影するよりも最近は風景撮影にはまったとのことで、
カラープリンターで印刷された最新の写真を
楽しそう俺に見せながら1枚1枚丁寧に説明してくれた。
これはまずったなと思い始めたその時、おじさんの話が急に転換する。
「そういや秋斗くんとこのおじいさんとおばあさん、
もの凄く楽しみにしていたからねぇ、嬉しいだろう。
顔を合わせる度に、今年は久しぶりに孫がやってくるって言っていたからねぇ。
そうだ、今日は夏帆も暇して部屋にいるから呼んであげるよ。」
「え?」
「夏帆ーっ! 秋斗くんが来てるぞっ!
店の方に来なさーい!」
「お、おじさん別にいいって。今は飲み物買いに来ただけだし。」
すると店の奥から人がリズム良く走ってくる音が聞こえる。
その音はまるで軽快に飛び跳ねる猫のように、たたったたっと。
しばらく待っていると店と生活空間を仕切る暖簾がふわっと揺れる。
その揺れた先に肩まで伸ばした淡い栗色の柔らかそうな髪が見えた。
「よ、よぉ。」
「6年ぶりに再会を果たした友達に対する反応がそれ?」
夏帆、彼女はこの店の娘である。
そして、かつて俺が真夏になりこの土地に来たときにいつも遊んでいた幼友達だ。
当時は二人して野山を走り回ったりしたものである。
いやぁ実に懐かしいと思いながら、俺は若干の気まずさを感じつつ夏帆を見つめていた。
今回は6年ぶりの挨拶というわけだから仕方がないだろう。
俺が知っている頃の夏帆と今目の前にいる夏帆は、
最早別人と言っていいレベルで容姿が大人びている。
「ほら、他に言う事とかないわけ?」
「……? 何かあるのか?」
「豆腐の角に頭でもぶつけてろっ!」
そう言うと夏帆はくるりと向き直り店の奥へと戻っていった。
何やらぷんすか怒っていたようだが、虫の居所でも悪かったのだろうか。
「ったく夏帆のやつ、昨日は機嫌良かったクセに。
あー秋斗くん、すまないね娘には後で説教しとくから。」
「いや、別にそこまでは。」
俺は店主に挨拶をして親父達の分の飲み物を買って祖父の家に戻ることにした。
******************
―3 二人―
昨日は親父やお袋も結構酒が入っていた様子で、祖父達と一緒に朝まで騒いでいた。
もちろん親父達だけではこうはならない。
どういう経緯があったのかまでは俺には分からないが、
いつの間にか近所に住んでいる地域住民も集まってきていて簡単な宴会と化していたのだ。
よくよく考えればこの土地は親父の生まれ故郷、
昔なじみや同級生達が顔を見せに来ることもあるか。
ちなみに俺は未成年のため、当然酒は飲めない。
話の合う人間も居なかった事もありさっさと部屋に戻った。
さすがに寝不足気味だった事もあり、寝付きは非常に良かった。
いつもなら日を跨いだ頃にならないと眠くならないのだが、
エンジン音が聞こえない夜というモノは本当に静かだ。
都会で暮らす俺にとって、
自然音だけの夜は思わぬ癒やし効果を得ていたようである。
「起きろ! いつまで寝てんの!」
「あ……?」
目を覚ますとそこには薄青いワンピースを身に纏った夏帆が居た。
肩まであったはずの栗色の髪は後ろで結い上げており、
空色のシュシュと髪の色のコントラストが絶妙だった。
俺は寝ぼけたまま起き上がり、頭をぽりぽりと掻き窓を開ける。
そして壁にかけてあった時計に視線を移して時間を確認する。
時計の針は朝の8時を少し回ったところだった。
「……いやまだ早いだろ、8時とか。」
「ってまた寝ないでよ!
せっかく遊びに来たんだからさ、どっか行こうよ!」
「えー。」
「えーって何よ、時間が勿体ないってば。」
「どっかってどこよ、この辺ってゲーセンとか遊ぶとこないじゃん。」
「いいじゃん、散歩しようよ。川縁とか神社とか。」
夏帆は捨てられそうになった小犬の目のようにして俺を見つめていた。
思うんだけどそういうやり口って卑怯だと思うんだ。
断れないじゃん俺の性格的に。俺は夏帆を部屋から追い出し着替えることにした。
そして欠伸を入れながら夏帆の提案に乗ることにしたのだった。
俺は光の速さで用意されていた朝飯を平らげ、洗面所でぱぱっと身支度を整えた。
高校生必須スキルの一つ、体力補給しつつ遅刻回避の術、応用編である。
さてここで問題が一つある。
ぶり返しになるが、この家の住人は例え知り合いとは言え、
近所の顔見知りの子とは言え、寝ている孫の部屋に他人が入ることを許容しているのだろうか。
うちの両親は許容していそうで怖いが、祖父祖母はどう考えているのだろうか。
そんな事を思いながら、俺はお袋からお札を1枚小遣いとして頂戴したのだった。
「1000円ぽっちか、さもしいねぇ。」
「無いよりましじゃない。」
「へいへい……。」
取り敢えず移動するのには足がいるって事で、
祖父の家に置いたままにしていた自転車を出すことにした。
数年前に買ったのだが、持って帰ることが出来ずに置いていたのだ。
たまに祖父が使っているようでメンテナンスは行き届いていた。
チャリは1台、でも人間は2人。
「2ケツでもする? 歩きってーのは無しだぜ?」
「目立つじゃん。」
「仕方ねーべ、俺的には旅の恥はかき捨てて精神なので、どうでもいい。」
「ぐぬぬ……それもヤムナシか。」
一瞬夏帆は何やら考えた後、やたらと渋い表情で2ケツを了承した。
「じゃあ、取り敢えず神社行こうよ。
今年はまだ挨拶に行ってないだろうし。」
「あ、あの坂道上るんか……。」
「まあとにかくレッツゴーっ!
ほら気合いいれろ秋斗っ!」
俺は自転車のペダルに足をかけすいーっと道路に流れていった。
チャリと簡単に言ったが、こいつはただのママチャリである。
ギアも無ければドロップハンドルも無い。
夏帆もタイミングを合わせて後ろに飛び乗ると俺の腰に手を回して掴まった。
重量は倍に等しい。
この時、違和感が俺の背後にあった。
何だろうこの不毛と思える違和感は。
それはそうと、久しぶりに乗った愛車という事もあってペダルを漕ぐ足に力が入る。
今日は1人分余計に重いから、なんて言ったら夏帆にぶっ飛ばされそうで怖い。
風を切って走る感覚は嫌いじゃないが、止まったときの熱さのぶり返しが俺は苦手だった。
もうお判りかと思うが、俺は夏が嫌いだ。
冬がいい、冬最高!
「もうへばったの?
まだ2キロも走ってないじゃん。」
「う、うるへぇ……都会育ちのインドア軟弱高校生をナメンなよ!」
「ほらほら頑張って!
神社の参道でアイスでも食べよっ!」
「うぉぉっぉぉっ!!
好き勝手言いやがって! 俺は二個食うからなっ!!」
明日は筋肉痛確定だな。
******************
―4 意識―
緑山神社、この辺り周辺で人々にとっては身近な神社だ。
一体どんな神様を祀っているのかは知らないが夏祭りはそれなりに盛り上がる。
俺もタイミング的には参加出来るので、6年前は夏帆に連れ回されていた。
この神社だが俺は苦手だ。いやこの言い方では語弊があるか。
正しくは、手前にあるそれなり勾配のある坂が嫌いなのだ。
チャリで上ろうものならば、汗だくで足がくがく確定なのである。
と言うことで今回はチャリでは上らず歩きで、こ
の長い上り坂をえっちらおっちらと文句を言いながらも何とか上がってきたのだった。
「うわー、いい風~気持ちい~。」
「焼け石に水とはよく言ったもので……というか太陽の熱で俺もう無理。」
「だらしないなぁ、もう。」
「何とでも言いやがれ、俺はもう無理。」
俺は地面に座り込んだ。どっと汗が噴き出してくるのが分かる。
真夏の午前中に頑張って勾配を上ってきたのだ。
きっと神様も見てくれているだろう。
俺はふと夏帆に視線を移した瞬間、不覚ながらもその姿に目を奪われてしまった。
風に吹かれて夏帆の肩まである栗色の髪が揺れ、ワンピースの裾が静かになびいていた。
あれ、こいつってこんな風だっけ?と俺は自問自答したのだった。
夏帆はしばらく風にあたるとシュシュで髪を結い直す。
ピィン……――
まただ、また違和感が俺を襲う。
「っていつまでもこうしていてもしょうがない。
お参りしてこようよ。」
「え、ああ、そうだな。」
あまりの暑さに涼を求めてか、野良猫や野良犬、果ては野鳥も見える。
ここは世界樹か何かか?
よく見たら本殿には数人の参拝客も来ていた。
初老の夫婦に部活前の中学生か。この神社の御利益ってなんだっけか。
確か安産祈願に商売繁盛、そして交通安全だったか。
前に祖父から教えてもらったような記憶があるが、内容までは怪しい状態だった。
俺はいつもの作法でお参りを済ませた後、水くみ場で喉を潤すことにした。
この辺りはまだまだ水が綺麗な事もあり、水道水も特に処理せずそのまま飲める。
言うなればミネラルウォーターがそのまま蛇口から出てくるイメージである。
水が美味くてキレイと言う事は重要なことだと俺は思う。
夏帆も俺の様子を見てか手で掬って飲んでいた。
「なあ、夏帆。」
「なに?」
「さっきから違和感と壮絶な戦いを俺は繰り広げてるんだけどさ。」
「うん? 回りくどいなぁ、なんなの?」
コホンと咳を一つ。
「お前ってさ、ちゃんと女だった……っぶぎゃっ!!!」
夏帆の繰り出した容赦のない半回転蹴りが俺の背中に直撃する。
軽く2メートルは吹っ飛んだろうか、地面が柔らかいパウダー系の砂で助かった。
もし小粒の砂利だったらどんな大ダメージを受けていたことか。
だが受け身をとる余裕がなかった為、地面にへばりつきながら悶絶する俺。
やばい意識が飛びそうだ。
というか何だその華麗な蹴り技はと突っ込む余裕は当然無かった。
「あたしは昔っから女だってのっ!」
「ぢ……ぢぬ…や、やめ……。」
俺の必死の抗議も空しく、いつの間にか俺は身体を羽交い締めにされて、
夏帆からチョークスリーパーをキメられていたのだった。
やばいこのままではマジで落ちる、と俺は夏帆の腕をぱんぱん叩く。
しかし興奮している夏帆には届かないようだった。
そしてさらなる別の違和感が俺を襲う。
背中の凶悪な柔らかさ掛ける二つに、俺はなんと言って良いか判らなくなっていた。
「あんたは、一体あたしを何だと思って見てたのよっ!」
「…ろー…ろーぷ……。」
この後、何とか我に返った夏帆のおかげ?で俺は技から解放された。
もう何というか身も心も色々ボロボロですとばかりに俺は気を失ってしまった。
気がつくと俺は川縁の草むらの上に寝かされていた。
額に冷たいものが当たっているのが判る。
もしかしなくとも結構な時間落ちてしまっていたようである。
俺はぼーっとする頭のまま手を額まで持っていく。
そこにはキンキンに冷えたペットボトルが乗っていた。
なんだこれと俺は起き上がると、そこには今にも泣きそうな表情の夏帆がいた。
このペットボトルは夏帆が持ってきたのか。
「……ゴメンね、あたし我を忘れて……本当にゴメン。」
「いや、なんつーか俺も悪かったから、気にすんなって。」
平謝りの夏帆に俺は罪悪感を覚えていた。
確かに俺は正直なところ夏帆の事を女として見たことは無かった。
でも大事な友達と思っていたんだ。
だってそうだろ、ガキの頃から一緒になって泥だらけになって遊んでいたヤツを、
今頃になって男だの女だのと考えるかと言う話だ。
まあ夏帆は違ったんだなきっと。
いや、俺がガキ過ぎただけか?
「あーもう、そうしょげんなよ。
ツッコミみたいなもんじゃん、ちょっと強烈ではあったけど。
気にすんなって、こー見えて毎日満員電車で鍛えてっから大丈夫だって。」
「……都会育ちの軟弱高校生なんじゃないの?」
「ぶほっ……揚げ足取りをするんじゃありません!」
ここで、これは明日アザがくっくりと、なんて口が裂けても言えない。
「……でも。」
「ったくそんなに気にしてんなら、一個俺のお願いを聞いてくれい。」
「なに?」
「お前んちってさ、ネット繋がってるよな?
約1日強もパソコンに触ってないせいか禁断症状でそうでさ。
ちょっくら情報収集とかさせてくんない?」
現代の難病の一つ、情報渇望症である。命名は俺。
特に大した意味は無いのだが、
無性にネットワークへ接続してそこに羅列されている数多のニュースを流し見したり、
ブログの記事を読んで突っ込んだり、
暇潰しで始めたソーシャルゲームをプレイしたくなる症状の事である。
治療法はあるのか無いのか、俺は治ったことがないので知らない。
「え、えーと…いいよ。」
はっきりしない物言いで夏帆は俺の願いを承諾してくれた。
最後の一言が少し気になるが、ネットをこちらでも出来るのだから何の問題もないだろう。
俺なんて今日起きたあたりから、最新情報が欲しくて欲しくてたまらない発作が出ていたのだ。
俺達はまた自転車を2ケツして夏帆の家まで行くことにした。
******************
―5 夏帆―
「ただいま~。」
「おかえり夏帆。
思ったよりも早かったじゃないか、てっきり夕御飯も食べてくると思ってたよ。」
「どもお邪魔します。」
「お、珍しいな秋斗くんがウチに来てくれるなんて。」
「秋斗がインターネットをしたいんだって。
おじいさんの家ってネットを引いてないからウチなら出来るよねって。」
「ああ、なるほど。
リビングにあるから勝手に使っちゃっていいよ。
どうせ写真整理くらいしか使ってないからね、
見られて困る重要なファイルとかはないから。」
店舗運営しているのに、
パソコンを持っているのに有効活用をしないってどーよ、と
俺は突っ込もうかと思ったが止めた。
慣れたツールを使うことこそが最も効率的な運用だと俺は思う。
新しいものを何でも導入すれば良いというものではないはずである。
俺は夏帆に案内されるままリビングルームに通された。
そう言えば夏帆の家ってあんまり入ったことが無かったから少し新鮮な感じだ。
「はい、立ち上げ終わったよ。」
「お、サンキュー。」
俺は人様のパソコンを慣れた手つきで操作する。
そしていつも巡回しているサイトへアクセスし新しい情報は来ていないかの確認を始めた。
ああ、この充実感と言ったら。
俺は2日ぶりのネットに感動を覚えていた。
ふとデスクトップに見慣れたショートカットを発見した。
それは俺が今はまっているオンラインゲームのアイコンだった。
「……うん?
あれ? お前もこのオンゲーやってんの?」
「……。」
「じゃあ今度一緒にやろうぜ、アカウント名は何つかってんの?」
「……um。」
「なんだって?」
「”Liasremmus”」
「はっ!?」
今起った事を俺は説明する力がない。
何だか良く聞き慣れたハンドルネームだったと思うが。
いやいや待て待て。
せっかくネットに繋がってるんだから、
ネット友達の”Liasremmus”に意見を聞いてみるのも悪くないだろう。
俺はヘロヘロになりながら、震える手で音声チャットソフトを立ち上げる。
するとそこには事前ログインで登録されていたアカウントがすでに入力されていた。
”Liasremmus”と。
「リアは夏帆だったのか。
”Liasremmus”……なんだってこんな名前に?」
「うん……
ほら、”Liasremmus”って逆にすると
”Summer Sail”になるでしょ。
夏の帆で、夏帆ってね。」
「ああ、そういう意味があったのか。
驚きを通り越して一瞬放心したぜ……マジで。
簡単なアナグラムじゃねーか。
世間は狭いって言う言葉があるがデマだと思ってたわ。
まさかネット友達で一番気が合うなと思っていたヤツが、お前だったとはな。」
「…ゴメン。」
「なんで謝るんだよ、別に怒ってないし驚いただけだって。」
「へへへ。」
夏は不思議な事が起る温床になっているらしい。
ある偉い人が言うには夏という季節は色々なところの境界線が薄まって、
これがまた上手い具合に重なる季節なんだとか。
本当かどうかはともかくとしても今年の夏はそれを実感せずにはいられなかった。
夏帆はリアルでもネットでも俺の友達になっていたわけだ。
最初は驚いたし事態を理解するのに時間を要したが、今では何かほっとしている。
「あの、ね。
……また一緒に遊んでくれる?」
「答える必要もないだろう。もちのろんだよ。」
「えへへへ……。今度はあの難しいクエストをクリアしようよ。
あたし達ならきっと大丈夫だって。
あ、そうだお水飲む? 喉渇いてない?」
「ああ、頼むわ。」
そういやこのリビングルームってエアコンの影響を受けていないのな。
日は暮れているからそこまで暑いわけじゃないのだが、
じっとりの背中に広がっている汗が気持ち悪くて仕方なかった。
ふとパソコンの近くに置いてあった小さなフォトフレームが視界に入った。
遠目から見る限りでは家族写真のようだが、
俺は悪いと思いながらも写真を手にとった。
写真には今から5年くらい前の日付があり、思わず写真を見入ってしまう。
「なんだよこの写真……。」
そこに写っていたのは少し表情が暗い夏帆の両親と、
浴衣姿だがベッドの上で笑みを浮かべている少し幼い夏帆だった。
俺は慌てて他に写真が無いか周りを見てみたが、見つかったのは全て5年前のものばかり。
愕然とした。時が止まったようかのように思えた。
どうして最近の写真が一枚もないんだ?
単に撮っていないだけ?
あのカメラ好きのおじさんがか?あり得ないと思った。
「……秋斗、見ちゃったんだ。」
「か、夏帆。」
背後から聞こえてきた夏帆のか細い声に思わずびくっとなった。
恐る恐る振り向くと夏帆が水を持ったコップを持って立っていた。
だが、表情はさっきまでと打って変わって暗い。
「その写真はね、5年前の夏祭りの日に撮ったんだよ。
お父さんがせっかく浴衣を着たんだから、写真を撮らなくちゃねって。」
「へ、へー、よく似合っているじゃないか。
そういや最近の写真はないのか?
去年も着たんだろ?」
この時、俺は気づかなかった。自分が言った言葉の意味に。
「……着てないよ。
その写真の時からずっと、あたしは浴衣なんて着てないよ。
その写真ね、あたしの最後の写真なんだ。」
完全に俺の思考は止まっていた。
ただ夏帆の言葉を聞くだけの存在だった。
「あたしね、その写真を撮った1年前に大きな病気にかかっちゃったんだ。
元々そんなに丈夫な方じゃなかったんだけど、
秋斗がこっちに来てた夏は割と調子が良かったんだ。」
夏帆は病弱だったのか? 俺は知らなかったぞ。
「でね、いくつも大きな病院で看てもらったけど、
病院の先生はみんな下を向いてね
お父さんとお母さんに”すみません”とだけ言うの。」
「……それって。」
「写真を撮った翌日だったかな、その日以降の記憶があたしには無いんだよ。」
嫌な汗が背中を支配していた。夏帆の表情はただただ悲しそうだった。
「あたしはずっと秋斗に会いたかったんだ。
身体が弱かったからあんまり学校にも行けなかったし、友達だって全然出来なかった。」
「……え?」
「あたしと最後まで一緒笑って遊んでくれた友達は、秋斗だけだったから。」
気がつくと俺の頬に一筋流れるものがあった。
思わず右手を頬に当てる。
6年ぶりに再会を果たした友達は、5年も前にこの世から居なくなっていたのだ。
夏帆がゆっくりと手を伸ばして、俺の左頬に優しく触れる。
違和感。俺がずっと感じてきた違和感はこれだったんだ。
ピィン……――
「……冷たいんだな、お前の手って。
昔がどうだったかなんてはっきりと覚えてないけど、暖かかったのは間違いないよな。」
「うん……ねぇ秋斗、貴方の涙は暖かいのかな?
冷たいのかな?」
「さぁな……俺にはわかんねぇ。」
さっきから涙が止まらない。これは俺が生きている証だから。
「アリガトウな。お前のお陰であの難しいクエストへ挑む気になれた。」
「ふふふ、だって友達じゃない。
友達が困っているんだから協力するのは当然だよ。」
「……クサイこと言ってんじゃねぇって、鼻水まで出てきただろう!」
俺は判っていた。
夏帆がこの世界に居られる時間がもうあまりないことを。
なのに出た言葉がゲームのクエストの話なんだから、笑っちまう。
「おじさんとおばさんは驚かないか?
お前がいきなり消えてしまって。」
「大丈夫だよ……あたしが居た記憶だけ無くなるようになってるから。」
「随分と都合がいいんだな。」
夏帆はふっと笑うように言った。
「……たまにはいいんじゃない?
そういう奇跡じみたことが起きても。
知ってる?
奇跡を司る神様はね、猫なんだよ?」
「へぇ。」
「奇跡は気まぐれなんだって。」
「ああ、なるほど、異議無しだ。」
奇跡か。奇跡を信じますか、と聞かれたら俺は自信を持って答えてやる。
今この時この場所で俺ははっきりと目に焼き付けた、誰も信じてくれなくてもいい。
確かに俺はこの場で実感したんだってな。
やべ涙が止まらない。
俺は情けないくらいに流れ出た涙を止める為、必死に手で拭った。
―……逢えて嬉しかったよ―
遠くで夏帆の声が聞こえた気がした。
俺は涙を止める為に閉じていた目を開ける。
するとそこにはおじさんが心配そうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。
「だ、大丈夫かい秋斗くん。
トイレに行ったっきり帰ってこないから心配したよ。
そしたらうちのリビングで泣いてるんだもんなぁ。何かあったのかい?」
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―6 帰路―
5日間の滞在を終え、ウチの家族は祖父と祖母に来年の冬、
つまり正月にまた顔を出す約束をしてしばしの別れを告げた。
親父もお袋もかなりリラックス出来たようで、
ここへ来る前と比べて肌がツヤツヤだった。
親父なんて聞いたこともない鼻歌を奏でながら車のハンドルを握っているのだから、
俺の見立てに間違いはないだろう。
「どうした? 浮かない顔をして。」
来たときみたいに親父がバックミラー越しに俺の顔を見て口を開く。
「え? いやいつもこんなじゃんか。」
「元気ないように見えるけど……もしかして……。」
「何がもしかしたらなんだい、母さん?」
俺は車の窓を少し開けた。
外から入り込む風が心地よかった。
お袋が俺に気を使ってか、親父にだけ聞こえるくらい声のトーンを落とした。
だが残念なことに風に乗って話は丸聞こえだったりする。
「ほら、近くの商店の夏帆ちゃんだっけ?
前に来たとき一緒に秋斗と遊んでたの覚えてる?」
「……ああ覚えているよ。
あの子、5年位前だったか亡くなったんだったな。
もうそんなになるんだなぁ。」
「一度、夏帆ちゃんが入院していた病院へお見舞いに行ったことがあってね、
そこで夏帆ちゃんから口止めされたのよ私。
万が一の時は、秋斗には言わないでって……。」
そんな事が。連絡の一つでも寄越せば見舞いくらい何回だって行ったのに。
「本当なら線香だけでもと思ったけど、
俺も秋斗も当時忙しくなってこっち来れなかったもんなぁ。」
「お葬式は身内だけでやったみたいでね。
いきなりだったし大変だったみたいよ。」
夏か。俺は夏が嫌いだった。
暑いし虫が発生するし毎日が気怠く感じていたからだ。
だけど祖父の家に滞在していた数日間だけは違っていた。
毎日外で遊んで、泥だらけになって野山を駆け回ったり水辺でははしゃいだりもした。
夏が嫌いな俺が何故そんなことが出来たのか。
理由は簡単だ。
一緒に遊んでくれた大事な友達がいたからだ。
夏帆という俺の大事な友達が、毎年俺が来るのを楽しみに待っていてくれたからだ。
「秋斗、来年も来るよな?」
「――当たり前だよ、当然じゃん。」
俺は親父の運転する車の振動に心地良さを感じながら、
ただひたすらに続く田園風景を見続けた。
遠くに見える積乱雲と、耳を刺激する蝉の声を聞きながら。
終わり。
『箱庭でかく語りき』の初期設定がいくつか入っています。
主人公・秋斗は特にそのイメージが色濃く。