降夜祭の灯火
○○地方の夏は湿度が低く、さらりとした夜風が町を歩く二人の顔を撫でた。
今日は星降る夜のお祭りの日。
騎士団の休暇が同日だったエイラとロタは、昼から町で、新しくできたお菓子の店や、異国から来た行商人のテントを廻っていた。
星降る夜のお祭りの日には、町の中心のカンポ(広場)に聖なる灯火が掲げられ、楽団の演奏が流れる中で、様々な屋台が開かれる。酒を酌み交わす人々、音楽に合わせて踊る人々、それぞれが日頃の疲れを忘れたかのように賑わうのだった。
聖火が灯るにはまだ時間があったが、賑わう石畳を靴を鳴らしながら歩くだけで、否応なく祭りの喧噪に心が浮き立つ。
「エイラさんエイラさん!あの屋台、タピカ桃の蜂蜜漬けですよ!」
ロタがうれしそうな声を上げる。普段の落ち着いた話し方からは想像できない調子だった。
ロタはシンプルな麻のチュニックを着て、袖を動きやすいようにまくっていた。胸元でパール石のチョーカーが揺れる。
「わかりました。わかりましたからそんなにさわがないでください」
さらりとしたブラウスにエプロンスカートを纏ったエイラは、ため息をつく。ロタに注意しつつも心が踊って顔が火照るのは、昼にバールでひっかけた麦酒のせいだと思いたかった。
久しぶりに再会したこの友人が、こんなに甘い物が好きだとは思わなかった。昼間から異国のドライフルーツやケーキをみる度に、小さな女の子のように目を輝かせるのだ。
「……全く、はしゃぎすぎですよ」
エイラは、昼間に買ったお揃いのチョーカーを撫でながら、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
「こっちまでドキドキしちゃうじゃない……」
◇
『降夜祭の灯火』
◇
色鮮やかな石畳に、紙吹雪が踊る。
楽隊の奏でる音楽に、ステップを踏むように人々が往来する。
祭り装束を身につけた人たちに混じって、エイラとロタも、聖火が灯される広場を目指していた。
ロタは桃の蜂蜜漬けの大きな瓶が入った紙袋を、大事そうに両手で抱えていた。エイラはその半歩先を、胸を張った、美しい姿勢で歩いている。「後少しで、聖火の点灯ですね」
ほのかに上気した顔で、ロタが嬉しそうに言う。
「ん」と答えた後で、エイラは音楽に合わせて軽くターンする。「素敵なセロね」
「今年は、トルネ楽団のチェザーレが来ているみたいですよ?」
「ああ、名前は聞いたことがありますね。"彼の演奏は劇場を春薔薇で満たす" ”華麗なる導き手 彗星の指揮者チェザーレ”でしたっけ。」
褒めているのか馬鹿にしているのか微妙なうたい文句だったが、星降る夜のお祭りの奏で手には似合いのフレーズかもしれない、とエイラは思った。
「お祭りの日は、人がいっぱいで、なんだかどきどきします」
「そうね。余所から来る人たちも多いけれど、この町にも、こんなに人がいるんだって、びっくりするわね。」
エイラが口を閉じたタイミングで、2人の脇を大勢の子供が駆けていった。それぞれの手にステッキを持って、くるくる回りながら楽しそうにはしゃいでいる。
エイラは、子供が苦手だった。どうしても、自分の幼い頃を思い出してしまう。
「あ、エイラさん!見てください干しイチジクのパイですよ!」
ロタがまた、きらきらとした目で屋台を指さす。
ふらふらと、そちらに向けて歩き出すロタ。
友人の行動にエイラがさすがに眉をひそめた。
「ちょっとロタ!酔いすぎですよ!手持ちのお金を全部吐き出す気ですか!?」
がしっとロタの肩をつかむと腕を引っ張り広場へ向かう道へと歩き出す。
「あ、あ、だめですよエイラさん。干しイチジクがあんなに真っ赤な顔で私たちを呼んでいるのに」
よたよたと、腕を引っ張られながら声を上げるロタ。「エイラさんエイラさん。そこはだめです腕は痛いです痛いです」
あまりに情けない友人の反応に、エイラは一度ロタの方を向き直ると、腕から手を離し、替わりに手を握った。ため息がひとつ。
「貴女の金遣いが、こんなに荒くなっているとは、思いませんでした」
言われたロタは、にこにことした顔をくずさない。
「うふふ、普段は、自分のためにはお金なんて、ぜんぜんつかわないんですけれど」
「けれど?」
ロタは、さっきよりも上気した顏で答える。
「今日は、なんだか嬉しくって」
まっすぐな友人のまなざしに、なんだかむずむずしてしまったエイラは、ロタの手を引いてカンポに向かって歩きだした。
後ろから、親友の笑い声が聞こえる。
振り向くのも悔しいので、前を向いたまま、エイラは訪ねた。
「何がおかしいんですか?」
うふふ、と、もう一度笑ってから、ロタが答える。
「エイラさんは、お姉さんですね」
◇
しっかりと握ったロタの手は、ごつごつして大きかった。
太陽がまもなく地平線の向こうに姿を消す時間。
オレンジの光に包まれて、2人はカンポにたどり着いた。
「よかった、灯火に間に合いましたね」
カンポの真ん中には、聖火の炉台が丸太で組まれ、その奥にはにぎやかな人だかり。彗星のチェザーレ率いるトルネ楽団を見物する人の群れができていた。
ーーーーーーやっぱりチェザーレはすごいなあ
ーーーーーーああ、今日は来てよかったぜ
ーーーーーー次が最後の曲らしいぞ
周りの人々が噂をしている。
ぽかんと口を開けているロタの手を引くとエイラは口を開いた。
「ねえ、せっかくだから、行ってみましょうよ」
◇
人の波をかき分けて、手をつないだ2人は楽団が見える位置までたどり着く。
ひらひらとした民族衣装を纏った楽器隊を前に、金色の仮面をかぶった指揮者が見えた。
「あれが……チェザーレ」
身体にフィットした礼服を着て、身体全体を使って指揮をしている。音楽の素養の無いエイラには、ぎこちない動きにも見えたが、楽隊の奏でる音はすばらしいと感じた。
一つ一つの楽器に着目して聞いてみても、平凡な演奏にしか聞こえないのに、意識の焦点をぼかして全体を一つの音楽として聞くと、滝のように力強く音が流れ込んでくるのだった。
「相当な達人ですね」
隣にいたロタが口を開いた。エイラには友人のこの言葉が少し意外だった。
「あら、ロタも音楽が好きなのですか?」
「いえ、エイラさんと違って、音の方は私には、きれいな音だなとしか感じられません……ただ、あのチェザーレという方は、その……少し恐ろしいです」
「恐ろしい?」
「ええ。腕の振りに迷いがない。背筋のコントロールが卓越しているのだと、思います。
意識の使い方も、おそらく集中と拡散を、かなり高い次元で両立させている。
例えばこの広場のどこかから、彼に向かって石が投げられたとしても、演奏に何の影響もなく叩き落とすでしょう。楽団から放たれる音に集中しつつも、広場全体に目を向けている。全く隙がありません」
急に饒舌になった友人を、エイラは酔っぱらっているのだと思った。
クライマックスにひときわ大きく華やかな音を響かせ、トルネ楽団は最後の曲の演奏を終えた。万雷の拍手に礼をして、チェザーレは指揮台を降りていく。
星降る夜のお祭りは、日が沈むまでの時間は異国から招かれた楽団が演奏をし、日が沈んでからは町の聖歌隊による合唱が行われるのが習わしだった。
日が沈むのと同時に聖火の点灯が行われる。それを契機にして、神を讃える歌が歌われるのだった。
出番を終えた楽隊の演奏員たちは、それぞれの楽器の片づけを始めていた。仮面を付けた指揮者は、いつの間にか姿が見えなくなっていた。
◇
聖火が灯された広場。
聖歌隊の合唱が響く中、中心に灯された火を囲んでダンスをする人々。
楽しそうな群衆を眺めながら、エイラは一人、広場におかれたテーブルで麦酒をあおっていた。
祭りのにぎわいのなかで、気分が悪そうにうずくまっている老婆を見つけたエイラとロタは、軽く介抱をした後に家まで送っていくことにした。
老婆には連れがいるらしかったので、特徴を聞き、もし見かけたときの伝達役としてエイラが広場に残ることになった。
「すぐにもどりますから!」
そう言い残してロタは、老婆を背負って広場を後にした。老婆への揺れを軽減する腰を落とした歩き方が、見送るエイラには頼もしく思えた。
幸いにして老婆の連れは程なく広場を通りかかったので、エイラの役目は早々に終わり、こうして麦酒を飲みながらロタの帰りを待っているのだった。
テーブルの上に置いた蜂蜜漬けの袋を撫でるとかさこそと音がする。
「失礼。相席をよろしいかな、お嬢さん」
ふと、後ろから声が聞こえた。低い男性の声。
「今日は疲れてしまってね、少し座りたいのだがどこも満席だ。もしお嬢さんさえよければ、そちらの椅子をお借りしたいのだが」
ええ、どうぞ。と口を開こうと声の方向に目を向けた、エイラの身体が硬直した。
視線を向けた先には金色の仮面。
身体にフィットした礼服に身を包んだ男が立っていた。
「やあ、仮面を外さない非礼を許してほしい。」
男は芝居がかった仕草で礼をする、何万回も繰り返された挙動であるかのように、滑らかな動きだった。
「吾輩の右目は、ほとんどめくらでね。ご婦人の食事の席にむき出しにしておくには、いささかはばかられるのだよ」
エイラは混乱する頭の中から、何とか言葉を掴まえて、口に出す。
「……彗星の、チェザーレ」
◇
向かいの席に座ったチェザーレは、ウエイトレスから麦酒を受け取ると、胸元から燐寸を取り出し、紋章の入った葉巻に火をつけた。
「失礼。煙は平気かね?」
「……ええ」
実際、とても高級なものであろうその葉巻の香りは、エイラにとって不快では無かった。
チェザーレは礼を言い。聖歌隊の方に顔を向ける。
「賛美歌はいい。吾輩の国には宗教の概念が無く、神という概念も生まれなかったが、限定された一つの対象に対して大勢が向ける理力というのは何であれ強力ですばらしいものだ」
エイラには「神という概念」という言葉の意味が理解できなかった。ただ賛美歌がすばらしいという意見には賛成だった。
自分で楽器を弾くことはできないが、エイラは音楽が好きだった。とりわけ聖歌隊の合唱や、トルネ楽団が演奏していたような異国の民族音楽を好んだ。
「私は先程、あなた方の演奏を聴いた時、滝を連想しました」
「滝?ああ、それはいい。水は命だ。滝は力だ。すくい取れば止まってしまう水だとしても、集まり、流れ、落ちればそれは強大な物になる」
どうにもチェザーレの話は観念的すぎてつかみ所がない。
尊大な話し方にも気圧されて、少しげんなりとしてきたところに、放たれた言葉にエイラは全身がが総毛立った。
「それは君たちも同じだろう?エイラ嬢」
◇
エイラの全身に緊張が走った。心臓が高鳴る。
「……どうして、それを」
「おや、もしかして名前を間違えてしまったかな?演奏の最中、連れのレディからそう呼ばれていたと思ったのだが」
チェザーレの言葉に、エイラは耳を疑った。あの激しい演奏を指揮しながら、何百もの騒がしい観客の話し声の中で、その情報をしっかりと受け取っていたのか、この男は。
ロタが恐ろしいと言った意味が、ようやくエイラにも飲み込めた。
聖歌はクライマックスの大きく盛り上がる部分に入っていた。波のように、それぞれのパートが合わさり、共振する。
歌に併せて、指揮をするように、チェザーレは葉巻を小さく揺らす。
煙の甘い香りが、エイラの鼻をくすぐる。
仮面をつけていて読みとれない表情が、不気味に感じる。
「そうだ、エイラ嬢。この席を譲ってくれたお礼に」チェザーレは口元をにい、とつりあげる「いいことを教えてあげよう」
◇
雰囲気に飲まれてしまって何もいえずにいるエイラに、チェザーレは言葉を続ける。
指揮をするように動かし続けている葉巻から、もくもくと甘い香りの煙が吹き出している。
その煙はまるで周りにとどまるようで、エイラの現実感を奪っていく。
「三つ葉のソードは、近々四つ葉のワンドと大きな争いを起こすだろう。そしてその漁夫の利を、向かい合わせのカップが狙っている」
何だって!?エイラは驚きすぎて固まってしまった。三叉の剣は、エイラ達の国の国教のアイコンであり、四つ葉のワンドと向かい合わせのカップはそれぞれ、友好的な関係を保っている隣国の国教のシンボルを連想させた。
「このままいけば最後に残るのは二つを飲み込み強大になった向かい合わせのカップと、孤独なコインだけだろう。向かい合わせのカップと孤独なコインは、すでに手を結んでいる」
孤独なコインは、たった今ロタが所属する騎士団が侵略戦争を仕掛けている国の国教を連想させた。
もしチェザーレの言葉が本当だとしたらとんでもないことになる。この国は四方を敵に囲まれた状態ではないか。
「もしもエイラ嬢。君が」
チェザーレは、金色の仮面越しにじっと、エイラの目をのぞき込んでくる。酒の場の戯れ言として聞き流すには、彼の圧力は大きすぎた。
「国よりも大事な人を選ぶので有れば」
こわい。エイラは目の前の仮面の男を心の底から恐ろしく感じた。
こわいこわいこわいこわい
「できるだけ早く、この国を捨て」
いやだいやだいやだいやだ
「向かい合わせのカップの元へ行きなさい、そうしなければ」
こわいこわいこわいこわいこわい
「かわいそうな2匹の金魚は、死んだ水の中で永遠に離ればなれになるだろう」
◇
「……イラさん!!エイラさん!!風邪を引きますよ!!」
目を開けると焦点のぼやけた視界に亜麻色が見えた。
自分の手足がひどく冷えているのを感じる。
「……ロ、タ?」
目の前の友人を視認すると同時に、全身を猛烈な寒気が襲う。
甘い香りの煙がまだ、自分の身体にまとわりついているような気がする。がたがたと身体が震えるのを止められない。
「大丈夫ですか、エイラさん!」
「ううっ……ううっ……ロタっ……ロタっ……!」
目の前の友人の胴体に、必死でしがみつく。
ロタの身体は暖かく、氷が溶けるように、エイラは自分の身体のこわばりが、だんだんとほどけていくのを感じた。
「熱は、無いみたいですね」
ロタのごつごつした手が、エイラの額にふれる。
落ち着いた声でロタが語りかけてくる。
その声も、仕草も、とても、やさしい。
「エイラさん。大丈夫。ロタは、ここにいますよ。大丈夫です。ここに、いますから」
ぎゅっと、ロタに抱きしめられる。エイラは自分の目から涙が落ちるのを感じた。
「怖い夢を、みたんですね。」
「……う、ん」
今度は、エイラの方から抱きしめる。
身体の震えは、少し収まってはいたが、まだ続いていた。
ロタの身体からは蜂蜜とアルコールと、甘酸っぱい汗のにおいがした。
首もとに、昼間に2人で選んだお揃いのチョーカーが揺れている。
ロタの手が、頭の後ろのほうを撫でるのを感じる。
「おばあさんも無事に送れましたし、今日はもう帰りましょうか?」
「……」
エイラは言葉で返答できなくて、さらに強い力で、ロタの身体を抱きしめた。
◇
「……恥ずかしい」
「我慢してください、エイラさんふらふらなんですから」
広場を後にした2人は、エイラの寄宿舎に向けて帰路を歩いていた。否、正確には1人が、もう1人を抱いて、というべきだろうか。
ロタが、エイラを胸元に抱えて、帰路を歩いていた。抱えられたエイラは両手で大事そうに蜂蜜漬けの紙袋をもっている。
再会の後、しばらく待っても、なかなかエイラの震えは収まらなかった。
エイラの背中を撫でていたロタは、ふと思いついたように、ウエイトレスを呼び、熱いお湯を注文した。
お湯が運ばれてくるとロタはテーブルの上の紙袋をかさこそと破ると
「お薬ですよ?」
と言って瓶詰めを開けた。
お湯に瓶の中の、たっぷりの桃が浸かっている蜂蜜を落としてから、一緒に注文したマドラーでくるくるかき混ぜる。
「どうぞ。蜂蜜は、体が温まります」
ロタが作ってくれた飲み物は、甘酸っぱくてとてもいい香りがして、おいしかった。
カップの中が空になる頃には、エイラの震えはすっかり収まっていた。
「……震えが収まったから、歩けると思ったんですけど」
さて帰ろうという段になって立ち上がったエイラは、強烈なめまいを覚えた。気分は悪くなかったのだが、脚に力が入らなくなっていたのだ。
それでは、ということで、こうしてロタがエイラを胸元に抱えて、エイラの家まで送ることにしたのだった。
エイラがどうしてああなったのか、ロタは一言も訪ねなかった。この優しい、無器用な友人の気遣いが、今のエイラには哀しい。
「ねえ、ロタ」
静かな夜は、いつだって人を、少しだけ素直にさせる。
「変なことを、きいてもいい?」
下から見上げる友人の顔は、にこやかに微笑んでいる。
抱き抱えられていると、ロタの体温と、匂いと、心臓の音と、感触、すべてを意識してしまって、なんだか頭がぼんやりとしてしまう。
「何ですか?エイラさん」
子犬のようだ、とエイラは思う。
この優しい友人の腕の中で、エイラはこれまでに感じたことのない安らぎを覚えていた。
「もし、もしも私が……遠いところに行きたいと思ったら」
一つ一つの言葉を、絞り出すように口にする。
「もしも私が、戦うのが嫌になってしまって、争いのないところへ……行きたいと願ったら」
貴女が傷つくのに耐えられなくなって、という言葉をエイラは飲み込んだ。
「それでも、貴女は、友達でいてくれますか?」
ロタは、ぽかん、と口を開けてエイラの目を見た後で、改めてにこりと微笑んだ。エイラの顔を引き寄せて、頭に、顔を強く寄せる。それが答えだと言わんばかりに。
ロタの体温を、より、強く感じる。
ふう、と息を吐いて、エイラは腕の中から空を見上げる。
「あっ」
エイラは天に向かって腕を上げ、空を指さす。
つられてロタも、顔を上に向ける。
そう、今日は星降るお祭りの夜だった。
青みがかった澄んだ空気の夜空。
月の周りを、いくつもの星が流れていくのが見えた。
fin.