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そしてとびでるユーパ様

人間、初めての物事というのには大体緊張してしまうものだ。

当人にとってその物事の重要度が高ければ高いほど、緊張は大きなものになっていく。

今日が初出動なこの若い兵士にとって、今感じている緊張は今までの人生で最上級のものだった。

初めて出来た好きな人に告白したときの二倍は緊張している。

ちなみに結果は散々だった。

それはいいとして。

若い兵士の目の前に居るのは、途轍もなく変な奴らだった。

具体的にどんな奴らかといえば。

上半身裸であわあわしている青年。

あわを吹いて気絶している少年。

それを冷静っぽい無表情で見つめる少年。

なんか大量の銛が刺さっているふわふわ浮かんでるなぞの物体。

そして、ものすごい数の銛をいっぺんに飛ばした良く分からない道具だ。

グランダ人の中で、銀の精霊モフコを知っているのは極僅かだ。

若い兵士はもちろんモフコのことを知らない。

もふもふの白い超巨大毛玉に銛がごっそり突き刺さっている光景は、恐怖以外の何者でもない。

少年があわを吹いて倒れてるのもなんかよく状況が見えないし、それを無表情に眺めている少年の目もなんか妙に目力が強くて怖い。

唯一まともそうなのはあわを食っている青年だけなのだが、巨大な道具を一人で引きずっているのを見てその印象は吹っ飛んだ。

引きやすいように車輪がついているので割りと動かせなくはないのだが、若い兵士はそんなことは知らない。

「なんなんだいったい・・・!」

がちがちに緊張して思わず呟く若い兵士。

もう逃げ帰りたい衝動に駆られるが、先輩はそんなこと許してくれるはずもない。

「行くぞ! 捕縛するんだ!」

「は、はいっ!」

先輩兵士の声に、びくりと身体を震わせる若い兵士。

彼は気がついていなかった。

先輩兵士もがっちがちに緊張していることに。




『あ、グランダの兵士さんだ!』

「なん?!」

モフコの言葉に、兄の額にブワリと脂汗が噴出した。

グランダの兵士は気が短くて怖いと評判だ。

こんなわけの分からない武器を外でぶっ放したことを怒られるかもしれない。

怒られるのが嫌いなモフコは、さっそくしぼんで逃走準備に掛かっている。

ぼふぼふと刺さっていた銛を弾き飛ばすと、ふわふわと上昇していく。

『そろそろおうち(神殿)にかえろうっかな! 信楽タヌキーズ(モフコ命名)も帰っただろうし!』

「ああ?! ずるいですよモフコ様! 逃げる気ですか?!」

精霊様に面と向かって苦言を呈す。

モンジャの民の神々に対する距離感は相変わらず限りなく0に近い。

『だってグランダの兵士さんって冗談通じないんだもんっ! バイバイ、そみたんにおにーちゃん!』

ぶんぶんと毛の束を振って空に登っていくモフコ。

そんなモフコに、弟は「ばいばい」と手を振り返す。

「モフコ様ー!」

叫ぶ兄の声もむなしく、モフコは高高度をふよふよと神殿に向かって飛び去っていく。

兵士達はそんなモフコを見て動揺しているらしく、棒を持って右往左往している。

飛んでいったモフコを追うか、目の前の兄弟を捕まえるか迷っているようだ。

「なー、にーちゃん」

「なんだね弟よ。 ってまだなんかあるのか? 今、兵士の人が出てきてそれどころじゃないぞ」

「へいし、もふこがとんでいってビビってる。 いまならにげきれるかもしれない」

弟の言うとおり、今のうちならうやむやで逃げることは出来そうだ。

「でもお前、このでっかいみんながいちゃいちゃしてるあいだにうんちゃらかんちゃら・・・どうすんだよ。こんなでかいもん・・・まあいいか。 怒られるのも嫌だし」

27管区内としては結構いい年なのだったが、怒られるのは苦手な子供っぽい兄だった。

弟に巻き込まれて散々怒られたり正座させられたせいだろう。

反射的にその場から逃げてしまう癖がついたのだ。

もっとも、殆どの場合逃げられない上に、逃げられたとしても罪悪感にさいなまれて弟を引きずって謝りにいく訳だが。

兄はもう一度兵士達の方を確認すると、意を決したように声を出した。

「よし、ソミタ。 エド君担げ。 走るぞ!」

「おお。 わかった」

言うや否や、弟は倒れているエドの胸倉とズボンをむんずと掴み、高々と頭上に掲げ上げた。

丁度重量挙げのような状態だ。

普通ならそんなもち方するなと突っ込むところだろうが、弟は物を持つとき大体こんな感じだったので兄は気にも止めない。

「エドもちあげた! いつでもにげられる!」

元気よくそう宣言した弟の声に、兵士達が反応した。

「に、逃げる?!」

「逃げるぞ! 捕まえろ!」

逃げるものを追いかける習性があるのは、どこの治安維持部隊も同じらしい。

手に持っている木製の棒を構えると、一直線に兄弟に向かって走り始めた。

どうやらモフコのほうはほっとくことにしたらしい。

「げっ! 追ってきた?!」

表情を引きつらせたのは兄だった。

幾ら弟が怪力とは言え、流石に人一人を背負った状態で兵士から逃げ遂せるのは難しい。

ここは大人しく捕まって、怒られるしかないか。

そう兄が思ったときだった。

「逃がすか!」

兵士の一人が、弟に向かって棒を突き出したのだ。

捕縛の為に使うその棒の持ち主は、緊張した若い兵士だった。

1mほどの長さのその棒は、相手を傷つけずに捕縛する為の道具だ。

相手を押さえ込むように使う分には、相手に怪我をさせることは少ない。

しかし、若い兵士は緊張のあまり、普段練習している槍よろしく突き出してしまったのだ。

鎧も着ていない生身でそんなものを受ければ、下手をしたら骨折してしまうかもしれない。

「あぶなっ!」

兄は自分の血の気が引くのを感じた。

見れば若い兵士の突きは、かなり良く訓練された動きだ。

これは下手をしなくても骨折、悪くすれば先がとがっていなくても肉体に刺さるレベルだろう。

とはいえ、兄が心配しているのは弟のみではない。

若い兵士のほうだった。

突撃してくる若い兵士を確認した弟は、軽く膝を曲げると、エドを持ち上げたまま垂直に飛んだ。

その跳躍は、優に1mを超えているだろう。

高々と飛び上がった弟は、思いっきり脚を若い兵士に向けて突き出した。


メシャリ


地味に痛そうな鈍音が響く。

「ひっく」

妙な声を上げて、若い兵士はぐしゃりとその場に倒れこんだ。

膝から崩れているあたり、恐らく脳震盪とかを起したのだろう。

分かりやすく目を回して地面に転がる若い兵士の横に着地した弟は、感心したようにそれを眺めている。

「おお。 きぜつしてるなー。 わかりやすいやつだ」

「感心してる場合か! 何てことするんだ!」

青い顔をして怒鳴る兄。

それとは反対に顔を赤くしているのは、若い兵士を目の前で倒された先輩兵士だ。

「貴様等ぁ!!」

腰を落として棒を構えると、完全臨戦に態勢で兄弟をにらみつけた。

「すみませんごめんなさい! 今のはほら、事故ですから!」

必死でその場を取り繕おうとする兄だったが、その声とぶんぶんと振った手が裏目に出る。

ぼけーっとしているだけの弟と兄とでは、動いている分兄に注目が集まりやすかったのだ。

弟がさっさと兄の後ろに回ったのも悪かったのだろう。

兵士の怒りの矛先は、弟から兄へと向き変わっていた。

普通の人間ならあまり無いことだが、基本的に単純なAIの悲しさだろうか。

「やかましい! 大人しく捕まれ!」

そういうと、兵士は完全に捕まえるつもりじゃない動きで棒を兄に向かって突き出した。

咄嗟に身をかわして避ける兄だが、相手は訓練をつんだ兵士だ。

すぐさま棒を引くと、今度は脚払いを狙って振りぬいてくる。

一般素民ならコレで転ばせることが出来るところだが、普段から凶暴な動物と戦っている兄はそうならない。

素早く後ろに下がって攻撃を避けると、苦虫を噛み潰したような表情を作った。

兵士の頭に血が上って話にならないらしいことを感じ取ったのだ。

このままでは、一方的に棒で殴られてしまう。

モンジャの集落では武器を使った喧嘩はいけないことになっているが、よそではそうでは無いことを兄も良く知っていた。

このままではボコ殴りにされてしまう。

「ソミタ! 棒よこせ!」

「おお」

兄弟の間で、棒といえば石の銛に石をつける前、つまり、殴ったり突っついたりするのに程よい長さと太さの木の棒を指す。

弟はエドを掲げ上げたままとっとこ歩くと、飯を食べる前に作りかけていた石の銛の材料に足を伸ばした。

器用に足の指で棒を掴み上げると、兄に向かって放り投げる。

振り返りもせずに後ろ手で棒をキャッチすると、兵士の持っている棒を弾きあげた。

「うをっ?!」

日頃エドの前足や顎を跳ね上げている兄の腕力だ。

幾ら訓練した兵士とは言え、まともにぶつかっては敵わない。

棒を跳ね上げられ、たたらを踏む兵士。

予想外の衝撃に驚いたのか、冷や汗を流している。

攻撃の手が緩まったのをチャンスと見た兄は、慌てて手を前に突き出して兵士を制止するような仕草を見せた。

「落ち着いてくださいって! きちんと謝りますから!」

もちろん、そんな兄の言葉が通用するはずもない。

兵士は殺気だった目で兄をにらみつけると、再び棒を構えなおす。

「なー、にーちゃん」

「なんだね弟よ。 今兄ちゃんわりと危険な状況なんだけど」

「へいしのひとはたたかうのがしごとだから、そんなことしたらもっとおこるんじゃないか」

「そういうことはもっと早く気がついて言ってくれると兄ちゃんすごくうれしかったな」

いつもと変わらぬ無表情で言う弟に、引きつり笑いで返す兄。

半泣き状態なその姿には、悲壮感が漂っている。

「貴様ら、モンジャの民だな・・・! 三人ともぶちのめして牢屋にぶち込んでやる!」

伸びている若い兵士よりはキャリアが長いとは言え、先輩兵士もまだまだ血気盛んなお年頃らしい。

原始時代さながらな生活をしていて牢屋というものを見たことがない兄弟だが、風の噂で人を閉じ込めておくオリだということは知っていた。

なんでも、動物を閉じ込めておく奴の人間用らしい。

まだ小さな頃、銛を持ってエドを狩りに行こうとする弟を閉じ込めたものだが、自分が入るのは嫌だ。

しかも一度閉じ込められると、何日も何十日も出してもらえないという。

「いやいやいやいや! 落ち着いてくださいって! 本当に謝りますから!」

「問答無用!」

「何をしている」

今にも飛びかからんばかりだった兵士を止めたのは、後ろからかけられた野太い声だった。

今までお互いにだけ集中していた兄弟と兵士の視線が、兵士の後ろへと向けられる。

そこに居たのは、マントを羽織り数名の兵士を引き連れた男だった。

「めがこわいな」

思わず弟がそう呟くほどの眼力の男は、弟の言葉も気にせずに構えを取った兵士のそばに歩いていく。

「ヌーベル副隊長」

どうやらマントの男はヌーベルというらしい。

ソミオとソミタの兄弟を壁の上から見ていた副隊長その人だ。

ヌーベルは地面に転がっている若い兵士を一瞥し、表情を変えないまま首をかしげた。

「壁に突っ込んで気絶でもしたのか? 棒を握った手が強張ったまま気絶しているぞ」

ヌーベルの指摘通り、若い兵士は手を掲げたまま硬直して固まっている。

なんだか若干コントくさい気絶の仕方だ。

「そいつ、ぼうもってつっこんできた。 あぶなかったからけった。 そしたらきぜつした」

相手が誰だろうと物怖じしない、抜群の安定感を誇るキモを持った弟がいち早く口を開く。

ヌーベルの放つ気配に圧倒されていた兄も、「まあ、確かにそんな感じだけど」と首を縦に振る。

「ち、違います! こいつらが逃げようとしたので、取り押さえようと!」

興奮気味に話す兵士の様子を見て、ヌーベルはなんとなく察していた。

血の気の多い若い兵士が突っ走るのは、今に始まったことではない。

ため息を一つつくと、ヌーベルは腰に刺していた棒を引き抜いた。

警棒程度の長さのそれは、それと同じ用途に使う為のものだ。

「私がかわる」

「ふ、副隊長が?!」

血相を変える兵士を押しやり、ヌーベルは兄弟の前にたった。

若い兵士を連れて行くようにと指示を出しながらも、二人から目を離さない。

頭に血が昇った兵士が棒を振り回すより、ヌーベル自身が捕縛した方が相手に怪我をさせなくてすむ。

それに、副隊長である彼の命令なら、兵士も納得するはずだ。

そんなヌーベルの考えなど欠片も知らない兄は、突然現れて自分が戦うと言い出した強そうな人にビビリまくっていた。

「待ってくださいってば! 勘弁してください?!」

「おお がんばれにーちゃん」

必死にアピールする兄に対し、弟はすっかり観戦モードだ。

気絶しているエドを横に転がして、がつがつエド肉を齧っている。

「お前何食ってるんだ!」

「えどにく!」

「そういうことじゃねぇ!」

こんな状況でもびくともしない弟だ。

兄に怒鳴られたぐらいではびくともしない。

兄弟のそんなやり取りを見ながらも、ヌーベルは軽く首をかしげるだけだった。

棒と同じく腰から下げていた盾を手にすると、先ほどの兵士と同じように腰を落とした構えを取る。

「さて。 行くぞ」

「い、行かなくていいです!」

冷や汗を流す兄だが、何もしないでぼこぼこに殴られるのも嫌だ。

仕方無しに棒を両手で持つと、いつも狩りでしているように腰を屈めて先端をヌーベルに向けた。

そして、兄は心の中で強く誓った。

「帰ったら説教だ・・・」




最初に動いたのはヌーベルだった。

盾を前に突き出しての、いわゆるシールドチャージという技だ。

今まで盾というものと対峙したことがない兄にとって、この動きは衝撃だった。

盾というのは何かから身を守るための壁みたいなものだと聞いていた。

相手からの攻撃を防ぐのにだけ使うのかと思っていたのに、いきなりそれで殴りかかってくるとは。

ビビリまくっている兄の行動早かった。

手にした棒を斜めに構えて、後ろに飛び退く。

エドなどの爪を受けるときのやり方なのだが、咄嗟にそれが出たのは日頃の実戦の賜物だろう。

予想以上に早い反応に、ヌーベルは感心する。

このままでは盾での打撃は望めないと早々に判断すると、棒での攻撃に切り替えた。

盾を脇にひきつけ、棒を素早く突き出す。

飛びずさった兄が着地するタイミングを狙ったそれは、よけることが難しい。

走る速度と腕の振りの速度を合わせた突きの速度は、シールドチャージの比ではない。

それでも、獣との闘いで鍛えられた兄の動体視力はその動きについていく。

斜めに構えていた棒を跳ね上げ、鳩尾を狙ってきたヌーベルの攻撃を跳ね上げた。

狩りを生業として日頃から体を鍛えているその腕力は、職業軍人である兵士のそれをも凌駕していた。

棒を弾きあげられたその力で、たたらを踏むヌーベル。

それでも、すぐさま盾を前に差出、構えを取り直す。

兄はそんなヌーベルの動きを注意深く見ながら、手に持っていた棒に改めて力を入れる。


驚きや恐怖ばかりだった兄の心の中には、いつの間にか別の感情も渦巻いていた。

いつも動物を相手にしている兄は、動物の動きを良く知っている。

それと同じように、恐らく目の前の兵士は人間の動きを良く知っているのだろう。

そして、その倒し方も。

ずっと考えていたものの答えが、見えたような気がした。

これからどんどん違う集落や、国とか言うものとモンジャの民は出会っていくだろう。

ただ、相手が友好的とは限らない。

ロイさんの役に立つのは、多分この兵士のような人だ。

ずっと漠然と考えていたことが、ふとした瞬間に纏まる。

そんな感覚だろう。

人と人との戦いに長けた兵士の戦い方を見て見たい。

そんな思いが、兄の心にわきあがってきた。

兄は意を決して、目の前の兵士と戦うことにした。

どうせ勝てないだろうし、そもそもやめてくれといっても止めてくれないし。

それにまあ、殺されることはないだろう。


兄のそんな考えが表情にも出ていたらしい。

表情が変わったのに気がつき、ヌーベルは片眉を吊り上げた。

正直、兄のことは最初のシールドチャージで倒せると思っていた。

モンジャの民は、身体能力は高いが、それだけだ。

格闘技能や戦闘技術は殆どない。

赤い神に庇護されて、闘いらしい戦いを経験してこなかったからだろう。

グランダも実際の戦争は経験した事こそ無いが、実戦訓練などで培った兵士の戦力は並大抵ではない。

赤い神やロイをのぞけば、恐らくモンジャはあっという間に蹂躙されるだろう。

いや、或いは居たとしてもまともに戦えば…。

にもかかわらず、兄は攻撃を跳ね除けて見せた。

恐らくは偶然やたまたまではない。

「強いのか? お前は。 戦えるのか?」

口をついて出たその言葉は、小さくて兄の耳には届かない。

ヌーベルは兄に半身を向けると、棒を身体で隠すように下段に構えた。

胸の位置まで盾を上げ、じりじりと間合いをつめていく。


一瞬眉をしかめる兄だったが、この行動の意図にすぐさま気がつく。

剣程度の長さの棒は、ヌーベルの身体に隠れて動きが見えない。

こちらの棒は盾で防がれ、相手の攻撃は盾と体が邪魔になって見えづらい。

やはり盾は、守るためだけのものでは無いらしい。

ヌーベルの動きに注意しながら、じりじりと後ずさる。

相手の持っている盾と棒は、リーチが兄の持っているものに比べて短い。

近づかれさえしなければ何とかできるかもしれない。

そう考え、兄は相手に向けるほうを長く棒を持ち直した。

こうすれば相手もそう迂闊には飛び込んでこれないだろう。

近づいてきた瞬間に突きを繰り出せば、少なくとも動きは止められるはずだ。


兄のそんな考えは、ヌーベルには手に取るように分かっていた。

確かに剣と槍での戦いでは、リーチがある分槍が有利だ。

しかし、懐に入ってしまえば立場は逆転する。

ヌーベルはゆらゆらと僅かに盾を揺らし始めた。

左右に体重移動をして、いつでも動ける準備をしているように見える。

ボクサーがステップを踏んでいるのに近いだろう。

案の定、兄の目は盾に向いていた。

一度それで攻撃をされたことがイメージとして残っているために、注目しないで居られない。

そしてそれは、ヌーベルの狙い通りでもあった。

ほんの僅か注意が盾に向けられた瞬間を見切り、再びシールドチャージを仕掛ける。


ヌーベルの動きに、兄は素早く反応した。

両足を踏ん張り、盾の中央を狙って棒を突き出す。

こういう攻撃方法には、実は慣れていた。

エドなどの獣が飛びかかってくる瞬間、その頭や口を狙って銛を突き出すことがあるからだ。

そういう時は、一瞬のためらいや躊躇が命取りに成る。

恐らくこの場面でも同じだろう。

盾を使って無理やり近づいて来るつもりなのであれば、そうさせなければいい。

突き破ることは出来ないだろうが、動きをとめることは出来る筈だ。

棒で突かれて動きが止まった崩れた状態ならば、押さえ込むことが出来るかもしれない。

兄が突き出した棒は、狙い違わずヌーベルの盾の中心を捕らえた。

単純な力での押し合いなら、エドにも引けを取らない兄に分がある。

このまま一気に押し切ろれる。

そう思った瞬間、兄は棒を握る手に違和感を感じた。

一度確かに感じた手ごたえが、ずるずるとすり抜けていく。

違和感の正体は、すぐ目の前にあった。

まっすぐど真ん中を捉えた盾を、ヌーベルが肩で押し込み無理やり斜めに逸らしていたのだ。

斜めになった鉄板に幾ら棒を突きたてたところで、ただ滑るだけ。

押さえ込むことも、止める事も出来ない。

それどころか、今の状況はもっと悪い。

棒の長さより内側に入り込まれれば、距離の有利が無くなってしまう。

あまつさえ、今度はこちらは棒を振り回すことも出来ず、一方的に攻められてしまう。

棒の長さが帰って命取りに成ってしまう間合いだ。

何とか制動をかけて動きを止めようとするが、止まらない。

自分自身の突きの動きもあるが、何より相手がこちらに突っ込んできているのだ。

間合いは一気に狭まる。

それでも、焦りで訳が分からなくなることは無かった。

感覚が研ぎ澄まされ、ヌーベルの動きがスローモーションのように見えてくる。

狩をしているときに時々こうなることがあるのだが、大概が命がかかる瞬間だ。

何かが不味い。

棒を逸らされて近づかれる以外の、何かがある。

直感的にそう感じた兄の頭には、すぐにあるものが浮かんだ。

ヌーベルが持っていた棒だ。

自分は棒を両手で持っていて、武器は封じられている。

だがこの間合いなら、ヌーベルは殴りたい放題。

自分が動かないエドなら棒で一撃で気絶させられるように、恐らく相手は今の自分程度なら一撃で気絶させられるはずだ。

このままでは不味い。

必死に視線を走らせ、棒の位置を探る。

恐らくは兄と盾とヌーベルの身体を挟んだ向こう側、死角になっている位置に有るのだろう。

半身を向けられて腕の動きも読めないから、どこから攻撃してくるのか見当も付かない。

それでも、何か動きのヒントになるものは無いかと必死で探す。

こうしている間にも棒は盾の表面をすべり、距離はどんどん縮んでいく。

そのときだ。

ヌーベルの太もも。

かなり低い位置から拳の先がのぞいて見えた。

棒を逆手に持って、上から下へと振りぬくつもりなようだ。

攻撃の手は見えた。

だが、避けることは体勢的にも勢い的にもまず無理だ。

それなら、腕ごと棒を押さえつけるしかない。

兄は棒を持っていた手を離すと、突っ込むように身を乗り出しながら手を伸ばす。

振り抜かれる前にヌーベルの腕をつかめれば、兄にもまだ勝機はある。

純粋な腕力勝負なら、負けない自身はあるのだ。


突然、ヌーベルと兄の腕が第三者によって掴み止められた。

「へ?!」

「ん」

突然のことに驚き振り返る二人。

棒を持つ手と、それを阻もうとする手を捕らえていたのは同一人物だった。

土に汚れたマントに、目深にかぶったハット。

真っ先に目が行くのは、顔を覆う白い髭だろう。

年齢を感じさせる外見や皺だらけの手は、二人の若者の腕を押さえ込むほど力強い。

二人の動きを抑えた老人は、髭だらけで見えない口を開いた。

「双方引け。 赤い神の御前ぞ」

老人が顔を向けたほうを見るヌーベルと兄。

その先には、赤い神様が立っていた。

『こんにちは。 皆元気そうですね』

柔和に微笑む赤い神様。

外面はそんな感じだが、内心ビビリまくっているのは言うまでもない。


『何今の。 何今の! こわっ! グランダの兵士さんこわっ! あんなのに私命狙われてるんですか?! 死なないけど!』


とかそんな感じだ。

「赤い神様」

赤い神様の顔を見て落ち着きを取り戻したのだろう。

ヌーベルも兄もお互い身体に入っていた力を抜くと、ゆっくりと距離をとった。

それを確認すると、老人は捕縛していた手を解く。

ヌーベルは赤い神様に一礼すると、ゆっくりと口を開いた。

いつもどおりの、穏やかな口調だ。

「御見苦しいところをお見せしました。 先ほどの騒ぎはご承知でしょうゆえ、裁きは赤い神にお任せすることにして、我らは城砦へ戻ることといたします」

そういうと、ヌーベルは再び赤い神様に頭を下げ、グランダへと歩き始めた。

赤い神の存在に一瞬緊張していたほかの兵士達も、慌てたようにそれを小走りで追いかける。

とめるタイミングを逸したようで、赤い神様はその背中をもどかしそうに口元をゆがませて見送った。

「あかいかみさま、きらわれてるな」

遠慮か呵責一切なしの言葉をストレートに投げつけたのは、エド肉をむさぼっている弟だ。

「お前、何てこと言うんだ」

表情を引きつらせて突っ込む兄。

流石にダメージを受けたのか、赤い神様も若干表情を引きつらせた笑みを浮かべている。

「あ、そうだ。 とめてくれて、ありがとうございました」

兄がお礼を言ったのは、ヌーベルと兄を止めた髭の老人だ。

老人は首を振ると少し笑ってみせる。

「いやいや。 神の前で争いごとはいけないと思っただけのことだよ。 余計な世話かとも思ったんだが」

「いいえ、助かりましたよ。 あ、俺はソミオって言います。 そっちの肉食ってるのが弟のソミタ。 転がってるのがエドくんです」

「ありがとな、じーちゃん」

エド肉を掲げてお礼を言う弟。

「食いながらお礼を言うな」

呆れ顔で叱る兄に、老人は大きな笑い声を上げた。

「元気でよいよい。 ワシの名前はユーパ。 ネストの森で動物達の毒の採集を生業としておる」

ユーパと名乗る老人の言葉に一番に反応したのは、赤い神様だった。

『ユーパさん・・・?! って、それよりも、ネストの方なんですか?』

ユーパは恭しく頭を下げて膝突くと、赤い神様に答える。

「お初のお目にかかります。 ネストに住まう狩人、ユーパと申します。 いつか赤き神が銀の精霊を開放する時のため、城のババに森の毒を集め届けておりました」

『そうでしたか・・・でも、そんな話聞いたことが有りませんでしたけど。 パウルさんもなにも・・・』

首を捻る赤い神様に、ユーパは笑いながら言う。

「あやつは優秀な王ではありますが、なかなかにうっかりものですからな」




丁度その頃、ネストの城。

執務に追われていたパウル王は、何かを思い出したように椅子をけって立ち上がった。

「ユーパのこと忘れてた!!」

後に「うっかり王」として名を馳せるパウル王の伝説の始まりである。

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