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祭の夜に

Lizreel サマからのアンサーでございます

ありがたやありがたや・・・!

グランディア初日を終えた夜。

 時刻は深夜を少し回ったころである。


 赤い神の神殿では……新しく来た構築士たちの親睦会を兼ねて盛大に飲み語りくだをまいたあと、収拾がつかなくなって結界で防音しカラオケの真っ最中だった。

 最新のヒットチャートナンバーはもちろん、懐メロからメドレー、洋楽など幅広いジャンルの曲を網羅し、三柱の神々とその眷属はややマイクを奪い合い気味になりつつ自慢の歌声を披露する。構築士たちは意外にカラオケ好きだったということが発覚した。まさに自分大好き人間の集団であった。


 バラードナンバーを美声で歌い上げる白椋、ケルト音楽が好きだというロベリア、飲みすぎてテンションが下がりその場でごろ寝する蒼雲、無駄にタンバリン使いの上手い赤井、ラップ系の洋楽を入れがちなヤクシャ、カラオケは横に置いて何かにつけヤクシャと絡みたがるモフコ。素民の見てないのをいいことに、羽目を外しすぎて収拾がつかないことこのうえなかった。


『おっ、エトワール先輩の番ですよ!』

 赤井が次曲をチェックすると、次はダンスナンバーが入っていた。先輩、踊る気なのかよ……、期待を裏切らないエトワールに、赤井は両手にタンバリンを構えて盛り上げる気満々だ。しかし当のエトワールは画面と時計を見比べていたが観念したように

『名残惜しいが今日は少し早く切り上げるかな』

『え!? なんで!?』


 自分で入れた曲をぽちっとキャンセルし、一目散に退勤しようとするエトワールに、スタンバイしていた赤井が驚いてつっこむ。


『先輩今日はこのタイミングで早引きですか?!』

『うん、ちょっと外せない野暮用があってね。今日はここまでだ』

 あっさりと意味深な発言を残し、窓から赤い翼をはばたかせて目にもとまらぬスピードで飛び去っていった。後に残された構築士たちと、信じられないというリアクションの赤井。


『あのナルシストのエトワール先輩が、自分の曲をキャンセルしてまで行きたい野暮用って何よ!?』

 野暮用を聞くのは野暮だと分かっていても、普段の彼のナルシストっぷりを知るだけにものすごく気になるモフコである。


『まーまー、先輩のことはいいから歌いましょうよ。どうせ奥さんか娘さんのことじゃないです?』

 赤井はのほほんと、ジョッキをあおりビールひげをつけて呑気なものだ。エトワールの優先事項といえば、ほとんど99%家族絡みだというのは確かな話だ。


 このとき、神殿の外ではヌーベルが赤井の命を狙って行動を起こしているなどと彼は知る由もなかった。



 ***


 およそ二時間後。一芝居を終え、ユーパとヌーベルの前から消滅したエトワールは、やれやれ終わったかと神殿裏で一息つく。退勤のために転送陣を作ってさっさと現実世界に帰ろうとしていたところ


『エトワルせーんぱいっ!』

 精霊モフコが女精霊の姿で神殿の影から飛び出して思い切り背にぶつかってきた。体育館裏で先輩を呼び出して待っていた女子という脳内設定らしい。

『ぶわっふ!』

 びくっとして飛び上がるギメノなんちゃら、もといエトワールである。素民に見つかったかと早とちりをして大慌てをしていたが冷静になったらしく

『何だモフコ君か。素民じゃなくてよかったよ』


 エトワールは名前の長い邪神ギメノなんちゃらのアバターに乗っている。エトワールがコンセプトを創り、グラフィックデザイナーのモフコがエトワールの注文を受け、より厨二に仕上げた作品である。黒いミイラが何か黒いローブを着て暗黒なオーラを放つ、顔の殆どが(何か呪術っぽい文字の施された)黒い包帯で隠れているのでエトワールにとってはすこぶる視界が悪い。が、デザインの為にはそんなことは気にしていられない。構築士は体当たりの演技をしてこそ。それに、毛玉なモフコの方が体当たり具合では群を抜いているため、不満は言えない。


 ギメノなんちゃらの見てくれは相当邪悪だが、顔の包帯を解くと、そこには童顔のエトワールが。見るからに疲れたという顔をしている。

『見ていてくれたかね、なかなかの演技だっただろう』

 いつもの声色に戻り、モフコはほっとする。赤い神とギメノグレアヌスが同体であると告げた以上は、明日からヌーベルが赤井を狙うことはないだろう。エトワールは上手く立ち回った。

『まあね。なんで黒い羽根を落としたのか意味が分からなかったけどね!』

『それはあれだ、演出というやつだよ』

 ちなみに彼が黒い花弁にするか黒い羽根にするか最後まで悩んでいたのはここだけの秘密だ。


『厨二病でナルシストな先輩のなせるわざだね! あの先輩が持ち歌も歌わずにどこに行くかと思って! こんな小芝居やってたんだ!』

『私だって仕事をするときはするのだよ』

 エトワールは当然だと言わんばかりに鼻を鳴らす。

『いつもはきっかり定時だもんねっ!』

『公務員が定時に帰って何が悪いというんだね』

 グランディアでのヌーベルは赤井への敵意がむきだしで、その憎悪が根本的なものであることから、和解のしようもなかった。今日中に和解させておかないと明日から血を見るかもしれないと思ったのだ、主に赤井が。赤井には第一区画解放の際にずいぶんと割をくわせてしまった、せめて懸念のないようにしてやりたい。


 そんな思いでエトワールがヌーベルの書置きを見て神殿に飛んで来てみれば、既にユーパと事を構えていた。荒療治をすることもなくヌーベル、ユーパ双方を止めることができてエトワールは胸を撫で下ろした。


『しかし赤井君が第一区画と戦わなかった功罪と、素民に対する影響は大きいよ』 


 はっきり言って、赤井が第一区画解放時に予想外の行動をとったことでエトワールの予定は狂ってしまったのだ。モンジャ民にとっては一時的に戦争を回避できてよかったかもしれないが、第一区画の民にとっては必ずしもよかったとはいえない。通常、ハイロードは起点区画の領土を拡大しながら支配を拡大してゆく。地図を単色に塗りつぶしながら、一神教信仰を広めてゆくのが定石である。それによって、ハイロードに強い信仰が集まる。


 つまり、第一区画解放時にグランダは敗戦してモンジャ国の領土となりグランダ軍はモンジャ軍となるはずだった。ネストもしかり、第二区画解放後にはモンジャ大帝国ができあがっているべきだったのだ。

 ところがグランダもネストもほぼそのままの形で、モンジャの支配下となることもなく存続している。その結果現在、ハイロードである赤井の持つ軍はあくまで三国の寄せ集めの軍でしかなく、大帝国のそれと比較すると指揮系統は洗練されていない。早急に団結を図り、守りを固めなければならないだろう。


『第一区画は最初の敵対区画であると同時に、ハイロードが最初に掌握する組織的な軍事力。これがないと、第三区画からはきつくなるかもねー……』

 モフコも心配ではあるようだ。構築序盤の主たる兵力は第一区画が担っており、グランダ内を緊急避難用の城砦として利用できるようにエトワールは構築を進めてきた。その城砦を取り払ってしまった赤井は、恐らく先の事はあまり考えてはいない。


『そのあたりって、その道のプロなヤクシャさんたちが何とかしてくれるんじゃないかなー』

 モフコは、赤井に期待していないというかヤクシャたちに期待を抱いている。ヤクシャ、ロベリアなど軍事に長けた使徒を採用した赤井は、彼ら主導でも構わないからグランダとネストの兵力をうまく活用してほしいものだ。何ならヤクシャらに全面的に軍事を任せた方がスムーズにゆくのかもしれない。餅は餅屋、経験の豊富な部下に分担して任せた方がいい。


『ロベリア君はわからないが、ヤクシャ君は早ければ来年にはこの管区を抜けるかもしれない』

『ええっ、何で分かるの?』

 モフコは明らかに落胆していた。せっかく27管区職員同士、親睦をはかろうと思っていたのだ。


『彼、毎年ハイロード採用試験を受験しているらしいよ。こないだ電車で一緒になった時にそう言ってた。今年も受けるってさ』

『てことは毎年落ちてるってことだねっ! 負けず嫌いなところが素敵じゃないっ!』

 モフコがキリっと表情を引き締めて実も蓋もないことを言う。

 ハイロードの資質として必要なのは、バイタリティと公共奉仕の精神の有無だと言われているが、基準は定かではない。一度落ちたら、何度も落ちると言われているのがこの試験だ。


 ちなみに甲種一級構築士採用試験は、

 1次試験:基礎能力試験(記述式)、専門試験(記述式)

 2次試験:性格検査、体力検査 

 3次試験:人物試験(集団面接)

 4次試験:適正検査

 5次試験:人物試験(個別面接) である。

 殆どが、2次までに落ちて箸にも棒にもかからない。最初の難所は2次試験の性格検査というもので、これは脳をスキャンされ丸裸にされてしまうため、いかに表面上取り繕おうにもごまかしが通用せず対策の打ちようがない。二次を一度でも通過したものは、まだ甲種構築士となれるチャンスはある。だが、性格検査で引っ掛かってしまった場合は何度受けても脈はないといわれている。

 ヤクシャは前回、最終まで行ったのだという。つまり、赤井、白椋、蒼雲が選ばれ彼が落とされたのだ。


『最終はもう、人事担当の好みでしかないからな。最終まで残った実績があるなら、次は通過するかもしれんよ』

 だからエトワールは、来年ヤクシャがハイロード試験に受かってもおかしくないという。


『そっかぁ。ヤクシャさん行っちゃうのか……』

 私の婚活は?! と、モフコの心の声が聞こえてきそうだったが敢えてエトワールは気づかないふりだ。


『もしそうなったら、君もヤクシャ君の管区に行くのかね? 彼もまた十年出てこれなくなるだろうが』

『ヤクシャさんはともかく~、私はずっとここにいるつもりだよ? 赤井さん面白いし、居心地がいいんだもん。それに、私のデザインした管区でもあるしー』

 愛着のあるグラフィック、モフコのデザインした動物たち。苦心を重ね多様な生態系を根付かせた27管区を、モフコは立ち去ろうと思わない。


『奇遇だな。私もだ、ここにずっと居残るつもりだよ』

『なんだかんだで、エトワル先輩もお人よしなんだねー』


 赤井の管区は、赤井がゆるゆる系なので他の管区と比べて有給とるって言いやすいからな!


 そんなことは口が裂けても言えないエトワールだった。


 ***


 カラオケも一段落すると、ロベリアとヤクシャ、モフコは退勤のため現実世界に戻っていった。

 仮想世界に残された赤井たち神々は、神殿で飲みなおしていた。

 翌日は仕事なので自重すべきなのだが、二日酔いも寝不足もないので自重することに意味はない。

『では、改めて白椋さんと蒼雲さんの27管区訪問を歓迎して! かんぱーい!』

 赤井と蒼雲はビール、白椋はシャンパンで乾杯だ。とはいってもどう頑張ってもほろ酔い程度にしかならない。仮想世界内での飲食は一般的には認められないが、赤井にとってはストレス軽減にもなるということで伊藤の許可もあり黙認されている。それをいいことに赤井は飲みたい放題で、お酒のあてはもちろんモンジャである。


『いやーこうして皆さんとモンジャ食べたいなーって思ってたんですよ。9年ぐらいですけどね』


 赤井は嬉しそうにできたてのモンジャを頬張る。初出勤から同期会を夢見ていた彼は、ようやくこの瞬間が訪れたかと嬉しくて仕方がないのだ。無邪気な奴だな、と蒼雲は呆れながらも感心する。

『そっか、赤いのはまだ9年なんだもんな』

『ふふ、わたしたちは一度も食べたいとも思いませんでしたよね、蒼雲神』


 素民の前では真面目な白椋からも、楽しげな笑みがこぼれる。赤井の何もかもが初々しく感じるのだ。白椋が9年目の頃、一体何をしていただろうと思いだす。食糧増産に努め素民を増やし、街を碁盤の目状に整備し、有能な使徒達を次々と迎え、素民たちに最初の白の神殿を建造させ、地母神信仰を盤石なものとし、爆発的に増加する素民とその国家を掌握することに奔走していた時期だった。食欲など、思い出したこともなかった。


 今となって振り返れば患者や素民にとって必要だったのは、物資的なそれよりも精神的な豊かさだったのかもしれない。そのあたりの配慮を、少し怠っていただろうかと白椋は振り返る。


 赤井の世界はまだ管区のカラーも決まらず構築の方向付けもされていない、未発達なものである。

 だからこそ、無限の可能性を持っている。


『味覚ないし食欲ないからなー、俺ら』

 赤井がもんじゃ焼きを食べたいと思うのは、食欲が残っている赤井ならではの生理事情だ。味覚も食欲もない蒼雲と白椋は完全に赤井の付き合いという雰囲気だが、悪い気はしない。彼らは赤井を知りたくて、この世界にやってきたのだから。とはいえ、これまでのところ赤井が素民に対してこれといった治療を施している様子は伺えないのだが、一体どこがどう違うのだろう、と白椋はたえず彼に注意を向けていた。


 その後は、真夜中まで各々の構築論や管区での思い出話に花を咲かせながら、ちびりちびり同期三柱で飲んでいた。そのうち蒼雲が力尽きふらふら退場し、白椋も張りきって飲みすぎてその場でつぶれてしまった。


『もうお開きですか……白椋さんも寝室に帰りましょう』

  グランディアのさなかとはいえ、宴の後は哀愁が漂うものだ。片づけをしつつ、白椋と二人きり残されて途方に暮れる赤井。女神が風邪をひいたりはしないだろうが、このまま部屋に残しておくわけにはいかない。石造りの神殿は夜間は冷えるため、是が非でもベッドで寝てもらわなければ困る。


『運ぶぐらい問題ない……よな?』


 お互いに疚しい気持ちもないので、全身をほんのりと赤く染めた彼女を、赤井は慎重に担ぎ上げる。女神の神体は不安になるほどに軽い。その肢体は艶美で、蕩けるような甘い香りを放ち、肌は輝くばかりだ。アバターだとは分かっていても、神々しさに思わず見惚れてしまう。人間離れした美貌のアバターの中に、繊細な人間の女性の意識が入っていると思うと、おのずと歩みは慎重になり、大切に接したくなる。


 彼はそろりそろりとオリエンタルなデザインの、白の神殿へと向かう。

 結界をかいくぐり扉を開ければ、天蓋つきのベッドに既にコハクが陣取って大の字になって寝息をたてていた。女神の帰りを待ち疲れたのだろう。待たせて悪いことをしてしまったな、と悪びれながら赤井はコハクに無理なく寝返りを打たせ傍らに白椋を横たえると、ベッドに沈む。


『おやすみなさい、白椋さん。よい夢を』

 少し後ろめたさを引きずりながら赤井が白椋の寝所を立ち去ろうとすると、


『ありがとう、ございました』

 ふわりとした、感謝の言葉が背後からすっと染み渡った。振り向けば白椋はベッドのはじにちょこんと腰かけようと起き上がっている。運び方が下手で起こしてしまったかと赤井が気を遣うと、運ばれているときには起きていたのよ、とくすくす笑う。


『もう……どうしてそれならそうと言ってくれなかったんですか』

 赤井が困惑すると白椋はおどけたように


『運ばれたかったから、かな?』

 冗談めかしてそう言うが、銀の瞳がまっすぐに赤井を射ぬくようだ。


『ええっ!?』

 赤井はまいったというように、ぽりぽりと頭をかく。精神科医は気持ちを試したり、駆け引きをするのが上手なのだろうが白椋も例外ではないらしい。赤井が対応を決めかねて困っていると


『うふふ、意地悪だな、なんて思わないでくださいね。ただどんな風に抱き上げてくれるのか、知りたかっただけです。優しくなのか、強引になのか、粗雑になのか……、でも思った通り。あなたはとても丁寧に運んでくれました。きっと素民にも患者さまにも裏表なくそうなのですね』


『むー、そうなんでしょうか。女性と子供には誰にでも優しくしますよ。白椋さんには色々と見透かされているようでなんか怖いなー』


 心理学的なテストだろうか。赤井はたじたじだ。彼の行動、一挙一投足で心理分析をされているに違いない。あわあわと退出しようとすると、白椋は宙に浮かび上がりふわふわとその場で漂う。


『よろしければ一緒に、夜風にあたりません? 酔いざましに』


 白椋が歌うように赤井を誘う。艶美な女神に魅惑されてしまったら、断ることもできない。素民はひとたまりもないだろうなと赤井は息をのむ。理性を失うことのない神のアバターに乗っていたことに感謝した。付け加えるなら赤井の中にあるのはいつだって愛実、つまりメグなのだが……。


『今日は快晴ですね』

 白い花の咲き乱れる神殿の庭園を見下ろす、二柱は神殿の尖塔の天辺に降り立つ。並んで座り、夜空を見上げた。カルーア湖から吹き込んでくる湿気を含んだ風が頬を撫で髪をあそばせ心地よい。


『きれい、こぼれ落ちてきそうな星空ね……あそこのあたり、天の川みたいですよねえ』

 銀のアトモスフィアを纏い、晴れ上がった満点の星の輝く夜空を見上げて詩的なコメントをつぶやく白椋に、赤井は見とれてしまった。

『そうですね、天の川の線路を、銀河鉄道が走ってるのかもしれませんねー』

 赤井は思わずそう言ってしまったが、これは西園の受け売りだ。

 彼女は宮澤賢治の詩集が好きだったっけ、と赤井は昨日のことのように思い出す。


『白椋さんは、振り返ってみて二百年ってどうでしたか?』

 いつの間にか先輩となっていた白椋に、いまだ新神の括りにある赤井は遠く及ばない。彼女はもう、赤井のずっと先の世界へ行っているのだ。女神を演じるこの女性は、どんな思いでこの世界で生きてきたのだろう、想像すると赤井は頭が下がる。


『そうですね、色んなことがありましたね……よいことも、悪いことも』

『一番思い出に残っている出来事は?』

 赤井は明るい話題を振ったつもりだった、しかし白椋の笑顔がわずかに陰る。

『……あ』

 赤井は気づいてしまった。彼女の脳裏によぎったのは……28管区のロイのこと、だろうなと。

 どうフォローしてよいのか分からないまま、気まずい空気が漂う。グランディア初日を終えた今、27管区のロイはグランディアスタッフたちをまとめて裏方でよく働いてくれている。その彼が造反など、現段階では想像することもできないが、データから読み解くにそれはほぼ確実な未来として、対策を打たなければならないのだ。先人に学ばなければ、と赤井は強く思った。


 思い切って、28管区のロイの過去を白椋に訊ねてみた。

 その時を回避するために、知っておいたほうがよい。


 ロイの命日となったその日のことを、白椋は鮮明に覚えているという。

 忘れようにも、忘れられないのだ。デジタル化した疑似脳の情報が、忘れることを許さない。


 28管区のロイは、白椋に仕えスオウの血筋を支える神聖エルド帝国の大教皇だった。白椋は他管区の神々と同じく彼に神通力を与え、帝政や軍事や治安維持全般を任せていた。ロイは白椋の片腕となり、万事において優秀で忠誠心も厚く、よく国を治めた。白椋もスオウも彼を重用し信頼しきっていた。

 そんな折。白椋の命令で敵対する辺境国の暴動を鎮圧していたロイが、エルド帝国建国以来初の惨敗を喫した。彼が白椋から預かり率いていた帝国軍は多くの死傷者を出した。敗戦の報告を兼ね、ロイは大神殿で白椋に拝謁を願った。


 彼は事細かに戦果を説明し、釈明をせず形式通りの謝罪をし、どんな罰も甘んじて受けるとだけ述べた。これに対し白椋は彼を責めず、遠征を終えた彼の疲れをねぎらった。彼がいつもにもまして身も心も憔悴しきっていると分っていたから。そして彼の自己申告により、白椋は、ロイが白椋の祝福を長期間拒絶していたことを知った。ロイが何か月も神通力の飢餓状態にあったことを、白椋は見抜けなかった。


 ロイは、なぜ敗北を責めないのかと白椋に詰め寄った。白椋はそのとき、ロイの心が看破をもってしても見えなくなってしまっていることに危機感を抱いた。領地に戻ってよく休むように、追って指示を出すからと短く命じ、白椋がロイに背を向けたとき。恐れていたその瞬間は訪れた。

 白椋の背後から神剣で袈裟がけに斬りつけられ、白椋は不意の凶刃に倒れた。

 何故彼が背後の奇襲だったのか。それは、白椋の顔を正面から見ることができなかったから、面と向かい合うのが疾しかったからだと白椋は後に分析している。


 傍に控えていたスオウの血脈の若き巫女王が、怒りに震えながら神炎の槍を取り、ロイを誅殺しようとするも、ロイはスオウをほぼ一撃で殺害。百年以上の反復学習と鍛錬を積んだ老獪なA.I.ロイと、経験の少ないA.I.スオウの性能の差は歴然としていた。駆けつけた素民の神官達、親衛隊をロイは神炎で焼き払い、転移で戻ってきた使徒をも鮮やかに罠にかけ深手を負わせた。


 濁った憎悪。やり場のない怒りが爆発した……理不尽かつ突発的な叛逆だった。

 とてつもなく恐ろしいことが起こったのだと、白椋は自身の血の海に沈みながら了知した。

 聞き分けの良かった、優しかったあの子が一体なぜ。先ほどの対応がまずかったのか……考える猶予など一切与えられぬまま、白椋と彼女の使徒たちはまさにその瞬間からロイと交戦しなければならなかった。


 幼少期から彼を知る白椋が、彼を叛賊として切り捨てさなければならないのは辛かった。白椋は手負いとなりながらも、一日にもわたる死闘の末、ロイを神具・羂索網で捕縛することに成功する。勝負は決したかに見えた。使徒たちからロイの殺害を強く迫られる中、白椋は頑としてこれに応じなかった。

 しばらく投獄し頭を冷やし、根気よく対話を続ければ改心の余地は必ずあると思ったのだ。


 彼が患っているのはただのストレス性の、心因性の発作だ。

 彼は一時的に精神を病んでいるだけ……彼の怯えや不安、ストレスを取り去り、時間をかけてケアをすれば、また昔のような関係に戻れる。精神科医であった白椋は、高次脳障害以外の精神病の分析と治療に自信を持っていた。もしくは、彼がA.I.である以上、何らかのバグを抱えていたという可能性もある。バグを取り除けば……白椋は彼を見捨てるつもりはなかった。彼を救いたかったのだ。


 しかし彼はそんな白椋の慈悲を裏切り、一瞬の隙を突いて神具の拘束を突破した。白椋が下賜したロイの神剣によって使徒たちは斬り伏せられ、ログアウトを余議なくされ、遂に白椋は使徒の守りを失いロイと1対1で対峙した。白椋は神殿内部に結界を張り、逃げ道をふさいで一歩も退かなかった。ただ、彼女はロイを止めたかったのだ。


 不滅の女神と、不老の暴君。

 勝負が長期化するほどロイは身体に含ませていた残り少ない神通力を使い果たし、じり貧になってゆく。

 一方、白椋は手負いとはいえ幾万もの民の信頼と願いを一身に集めた万全の状態。

 勝負の行方は最初から見えていた。


 できることの限られるA.I.が単独で、女神に勝てるわけがないのだ。騙し合いで出しぬけるほど白椋は無能でもない。女神は裏読みと心理的駆け引きに長けていた。仮想世界で最初に約束されたこの関係は、どうやっても覆ることはない、それをロイも知っていて、見せつけられたのだろう。白椋の神通力の重い衝撃波による攻撃で、両脚の骨を粉砕された。即座に回復を試みるが、神通力が切れて回復もままならなかった。


 どうしても彼を殺したくない白椋は、きわめつけにロイの体内に残っていた神通力を完全に奪取、周囲に即効性麻酔薬を大量に構築、意識を落とすことにより沈静を図った。しかしロイは最後のあがきに、隠し持っていた爆薬を白椋に放った。すると爆炎が揮発性麻酔薬に引火し、大神殿ごと爆発を起こしたのだった。結界を展開していた白椋と、神殿周辺の素民は無事だった、が……

 ロイは爆発により瀕死となり、白椋を剣を向けたままこときれた。それが、彼の最期となった。


 赤井は、白椋の話に絶句していた。

『ごめんなさい。わたし、少し喋り過ぎましたね』

 白椋は寂しそうにほほ笑む。

『いいえ、そんなことないです』

 赤井は生々しい結末を聞き、現在のロイの姿と重ね合わせ、何とも言えない気分になる。


『彼はあのとき、何を思っていたのでしょう』


 ロイは心理層のようなものを身につけ、看破でも本音が見えなくなってしまったらしい。

 白椋はじっと自身の両手に視線を落とすが、焦点は定まらない。


『……わたしが、この手で彼を殺めたのですけれども、今は後悔しています』

 赤井の、ロイやキララに接する様子を見ていると、彼にもう一度会いたいと白椋は思ってしまった。


『出会えたら、彼に何を言いたいです?』

『何も言えません……ただ』

 白椋は夜空を仰ぐ。

 いつの間にか瞳いっぱいに込み上げてきた涙を、こぼさないように上を向いているようにも見えた。


『ただ……今度は思い切り、抱きしめてあげたいと思います。赤井神、わたしはどうして、彼を迎える運命を分かっていながら彼を追い詰めてしまったのでしょうね。ああなる前にもっと、彼にしてあげられたことがあったはずでした』

 白椋は噛みしめるように悔悟する。27管区のロイに、彼女が触れることはできない。

 彼女はやり直せないのだ。だからこそ、この世界のロイの行く末を見守りたい、後悔をしてほしくないと赤井に告げる。


『そしてロイもそうですがメグ、……いえ、あなたの元恋人のこともありますしね』

『ごほっ! ごふっ!』

 驚きのあまり咳き込む赤井神は、屋根からつるりと滑り落ちてそのまままっさかさまに中庭に落ちていった。

『赤井神~!』

 数秒後、赤井は間が悪そうな顔をしつつふわふわと浮かび上がってきた。


『白椋さんにはお見通しでしたか。でも、……あくまで”元”恋人なんですよ』

 赤井にしては珍しく動揺しているのか、声が裏返っている。

『メグはあなたのことを愛しています。本当のことを伝えても、かまわないと思いますよ』

『彼女は、神としての私が好きなんですよ。人間だって知ったら、がっかりすると思うなぁ』

 彼女の愛実としての記憶は確かに神坂桔平を知っていて、思い出しているようではあるけれども……。


『そうですか。でも”その時”というのは、いつ来るのか分かりませんから。後悔をしないように』


 赤井もメグとの距離の取り方について悩んではいた。悩めば悩むほど、彼女とどう接してよいのかわからなくなる。赤井の存在が彼女の現実世界帰還の足枷となってしまうのなら……何も知らない方がよいのかもしれない。そう思うと、忙しさにかまけて考えることをやめ、メグと少し距離を置いてしまっているのが実情だ。メグのことは、ひとまず保留にしてしまっていた。


『これから彼女に何が起こるのかを説明してあげてください。彼女はとても不安がっているようです』

 それは知っていた。だが、赤井は彼女に何も言ってあげることができなかった。

『そうすれば、現実世界でもう一度彼女と再会できるかもしれません』

『現実世界で?』

 白椋は大きく頷く。

『無理ですよ……私が外に出られるの、十年後ですから』

 十年後にのこのこと出てきて、会いたいなどと言っても彼女の負担になるだけだと赤井は思うのだ。

 それに、現実世界で愛実は彼女の意思で拮平のもとを去った、それは事実だ。今更、記憶の戻った彼女に何を言えばいいのだろう。失踪の理由は知りたいが……彼女の幸せを思えば、彼女の記憶から消えるべきだ、と赤井は思う。


『彼女には何か、あなたのもとを去らなければならない事情があったのではないかと思います』

 気休めのような言葉だが、白椋が調べたかぎり、メグはナズに親愛の情こそあれ、互いに愛し合っているわけではない。まるで兄妹のような関係であったか、友人であったように見受けられる。


『……個人的な感情は抜きにして、グランディアが終わったらメグとよく話し合ってみてはどうでしょう』

『ありがとうございます、白椋さん。そうすることにします』


 赤井は少しだけ、晴れやかな顔をしていた。

 白椋も安心したように、にこやかに微笑む。


『ふふ、それはよかった。神様としても人としても、メグを幸せにできるのは、あなた次第だと思いますから』

 二柱の頬には、朝陽が射し込んできていた。

 赤井は気分をすっかり切り替えて、気合を入れるようにペチ!と自分の両頬を手で叩く


『さて。グランディア二日目、今日も張り切って頑張りましょう!』


『その前に、お散歩に行きません?』

『おっ、いいですね』


 二柱は楽しそうに連れ添って、夜明け前の空の散歩としゃれ込んだ。

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