そみんだってお祭り騒ぎです? 2
立ち直りと動きの早さに、ヌーベルは目を細める。
ユーパはけして、筋力が強いわけではない。
瞬発力が特別優れるわけでもない。
では、その身のこなしはどこから来るのか。
己の体の使い方を知り尽くしているから、だろう。
人間は自分で思うほど、自分の体を思い通りに動かせない。
はじめからイメージ通りに動かせるのであれば、逆上がりが出来なくて苦労する小学生はいなくなる。
飛び、跳ね、走り、剣を振るう。
何百何千と繰り返し練習することで、人はようやく一つの動作を上手くこなすことが出来る様になる。
ならばこの老人は、一体どれほどのそれらを繰り返してきたのだろう。
地面に両膝を付いた状態から、体のバネだけで立ち上がりながら、ヌーベルは笑顔を浮かべる。
ヌーベルの家は代々、何時の日にか来るであろう「赤い邪神」と戦うために剣技を磨いてきた。
いつか、何時の日か来るであろう、「赤い邪神」に率いられた他国の兵と戦うためだけに。
赤い神。
そして、その赤い神を守るために自分の前に立つ異国の民。
幾人もの先祖達が求めて止まなかったものが、今、目の前にある。
ヌーベルの笑顔が、ますます色濃くなっていく。
幾万の人間の、幾万の夢が、一つも叶わず消える。
それが世の常だ。
叶う人間など、極々稀。
一族の、祖先たちの、ヌーベルの夢は、今、叶ったのだ。
体勢を低く、再び駆けてくるユーパに盾を向けながら、ヌーベルは笑顔を浮かべる。
無意識の、心のそこからの笑顔。
穏やかなその顔とは裏腹に、盾を持つ手は力強く、剣の切っ先はぶれない。
盾をヌーベルのほうへと構える。
そのときには既に、ユーパは目の前まで迫っていた。
剣はマントの下へと隠れ、動きからは太刀筋が予測しにくい。
マントがふわりと持ち上がる。
隙間からのぞく切っ先に反応して、剣を持った手が動く。
繰り出されるであろう攻撃は、突き。
右半身を狙ったそれは、無理に盾で防ごうとすれば左脇腹などを晒す事になる。
故に、この攻撃は剣で凌がなければいけない。
下から上へ振り上げるように剣を振るい、突き出された剣を跳ね上げる。
狙うのは、なるだけ刃の部分。
同じ金属同士である剣と剣をかち合わせれば、どちらも変形してしまう。
つばぜり合いなどで刃がつぶれてしまえば、その分剣の斬ることに関する攻撃力はガクリと下がる。
何本も予備の剣を用意したヌーベルであれば、剣を取り替えればそれですむ。
対して、ユーパはそうは行かない。
剣は、左右二振りのみ。
それの刃が削られ威力が落ちれば、それはそのままユーパ自身の攻撃力の低下に繋がる。
ガキリ
慣れ親しんだ鉄と鉄とがぶつかり合うのとは違う、異質な感触。
剣と剣とが合わさったときとは違う音。
違和感に剣へと視線を走らせたヌーベルが見たのは、自分の剣に食い込んだユーパの剣だった。
「・・・ッ!」
目を見張り、呻く。
剣を引こうとするヌーベルだったが、ユーパの剣がかみ合わさり動かすことが出来ない。
そして、気が付く。
ユーパほどの剣士が、並の剣を使うはずが無い。
恐らくは、鉄を断つ程の業物なのだろう。
それに向かって、ヌーベルは剣を振るった。
いや、振るわされた。
十中八九、ユーパはこうなることを読んでいたのだろう。
それが証拠に、マントの中に隠れた切っ先は、正確にヌーベルの体を狙っていた。
十分に狙いを定めると、ユーパは迷い無く剣を突き出す。
狙ったのは上半身ではなく、盾で守りにくい下半身だ。
顔はヌーベルの体に向けたまま、視線すら動かさずに正確にヌーベルの右太ももを狙っての刺突。
初動がマントに隠れているため見極めにくいその攻撃を、ヌーベルはすんでのところで盾で弾く。
ヌーベル自身もまた、ユーパの上半身から視線は動かしていない。
突き出した剣にだけ意識が行く、ということはなさそうだ。
これで冷静さを失うようであれば、一気に突き崩せるのだが。
流石はヌーベルといったところだろう。
冷静さはかけらも失われていない。
力で剣を取り返そうとするヌーベルだが、そういった駆け引きではユーパに分があった。
絶妙のタイミングで押し戻し、一瞬の隙を突き引き戻す。
絡み合った剣を釘付けにしたまま、ユーパは再び攻撃に移る。
次に狙うのは、左太もも。
盾に阻まれた剣を引き、再び突き出す。
文字通り瞬く間に繰り出される攻撃は、連続した攻撃でミスを誘うことに目的だ。
剣を押さえているとはいえ、対処のしようはいくらでもある。
ヌーベルが防戦一方になっている間に、何回攻撃が出来るかが問題だ。
二度目となる突きは、再び盾に阻まれる。
甲高い音を上げ弾き返された剣を、今度はヌーベルの右肩へと突き出す。
下への攻撃から、上半身を狙った攻撃への切り替え。
切っ先の動きの変化に、ヌーベルはすばやく対応する。
瞬時に盾が動き、剣を突き出し始める頃には既に右肩を守る位置へと移動し終わっていた。
ふさがれると分かったからといって、振り始めた剣は容易に止まるものではない。
まして速度を重視しての攻撃は、途中で止めようとすればかえって隙が出来る。
弾かれた剣を戻し、次の攻撃へ。
ユーパの頭の中に、次の一手が組み立て始められる。
剣は肩へと進み、その間にある盾へと突き立つ。
その、瞬間だった。
ゴン
突き出したユーパの剣を、強い衝撃が襲う。
腕ごと剣を後ろに弾き飛ばされ、体勢が崩れる。
一瞬何が起こったのかわからず目を見張るユーパだったが、ヌーベルが構えた盾を見てすぐに答えに行き当たった。
グランダの防御術の一つに、「ブリルの甲羅」というものがある。
相手の攻撃を盾で受ける時、瞬発的に力を込めることで相手の攻撃を弾き飛ばすというものだ。
もっとも普通の兵では両手で、相当に狙い澄まさねばならない技だ。
威力そのものも、本来は相手をひるませる程度のものでしかない。
だが、ヌーベルのそれはどうだろう。
老いたとはいえ、未だ「ネスト最強の剣士」と唄われるユーパの剣を、その腕ごと弾き飛ばしたのだ。
片手で、なおかつ連続した攻撃を受けながらそれをやってのける。
若く、肉体的にも充実しているが故の腕力。
そういってしまえば、それまでかも知れない。
ヌーベルはそれを得るためにどれほどの研磨を繰り返してきたのだろう。
それを行かせるだけの技術を、どれほどの思いで身につけたのだろう。
剣士としてのユーパの感が、激しく警鐘を鳴らす。
後ろに飛ぼうと足に力を込めようとした瞬間、ユーパの視界に何かが飛び込んできた。
それが何かを判断するよりも早く、足から力を抜き、体を後ろへそらせる。
高速で、深く被った帽子のツバを掠めたそれは、鋼鉄で出来たヌーベルのブーツだった。
頭に届くほどの高さの蹴り。
後ろに飛ぶために身をかがめていれば、頭を蹴り上げられていただろう。
戦闘用に鋼鉄で防御されたブーツは、そのまま凶器にもなる。
質量的にもハンマーと変わらないそれの打撃力は、人の命を刈り取ることすら出来るだろう。
その一撃をかわしたユーパだったが、脅威はまだ去っていない。
攻撃をかわされた足はそのまま頭上よりも高く掲げられ、やはり鋼鉄に覆われたかかと部分がユーパの頭を狙っている。
今しがた弾かれた剣を掲げ、迎撃。
そう判断して、剣を持つ右腕に力を込めるユーパ。
そこで初めて、ある違和感に気が付いた。
指先の感覚が無く、剣を持っている感じがしない。
右腕が麻痺しているのだ。
強く何かに叩きつけたような痺れに、目を細める。
この状態では、指にまともに力がはいらないと見ていいだろう。
だとすれば、振り下ろされた足を切り裂くつもりが、逆に自分が怪我をすることになる。
鋼鉄に覆われたブーツとはいえ、普段であれば断ち切る自信はある。
だが、今の状態では防ぎきれない恐れのほうが強い。
残る一方は、ヌーベルの剣に中ほどまで食い込んだままの状態だ。
剣と剣を引き離すのは易いが、かかとを防ぐ位置に移すまでに時間がかかりすぎる。
仕方が無い。
ユーパはヌーベルの剣に食い込んでいた剣に、手首を捻って力を加えた。
その瞬間、甲高い音と先ほどまでピクリともう動かなかった剣と剣が、うそのように離れる。
高速がなくなったことで、二人の距離が一気に開いた。
お互いの力の均衡が崩れたからだろう。
その勢いも利用して、ユーパは一気に後ろに飛び退く。
刹那振り下ろされた鋼鉄のブーツは、一瞬前までユーパの頭があった場所を凪ぐ。
棍棒でも振り回したような風切り音が響き、ブーツのかかとが地面をえぐった。
今度は帽子のツバにもかすりもしない。
もっとも、ヌーベルの狙いはダメージを与えることではなかったようだった。
接近されたあの状態を打破したかったのだろう。
蹴り足を前に投げ出し、地面に両拳を突いたその顔には、悔しさは微塵も浮いていない。
かなり強引な引き剥がし方に、たたらを踏んだのはユーパだった。
無理やり飛びのいたのが悪かったのが、ばたばたと足を動かし体勢を立て直す。
その間にも、ユーパの手は的確に次の手を繰り出すための準備を進める。
衝撃で感覚の戻らない右腕はそのままに、左手で太ももに縛り付けてあった袋の紐を引く。
するりと地面へと落ちていくそれを確認もしないまま、右の剣を鞘に戻す。
そのまま鞘に括り付けられている鉄で出来た箸のような暗器を引き抜き、ヌーベルに向かって一直線に投擲する。
膝を折った地面に近い姿勢のまま、ヌーベルはすばやく盾を構えそれを弾く。
肩口あたりを狙った軌道の正確さは、さすがとしか言いようが無い。
すぐさま地面を手で押して飛び起きるヌーベルに、今度は投げナイフ二本が襲い掛かる。
今度は手にした剣で振り払い、鋭くユーパを見据えた。
完全に体勢を立て直したユーパは、それでもバックステップで距離をとり続ける。
ユーパの剣は強力だ。
使い手の実力も考えれば、並みの防具では役には立たないだろう。
しかし、「天空神の盾」は貫くことが出来ないようだった。
それならば、やりようはいくらでもある。
相手の攻撃を耐え、相手が疲れたところを押しつぶす。
それがグランダ戦術の一つだ。
いくらユーパといえど、激しく打ち合い続けて疲れさせれば、隙が出来るはず。
持久力、そして、防御技術。
そのどちらも、ユーパに劣っているつもりは無い。
自分の得意な戦いに持ち込んで、かたをつける。
わずかな間に判断して、ヌーベルは盾をしっかりと握りなおす。
行動を決めるまでの時間は、わずか数秒。
はじいた二本のナイフが地面につくよりも早く結論を出し、それを実行するための方法を模索する。
ユーパは後ろへ後ろへと飛びずさりながら、次の暗器を投擲するための準備に入っていた。
距離を広げて射殺すつもりなのか、それとも誘っているのか。
どちらにしても、やることは変わらない。
盾を構え駆け出すヌーベルを見据え、ユーパは新しいナイフを引き抜いた。
マントの下に隠れた、肩甲骨の上にくくりつけてある投げ投げナイフだ。
肩から下へと腕を下ろす勢いを利用して、そのまま投擲。
胴体を狙ったそれは、前面に構えられた盾に弾かれる。
それでいい。
盾は構えて置いて貰わなければならない。
事ここにいたって、ユーパはヌーベルを殺すつもりは毛頭無かった。
ヌーベルは前途のある若者だ。
これからあるであろう他国との接触のときに、必ず必要になるであろう人材でもある。
なんとか殺さずに無力化しなければならない。
この場が何とかなったとしても、ヌーベルはあきらめないかもしれない。
また、機会をうかがって赤い神を襲うかもしれない。
しかし。
殺すことで可能性すべてを潰すには、人一人の命というのは重過ぎる。
「・・・許せ」
小さくつぶやき、ユーパは太ももにくくりつけられた袋を手にした。
その中に入っているのは、森の中で手に入れた「奥の手」だ。
出来れば使いたくない類の代物ではあるが、この際仕方が無い。
袋に付いた紐を指にかけ、くるくると回して勢いをつける。
そして、大きく後ろに振りかぶり、投げつけた。
わずかに弧を描いて宙を舞った袋は、軌道を見る限りヌーベルには届きそうも無い。
恐らく、重さが足りないのだろう。
モノは軽すぎても遠くへ投げるのは難しい。
とはいえ、ユーパもそれは重々承知だったらしい。
剣の鞘からすばやく金属製の箸に似た暗器三本を引き抜くと、袋に向かって投擲した。
狙いたがわず。
わずかに乾いた音を立てて、三本の暗器は袋に突き刺さる。
暗器は袋を貫かず、それを引っ掛けたままヌーベルの盾へと一直線に向かっていく。
恐らく、暗器は袋の中に入っている何かに突き刺さったのだろう。
ヌーベルはそれまでと明らかに違ったものに、一瞬目を細める。
それでも、地を蹴る足は止まらない。
いや、止まれない。
速度が乗った今の状態では、カルーア湖に飛び込むぐらいの無理な方向転換でもしない限り、避けることが出来ないだろう。
たとえどんな攻撃でも、防ぎきる自信があるのだろう。
ユーパもそれが分かっていたからこそ、この「奥の手」を使ったのだ。
「・・・許せ、ヌーベル」
ユーパはもう一度小さくつぶやくと、空いた手でマントを掴み、体を隠すように前を覆った。
時間は、ヌーベルとユーパの戦いが始まったすこしあとに遡る。
城塞都市グランダに、誰も発見されること無く一柱の神が光臨した。
光臨したというか、地面から生えてきた。
床に真っ黒な穴が開き、そこらかにょっきりと顔を出したわけだから、「生えてきた」といっていいログイン方法だろう。
生えてきたのは、天空神ギメノグレアヌス・ハリエルマ・ガルカトス・イルベラ・ラクエマンティス。
やたらめったら長ったらしい名前の、悪役時代のエトワール先輩だ。
エトワール先輩が出現したのは、なんとヌーベルの執務室だった。
大祭中の話である。
どうやらいまだに赤い神こと赤井を恨んでるっぽいという話を聞いたエトワール先輩は、わざわざ説得交渉に訪れたのだ。
いったん自宅のほうに行ってみようかと思ったりもしたのだが、グランディア大祭中だし、ここにいる可能性が高いかと踏んだのだ。
が、皆さんご存知のように、ヌーベルは今ユーパとチャンチャンバラバラ斬り合っている真っ最中だ。
「・・・なんだ居ないのか・・・せっかく昔のアバターまで用意したのにまったく・・・」
ぶつくさ一人愚痴るエトワール先輩。
そう。彼はいま、昔のアバターを引っ張り出して、ヌーベルの説得に来ていたのだ。
真っ黒な布に包まれ、何か黒っぽいオーラを発しているその姿は、中学二年生が好みそうな最強っぽい暗黒神のイメージそのままだった。
「せっかく自分の曲キャンセルしてまで来たのに。 どこいったんだヌーベルの奴」
深夜0時になったところで、ヌーベルに接触する予定にしていたエトワール先輩。
カラオケの順番が出勤と被ったのがよほど悔しかったのか、苦虫を噛み潰したような顔でため息を吐く。
擬似ビールとはいえ、アルコールはアルコール。
もしかしたらまだ若干酔っ払っているのかもしれない。
「何かヒントになるようなもので無いかな・・・」
つぶやきながら、エトワール先輩は頭をがりがりと書きつつ、ヌーベルの机へと歩み寄った。
机の上には、大量の書類が四散している。
どれもこれも、警備報告書や予算編成など、面倒臭そうなものばかりだ。
「急がしそうで何よりだな」
エトワール先輩はひらっひらしている服の懐に手を突っ込むと、ごそごそと中を探る。
引っ張り出したのは、21世紀でも良く見かけるアイテム。
自宅で飲み物を入れて持ち歩けるあれ、エコカップだった。
中身は、今朝奥さんが入れてくれた特製ハーブティーだ。
一口飲み、深くうなずく。
「うん。 カモミールかな?」
テキトウである。
エトワール先輩はハーブティーを啜りながら、机の上の書類を漁り始めた。
どこかにヌーベルの居る場所のヒントが無いかと思ったからだ。
どこかの夜間警備などについているのであれば、警備計画書を発見さえ出来れば一発で居場所が分かる。
飛んで空から探してもいいのだが、倒されたはずの邪神がふらふらしているわけにもいかない。
そこで、一枚のマル皮紙が目に入った。
見た様子では、炭の乗りもまだ新しいように見える。
食用でもあるマルの皮は量た取れる代わりに、グランダで使われている炭製筆記用具との相性があまりよろしくない。
具体的に言うと、時間がたつと文字が霞んでしまうのだ。
もっともどちらも急ぎでの使用には非常に便利で、簡単なメモ変わりなどに良く使われている。
走り書きか何かだとすると、行き先が書いてあるかもしれない。
そう思い、エトワール先輩はハーブティーを片手にマル皮紙を拾い上げる。
自分が担当していた区画であるだけに、エトワール先輩はグランダの文字をソラで読むことが出来るのだ。
紙に書かれていた内容を要約すると、こんな感じだ。
自分はいまだに天空神に仕える者であり、任を解かれるなどの命を受けていない。
だから、受けた命令を果たすことにした。
今の身分のまま戦いに赴けば、グランダ国には迷惑がかかるだろう。
自分は副隊長の任を降り、国を出奔する。
ただ一人、天空神の兵士として生きることにした。
止めるであろうモノが寝静まった夜を狙い、動こうと思う。
寝込みを襲う奇襲のようでどうかとも思われるが、相手は神。
昼も夜もないと判断する。
赤き神とそれに連なる使徒が集った今、戦いに赴けることに感謝を。
グランディア大祭において、グランダの民が一つでも多くの勝利を掴むことを願う。
「ぼぶっふっ!」
そんな声を上げて、エトワール先輩は盛大にハーブティーを噴出した。
悪役プロレスラー顔負けの見事な噴霧具合から見るに、よほどの精神的衝撃を受けたらしい。
その見事な噴射の反動は、大きくエトワール先輩の体を揺らした。
結果、手にしていたエコカップが大きく揺れ、中身がばしゃばしゃと零れ落ちる。
主にエトワール先輩の体とかに。
「あっつっ! あっついなんだこれっ! この服見た目よりも張り付くっ!!」
じたばた騒いでいるエトワール先輩が神殿に向かうのは、もう少し後のことになる。
「なにあれ・・・」
半身を水につけたまま、マルマルは硬直して動けなくなっていた。
原因は目の前で起こったことに、頭が付いていかなかったからだ。
祭とはいえ、食い物が無くてはごはんが食べられない。
保存の利かないものは、常にとりに行かないと行けないのだ。
魚も、そんなものの一つだった。
いまでは一部で干物なども出回って入るが、味にうるさい民(主にモンジャ)は、とれたてを好むのだ。
みんな浮かれ気分で食料の需要が大きい今は、まさに漁師としての腕の見せ所。
夜行性の大きな魚を狙って漁をしていた、そのときだった。
顔見知りであるユーパとヌーベルの姿を見つけたのは。
ユーパは、モンジャの客人であり、マルマルにとっては格闘技の師匠でもある。
そこかしこを歩き回り、様々なところで漁をする「移動漁師」であるマルマルにとって、身を守るすべは絶対に必要なものなのだ。
ソミタのついでに、稽古をつけてもらっている。
とはいえ、漁師であるマルマルは武器を持ってあることが無い。
そんなわけで、素手で戦うために必要な技術を教えてもらっているわけだ。
ヌーベルと知り合ったのは、グランダを通ったときだった。
ネストの森の中で魚をとって、グランダで卸しているときのことだ。
グランダの漁民に絡まれたのである。
あっちこっち歩き回りながらあっちこっちで魚を卸しているマルマルは、地元漁師にとって見れば完全な商売敵だ。
暴力に訴えてきた六人ほどの地元漁師達を、ボコボコにして返り討ちにしたマルマルを捕まえたのが、ヌーベルだった。
事情が事情だっただけに、二時間ほどのお説教で見逃されたのだが。
そんな二人の知人を見かけたわけだから、声をかけない訳にはいかない。
元気良く片手を挙げて、満面の笑みで呼びかけた。
そしたら、突然二人が戦い始めたのだ。
矢のような速度での接近。
瞬く間に幾度も振るわれる剣。
自分の中の強い人ランキング(神力を使う人除く)不動のツートップの戦いに、マルマルは大口を開けて眺めていることしか出来なかった。
まるで嵐のような攻防の末、ふたたび二人が距離をとった、そのときだった。
ユーパが投げた小さな袋が、爆発したのは。
そう、爆発だ。
モンジャの民にとって、爆発は縁の無いものではない。
赤い神様が居ない間、ロイが幾度か雷を使っていたためだ。
雷が落ちたところは、爆発が起きる。
それだけに、爆発から派生する爆風の恐ろしさも良く知っている。
高速で飛んでくるつぶてや、風の壁。
モノによっては、人一人ぐらい簡単に吹き飛ばされる。
そんな爆発が、ユーパが投げた袋。
そして、ヌーベルの足元で起こったのだ。
恐らくはユーパが後ろに下がっているときに落とした、小さな袋が爆発したのだろう。
明るい光と、今日強烈な爆風。
そして、爆音が響く。
ヌーベルの体は無残に吹き飛ばされ、白い橋の上に転がる。
かに、思われた。
だが、実際に起こったのは、マルマルも、ユーパも、まったく予想していないものだった。
光がほとばしり、爆風が吹き荒れたその瞬間。
青白い光の壁が現れたのだ。
高さは、5mほどだが、横幅は恐らく30mは超えるだろう。
半透明な光であるのに、それは間違えなく塊としてそこにある。
その壁を挟んで向かい合うのは、ユーパとヌーベルだ。
かなりの騒音だったことから、爆発の威力はかなり高かったことが窺われた。
その爆風を受けながらも、光の壁は微動だしていない。
どうやらユーパの投げたモノのダメージを、完全に受けきったようだ。
突然目の前で繰り広げられた出来事は、マルマルの正常な思考を停止させるには十分すぎるインパクトだった。
「神様のブツリショウヘキとか言う奴みたいだ・・・」
ただ一言。
そうつぶやくと、マルマルは再びあんぐりと口をあけた。
突然現れた光の壁見上げ、ユーパはあっけにとられたように目を見開いていた。
だが、それもわずかな間。
まだ区画開放される前のネストの森を、一人さまようほどの実力を持つユーパだ。
すぐに落ち着きを取り戻し、マントの中で剣を握る。
「まだ森が呪われていた頃、二角獣ルンピエの角から削りだした双剣。 鉄をも断ち切るその斬撃を止める盾、ただのモノとは思っては居なかったが・・・」
光の壁を挟んだ向こう側、ヌーベルは構えていた盾をゆっくりと下ろす。
微笑を湛えながらも、その口の端からは血が一筋滴っている。
爆風はおろか、小石一つもその体にはぶつかっていないはずなのに、だ。
「命をすり減らすことを代償に、光の城壁を生み出す神器。 それがこの天空神の盾。 とはいえ、使ったのははじめてですが」
一人の命を削ることで、隊列を組む兵士達を守る。
それが、天空神の盾の力だ。
口元の血を親指でぬぐい、口内に残った血も吐き捨てるヌーベル。
そうしているうちに、光の壁は徐々にその色を薄れさせていく。
「あの袋。 忘れていました。 確か弾ける事で種を遠くに飛ばす実がある、とか」
「今となっては呪いも無くなり、本当に種を飛ばすだけになったがな。 未だ呪いの残る実をいくつか保管している。 手持ちは今ので使い切ってしまったがな」
呪いが残った実。
とはいえ、威力は精々人一人を2mほど転がす程度だ。
近くで炸裂したとしても、死ぬことは無い。
それでもその爆発と閃光によって生まれる隙は、この勝負に蹴りをつけるに足るものになるはずだった。
実際には、天空神の盾で防がれてしまったわけだが。
もう、終わりでいいんじゃないのか。
そんな言葉を、ユーパは飲み込む。
まるで子供のように笑うヌーベルに、その気は欠片も無さそうに見えるからだ。
中ほどまで切れ込みの入った剣を捨て、腰に差した剣を抜くヌーベル。
ユーパは目を閉じると、ゆっくりと開く。
今一度、立ち合うためだ。
ヌーベルの笑顔が深くなり、ユーパの目が鋭く細められる。
二人の間に、徐々に緊張が張り詰めていく。
唐突に、二人の間に一枚の羽が落ちてきた。
真っ黒で大きなそれは、鳥という動物が居ない27管区では自然には発生し得ないものだ。
それを見た瞬間、ヌーベルの表情が一気に変化した。
驚愕。
一言で言えば、まさにそれだ。
大きく目を見開き、唇が震えている。
全身に纏っていた剣呑とした雰囲気はなりを潜め、まるで幽霊でも見たかのように唖然とする。
「落ち着け。 ヌーベル」
黒い羽の次に空から落ちてきたのは、低い男の声だった。
上を見上げたユーパの目に映ったもの。
それは、宙に浮かぶ黒い布を全身に纏った人。
いや。
神の姿だった。
『久しいなヌーベル』
その名のとおり中に浮いたまま、天空神は声を落とす。
静かな、響くようなその声は、ヌーベルの記憶に残っているそのままだった。
ヌーベルは反射的に跪き、頭を垂れる。
剣を地に置き盾を体にひきつけるその姿は、グランダ兵士の最敬礼だ。
「なぜ・・・」
声は振るえ、驚きに満ちていた。
普段力強いヌーベルからは、想像も付かないようなかすれた声を絞り出す。
「御隠れになられたと、聞き及んでおりました」
その言葉にわずかに首をめぐらせると、天空神はヌーベルへと顔を向ける。
顔の殆どは黒い布に覆われてはいるが、おおよその向いている方向だけは見て取ることが出来た。
『神世とは複雑怪奇よ。 我を持ってして予想しえぬことが起こる。 首を切られてしばらく後、我は赤い神と共に歩むこととなった』
天空神の言葉に、ヌーベルは目を見開く。
『今、我は赤い神で、赤い神は我よ』
ヌーベルの顔から、一気に血の気が引いた。
これほど人間の顔色がすばやく変わるのかと思うほど、如実に青白くなっていく。
ぶわりと汗が噴出し、額には玉のような汗が浮かぶ。
「では、では私は天空神様に剣を向けようと・・・!」
『よい、よい。 キララとてうっすらとしか感じ取れなんだ我の気配。 ただの人間である貴様にどう感じ取れというほど酷ではない』
「し、しかい・・・!」
『よいというに。 相変わらず融通の利かぬ男よ。 故にこの世に顕現する器を失った我が態々こうしてこの地に再び姿を現さねばならぬようなことになるのだ』
持ち上げた手を顔を覆う布の中に突っ込みながら、天空神はうめく様に言う。
「誠に申し訳なく・・・」
『赤い神と我の間にもいろいろあった。 理由は詳しくは言わん。 今、赤い神は我で、我は赤い神だ。 ヌーベル。 貴様に新たに指示を出す。 民と国と王と、我を守る壁となれ』
顔を上げたヌーベルの顔に浮かんでいた驚愕は、徐々に落ち着いていく。
普段どおりの落ち着いた表情が戻り、顔色も戻ってくる。
「万事全て御意のままに」
そう告げるヌーベルの様子は、まったくいつもと変わらないモノだった。
引き締まった冷静な表情。
落ち着いたたたずまい。
そこにあったのは、グランダの民から絶大な信頼と、畏怖を持って知られる重装歩兵部隊副隊長ヌーベル・アダマンテウス姿だった。
それを確認した天空神は、満足したようにうなずく。
ヌーベルから視線をはずし、今度はユーパへと顔を向ける。
一人と一柱の様子を静かに見ていたユーパは、天空神の視線に気が付きゆっくりと頭をたれた。
『辺きょ・・・。 ネストの剣士ユーパよ。 いらぬ世話をかけた。 この男はどうも頭が固くてな。 融通が効かん。 しかし、優秀な男
なのだ』
「勿論、存じておりますとも。 なればこそヌーベル殿の身を案ずる若者が居て、その者に乞われて私はここに居るのですからな」
『そうであったか。 まったく部下には恵まれた男だ。 さて、ユーパよ。 私が何者であるかは、今しがたの話を聞いてのとおりだ』
「私も噂は聞き及んでおります。 神々には我ら人間には分からぬ事情がおありなのでしょう」
天空神は、ネストの神にとっては邪神と言い伝えられてきた存在だ。
グランダとの道を断ったその存在を、いまだに憎んでいるものも居る。
「なに。 老いさらばえば死ぬだけのこの身ですからな。 今宵ここで天空神様にお目通り叶ったことも、寝てさめれば忘れましょう」
『そうか、そうか。 すまぬな。 本当に。 そのついでと言っては何だが。 今宵のヌーベルとの死合いのことなのだが』
天空神の言葉に、ユーパはひげを撫でながら首を傾げる。
「さて。 近頃歳のせいか記憶に自信がありませぬでな。 今宵はいつか約束した、訓練試合をしていただけだったと思ったのですが」
あっけらかんとした顔で言うユーパ。
その様子に、天空神は思わずといった様子で吹き出した。
『礼を言うぞユーパ。 そうか。 訓練か』
笑いをかみ殺すように肩を震わせる天空神。
そんな様子を見て、ユーパも静かに笑い声を上げた。
「私からも礼を言います」
空気に溶けるように消えていく天空神を見送りながら、ヌーベルは穏やかな口調でそういった。
憑き物が落ちたようなものなのかもしれない。
すっきりとしたその表情は、完全に冷静さを取り戻したものだった。
「グランダの副隊長殿と立ち合えたのだ。 老骨には身に余る光栄だとも」
ユーパのそんな言葉に、わずかな苦笑で返す。
そんなヌーベルの姿を見て、安心したのだろう。
ユーパは帽子を深く被りなおすと、ゆっくりとした足取りでモンジャの集落に向かって歩き始めた。
その後姿を少しの間見送り、ヌーベルはグランダのほうへと振り返る。
新たな命令。
変わらず守るべきもの。
それらの存在を確かめるように目に焼き付ける。
そして、少しだけ口元を吊り上げるように笑う。
閉じていた目をゆっくりと上げたときには、もうその小さな笑みは消えていた。
いつもの引き締まった顔に戻ると、ヌーベルは一歩ずつ、足元を確かめているかのように歩き始めた。
「・・・えーと」
一人、水中に下半身をつけたまま、マルマルはなんともいえない表情を浮かべていた。
「・・・なんだこれ」
それは、なぜか香ばしい香りのする水でびちゃびちゃになっていたグランダ城内の自室を見たヌーベルと同じリアクションであったという。