タテとケンと、ケンとケン
もんじゃ集落の一角は、動物を飼う牧畜地帯になっていた。
豊かな土地で放っておいてもバンバン草が生えてくるため、草食動物のエサには困らない。
主な世話は、出産の手伝いや朝夕のナデナデ。
一番気をつけなくてはいけないことでも、冬に備えて干し草を用意することぐらいだろう。
狩りとは違い命の危険にさらされる恐れが少ない牧畜の仕事は、狩り人からの転職希望者に人気の職業だ。
多くの狩り人は、狩りに出られなくなっても獣とかかわっていたいと思う傾向にあるらしい。
最後の狩りとして、自分が育てるための獣を捕まえる。などということは、意外とあったりする。
元々狩り人だったリネカの父も、今では牧場主としておとなしい草食動物を育てていた。
人手のかかるこの仕事は、家族ぐるみで営む者が多い。
結婚適齢期なリネカも、思春期真っ盛りな弟も、一生懸命に父の仕事を手伝っていた。
「ねーちゃん、とーちゃん、ただいまー!」
ロイの青空教室から帰ると、リネカの弟リウガは牧場の柵に駆け上がって大声を張り上げた。
牧場のまるっこくて毛の生えていない獣は、リウガの声に驚いき、一斉に草で作った隠れ家に逃げ込んだ。
人間が抱えられる程度のサイズのこの動物は、草の茎を器用に使って自分がすっぽり入れる程度の巣を作る。
野生では雪の季節はこの中に入りやり過ごすらしい。
毛がないというのは、結構大変なことなようだ。
「おかえりなさーい!」
獣をもにもにしていたリネカはうれしそうに顔を上げると、ぶんぶんと手を振って返事を返す。
リウガは姉と父の姿を確認すると、大きな動作で手を振っり、家のほうへと走って行った。
二人の父はそんな様子を微笑ましそうに眺めながら、嬉しそうに笑う。
「リウガも大きくなったな。 早く結婚相手を見つけてくれればいいんだが」
そんな父の言葉に、リネカは少し困ったような顔をして笑った。
「もう、父さんは気が早すぎるよ」
「そうかなぁ? この間の結婚式では、新郎は彼とと同じぐらいだっただろう?」
「そうかもしれないけど・・・」
「まあ、それよりも父さんとしてはリネカの結婚が心配なんだけどな」
「へ?!」
突然降られた話題に驚き、もにもにしていた獣をぎゅーっと抱きしめるリネカ。
獣が苦しそうにジタバタしているが、気が付いてもらえないようだ。
「ソミオくんなら父さんももんくないぞ。 いつでも嫁にいくといい」
「ととととと、とうさん?! なんでソソソソソソソソミオさんのなまえがでるの?!」
リネカの獣を締め上げる腕の力が増す。
獣が赤くなったり青くなったりしているが、だれにも気が付いてもらえない。
「夜、湖のほとりで光る花を二人で眺めたりしてるだろ? ソミオくんが集落の中での仕事をしているときにお弁当をもっていったりもしてるみたいだし」
「しししてなっ くわ、ないけどっ!」
「彼は優秀な狩り人だ。 これからは新しい土地の動物を狩ることもあるだろうし、エド肉もたくさん必要になってくる。 どんどん忙しくなって、支えてあげる人も必要になってくるだろうからね」
「あ、あわわわ」
父の言葉に、わかりやすくふらふらと足元がおぼつかなくなるリネカ。
目を白黒させつつも、頭の中ではソミオとの生活がシミュレーションされていた。
「あなた、獣を縛るロープの予備、わすれてるよ?」
「ああ、ほんとだ。 リネカはよく気が利くね」
優しく微笑んで、頭を撫でてくれる大きなソミオの手。
リネカの顔が一気真っ赤になる。
「も、もう! 父さんのばかっ!」
ぼぐしゃー
「ひでぶっ?!」
リネカの照れ隠しの鉄拳が、父の顎を的確にとえた。
父はぎゅるぎゅると回転して吹っ飛んでいくが、恋する乙女はそれどころじゃないのだ。
ソミオに頭なでなでだなんて。
そんな、はしたない!
別に何もはしたなくはないのだが、今のリネカには頭を撫でられるだけでも高難度なのだ。
「なになに? 何の話?」
家に荷物を置いてきた弟が、地面に倒れ伏してぴくぴくしている父に聞く。
リネカは照れると手が出るタイプなので、父がぴくぴくしているのはお構いなしだ。
「いや、なに。 リネカとソミオくんが結婚するという話だよ」
「ちがうでしょう?!」
「ソミオさんかー。 あの人ならいいアニキになってくれるだろうなー」
リウガのアニキということは、義理の兄という意味だ。
ということはつまり、リネカとソミオが結婚するということで。
「ななな、なにいってるのもうばかっ!」
ぼぐしゃー
「ひぎぃぃぃ?!」
リネカの腕の中でぐったりしている仲間と、吹っ飛んでいくリウガを見ながら、牧場の丸っこい獣たちはのんびりとあくびをした。
今日も平和な、いつもの牧場の様子に安心したからだろう。
グランダの一角にある壁の上で、二人の少年が書類とにらめっこしながら顔を突き合わせていた。
一人はソミタこと弟。
もう一人は、駆け出し商人のエドだ。
「製鉄場から、出来のいい鉄と、工場を貸してもらう約束。 それと、石の銛を保管しておく倉庫。 全部今回ので確保できました」
「おお。 エドたくさんかった。 そのニクとかキバでいろいろこうかんする。 こうかんするのおれにがて。 えどがやってくれるとたすかる。
「交渉事だけは得意ですから! でも、いつもいつもソミタさんとソミオさんにばかりお仕事をしていただいていていいんでしょうか・・・」
「おれもにーちゃんもこうかんするのヘタ。 でもかりはとくい。 それぞれとくいなところでがんばればいい」
「は、はい! がんばります!」
ぽむぽむと弟に肩をたたかれ、エドは興奮に頬を赤くしてコクコクとうなずいた。
弟の石の銛を強くする計画に使われる材料は、ほとんどがエドがエド肉などと交換で手に入れてきている。
貴重なエド肉はグランダでも人気が高く、頻繁にエド肉を持ってくるエドはもはやエド肉を持ってくる人として定着しつつあった。
エドがエド肉を持ってくるというわかりやすさも幸いしたのだろう。
今では冠婚葬祭があるとエドに肉を持ってくるように注文する人もいる始末だ。
ソミタがエドを狩り、エドがグランダやネストで交換する。
その流れで、二人はすでにかなりの利益を生んでいた。
が、そのほとんどは石の銛を強くするために使われていたので実入りはぼちぼちだった。
「でもソミタさん。 なんでこんなところで相談するんです?」
エドが不思議そうな顔をするのももっともだった。
何せここは壁の上。
3m弱の高さの、人一人がぎりぎりで歩けるぐらいの場所なのだ。
「かべのあっちは、ひとがすんでるところ。 かべのこっちは、へいしがくんれんするところ。 きょうはネストのひげじーさんがいる」
「ひげじーさん? ああ、ユーパ様ですね」
兄とヌーベルがかちあったときは、気絶していたエド。
だが、あの後復活した彼は、さっそくユーパの持っていたネストの森の珍しい品々をいろいろなものと交換してもらっていた。
末恐ろしい商売根性だ。
「ヌーベルとひげじーさん、きっとたたかう。 にーちゃんはあのふたりとそのうちたたかうことになるとおもう。 てきじょうしさつだな」
いつもと変わらぬ表情で言う弟に、エドは驚いたような表情を見せた。
「戦う・・・ですか? どうしてです?」
みるみるうちに、エドの表情は不安に支配されていく。
一人でグランダに暮らしてきたエドにとって、戦いといえば血みどろのそれだ。
いつか来るであろう赤い神を倒そうと鍛錬を積む兵士たちの殺気を肌で感じる機会は多かった。
戦いは怖いもの。
そういうイメージが強い。
弟はエドの表情をしばらく眺めると、ゆっくりとした動きで腕組みをした。
何事か考えるように少しの間目を閉じると、口を開く。
「わからない」
思わず壁の上からずり落ちそうになるエド。
「わ、わからないんですか・・・!」
「まあ、かんだからな。 でも、こういうのはあんがいあたる。 だからかみさまがいなかったあいだも、カリでしななかった」
「はぁ・・・?」
狩り人の第六感。
というより、弟の場合は野生の感といったほうが的確だろう。
壁の下の兵士たちのほうに目を向けた弟の顔は、なんだかいつもよりも厳しいもののようにエドには思えた。
「ソミタさん・・・」
なんとなく表情を引き締めるエド。
「そみたー」
家々が立ち並ぶ側の壁の下から声がかけられる。
「ん? だれだろう」
エドが覗き込んでみると、そこには原色な服を着た三つ編み髪の少女が立っていた。
服装や髪形から見るに、モンジャの民だろう。
少女はぶんぶんと手を振ると、ソミタたちが壁を登るためにひっかけた鉤縄を登り始めた。
余談だが、この鉄製の爪のついた縄もソミタの作ったものだった。
最初は銛に括り付けて獲物に投げつけて使おうとしたのだが、獣が思いっきり引っ張ると木が耐えられなくて折れるという致命的欠点から没になったのだ。
木や壁をよじ登るのに便利なのでこうして時々使っているのだが、これがすごい発明であることには一切気がついていない。
ソミタのモノづくりの情熱と執念は、ただひたすらに石の銛にのみに注がれているのだ。
少女が壁の上近くまで登ってくると、ソミタは手を伸ばして登るのを手伝う。
自分の横に座ったのを確認すると、コクリと頷いて再び訓練をする兵士たちのほうに視線を戻す。
「え。 あの、お知り合いですか?」
「そう。 しりあい」
困惑気味に聞くエドに、当然のことのように頷くソミタ。
「はじめましてでしたよね? ぼく、エドっていいます」
人間関係はまず挨拶から。
ぎこちないながらも、笑顔で挨拶するエド。
少女はそんなエドを見て、無表情のままコクリと会釈をする。
「ととと」
「ととと?」
少女の発した言葉を、そのまま繰りかすエド。
少女ははやり無表情のまま、コクリと頷く。
「ととと」
「と、とと・・・?」
不思議そうな表情のまま固まるエド。
そんな様子を見かねたのか、ソミタはぽむっと少女の頭を撫でながらエドのほうへと向き直った。
「なまえ、トトト」
「ああ、とととさんっておっしゃるんですね!」
納得いったように、ぽむっと手をたたくエド。
リアクションが古いが、27管区的には最新の動きだ。
「意外と、恋人さん同士だったするんですか?」
冗談交じりにいうエド。
よく弟と一緒にいるエドだが、そういう相手を見聞きしたことがなかった。
なんだか無表情っぷりや言動も似ているし、おそらくは気の合う友達か何かなのだろう。
話のきっかけにと、エドなりに話題を振ったつもりだったのだ。
帰ってくると予想されるのは、「もー、エドくんったらおちゃめなんだから! そんなわけないじゃん!」とかそんな感じだ。
が、返答はエドの予想とは違っていた。
「おお。 こいびとだな」
「はっはっは、そうですよねぇぇええええええ?!」
一瞬顔が劇画調になるエド。
「うん、こいびと」
やはり無表情でコクリと頷くトトト。
「いちゃいちゃしたりする」
「いちゃいちゃするね」
こくこくと頷きあうソミタとトトト。
エドはしばらく硬直した後、緩慢な動作でソミタとトトトを見比べた。
ソミタは冗談をいうタイプではない。
というか、冗談という概念がソミタの中にあるのかどうかすら怪しいところだ。
「こ、こいびと?! いちゃいちゃって、ええっと、その」
しどろもどろになっているエドをよそに、トトトは真顔なのかぼうっとしているのかどちらともつかないソミタと同じような表情で自分のおなかをさする。
「そのうち、ソミタのこどもできる」
「えええぇぇぇぇぇぇえええええええ?!」
エドの絶叫史に残る絶叫だった。
「なんか、叫び声聞こえませんでしたか?」
きょろきょろとあたりを見回すと、若い兵士は不思議そうに首をひねった。
「ん? どうかしたか?」
「い、いえ! 何でもありません!」
ヌーベルに問われ、あわてて背筋を伸ばす。
集中していないと思われたら怒られるかもしれないと思ったからだ。
ここは、グランダの練兵施設。
野外演習場だ。
広い敷地内には、複数の兵士たちが集まっていた。
皆、中央付近にいる六人の兵士と、一人の老人。
ネストからの客人である、ユーパに注目している。
今日は、グランダの若手兵士の中でも優秀とされる六人と、ユーパの組手が行われることになっていた。
はじめは1対1の形式が予定されていたのだが、直前でヌーベルの進言により形式が変更となった。
1対6。
選抜されたグランダの若手精鋭兵士六人と、ユーパたった一人の戦いだ。
常識で言えば、武器を持ったこの人数に対して一人で戦うというのは論外だろう。
いざ戦いが始まるまで、ほとんどのものが若手たちが圧倒して終わってしまうだろうと思っていた。
ヌーベルと、数人の兵士以外は。
「囲め! こちらの数が多いからといって油断するな!」
若手達のリーダーが声をかけると、若い兵士たちは「はっ!」と短く応えた。
徹底的に集団で戦うことを叩き込まれたグランダの兵士たちにとって、リーダーとなった兵士の指示には絶対服従だ。
全員訓練用の木製の盾と剣を持ち、油断なく構えている。
彼らが持っている剣は、刃の部分に塗料が塗られた訓練用の特殊なものだった。
軽く触った程度では何も起こらないが、強く押したりこすったりすると赤い色が付く。
つまり、体を傷つけられるような攻撃を加えれば、衣服や皮膚に赤い色が付くということだ。
外面こそ木ではあるが、内部には鉄の芯が通してあるこれは、重さも振りぬく感覚も実物の剣に近い。
重さも似通っているということは、切れはしないものの殴られれば相当にいたいということになる。
たった一人の老人にこんなものを使っていいのかと思う若い兵士たちだったが、戦いが始まってしまえばそんな考えは頭の外に追い出されてしまっていた。
どんな相手にも油断せず戦え。
それが、グランダ兵士が教え込まれる戦いへの心構えの一つだからだ。
「はじめっ!」
訓練教官である老兵士の声を合図に、若い兵士たちは一斉に駆け出した。
ユーパを六方向に均等の距離を取って囲む。
一方のユーパはといえば、そんな若い兵士たちの様子を感心したように眺めているばかりだ。
「おお、さすがによく訓練されている。 流石グランダの兵は錬度が高い」
リーダー役の若い兵は、のんきそうなユーパの言葉に思わず眉をゆがめる。
大きな縁の広い帽子とマントを羽織ったこの老人は、自分たちの動きにまるで警戒している様子がない。
両手に兵士たちが持っているのと同じ剣を一振りずつ持ってはいるが、だらりとぶら下げたままだ。
いくら凄腕という触れ込みだからと言って、六人がかりでいかなければいけない相手なのだろうか。
一瞬よぎるそんな疑問を、リーダーの兵士は頭を振って振り払う。
そういう考えは油断につながる。
実戦で油断したものについてくるのは、もれなく死だ。
目線だけをユーパの真後ろに陣取った兵士に向ける。
注視していなければ気が付かないだろうその仕草だけで、意思疎通は十分だった。
ユーパの真後ろについた兵士はコクリと一度頷くと、剣を低く構えて走り出した。
足音も立てないよう、気配を殺して走る。
人は、声を上げたほうが体が動くものだ。
戦うときも同じで、雄たけびを上げたほうが勇気を振り絞ることができる。
逆に言えば、音も立てず声も上げず戦うというのは恐ろしく気力を使う。
目くばせだけでそれをやってのけるこの若い兵士たちの実力は、それだけで高いと言っていいだろう。
ユーパの背中へと駆け寄りながら、若い兵士は必殺を確信していた。
目線の先には、ユーパの背中。
その先では、仲間が注意を引くために攻撃を始めている。
前方からの攻撃に気を取られていれば、後方からの斬撃に対処できない。
後方からの接近に気が付き対処できたとしても、決定的な隙ができる。
どちらかに注意が向けば、注意が向いていない人間が攻撃を仕掛ける。
数の有利とはそういうことだ。
兵士は剣を振り上げると、あえて盾を構えず速度を重視した構えを取る。
気が付いていないのか、ユーパは振り向く気配すらない。
いや、たとえ気が付いていたとしても、ここまで接近してしまえばそうやすやすとは避けられないはずだ。
短く息を吐き出しながら、それでも一切声を出さず剣を振るう。
走りこむ速度と引き絞った腕から生み出される剣の速さは、文字通り目にも止まらない。
斬る相手が老人だろうと、太刀筋には一切迷いはない。
後ろから近づく兵士の気配を感じながら、ユーパはグランダ兵の質の高さに感心していた。
声も上げずに敵に切りかかり、まして足音にまで気を配ることができるとは。
若い兵士でこれほどということは、熟練の兵士、例えばヌーベル副隊長はどれほどなのだろう。
後方の兵士の足音が、ユーパの間合いの中に入ってくる。
長い年月森の中という視界の悪世界で剣をふるってきたユーパは、物音だけで相手の位置を正確に知る術を持っていた。
感心ばかりもしていられない。
彼らのためにも、もう少し広い世界を見せてやらなければならないのだ。
ユーパはわざと体を横に倒すと、上半身をひねって身体を後ろに向かせた。
体を地面に対して四十五度傾けたその姿勢は、普通のバランス感覚の人間ならばそのまま倒れてしまうだろう。
だが、卓越した体術を持つユーパにとってみれば、まっすぐ立っているのとなんら変わらない。
驚いたように目を見開く若い兵士の顔を見ながら、マントの下に隠した腕と剣を伸ばす。
肩口から袈裟切りの要領で振るわれる兵士の手首にそって、剣を一撫で。
木刀だからほとんど痛みはないだろうが、本物の剣であれば手首の腱と血管を切断だ。
体勢を低くしながら、兵士の横をすり抜ける。
もう一度前から切りかかってきていた兵士の位置を確かめながら、すれ違いざま兵士の足首を剣で撫でる。
赤い線が付いたのはアキレス腱の位置だ。
剣を持つ手と、片手の負傷。
これで、この兵士は戦闘不能だ。
立ち上がりながら、背中を押す。
攻撃されてバランスを崩した兵士の体は、容易にユーパの思い通りの方向へと進んだ。
ユーパの前方から接近していた兵士は、驚きのあまり動きを止めそうになってしまった。
本当に老人なのかとおもうユーパの動きに、圧倒されたからだ。
素早い訳ではない。
ただ、無駄が一切ないのだ。
足運びも、体捌きも、剣の動きも何もかも。
正確で無駄のない動きは、それだけ効率良く動きを完了することができる。
とはいえ、それを実際にこなすことができる人間はほとんどいない。
血のにじむような訓練をして、やっと一つの動作をそのようにこなす事が出来る程度だ。
それが、目の前の老人はどうだろう。
まるで当たり前のようそれをやってのけている。
いったいどんな訓練を、経験をしてきたのだろう。
剣を握る手に力を込め直し、思考を無理やり中断する。
今はそんなことを考えている場合ではない。
ユーパの後ろから切りかかった兵士は、瞬く間に腕と足を切られてしまった。
さらにこのままでは、バランスを崩した相手方の兵士と真正面からぶつかってしまう。
避けるしかないか。
そう考えた時だった。
目の前の兵士が、真正面から躓くように地面に倒れていく。
ずっと一緒に訓練してきた男だ。
そんなドジな男じゃないことは痛いほどわかっている。
自分で足を止めて、わざと地面に転がろうとしているのだ。
そうなれば、体がぶつかることはなくなる。
身体がぶつからないように避ける手間が省けて、ユーパに斬りかかるためにかかる時間が短くなる。
行け。
倒れこむ兵士の表情が、そう言っているように見えた。
「すまんっ!」
声を張り、まっすぐに走りこむ。
これで注目は自分に向くだろう。
もし自分の攻撃が防がれたとしても、今の声でユーパの注意は自分に向く。
そうすれば、残りのモノがその隙を突くはずだ。
ユーパの正面から走りこんだ兵士は、剣での攻撃から盾での体当たりへと攻撃を切り替えていた。
攻撃を仕掛けることよりも、ユーパの動きを止めることに重点を置くつもりらしい。
ユーパの横方向に位置している兵士はリーダーの兵士に視線だけを向ける。
視線が重なる。
見れば、ほかの三人もリーダーのほうに目を向けている。
盾を胸元に構えると、リーダーは三人にそれぞれ視線を送った。
それだけで、三人は自分たちに飛ばされた指示を理解する。
盾を構えて取り囲む。
四方から囲んで、身動きを取れなくしろという指示だ。
本来ならば、いきなり取り囲むことはほとんどない。
全方位から距離を狭めていくというのは、実はそう簡単なことではない。
どこかに隙があればそこから逃げられてしまう。
そうなってしまえば、一方方向から追うだけの形になってしまい、囲んでいたという有利がなくなってしまう。
まして相手がユーパのような実力者であるならば、グランダ兵のセオリーとしてはまずは一人二人で切りかかり足を止めたいところだ。
そうしてしまえば、釘付けになっている間に確実に抑え込む事が出来る。
しかし、実際はどうだ。
あっという間に一人が仕留められ、今も一人が向かっているがどうなるかわからない。
ならば、釘付けになり前に、一人が斬りかかっているこの間に、無理やりにでも押し囲む。
三人の兵士は盾を前に押し出した構えを取ると、しっかりとした足取りでユーパに向かって歩き出した。
リーダーの兵士が斬られれば、指示を出すものがいなくなる。
それは、避けなければならない。
一人欠けて、残り四人。
斬りかかっているものが一人、残り三人でどうにかして一太刀を加える。
最悪四人が倒されても、その一太刀がユーパの動きを制限する。
もっとも、そうさせるつもりはない。
足を止めて、盾を構えて戦う。
攻撃をすべて防ぎ切り、一切後ろへ行かさない。
防ぎ、守り、退かず。
城壁の如く振る舞い相手を押しつぶす。
それが、グランダの兵士戦術なのだから。
地面に転がったて道をあけた兵士には一切目もくれず、構えた盾ごとユーパへと体当たりを仕掛ける。
先ほどの兵士のように避けられ、すれ違いざま斬りかかってくるかもしれない。
もしそうなったとしても、既に一度見た動きだ。
対処する自信はある。
体勢を前のめりにして、全速力のシールドバッシュ。
ユーパはその場を動かず、剣を逆手に持ち替える。
切っ先を地面に向けたまま、腕を突っ込んでくる兵士へ突き出した。
剣と盾がかち合い、鈍い音が響く。
人一人の全体重と、突撃速度が乗ったシールドバッシュだ。
片手で止められるはずない。
だが、実際は違った。
まるで壁にでもぶち当たったかのように、兵士の体が止まる。
「なっ?!」
思わず声を漏らした兵士を、誰が咎められるだろう。
老人が、片腕で、全力の突撃を止めたのだ。
驚くなというほうが無理がある。
ただ、驚くことに兵士にはほとんどダメージがなかった。
どうやって、どのようにしてかは分からない。
だがそれはつまり、衝撃を吸収したということだろう。
もしそうなら、ユーパにもダメージはないはずだ。
兵士は剣で止められた盾から少し身を引くと、再びそこに身体をたたきつけた。
今度は手ごたえがある。
やはり微動だにしないが、手応えはあった。
ということは、ユーパも力を入れたはず。
足元を固めなければ、それほどの力は出ない。
その隙を突こうと、盾の下、腰よりも低い位置から剣を突き出すように繰り出す。
身体と盾が邪魔になる、死角からの攻撃だ。
しかし、剣の先に感じたのは、固い感触。
十中八九そうなるだろうとは思っていたが、剣ではばまれたらしい。
だが、これでいい。
兵士は足元をぐりっと踏みなおすと、渾身の力を盾と剣に込めた。
少しでも力を抜けば、そのまま盾と剣がユーパを襲う。
これでいい。
自分が斬れなくても、自分が攻撃できなくても、仲間が攻撃をし仕留める。
自分は相手を阻む壁として、一歩もユーパを動かさせなければいい。
捕った。
リーダーの兵士の口の端がぐっと持ち上がる。
足が止まってしまえば、あとは取り囲んで押しつぶせばいい。
盾を構えた三人に、歩みの速度を速めるように指示を出そうとした、その時だった。
ユーパを抑え込んでいたはずの一人の足が地面を滑るように動き、その体が傾いた。
兵士の表情が凍りつく。
あまりにも自然に、まるで氷の上を滑るように足が滑っていく。
それがユーパの足払いによるものだと気が付いたのは、既に取り返しがつかないほど体勢が崩れた後だった。
倒れこむ寸前、ユーパの剣が兵士の太ももを撫で、剣を持つ手を跳ね上げる。
二本の剣を手に戦うものはいるが、それらを別々に、同時に扱いきれるものは少ない。
ましてこれだけ素早く正確にとなれば、もはやその実力はそこが知れない。
兵士の手から剣がすり抜け、ユーパの腰あたりまで跳ね上がる。
くるくると回転する剣をを前に、ユーパの行動は素早かった。
片足を振り上げると、そのまま剣に向かって振りぬく。
足は的確に柄の部分をとらえ、剣はまるで矢のような鋭さで盾を持った兵士へと飛んで行った。
剣の軌道は、的確に顔をに向けられていた。
兵士は反射的に盾を掲げると、剣を弾く。
一瞬視界がふさがるが、避けるにしてもものが大きすぎて逆に危ない。
何よりも、何度も何度も繰り返してきた体が、素早く盾を構えさせた。
言うまでもないが、兵士であったからこそ出来た動きだろう。
すぐさま視界を覆う盾を下す兵士だったが、一瞬の隙が負けを呼び込む。
盾を下した兵士の目に入ったのは、既に一歩間合いに入り、二つの切っ先を自分に向けたユーパの姿だった。
一瞬でも冷静さを欠いた者を斬る等というのは、ユーパにとってみれば赤子の手をひねるようなものだ。
両足を剣で撫でる。
赤い線が、両太ももに付く。
両足が斬られた状態では、戦闘不能は間違いないだろう。
盾を構えて接近していたもう一人が、意を決したように構えを変えた。
剣を下段に構え、走り出す。
ユーパはそれを迎え撃つように歩を進めると、両手に持った剣を逆手に持ち直す。
ゆっくりとした歩みでありながら、ことここに至ってその威圧感は圧倒的だ。
それでもひるまず、兵士は剣を下段から振り上げる。
幾度も幾度も、血がにじむほど、いや、血がにじんでも続けてきたそのふりは、鋭く早く正確だ。
だが、それゆえにユーパにとって読みやすいらしい。
軽々とその剣を受けると、逆手の剣を背中に回す。
響くのは、鈍い衝撃音。
同じく走りこんできていたもう一人の兵士の剣を、見もせずに受けたのだ。
そのまま押し込もうとする二人の兵士だが、やはり剣はびくともしない。
これを見たリーダーの兵士は、剣を構えて走り出した。
そう、ようやくおさえこめたのだ。
左右から挟み込み、動きを止めることに成功した。
ならばここは、押し通す場面だ。
剣の柄に掌を当て、切っ先をユーパに向ける。
あの二人が抑えている間に、何よりも速度を重視して。
リーダーの兵士は意を決すると、身体を低く構え、一気に駆け出した。
決着は、ほんの瞬く間だった。
ユーパは二人の兵士をなるで人形でも押しやるようにやすやすと突き放すと、兵士の膝と肩を踏み台に飛び上がった。
二人それぞれの頭と顎を蹴りぬくと、一瞬で兵士の意識を奪い去る。
脳が揺れたのだろう。
あおむけに倒れる二人に降り立つと、突っ込んできていたリーダーの兵士の剣を跳ね上げる。
両手で固定された剣はしかし、落下の衝撃を殺すためにしゃがんだ姿勢から立ち上がる勢いを乗せた剣にからめ捕られてしまった。
高々と放物線を描いた剣が地面に突き刺さる前に、リーダーの兵士ののど元にはユーパの剣が付きつけられる。
「ま、参りました・・・」
無念というよりも、もはや感動すらあるのだろう。
リーダーの兵士は力なくそういうと、盾を離し、ゆっくりと両手を上げた。
眉根を寄せて冷や汗をかいている隣の兵士を見て、ヌーベルは眉根を寄せて不思議そうに首をかしげた。
「どうした。 妙な顔をして」
「い、いえ・・・まさかユーパ殿があれほどの使い手とは思わずに・・・」
「おかしなことを言う。 モンジャの民と私の腕を止めた動きを見ていたのだろう?」
「確かに見ていましたが・・・」
それだけでユーパの実力を見切れ、というのは酷な話だろう。
むしろ、その出来事だけでこれだけのことをやってのける男だと判断するヌーベルのほうが若干どうかしている可能性が高い。
「それにしてもあの動き。スオウ様やモンジャの長のように神力を持っておられるのでしょうか」
「ないだろうな。 あれは剣術のうちだ。 人の身であそこまで磨き上げたのだろう」
「人が成せる技なのですか。あれが」
「我々グランダの剣術とは違うものなのだろうな。 我らはその身を城壁とする。 飛び回る戦いは無い」
「逆に、グランダの剣は機動力を貴ぶということでしょうか」
「なのかもしれん。 ネストの兵は皆、あれほどの手練れなのかもしれんぞ」
ヌーベルの言葉に、兵士はぎょっとした顔で振り向く。
「ま、まさか・・・」
「ありえんとは言い切れんだろう」
ヌーベルはゆっくりと後ろを振り返ると、建築物の扉に向かって歩き始めた。
「何せ我々はまだ、ネスト兵と戦ったことがない。 戦う機会は、近々あるがな」
たしかに、戦ったことはない。
剣を交えたこともなければ、どのような訓練、剣術を用いるのかもわからなかった。
そのきっかけになればと、今回の訓練が行われたのだから。
「競技会・・・スオウ様が仰られていたアレですね」
「心して掛からなければな。 弱い隊はグランダには必要ない」
グランダ兵は屈強たれ。
訓練で叩き込まれる言葉の一つだ。
「あ、あの、どちらへ?」
歩き去ろうとするヌーベルの背中に問う兵士。
ヌーベルは歩みを止めて振り返ると、いつもと変わらぬ少し険しい表情で応える。
「訓練の準備を。 私もユーパ殿に一手ご教授願うことにした。 今の訓練の前に約束を取りつけてな」
「なっ?!」
あまりのことに言葉を失う兵士をよそに、すたすたと歩き去っていくヌーベル。
ヌーベルの剣の腕は、間違いなくグランダの中でも上位に位置している。
その男と、先ほど六人の若手精鋭を手もなくひねった男との戦いだ。
すさまじいものが見れるかもしれない。
グランダ兵としての立場で言えば、この対決はよろしくない。
もし万が一ヌーベルが負けるようなことがあれば、グランダは恥を上塗ることになる。
しかし。
一兵士として。
兵士としての在り方を、ヌーベルに教えてもらったものとして。
その戦いを見てみたい。
不安とも期待とも取れない思いを胸にうごめかせながら、兵士は訓練を終えた仲間の救護へと向かった。
文字通り口がふさがらない状態になりながら、エドはプルプルと震えていた。
グランダに住む者として、グランダ兵たちの訓練の様子はよく知っている。
血をにじませ、来る日も来る日もいつか来る戦いのために鍛錬を欠かしたことのない彼らが、老人にあっけなくやられてしまうとは。
ましてあの勝ち方は、普通の勝ち方ではない。
足に手、そういった直接致命傷にならないところばかりを狙っていた。
それはつまり、相手を殺さないで鎮圧したということだ。
実力差がある相手でもない限り、こんな勝ち方は難しい。
狙ってそうしたのだとしたら、彼らとユーパの間には、埋めがたい実力の差があったということだ。
「み、見ましたかソミタさん?!」
やっとこさ顎を元に戻すと、エドは興奮気味にソミタのほうを振り向いた。
そして、がっくりと全身から力が抜けるのを感じた。
ソミタとトトトは、まったく同じ動作でモリモリとおにぎり状の物体をかじっていたからである。
ちなみにこれはモンジャの主食で、ぺんぺん草みたいな草の種を蒸したものだ。
なんかぱさぱさしてると言われていたこの草だが、最近はロイたち品種改良のかいもあってどんどん味がよくなってきていた。
「なんでのんきに食べてられるんですか! あんなすごいもの見て!」
「にーちゃんもあのぐらいのジャンプできる」
「そこだけ抜き出してみるんですか?!」
ソミタはモリモリと口の中に入っていたものをかみ砕くと、ごっくりと飲み込んだ。
「ひげじーさんつよい。 それはわかってた。 どのぐらいつよいかこれでわかった。 それだけ。 そんなにびびることない」
「そうかもしれませんけど・・・」
エドの中に、妙な焦りが渦巻く。
戦いに関してはどんなものにも負けない。
それこそ、神を相手に戦おうとしてきたのがグランダの民である。
その戦いで抑え込まれたのが、兵士でなくてもショックだったのだろう。
エドの表情は、明らかに動揺に染まっている。
「ヌーベルもひげじーさんとたたかう。 たのしみだな」
「うん」
こくこく頷きあうソミタとトトト。
「へ?! そうなんですか?! ヌーベル様とユーパ様が?!」
わたわたと慌てふためくエド。
「おお。いまさっきいってたからな」
「言ってたって、今ですか?!」
「ソミタ。 ふつうのひと、こんなにはなれてたらきこえないよ?」
「そーなのかー」
何時ものように分かっているのか分かっていないのか、いまいちはっきりしない表情で頷くソミタ。
グランダ兵の威信をかけた戦いが始まりそうな感じだったが、モンジャの民。
その中でもとりわけ平和な兄弟の弟のほうは、今日もものすごく平和だった。