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ザクロの木に願いを

作者: 諸林 瓶彦
掲載日:2010/08/15

 中国の昔の皇帝に、洪武帝という人物がいた。本名を朱元璋という。

 皇帝になった後、彼は何万という人を虐殺したという。それも、まだ自分が乞食同然の身分の時から支えてくれた、竹馬の友達を、家族ぐるみで虐殺したのだ。狂気の沙汰としか思えない。要するに、自分の惨めな過去を知っている人間を、一人として生かしておけなかったのだろう。

 だが、今の俺には彼の気持ちが少しだけ分かる。もちろん俺は朱元璋のように地位も名誉も手に入れていないし、むしろ引きこもりという日本人として底辺のような生き方をしているのだが。 

 一日の大半は、ゲームに費やしている。いつか脳が機能不全を起こして死ぬだろう。

 そんな俺でも、一年ほど前まで夢があった。漫画家になる、という。それを知っている人間を、今は全員殺してやりたい。

 俺は高校時代から、漫画研究会の中核メンバーだった。部長は他の奴にやらせていたが、実際に作品を一番多く書いていたのは俺だった。同人即売会で研究会の印刷物が販売できるように常に尽力してきたし、友達や後輩の作品を見て、どうすればもっと良くなるか講評していた。時には酷評もした。

 とても偉そうな奴だったと思う。自分の作品によほど自身があったのだ。

 大学へ入ってからもその態度は続いたが、そのせいで少ない友達はどんどん離れて行ってしまった。それに気がつかなかった。

 大学三年生の夏、俺はある雑誌の編集部に自分の絶対の自信作を持ち込んだ。持ち込みというのは、漫画界特有の慣習で、編集者に直接原稿を見て評価してもらえる。作品のクオリティが高ければ、デビューするまで編集者がついてくれる。

 編集部の一室で、俺はソファに座って漫画雑誌を読んでいた。向かいには、まじめで温厚そうな編集者が座って、一枚一枚丁寧に、俺の漫画を見ていた。俺の体中に、嫌な汗がにじみ出ていたのを憶えている。

「君、これ漫画になってないよ」

 編集者は俺の原稿をおもむろに机に置くなり、言った。

「は」

 俺には、彼が何を言ったのかよく分からなかった。

「漫画っていうのはさ。何よりも大切なのはコマ割なんだよね。それがなってないから、一ページ一ページがどんなストーリーなのか、全然分からないんだ」

 編集者の声は、あくまで温厚だ。やっと俺の脳みそも、理解が追いついてきた。

「ところでこれ、君はどんなストーリーのつもりで書いてきたの?」

「う……それは……」

 俺は、シドロモドロになりながら、一ヶ月かけて練りに練ったストーリーを編集者に話した。

「ああ。そういう話しなのか……。だったら、ここはこうした方がいいし……」

 編集者は俺の漫画の欠点を次々に指摘した。俺はもう泣きそうだった。泣いてしまった方が良かったのかも知れないが、そんな恥をさらせるわけがなかった。

「絵は、それなりに上手いな。君、萌絵が得意でしょ? 筆運びがスラスラしてるのが見ているだけで分かるよ。でもね、ベタな言い方だけれど、オリジナリティが全然ないんだよな。いいかい、世間では萌絵は記号だっていう評価を受けているけれど、実はよく研究してみると、必ずその作者固有の何かがあるんだ。君の絵はそれがないな……」

 積み上げてきた虚栄の城が崩れ去る音が聞こえた。

 要するに、俺の漫画は最高につまらないのだ。いや、つまらないを通り越して、「漫画になっていない」のだろう。端的だ。端的すぎて、今度は笑いたくなってきた。

「まあ、頑張ってよ」

 最後にそう言い残して、編集者は、仕事場へと戻っていった。俺はふらふらと立ち上がって、静かに、あたかも最初から自分がそこにいなかったかのように、その場を立ち去った。

 その後、自分がどうやって家に帰ったのか全く憶えていない。自分の部屋に入った俺は、ひとしきり大声で笑った後、枕に顔を押しつけて泣いた。

 どん底の俺を、助けてくれる友達はもはや誰もいなかった。

 俺の全人生を漫画にかけてきたのに、それを否定されるなんて。

 彼女も作らず、ファッションにもこだわらず、ろくに身体を動かすこともせず、漫画だけを描いてきたのに。

 俺は、漫画の道具一式をダンボール箱に詰めて、仕舞った。もうあれを開けることはあるまい。

 変わりに俺は、家庭用ゲーム機のプラグをコンセントに差し込んだ。


 漫画だけを描いてきた俺にとって、就職活動など出来るはずがなかった。それでも、十社ほど入社試験を受けたのだけれど、ことごとく落ちた。

 高校時代の仲間達にメールを出してみたけれど、返信はことごとくなかった。俺のような社会不適合者とは、付き合う義理もないのだろう。

 俺は、全てを忘れさせてくれるゲームにのめり込んでいった。

 そして、また夏。

 相変わらず俺はゲームをしている。もう、今日が何月何日なのかすらはっきりと分からない。大学はそれほど規律あるところとは思っていなかったが、それでもカレンダーを日々気にする程度には、生活を律していたのだ。

 ふと、ゲームのBGMに混ざって、何かが振動する音が聞こえてきた。

 携帯だ、と気がつくのにたっぷり三十秒ほどかかった。

 瓜生忍からだった。

 しばらく放っておいて、着信がとぎれるのを待っていたが、いつまで経っても携帯は振動し続けた。

 仕方なしに、俺はゲーム画面をロックすると、携帯の通話ボタンを押した。

「はい」

「ああ! 瀬山くん。やっと出たね。朝から何度も電話しているのに」

 瓜生忍。俺が漫画家を目指していたことを知っている、一番粛正したい人間の一人だ。時々、お節介にも電話を掛けてきて、励ましてくる。

 うるせーなー、俺は廃人なんだよ、もう俺の人生終わってるんだよ、そんな俺に関わったってお前何の得もないだろ、電話してくんじゃねえよ! そう言いたいのをとりあえず我慢する。 

「何のよう?」

 俺は努めて感情を押し殺して、尋ねる。

「相変わらず、怖い声だなー。なんか、怒っている?」

「いいや、別に」

「そう、ならいいけど。もうすぐさー、西高のザクロの花が咲くなーと思って」

 西高というのは、俺達がともに通っていた高校、県立高梁西高校のことだ。

「それがどうしたというんだ?」

 俺は、ザクロの木が高校にあったのは憶えているが、それがいつ花をつけるのか、いつ葉を散らすのかといったことについては、全く知らなかった。最初からそんなこと、興味なかったから。

「知らない? あのザクロの木の伝説について」

「知らんな? うちの高校に、伝説なんてそんなたいそうなものあったか?」

「なんだー、知らないのか。瀬山くん、あの頃漫画とゲーム以外のことに興味なかったもんね」

「今はただの廃人だって言いたいのか?」

「そんなことないよー、ひねくれてるな」

 電話の向こう側の声が、少しむくれた。

「で、どんな伝説なんだ?」

「ザクロの木が満開の頃、満月の夜に、あの木の前で願いを懸けると、叶うんだって」

「ああ、それか。それなら俺も知っている」

 確か、同級生の女子達の間で、随分はやった噂だ。今も西高では、そんな噂がささやかれているのだろうか。知る由もないが。

「だから、二人で願いを懸けに行かない?」

「は?」

「あと一週間後、ちょうど満月なんだよ。その頃、ザクロの花は満開だと思うの」

「願いを懸けるって、何をだ」

「もう、無粋だなー。もちろん、瀬山くんが『漫画家に成れるように』だよ」

 俺の心の中で、何かが沸点に達しようとしているのを感じた。この女はまだ、俺が漫画家を目指していると勘違いしているのだろうか。

「うるせーな、お前! 俺は漫画家になるなんてとっくにあきらめたんだよ! 何度も言ったろ!」

「で、でも。ちょっと編集者に厳しいこと言われたぐらいで諦めるなんておかしいよ。いろんな漫画家のデビュー前のエピソードを知っているけれど、十回持ち込みしてもデビューできずに、それでも持ち込みや投稿し続けて、編集部から認められた人だっているんだよ。その人、今、一流の作家になっているじゃない」

「そういう人達と、俺とじゃ、持って生まれた者が違うんだよ。才能がさ!」

「でも、瀬山くんは、漫画への情熱を、誰よりも持っていたじゃない。高校の時なんて、あらゆる漫画雑誌を読んでたじゃない。その瀬山くんが、本当に漫画家への道を諦めたなんて、わたしには信じられない。後一歩、後一歩かも知れないのに」

「……俺が漫画家を目指していたのは、人よりも漫画の情熱があったからじゃない。逃避だよ。運動も、勉強も出来ない。友達もろくにいない。サラリーマンにも、肉体労働者にもとてもなれない。異常に不器用だから、アルバイトだって無理だろう。……漫画家は、そうやっていろんな職業を消去法で消していって最後に残った一つなんだ。だから、俺は漫画を愛してなんかいない。ただ、何となく、なりたかっただけさ」

 俺はまくし立てた。まくし立てた後で、強烈な自己嫌悪に襲われた。

「そんなことない。瀬山くんは、漫画を誰よりも愛している。じゃなきゃ」

 俺は、寒気がするほどの吐き気に襲われた。電話の向こうの、瓜生の声は泣きそうになっているではないか。俺は、誰かに八つ当たりできるような身分も権利もないのだ。

「怒鳴ったりして、悪かった。だけど、言ったとおり、俺はもう……」

「そう、でも、とにかく一週間後に、西高に行きましょう。ザクロの木の前へ。瀬山くんは何も願わなくていい。わたしは、わたしの好きなことを願うから」

「ああ、分かったよ」

「よろしくね」

「ああ」

 俺は通話を切った。俺には、彼女のしたいことを無下には出来ない理由があるのだ。

部屋の隅に無造作に置かれたいくつかのダンボール箱。それらの中には、今まで描きだめてきた漫画の原稿や、丸ペン、Gペン、トレース台、原稿用紙、スクリーントーン、その他諸々の漫画の道具が詰まっている。

 瓜生と話しをしていると、それでも少しだけ、ダンボール箱のガムテープをはがしてみたくなる。だが、どうしようもない自己嫌悪に襲われて、箱を開けることは出来ない。それでいいのだと、自分に言い聞かせる。

 そして、一週間後、満月の夜。

 昼間の雨が嘘のような快晴だった。空気が綺麗なのか、星々が瞬いているのも見える。

 俺達は、コンビニのある十字路で落ち合うと、自転車で西高へと向かった。

 実に一年ぶりぐらいに自転車に乗った俺の運転はふらふらで、何度も転びそうになった。瓜生は俺のスピードに合わせてゆっくりと自転車をこいでくれた。


 そして、西高の校門の前につく。時計を見ると夜の十一時、十三分。こんな時間の高校に入るのは初めてだった。

 彼女の額には、LEDのランプ。俺は明かりを何も持ってこなかったから、それだけが頼りだ。校門を乗り越え、校舎へ向かう。

 山奥と言っていい場所にある西高。この時間になると、本当に人工の明かりがない。

 満月の光でほのかに照らし出された校舎は、まるでゲームの中に出てくるポリゴンで作られた城のようだ。

 そして、校庭へ回り込む。校庭の周囲には、たくさんの木々が植えられており、その内の一本が、目当てのザクロの木だった。

 満月を背にして、そのザクロは校庭に薄黒い影を投げかけていた。その光景に、この一年部屋からほとんど出たことのなかった俺は、素直に感動した。

 今まで悩んできたことが、この光景に比べてどれだけ小さなことなのか、そう思った。 

 俺の両目から、一筋熱いものが流れ落ちたのが分かった。

 熱心な仏教徒でもないし、ザクロの木も仏像であるはずがないが、俺達は自然手を合わせ、頭を垂れ、それぞれの願いを思った。


 その日、家に帰ると、俺は即座にダンボール箱を開けた。一冊の、まだ何も描かれていない大学ノートを取り出す。そして、机に向かうと、シャーペンで一心不乱に、ネームを描き始めた。

 新しい漫画のアイディアが次から次へと生まれてきたのだ。客観的に見てその中のほとんどが、読むに足らないものなのかも知れない。だが、その中に一個ぐらいはダイヤモンドがあると、俺は確信していた。


 半年後、冬。

 俺は一番好きだった漫画雑誌の新人賞を取っていた。

 デビューは果たした。後はこれからだ、そう言ったのは、あのとき、俺の漫画を酷評した編集者だった。

 描きたいことは、唸るほどある。一年前、悩んでいたことが嘘だったかのように。


 だが、俺のデビューを一番に祝ってくれる人は、もういなかった。

 瓜生は、俺が賞を取ったことを知らずに死んだのだった。

 彼女は幼い頃より数万人に一人という難病に冒されていた。そして、ついに大きな発作に襲われて、親族の励ましや、医師達の努力もむなしく、この世を去った。俺が賞を取ったという知らせを受ける、一日前のことだった。


 午後二十一時、俺は自転車に乗ってがむしゃらに走った。

 気がつくと、あのザクロの木の前に立っていた。葉はほとんど枯れており、あの赤い花の面影はなかった。空には厚い雲が覆っていて、月は見えなかった。

 俺は、ザクロの木を思い切り蹴飛ばした。はらはらと、残った枯れ葉が落ちる。

「願い、叶わなかったじゃないかよ!」

 あの満月の夜、俺の願いは、もちろん「漫画家になれますように」などではなかった。

 瓜生の病気が治るようにと願ったのだ。

 瓜生がなんと願ったのかは知らないが。

 もちろん、そんなまじないを信じていた分けじゃない。

 だが、今日、何かに当たり散らしたい気分で一杯だったのだ。

 その後俺は、木の下にひざまずいて泣いた。


「泣かないで、瀬山くん」

 そんな声が聞こえた気がして、辺りを見回した。

 いつの間にか、雲の合間から満月が顔を出して、辺りを照らし始めていた。

 瓜生が、俺の真正面に立っていた。

「瓜生」

「わたしね、実はこのザクロの精なんだ」

「何を言っている……」

 瓜生の姿は、まるで蝋燭の火のようにはかなく、今にも消えてしまいそうに見えた。

「誰かの願いを叶えてあげるのが、わたしの仕事」

「まさか」

「わたしも、漫画家になりたかった。でも、才能もないし、病気を抱えていたわたしに出来る仕事じゃない。だから、瀬山くんにに夢を託した。だから、あれだけお節介を焼いたの」

「いや、お節介なんかじゃないさ。俺は、本当に漫画家になれたんだ。君が応援してくれたから。君がいなかったら、とっくに諦めていただろう」

「そう、よかった」

 彼女の身体が、空中に浮かび始めた。

「……君がザクロの精だなんて、何でそんな嘘をつくんだ。君は人間だ。死んでしまった。もう二度と会えない。くそっ、何てことだ」

 彼女の身体は、火の粉が大空に舞い上がるように、月の方へと吸い込まれていく。

「待て、待ってくれ」

 だが、彼女の声は、もうしなかった。


 帰り、自転車に乗りながら、俺は思う。

 瓜生の姿と声、あれは幻覚だったのだと。

 彼女が死んだということと、俺が漫画の賞を取ったと言いうことのつじつまを合わせるために、脳が見せた幻覚だったのだ、と。

 だけれど、それでもいい。俺は、これからも、泥まみれになって生きていく。

 


 

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