第十五話「土下座」
リンドウの町は、今日も活気に満ち溢れていた。領主代行であるアッシュのオフィスには、様々な陳情や報告が舞い込んでくる。
「アッシュ様、西の農園の収穫量が、昨年の三倍になりました!」
「アッシュ、新しい防具の試作品ができたぜ!見てくれよ!」
仲間や町の人々に囲まれ、アッシュは忙しくも充実した日々を送っていた。
そんなある日、一人の女性が、衛兵の制止を振り切って彼の執務室にやってきた。
息を切らし、旅の汚れにやつれたその姿。しかし、その凛とした佇まいと、腰に下げた見事な長剣は、彼女がただ者ではないことを示していた。
「……ソフィアさん」
アッシュは、静かにその名を呼んだ。かつての仲間、剣聖ソフィア。彼女は、アッシュの追放を唯一悔やんでいた人物だった。
ルナとミーファが、警戒してアッシュの前に立ちはだかる。
「アッシュに何の用だ!あんた、確か勇者パーティの……」
「待って、二人とも」
アッシュは二人を手で制すると、まっすぐにソフィアを見つめた。
ソフィアは、アッシュの顔を、そして彼の周りにいる信頼に満ちた仲間たちの顔を、順番に見た。そして、彼女は次の瞬間、驚くべき行動に出た。
プライドの高い剣聖が、何のためらいもなく、その場で膝をついたのだ。そして、額を床にこすりつけた。
土下座だった。
「……アッシュ」
床に額をつけたまま、ソフィアは震える声で言った。
「あの日、私は……あなたの追放を止めることができなかった。レオの暴挙を、ただ見ていることしかできなかった。それは、パーティの和を乱すことを恐れた、私の弱さです」
彼女の肩が、小刻みに震えている。
「私は、ずっと後悔していた。あなたの重要性に気づきながら、何もできなかった自分を。そして、案の定、あなたを失ったパーティは崩壊した。私たちは、あまりにも愚かだった」
土下座したまま語られる、懺悔の言葉。それは、彼女がずっと胸に抱えてきた、痛切な後悔の念だった。
アッシュは、黙ってその言葉を聞いていた。彼女を恨む気持ちは、とうの昔に消えていた。むしろ、彼女だけは、と心のどこかで思っていた部分もある。
「顔を上げてください、ソフィアさん」
アッシュの穏やかな声に、ソフィアはゆっくりと顔を上げた。その瞳には、涙が浮かんでいた。
「私の過ちです。本当に、申し訳なかった……。だから、こんな私が、あなたに何かを頼む資格などないことは、わかっている。でも……それでも、言わせてほしい」
ソフィアは、決意を込めて続けた。
「どうか、この国を……いいえ、この世界を救うために、あなたの力を貸してください。今の勇者では、もう魔王軍には勝てない。国は腐敗し、民は疲弊している。このままでは、すべてが手遅れになる」
「……」
「私は、あなたの剣になりたい。今度こそ、あなたの隣で、あなたのために戦いたい。どうか、この罪深い私を、あなたの仲間として使ってはもらえないだろうか」
それは、剣聖としてのプライドをすべて捨てた、魂からの願いだった。
アッシュは、彼女の覚悟が本物であることを見て取った。彼はゆっくりとソフィアに近づき、その手を引いて立ち上がらせた。
「ソフィアさん。俺は、あなたのことを責めたことは一度もありません。顔を上げてください」
そして、彼は穏やかに微笑んだ。
「ようこそ、『暁の翼』へ。あなたの剣、頼りにしてますよ」
「……アッシュ……!」
ソフィアの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。それは、絶望の涙ではなく、赦しと希望によって流された、温かい涙だった。
こうして、かつての勇者パーティ最強の剣士は、その剣を、真の英雄に捧げることを誓ったのだった。




