第八十七話 結末
限界を超え、
命を削るように戦い抜いた末――。
ゲトラムの街を覆っていた黒煙は、
ようやく風に押し流され、薄れていった。
瓦礫の上に残っていたのは、
肩で息をしながら立ち尽くす、ライトたちの姿。
《光の翼》はすでに消え、《光の剣》は短刀ほど小さい剣身となっていた。
街に残るのは――朝日と、深い静寂だけだった。
「……終わったのか?」
グレンダが、斧を地面に預けながら呟く。
「ああ……そうみたいだ」
ユージが影を伸ばし、周囲を見渡す。
「……魔導生物は……もう、見当たらない」
アリスは胸に手を当て、長く息を吐く。
アヤは何も言わず、ただ空を見上げていた。
その視線の先には、
どこまでも澄み渡る――青い空が広がっている。
凛とした声が、静寂を切り裂いた。
「皆!よくやった!!」
前に出たルイが、力強く宣言する。
「魔族殲滅軍が秘密裏に作り上げていた魔導生物は――
すべて、退治した!!」
「うおおおおおお!!」
フルーレ王国兵たちの歓声が、街に響き渡る。
その声を、朝の風が遠くまで運んでいった。
傷だらけの街は、
ようやく本当の意味で、静けさを取り戻しつつあった。
ライトは、その場に力尽きたように倒れ込み、
瓦礫の上へ仰向けに寝転ぶ。
疲れ切った表情のまま、
それでも確かな笑みを浮かべて、仲間たちを見回した。
「……みんなが、いてくれたから」
声は掠れていたが、確かに届く。
「俺の光は……最後まで、消えずに済んだ」
一人ひとりの顔を胸に刻むように見渡し、
ライトはゆっくりと上体を起こして、深く頭を下げた。
「ありがとう……
みんな……本当に、ありがとう」
その背後で――
リュウガが、ふと小さく笑った。
黒い翼を広げ、朝の空へと身を躍らせる。
「……リュウガ!」
ライトの声が届く。
だが、振り返ることはなかった。
リュウガはそのまま風に乗り、
朝日に溶けるように飛び去っていく。
残された空に、
黒い残光だけが、わずかに揺れていた。
そして――
瓦礫の向こうから、静かな足音が近づいてきた。
「……また会ったな! ライト君」
振り向くと、そこに立っていたのはエルディオだった。
「……エルディオ……」
ライトの呼びかけに、彼は穏やかに頷く。
「魔族殲滅軍は、ここ最近――
“正義”を見失い、人々を圧迫していた」
街の惨状と、戦いを終えた人々の姿を静かに見渡しながら、続ける。
「……今日の出来事で、きっと現状は大きく変わる」
その声には、確かな実感があった。
「人魔革命団の評価も変わるだろう。
きっと“共存″を掲げる新時代への一歩になる!」
ライトは、その言葉をすぐには返さなかった。
ゆっくりと視線を上げ、
どこまでも澄み渡る空を見つめる。
「……ああ」
ライトは静かに、しかし迷いのない声で答える。
「人間も、魔族も――
同じ空の下で、笑える日が……きっと来るさ」
朝の風が吹き抜け、
戦いの残滓をそっと撫でるように、街を包み込んでいく。
瓦礫の隙間に差し込む光は、
もはや戦場のそれではなかった。
青く晴れ渡る空の下――
ゲトラムの街に、確かに芽生え始めていた。
それは、剣でも力でもなく、
恐怖でも支配でもない。
小さく、けれど確かな――
“共存の光”だった。
⸻
――激戦から、数日後。
あの惨状が嘘だったかのように、
ゲトラムの街には、再び人々の声が戻りつつあった。
あれほどの崩壊に見舞われながらも、
街に刻まれたのは傷だけで――
奇跡的に命が失われることは、なかった。
崩れ落ちた建物では、すでに修復作業が始まっている。
広場には、復興のために集まった人々の姿。
瓦礫を運ぶ者。
炊き出しを行う者。
怪我人に寄り添い、声をかける者。
街はまだ、深い傷を抱えたままだ。
それでも――
確かに、前を向き、歩き出そうとしていた。
一方で、魔族殲滅軍が行ってきた非道な人体実験、
そして魔導生物の存在は公に明るみに出され、
組織そのものは解体寸前の状況に追い込まれていた。
それとは対照的に――
街の中心には、人魔革命団の旗が掲げられている。
その周囲には、自然と多くの市民が集まり、
立ち止まっては、静かに語り合っていた。
「人魔革命団がいなけりゃ……
この街は、もう終わってたかもしれねぇ」
「正直、最初は怖かったけどな。
でも……魔族も、一緒に戦ってくれたんだ」
「これからは……人魔革命団の言う“共存”ってやつを、
本気で信じてみても……いいのかもしれねぇな」
戸惑いと希望が入り混じった声が、
街のあちこちから聞こえてくる。
その傍らで――
ユージたちは黙々と瓦礫の整理と後片付けに追われていた。
崩れた石を運び、壊れた道をならし、
戦いの痕を一つずつ消していく。
ゲトラムの街には、まだ多くの傷が残っている。
だが同時に――
確かに、“変わり始めた空気”が流れていた。
戦いの爪痕を抱えながら、
街は今、ゆっくりと――
再生への歩みを始めていた。
グレンダは瓦礫を片付けながら、ぽつりと呟いた。
「……それにしても、信じられねぇ光景だな。
こんだけの人が“共存思想”に、賛同するなんてよ」
アヤは手を止め、街を見渡す。
「……うん。
たぶん、こうやって少しずつ――
時間をかけて、世界は変わっていくんだと思うわ」
アリスは風魔法で瓦礫を吹き飛ばしながら、穏やかに微笑んだ。
「元・魔族殲滅軍だった私たちだからこそ……
やらなきゃいけないことが、あると思うの」
「……ああ、そうだな」
ユージは短く頷いた。
「これは――俺たちが招いたことだ」
動かなくなった左足を引きずりながらも、
ユージは影を伸ばし、黙々と資材を運び続ける。
その表情に宿っていたのは、疲労ではない。
――逃げることのない、確かな責任感だった。
「人魔革命団の名と共存思想が広まれば、
世界は混乱に包まれるだろう……
もう後戻りはできねぇぞ、ライト」
ユージの言葉は――ここにいない彼へ向けられていた。
ユージはゆっくりと顔を上げる。
その視線の先には、あの日と変わらぬ、
どこまでも澄んだ青空が広がっていた。
⸻
――人魔革命団・拠点。
重い門が、軋む音を立てて開いた。
「……ただいま」
控えめに響いたその声に、
入口近くにいた龍鈴は、はっと目を見開いた。
一瞬、時間が止まったように動けず――
次の瞬間、考えるより先に駆け出していた。
「ライト!」
名を呼ぶ声は、抑えきれず弾む。
勢いのまま飛び込むように駆け寄ると、
ライトは少し照れたように、困った笑みを浮かべながら腕を広げた。
「少し……遅くなっちまったな。わりぃ」
「もう……本当ですよ!」
そう言いながらも、
龍鈴の声は責める調子ではなく、
無事を確かめられた安堵と喜びで震えていた。
「……心配、かけたな」
ライトが視線を逸らし、低く言う。
「……いいえ」
龍鈴は首を横に振る。
「信じていました。
きっと……戻ってくるって」
ライトは、その言葉に小さく息を吐き、
優しく笑った。
「言っただろ?
俺の戻ってくる場所は――龍鈴のところだって」
その一言に、
龍鈴の頬がふわりと赤く染まる。
少しだけ視線を落とし、
それでも、はっきりと。
「……おかえりなさい、ライト」
「ただいま、龍鈴」
窓から差し込む柔らかな陽光が、
戦いの痕を残した二人を包み込み、
その距離を、そっと溶かしていった。
⸻
――それから。
龍鈴の助言を受け、
人魔革命団はゲトラムの復興に、本格的に関わることとなった。
瓦礫の撤去。
家屋の修復。
負傷者の治療。
物資の配給――
その一つひとつに、妥協はなかった。
誰かのために手を動かし、汗を流し、
『共に生きる』という言葉を、行動で示し続けた。
だが、最初からすべてが受け入れられたわけではない。
街の人々は、魔族や龍族の姿に怯え、
本能的に距離を取っていた。
向けられるのは、不安と警戒の視線。
それらが消えるには、時間が必要だった。
――決して、一朝一夕で変わるものではない。
だが――
共に汗を流し、泥にまみれ、
誰かのために手を伸ばす姿を、彼らは毎日、目にすることになる。
やがてゲトラムの民は、
人魔革命団を『異質な存在』ではなく、
同じ街を立て直す――“仲間”として受け入れ始めていた。
その中心には、いつもライトがいた。
人間と魔族の間に立ち、
誤解があれば、言葉を繋いだ。
街には、再び灯りがともる。
夜になると、
壊れかけの広場に人々が集い、
笑い声が零れ、
誰かの口ずさむ歌が、
静かに風に乗って流れていった。
ゲトラムは、まだ完全には癒えていない。
だが――確かに、前へと歩き始めていた。
⸻
――そして、一年後。
ゲトラムは、人間と魔族が肩を並べて暮らす街として、各地にその名を知られるようになっていた。
かつて血と恐怖に染まっていた街路には、
今では商人の呼び声と、子どもたちの笑い声が行き交っている。
人々の暮らしを思えば、完全な復旧とはまだ言えない。
だが――
人間も魔族も互いに手を取り合い、
少しずつ笑顔を取り戻す街へと、確かに変わりつつあった。
その変化の中で、
人魔革命団、そして龍鈴たちを
救世主――あるいは、神のように崇める市民も、少なくなかった。
だが龍鈴は、そうした視線を受けるたびに、静かに首を振った。
「私たちは、特別な存在ではありません」
そう言って彼女は、いつも街へ足を運び、
人々と同じ目線で、平和のあり方を日々模索していた。
そしてその傍らには、
彼女の言葉を伝え、言葉が通じずに戸惑う人間と魔族の間に立ち、
一つひとつの小さな摩擦を、共に根気強く解いていくライトの姿があった。
ゲトラムの中心には、常に二人の姿があった。
「おはよう、ライト!いつもありがとな!」
「龍鈴様も、変わらずお美しい」
そんな何気ない声が、彼らの日常だった。
長きにわたりゲトラムを支配していた魔族殲滅軍は、
すでに完全に解体されている。
かつてその拠点だった場所は、
人魔革命団の本拠地となり、
人間と魔族、双方の構成員が集う場所へと姿を変えていた。
現在、街は人魔革命団と《聖剣の灯火》の協力体制によって統治され、
秩序と復興は、ようやく確かな形を持ち始めている。
同じ頃、
隣国フルーレ王国にも、大きな変化が訪れていた。
ゲトラムの一件で真っ先に援軍を率いて駆けつけたルイは、その行動を高く評価され、正式に王へと任命された。
若き王となったルイは、
魔族の存在を否定せず、
共存思想を掲げるゲトラムと友好関係を結ぶ。
その選択は、世界に小さく、しかし確かな波紋を広げていった。
だが――
“共存の都ゲトラム”は、まだ完成形ではなかった。
街の内側には、
魔族との共存に、拭いきれぬ不安を抱く者もいる。
一方、街の外では、
「人と魔族が共に生きる街」という存在そのものが、
危険な思想として警戒され始めていた。
人魔革命団が持つ、凄まじい個々の戦闘力。
そして、これまで“暴れる獣”として見られてきた魔族が、
知恵と意思を持ち、言葉を交わせる存在だと示された事実。
それらは連盟にとって、
『秩序を揺るがす危険思想』と映り、
やがて、秘密裏に“討伐対象”として名を挙げられるに至った。
共存は、希望であると同時に、
争いを呼び寄せる火種でもあった。
ゲトラムに拠点を置いた人魔革命団の名は、
ある者には希望として、
ある者には脅威として、語られるようになっていた。
それでも、
龍鈴とライトは、歩みを止めない。
そして――各地ではいまだ、魔族に襲われる村が後を絶たず、
また一方で、人間側による「討伐」の名を借りた侵攻によって、魔族の領地が踏みにじられる事件も、日常のように繰り返されていた。
そのたびに、人魔革命団は調停のために介入し、
剣ではなく、言葉によって争いを止めようと奔走した。
だが、世界はあまりにも広く、
彼らの目と手が届く範囲には、確かな限界があった。
すべてを救うことなど、できるはずもない。
理想を掲げて進めば進むほど、
届かなかった場所で流される血が、
その理想を、鋭く、そして重く突き刺してくる。
それでも――
世界には、少しずつではあるが、
人魔革命団の掲げる平和の在り方に、
共感し、賛同する者たちが、確かに増え始めていた。
しかし、その一方で、
魔族側にも、静かな変化が生まれていた。
西方の魔族領では、ドサイが統一を試みていたものの、
過激派との対立は依然として解消されず、
戦力は、なお二分されたままであった。
そして――
白虎の意思を継ぐ魔族過激派は、
人魔革命団を明確な仇敵と定め、
各地で調停に赴く彼らを待ち伏せし、
奇襲を繰り返すようになっていく。
世界は静かに、だが確実に、
次なる局面へと、歩みを進め始めている。
“共存の時代”は、確かに幕を開けた。
その光は、多くの人々の希望となった。
だが、その裏側で、
恐怖と偏見、そして癒えぬ憎しみが、
再び世界を蝕もうとしている。
理想のために掲げられた人魔革命団の旗は、
いつしか新たな争いを呼び込む“目印”ともなっていた。
――夕暮れのゲトラム。
城壁の上で、ライトは空を見上げる。
同じ空の下で、
人間も、魔族も、生きている。
それだけは、確かな現実だった。
「……行こう、龍鈴」
差し出された手に、
隣に立つ彼女は静かに頷き――
その手を、優しく、しかし確かに握り返した。
「ええ。誰も傷付かない平和な世界のために……」
この先に何が待っていようとも――
彼らは、歩みを止めない。
世界は今、
“人魔革命団”を軸に、動き出していた。
人間と魔族。
希望と絶望。
共存と殲滅。
相反する意志がぶつかり合う、
新たな時代へ――。
この物語は、続いていく。




