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第八十四話 正義の形

《氷蛇》の冷気は、既にライトの全身を覆い尽くしていた。


白い霜が肌を、鎧を、翼を包み込み、

呼吸さえも、凍りつく。


まぶたは重く、視界は白く霞み、音が遠のいていく。


――もう、ライトの身体は動かない。


総帥は、完全に氷像と化したライトを前にして、

静かに語りを終えた。


「……以上が」


淡々と、感情を挟まずに。


「かつて“弱者”だった、

ひとりの男――レグーナの話です」


ライトの返事はない。


瞳は閉じられ、唇も動かず、

もはや呼吸すら確認できない。


総帥は、ゆっくりと一歩近づき、

氷に覆われた顔を覗き込む。


「……おやおや?」


首を傾げる。


「もう、意識はありませんか……」


それは確認であり、

同時に――どうでもいいという態度でもあった。


「少し、話が長すぎましたかね」


軽く肩をすくめ、

まるで興味のない報告をするように続ける。


「ですが、あなたには聞く義務がありました」


凍りついたライトの胸に、視線を落とす。


「理想を語る者には、現実を知る責任がある」


総帥は、静かに剣を構え直した。


《氷蛇》が、床の上で音もなく蠢く。


「……それでは、終わらせましょう」


声は低く、穏やかで、一切の迷いがない。


「“共存”という、甘い幻想ごとあなたを――」


総帥の剣が、完全に凍りついたライトへと向けられた。


「……なんで……」


凍りついた唇が、

かすかに――それでも確かに、動いた。


「……そんな……平気な顔して、いられんだ……」


「……っ!」


次の瞬間。


完全に氷に閉ざされていたはずのライトの瞳から、

一筋の涙が、静かに零れ落ちた。


凍りついた頬を伝い、

その雫は、氷の表面で止まることなく、

ゆっくりと流れ落ちていく。


「……レグーナは、あんただろ。

そんな顔で……そんな悲しいことを、

他人事みたいに語るな……」


凍りついた喉から、それでも確かに、声が紡がれる。


「それと……お前のやりてえことは……なんとなく、わかった。

心に深く負っちまった傷もな……」


その声は弱々しいが、決して途絶えない。

  

「……でもな――」


ライトは歯を食いしばり、吼える。


「憎しみじゃ……何も変えられねぇ」


――パキッ、パキッ。

氷に、細かなヒビが走る。


「あんたが奥さんと娘を失った痛みは……

きっと、一生消えねぇんだろう」


言葉を選ぶように、息を吸う。


「《祝福の刻印》は、あんたが悩んで必死に考えて、

辿り着いた平和の形なんだろう……」


ライトの身体が、内側から淡く光を帯び始める。


「……けどな、誰かを騙して、踏み躙って、

蹴落として出来上がる未来なんて――

俺は、絶対に認めねぇ!!」


拳を握り締め、叫ぶ。

 

「未来はな……誰かひとりが決めるもんじゃねぇ!

怖くても、傷ついても、みんなで手を取り合って――

作っていくもんなんだ!!」


その叫びに呼応するように、

ライトを覆っていた氷に――


ピキリ、と大きな亀裂が走る。


「みんなが信じて、掴もうとしてる“未来”を――

こんなところで終わらせてたまるかああああっ!!」

 

――バキンッ!


乾いた音が響き、

亀裂の隙間から、まばゆい光が溢れ出す。


「な、なんなんですか……この光は……?」


総帥が思わず声を荒げる。


亀裂は一気に全身へと広がり――

氷が、内側から弾け飛んだ。


――ガシャァァン!!


砕け散った氷片が宙を舞い、

迸る光が執務室を白く染め上げる。


その光の中心で、

ゆっくりと――ライトの姿が現れた。


黒かった龍の鱗は、淡く、そして神々しい金色へ。


全身を覆うのは、光を宿した龍の鱗。


「……力が……」


ライトは拳を握り、低く笑う。


「……漲ってくる」


《光の翼》が、さらに大きく展開される。

その光に照らされるだけで、床に散った氷片が蒸発し、白い蒸気となって消えた。


総帥は歯を食いしばり、叫ぶ。


「なんですか!あなたは!

見た目が変わったところで、意味などありません!!

――《氷蛇》!!」


床が軋み、無数の氷蛇が再び這い出す。


氷の牙を剥き、

新たな光を纏ったライトへと襲いかかった。

 

だが、その光に触れる前に――

氷蛇は次々と、霧のように掻き消えていった。


――スゥッ……。


「そ、そんな馬鹿な……!

――《鬼火》!!」


総帥の周囲に紫炎が渦を巻き、

怨念を帯びた炎が螺旋を描いてライトへと迫る。


だが、それも――

光に到達する前に、音もなく霧散した。


「……な……なぜだ……?

私の魔法が……届かない……?」


信じられないものを見るように、総帥が呻く。


光の中心で、ライトがゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、揺るぎない意志が宿っている。


「この光は――俺ひとりの力じゃねぇ」


静かに、しかしはっきりと言い切る。


「みんなの想いだ。恐怖に負けず、憎しみに飲まれず、

それでも前に進もうとした“希望の光”だ!!」


「ふざけたことを……!」


だが、ライトはもう止まらない。


「――次は、こっちから行くぜっ!!」


輝きを増した《光の剣》が唸りを上げる。

刃から解き放たれた光は、斬撃となって奔り――

空気そのものを引き裂いた。


「――《光の斬撃》!!」


総帥は反射的に剣を構え、防御の姿勢を取る。


――だが。


閃光の衝撃波は、その防御ごと貫き、

総帥の全身を激しく揺さぶった。


「くっ……!スキル《武器強化》を施したこの剣でも……

受け止められないとは……!」


衝撃に弾かれ、総帥の身体が壁へと叩きつけられる。


――ドゴォンッ!


瓦礫が崩れ落ち、総帥は血を吐きながら膝をついた。


「……ぐはっ……!」


それでも――

その瞳から、執念の炎は消えていなかった。


「もう終わりだ、総帥!!」


光を纏ったまま、ライトが叫ぶ。


「そんなやり方で世界が良くなるはずがねぇ!

今すぐ魔族殲滅軍を解体するんだ!

それで、一緒に本当の平和の形を見つけよう!」


荒い息を吐きながら、総帥はゆっくりと顔を上げる。


「……あなたは……本当に、何も分かっていませんね……」


苦笑とも嘲笑ともつかぬ表情で、言葉を紡ぐ。


「力を求めるのは、人間の本能なんです。

誰にも大切なものを奪われないためには力が必要なのです」


「だからこそ、今のこの歪んだ世界は……間違っている!一度、壊さねばならないのですよ」


「そんな理由で壊させてたまるか!!

今を必死に生きている人も魔族もいるんだ!」


ライトの声が、室内に響き渡る。


「この世界は理不尽で不完全かもしれねえ。

それでもみんなは努力して、悩んで、支え合って――

少しでもいい未来を掴もうとしてる!」


「お前の理想を……

みんなに押し付けるな!!」


その言葉に、総帥の口元が歪んだ。


「……甘い」


吐き捨てるように言う。


「あなたは、いつも甘い。

“理想”を語る者は、例外なく――

この世界の現実を、最後まで見ようとしない……!」


総帥は、血に濡れた手を床につき、ゆっくりと立ち上がった。


その瞬間――

彼の身体から、異様な魔力が噴き上がる。


空気が歪み、

執務室全体が低く唸り始めた。


「――奥の手というものは、隠しておくからこそ意味があるのです」


その言葉と同時に、総帥の身体が異変を起こした。


筋肉が異様に膨れ上がり、

皮膚が裂け、肉の下から覗くのは――

金属と鱗が混じり合った、異形の肌。


裂け目から滲む光は、邪悪な紫色。

肉体そのものが、別の存在へと書き換えられていく。


「まさか……!」


ライトが息を呑む。


「あんた魔導生物になるつもりか!」


総帥は、低く嗤った。


「言いましたよね?

魔導生物になるのは――力を制御できない者だけだと」


変貌は止まらない。

だが、その瞳だけは――濁らない。


狂気に呑まれた獣の目ではない。

そこにあるのは、冷え切った理性と、揺るがぬ意志。


「私は……この力を完全に制御できる」


「……そんなっ!」


ライトの声が、わずかに揺れる。


総帥の身体は、もはや人の形を保っていなかった。

異形へと堕ちてなお――

その精神だけが、人であり続けている。


――理性を保ったまま、魔導生物へと至る“人為の極致”。


それは、神に与えられたことわりを拒み、

人が自ら神の領域へ踏み込む姿。


人でありながら、人を超えようとした存在。


「……見た目が悪いので、あまり使いたくはありませんでしたが」


異形と化した総帥が、剣を構える。


「共存の夢ごと――あなたを消し去ります!」


「くそっ!……やるしかないのか!」


ライトもまた、《光の剣》を強く握り締めた。


次の瞬間――

二つの剣が激突する。


――ガァァンッ!!


閃光と衝撃波が炸裂し、

床は抉れ、壁は崩れ落ちる。


たった一撃で、執務室全体が悲鳴を上げた。


共存の理想と、歪んだ正義。

二つの意志が、真正面から衝突する。


「――なぜ、わからないのです!」


総帥の怒声が、砕けた空気を震わせた。


「人類全員が、私のように力を得る。

それこそが、人類が“次の段階”へ進む唯一の道だ!

魔族などに怯えず、縛られず――

誰にも、何にも奪われない世界を築くのです!!」


《光の剣》を構え、ライトが吼え返す。


「そんな人体改造を強制することが、人類の未来だって言うのか!!

それは、お前が“力”に取り憑かれてるだけだ!!」


「取り憑かれて、何が悪い!」


総帥の目が、狂気ではなく確信に燃える。


「力は全てだ!

持って生まれたスキルで優劣が決まる……

あってはならない!そんなこと!!

《祝福の刻印》が完全になれば、その根底から崩れる」


――ガキィィン!!


剣と剣が激突する。


火花が散り、金属音が轟く。

互いの刃が噛み合い、押し合う二人の顔は、

わずか数十センチの距離で睨み合っていた。


理想を信じる瞳と、

正義を歪めた瞳。


どちらも、一歩も引かない。


「……なぜ、もっと分かり合おうとしない!」

ライトが吼える。

「力の有無で全部を決めちまうんだ!」


「――魔族という存在が、それを許さないのです」


総帥の声と同時に、再び刃が走る。


――ズガァンッ!


総帥の一閃が床を砕き、

――ギィンッ!

ライトの光刃が天井を裂いた。


石片と火花が舞い散る中、

二人は間合いを詰め、拮抗したまま刃を交える。


「それは、人間も魔族も――互いを“知らない”だけなんだ!

本当は、平和に生きたいって気持ちは同じはずだ!!」


ライトが叫ぶ。

 

総帥の表情が、わずかに歪む。


「あなたが目指している共存とは一部の圧倒的強者によって支配された世界だ!」


剣を押し返し、さらに踏み込む。


「龍鈴の目指す世界は、互いに手を取り合い、優しさで作る世界だ!」


「そんな優しさが創る世界など成り立たんさ!」


剣と剣が、再び激突する。


互いの信念が、刃となって噛み合っていた。


総帥がゆっくりと両腕を広げる。

次の瞬間、全身から噴き上がる魔素が紫炎となり、渦を巻いた。


「――《鬼火閻魔おにびえんま》!!」


――バシュゥッ!!


紫炎が奔流となって放たれ、

迎え撃つ光と正面から激突する。


光と紫炎が衝突した瞬間、

空間そのものが歪み、

凄まじい爆風が執務室を蹂躙した。


砕ける床、吹き飛ぶ瓦礫。


その中で――

互いの姿が交錯する。


瞬きする間に、

十を超える斬撃がぶつかり合い、

閃光と紫炎が幾重にも交差した。


「そっちこそ、あんたの望む世界で改造スキルを否定する人たちはどうするんだ!」

ライトが叫ぶ。


「力を否定する愚か者など――」


総帥の声が、怒号の中で響く。


「魔族と同じく滅びゆくだけです!!

氷蛇凍神ひょうじゃとうじん》」


冷気を纏った大蛇がライトを飲み込む。


大蛇の中からライトの声が響く。

「もしあんたの奥さんと娘が生きていて、力を否定しても……滅びて当然だって言えるのか!

それともユージやアリスのように騙して、言いくるめて、力を無理矢理、埋め込むのか!!」


大蛇の中から光が溢れ、大蛇内側から破壊し、細かい氷となって飛び散る。


「……黙れ。

ミユリもエミリナももういない……

奪ったのはこの“世界の理″そのものだ。

そんな世界など、壊れてしまえばいい!!」

 

――ドンッ!!


剣と剣が再び激突。

衝撃波が床を叩き割り、亀裂が蜘蛛の巣のように走った。


理想と暴論。


それぞれの「正義の形」が、真正面からぶつかり合っていた。


二人は互いに弾かれ、

ほぼ同時に地を蹴った。


――すれ違う。


――スパァンッ!


ライトの剣が総帥の頬を掠め、

同時に、総帥の刃がライトの脇腹を浅く裂く。


鮮血が宙に散り、

二人は距離を取ったまま、荒く息を吐いた。


「……これほどの力……

そのスキル欲しい……」


総帥が、静かに口を開く。


「もしあなたが、《祝福の刻印》に協力し、魔族殲滅のために戦っていたなら……

どれほど多くの人間が、救われたことか」


ライトは剣を下ろさず、真っ直ぐに言い返す。


「……俺は、人間も救いたい。

だけどな――」


一瞬、言葉を噛みしめる。


「魔族も……同じくらい救いてぇんだ!」


総帥の目が、わずかに細まる。


「その“どっちつかず”の考え方こそが、

より多くの人間を苦しめるのですよ」


その言葉は、

刃のようにライトの胸へ突き刺さった。


一瞬、拳が震える。


だが――

ライトは、視線を逸らさなかった。


「…そうなのかもしれない……それでも……」


息を吸い込み、吼える。


「それでも、何も手放したくないんだ!!」


「……あなたの理想である共存の先で苦しんだ人の憎しみの矛先は、全てあなたに向きます」


総帥は淡々と告げる。


「それでも――手放したくないと?」


ライトは迷わなかった。


「ああ。俺が恨まれる結果になったとしても――」


剣を握る手に、力がこもる。


「俺は、今見えてるものを何も見捨てたくないんだ!」


二人の視線が、正面からぶつかり合う。


もはや――

言葉は、必要なかった。


剣が、信念そのものとして再び振り上げられる。

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