第七十九話 混濁する記憶
ライトとグレンダはアリスの魔法に苦戦していた。
「ぐっ……!!」
グレンダが歯を食いしばる。
「すげぇ熱風だ……前が、見えねぇ!」
「突き進むしかねぇ……!」
ライトが叫ぶ。
「――《光の盾》!!」
眩い光の壁が展開され、
吹き荒れる炎と風を切り裂くように、二人は前へと踏み出す。
だが――
アリスの詠唱は、止まらない。
「――貫いて《サンダースパロー》!!」
轟音。
雷鳥が群れを成して降り注ぎ、《光の盾》に直撃した。
――ピシリ。
盾に、はっきりとした亀裂が走る。
「くそっ……!」
ライトが唸る。
「このままじゃ……耐えきれねぇ!」
防戦一方に追い込まれる二人。
その時、グレンダが叫んだ。
「アリスは近接戦がほとんど出来ねぇ!!
一度懐にさえ入れりゃ――捕まえられるはずだ!!」
「……わかった!」
ライトが即座に応じる。
「タイミングを合わせるぞ!!」
――パァンッ!!
次の瞬間、光の盾が砕け散り、
弾けた閃光が回廊を白く染め上げた。
「……目眩ましなんて、小賢しいわ」
冷ややかな声。
「――《アイスタートル》」
瞬時に、分厚い氷の鉄壁が生成され、
アリスの前に立ちはだかった。
「壊せねぇなら――引き剥がすまでだ!」
「何を言って――」
ライトは《光の翼》を広げ、
氷の盾ごとアリスへ突進する。
バキィン――!
ライトは両腕で《アイスタートル》を掴む。
「――っぐ!」
掴んだ両手が凍りついていく。
だが、そのまま力任せに引き剥がした。
「うおおおおお!! 今だ、グレンダ!!」
ライトは《アイスタートル》と共に地面へ降下していく。
「任せとけぇ!!」
グレンダは地を蹴り、一直線にアリスへと駆け出す。
「――《三連・ファイヤーキャット》!」
瞬間、三匹の炎獣が出現し、唸り声を上げてグレンダへ襲いかかった。
「そんなもん――飛び越えてやる!!」
一体目――飛び越え
二体目――一体目を踏み台にさらに飛び越える
「《ファイヤーキャット》を踏み台にしたぁ!?」
だが――
三体目の炎獣が、避ける間もなく腹部へ直撃した。
――ドガァァンッ!!
「がっ……!!」
爆炎が弾け、焼け焦げた煙が立ち上る。
グレンダの身体が大きくのけぞった。
それでも――倒れない。
「……こんなんで……止まるかよ……っ!!」
焦げた腕を振り払い、
歯を食いしばったまま、グレンダは再び地を蹴った。
「――きゃっ!」
次の瞬間、グレンダはその勢いのままアリスの体を掴み、
床へと押し倒した。
「おい、アリス! お前の負けだ!
大人しくしろ!!」
「……離してッ!!」
必死にもがくアリスの身体から、
抑えきれない魔素が噴き出す。
――ドクン……ッ。
空気が震え、
炎、氷、雷、風――
四属性の魔法が、制御を失ったように明滅し始めた。
「やめろ! アリス!!」
だが、アリスは泣き叫ぶ。
「私は――総帥を守るの! やだ!!
……また、私から奪うの!?
もうやだ……!私を置いて、行かないでよ……!」
言葉は次第に震え、
瞳には涙が溢れていた。
「アリス……お前……記憶が混濁しているのか……?」
グレンダの声が、わずかに掠れる。
怒りでも叱責でもない――
ただ、痛みに触れてしまったような声音だった。
「おい!思い出せ!アリス!!
お前が待ってたのは、総帥なんかじゃねえ!
ノイスだ!!
メガネで細っこくて……ビビリのくせにここぞという時は頼りになる。誰より優しかった――あいつだろ!」
「もうやめて!!」
アリスが頭を押さえ、叫ぶ。
「ノイス……って、誰……?
うう、頭が……痛い……。
違う……!私は……私は総帥を……あれ……?」
――その瞬間。
『アリスちゃんの魔法……僕は好きだなあ』
不意に、胸の奥から聞こえた声。
それは、総帥の落ち着いた声ではなく
優しくて、少し頼りなくて――
それでも確かに、心を温めてくれた声。
「……なんで……?」
アリスの瞳が揺れる。
「私が好きなのは……総帥のはずなのに……
総帥が……デュラハンの幻想から……救ってくれて……」
言葉が途切れ、涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「龍型の討伐に行く時だって……必ず帰ってきて抱きしめてくれるって……総帥が……」
大切だったはずの記憶。
絶対に忘れるはずのなかった記憶。
けれど――
今はぼやけていてはっきりと思い出せない。
何かに邪魔をされてるような。
「アリス!! 戻ってこい!!」
必死の呼びかけにも、アリスは激しく首を振った。
「……もう放っておいて!!
関係ないでしょ!!」
「関係ないわけ、あるかよ!!」
怒鳴り返したグレンダの声は、怒りよりも先に震えていた。
「あたしたち……仲間じゃねぇか……!
一緒に戦って、一緒に笑って……
バカみてぇに喧嘩もした……!」
アリスの両肩を強く掴み、言葉を絞り出す。
「最初は、その場の流れで組んだだけの三人だった。
でもな……今は違う」
涙を必死に堪えながら、まっすぐに見つめる。
「今じゃ胸張って言える。
――あたしにとって、最高の仲間だって!」
声がかすれる。
「だから……
関係ないだなんて、言うんじゃねぇよ!!」
そこにあったのは、叱責ではない。
ただ、失いたくないという一心の叫びだった。
その言葉に――
アリスの動きが、ふっと止まる。
揺れる瞳。
迷いが滲み、唇がかすかに震えた。
「……グレちゃん……」
その名を呼ぶ声は――
ほんの一瞬、かつてのアリスそのものだった。
グレンダは、息を整え、
静かに、だが確かな力を込めて言い切る。
「……思い出せよ、アリス」
グレンダの押さえ込む手に力が入る。
「三人でさ……ショッピングも行ったろ?
ライトとユージと……それにノイス。
“三人をデートに誘うんだ!”って、
バカみたいに女三人ではしゃいでさ……」
声がかすれ、言葉が途切れそうになるのを、必死に繋ぐ。
「結局、あたしたちはセンスなんてなくて、
店員さんに全部任せちまったけど……」
一瞬、視線を伏せてから、はっきりと言った。
「それでも――楽しかったいい思い出だったろ?」
アリスの瞳が、わずかに見開かれる。
「……ショッピング……
デートの……服……?」
「覚えてるだろ? そこに総帥がいたか?」
グレンダの声が、少しだけ強くなる。
「いるわけねぇだろ?」
胸を押さえ、叫ぶ。
「ノイスのことが今は思い出せなくてもいい!
名前がわからなくたっていい!!
でもな――」
拳を強く握りしめ、言い切る。
「その時の気持ちまで、消えるわけじゃねぇだろ!!
楽しかっただろ? 嬉しかっただろ!?
その気持ちまで、総帥に利用されたりすんな!!」
アリスの表情が、歪んだ。
堪えきれず涙が溢れ、何度も首を振る。
「……わ、わかんない……
わかんないよぉ……!」
混乱と恐怖が入り混じった、
まるで子どものような叫びだった。
「大丈夫だ、アリス……!」
グレンダは必死に声をかける。
「だから、ここを通してくれ……!」
そして――
押さえつけていた両肩を、ほんの一瞬だけ緩めた。
その刹那だった。
「グレンダ、危ねぇッ!!」
ライトの叫びが、夜気を切り裂く。
次の瞬間、
アリスは床を転がるようにして拘束を抜け出し、間合いを取ると同時にフルートを構えた。
「――《サンダーフェニックス》!!!」
轟音と閃光が重なり合い、爆ぜる。
眩い雷光が通路を切り裂き、逃げ場もなく――
グレンダの身体を、無慈悲に呑み込んだ。
「……っ、ああぁ……!!」
焦げた匂いが立ちこめ、
グレンダに雷鳥が直撃する。
光が収まった時――
床には、うつ伏せに倒れ伏す焼き焦げたグレンダの姿があった。
動かない。
その傍らに立ち、アリスは冷え切った瞳で見下ろす。
「……グレちゃんは、力ばっかり強くて。
ほんと……頭の中、空っぽなんだから」
吐き捨てるような言葉。
「アリス……!お前は……!」
ライトが、思わず一歩踏み出す。
だが――
アリスは何の躊躇もなく、倒れたグレンダの背を踏みつけた。
「……目障りだったから。
……これで、少しは清々する」
淡々と告げるアリスの声。
だが――
その言葉とは裏腹に。
「……なんて……」
ライトの喉から、掠れた声が漏れる。
「なんて……悲しい顔してんだよ、アリス……」
怒りではなかった。
その声音に滲んでいたのは、
どうしようもないほどの痛みだった。
「やってることと……
言ってることが……真逆じゃねぇか……!」
その瞬間――
アリスの肩が、ほんのわずかに震えた。
ぽたり。
ぽたり。
大粒の涙が、床へと落ちる。
無表情を装っていたはずの顔は、
今までライトが見たどんな表情よりも――
悲しく、壊れそうで。
「……っ……」
ライトは歯を食いしばる。
「どうすりゃ……いいんだよ……!」
焦りと迷いが入り混じった叫びが、
冷たい回廊に虚しく響いた。
「私は……総帥の盾……なの……!」
アリスは胸を押さえ、必死に言い聞かせるように叫ぶ。
「総帥を守るために、ここにいるの!
それだけが私の存在価値!
ノイスなんて人……知らない!知らないから!!」
その瞳は涙に濡れながらも、焦点を失い、虚空を彷徨っていた。
「ちくしょう!《祝福の刻印》で埋め込まれた魔素には……やっぱり逆らえねぇのかよ……!」
ライトの声が、悔しさに歪む。
「どうすることも……できないってのか……!」
アリスはフルートを構える。
「――《三連・ウインドモンキー》!」
渦巻く風が一気に集束し、暴風となって回廊を薙ぎ払う。
ライトの身体は押し戻され、足を踏ん張っても前へ進めない。
「くそっ……!」
歯を食いしばる。
「これじゃ……近づけねぇ……!」
風の壁の向こうで、アリスがゆっくりと手を掲げる。
「……もう……終わりにする……」
低く、かすれた声。
「――《ファイヤーソード》……」
炎が彼女の掌に集まり、
やがて一本の紅蓮の剣として形を成した。
揺らめく火光は、
まるで彼女自身の苦悩と葛藤を映し出すかのように不安定だった。
アリスは、倒れ伏すグレンダへと視線を落とす。
「……総帥のために……」
一瞬、言葉が詰まる。
それでも、無理やり続けた。
「……死んで……グレちゃん……」
アリスは前が見えなくなるほどの涙を流しながら紅蓮の剣を突き立てる。
「アリス!!やめろおおおおおぉぉ!!」
ライトの絶叫が響く中、
紅蓮の剣が、無慈悲に突き下ろした。




