第七十八話 総帥の盾
落雷が床を穿ち、火花と焦げた匂いが通路を満たした。
ライトとグレンダは、思わず足を止める。
その先に立っていたのは――
白い制服を纏った、見慣れた少女だった。
「……アリス……?」
グレンダの声が、かすれる。
アリスは淡々と二人を見下ろし、告げる。
「うふふ。
総帥は、あなたたちが来ることはすでに知っている。
……だから私が、ここで“迎え撃つ”の」
「迎え撃つ……? どうしてアリスが……!」
ライトが叫ぶ。
「私は魔族殲滅軍――“総帥の盾”。
任務はただ一つ。侵入者の排除」
その瞳には、迷いも戸惑いもなかった。
「総帥の盾だと!?
こんな時に何ふざけてんだ!アリス!」
グレンダが声を荒げる。
「ふざけてるのは、グレちゃんの方……」
アリスは冷ややかに言い放つ。
「魔族殲滅軍を裏切って……今さら、何をしに来たの?」
ライトが前に出る。
「俺は総帥と話がしたいだけなんだ!
ここを通してくれ!」
「……それは出来ない」
アリスはフルートを構える。
「――《ファイヤーキャット》」
フルートの音色が鳴る前に魔法が発動する。
赤い炎の獣が床を駆け、二人へと襲いかかる。
「なっ……!」
「アリス!!」
二人は左右に飛び、魔法を避ける。
「《ファイヤーキャット》」
続けざまに放たれた炎魔法が、避けた先のライトを狙う。
「――《光の盾》!」
眩い光壁が展開され、炎と正面衝突する。
轟音と爆風が通路を揺らした。
「……《光の盾》便利なスキルね」
アリスは感情のない声で呟く。
グレンダが歯を食いしばる。
「今までのアリスとは違う……詠唱が速すぎる……威力も段違いだ……」
ライトは、はっとしたようにアリスを見据えた。
「……フルートの演奏も詠唱もなしで、この魔法の連射……
まるで――」
「……ふふ」
アリスが、愉しげに微笑む。
「アリス。お前まさか……総帥の《祝福の刻印》受けたのか……?」
グレンダが低く呟く。
「……嘘だろ。
アリス……お前まで《祝福の刻印》の被害者だっていうのか!」
ライトは拳を握りしめる。
「……被害者?」
アリスは首を傾げた。
「ふふふ。見当違い……私が総帥にお願いして、“力”を頂いたの」
「お願いした? 正気か!?
あの力がどれだけ危険か、一緒に見ただろ!!」
グレンダが叫ぶ。
「……グレちゃんには関係ない」
一瞬だけ、瞳が揺らぎ――すぐに氷のような冷たさに戻る。
「――ここで、総帥のために二人には死んでもらう」
「《三連・ファイヤーキャット》!」
三体の炎獣が現れ、唸り声を上げて突進する。
「同じ手は喰らわない!」
ライトが盾を構えるが、炎獣は軌道を変え、背後に回り込む。
――バァァァンッ!!
爆炎が背後から炸裂する。
「ぐっ……あああっ!!」
ライトが膝をつく。
「ライト!!大丈夫か?
いい加減にしろよ!アリス!!」
グレンダが怒号と共に斧を構え突進する。
「――《アイスタートル》」
氷の壁が瞬時に展開され、斧を受け止めた。
――ガキィィンッ!!
「くそっ……!なんて硬さだ!」
グレンダの斧は簡単に弾かれる。
「……グレちゃんの力じゃ、もう私に届かないわ」
その表情に、かつての優しさは欠片もなかった。
爆炎を薙ぎ払い、光の粒子を纏いながらライトが立ち上がる。
「……アリス。その力……
ノイスのもんだろ?」
その言葉に、アリスの瞳が微かに揺れた。
「……?」
「その《詠唱短縮》……間違いねぇ。俺にはわかる」
ライトはアリスを睨みつけた。
「ノイスの……力……?どういう意味だ……?」
グレンダが息を呑む。
「何でかはわからねえ。
でも、その《詠唱短縮》は間違いなくノイスのスキルだ」
ライトの言葉を聞くがアリスの反応は薄い。
「……ノイスって、誰?」
アリスのその一言で、空気が凍った。
「おい……何言ってんだよ、アリス。冗談だろ?
お前、あんなにノイスのことが好きって言ってたじゃねえか!」
グレンダが怒鳴る。
「……?
冗談言ってるのはグレちゃんでしょ?
私が好きなのは今も昔も総帥だけ。この力も愛する総帥からもらったの」
火照った顔で体を捩るアリス。
「愛するって……アリス、お前……」
口が塞がらないライト。
「何言ってんだよ……アリス!
お前が好きだったのはノイスだろ!自分を過去のトラウマから救ってくれたって……魔法を誉めてくれたって……」
熱くなるグレンダを冷めた目で見下すアリス。
「いくらグレちゃんでもそんな冗談は許さない……。
過去から救ってくれたのも気味悪がられた私の魔法を褒めてくれたのも総帥……」
「私は身も心も総帥のためにあるの!」
頬を紅潮させながら、胸に手を当てる。
「違う!アリスを救ったのはノイスだ!あのジジイなんかじゃねぇ!そのスキルだってノイスの《詠唱短縮》じゃねえか!」
グレンダの言葉にゆっくりと視線を向けるアリス。
「意味のわからないことを言わないで。
このスキルも元は総帥の一部……。
総帥が私に分け与えてくれたの。
こんな幸せなことないわ」
「……嘘だろ。
アリスが大事にしていた恋心まで……。
それさえも利用しちまうのかよ……」
膝から崩れ落ちるグレンダ。
「……ノイスが帰ってこなかった、あの日から……」
グレンダはアリスを見つめたまま、声を震わせる。
「……アリスが、どんな気持ちでいたか……
どれだけ悩んで……どれだけ、泣いていたか……
その気持ちを弄ぶなんて……いくら何でもやっていいことと悪いことがあるだろ!」
言葉の続きを呑み込み、目元を押さえた。
堪えきれず、滲んだ涙が指の隙間から零れ落ちる。
「……グレンダ」
ライトがそっと肩に手を置く。
何も言わず、ただ寄り添うように。
その光景を見下ろし、アリスは薄く笑った。
「ふふふ……」
冷えきった声音で、静かに告げる。
「もういいでしょ?
グレンダも、ライトも――今すぐ引き返して」
唇の端が、ゆっくりと吊り上がる。
「金輪際、総帥に手を出さないって誓うなら……
――見逃してあげても……いい」
「もういい……グレンダは、ここで休んでろ」
ライトは一歩前に出て、《光の剣》を強く握りしめた。
「俺が行く。
アリスに――ノイスのことを、思い出させてやる!」
その背に、迷いはなかった。
アリスは静かにフルートを構える。
「あなたじゃ、私には勝てない。
大人しく退いて」
「俺にも退けない理由がある」
ライトも剣を構える。
「ダメなんだ……ライト」
グレンダは視線を落とし、噛みしめるように続けた。
「ユージがああなった時……
アヤは必死で元に戻そうとして、できることは全部やった……」
ライトの額から嫌な汗が吹き出す。
「でも……知ってるだろ。
ユージは、自力じゃ戻れなかった」
拳を強く握りしめる。
「たまたま龍鈴の魔素が体内にあって、
それを抜き取れたから……奇跡的にもどったんだ
埋め込まれた魔素を取り出さない限り……
アリスも、きっと元には戻れねぇ」
「そ……そんなこと――」
拳を握るライト。
言葉が、重く落ちる。
「ああなったらもう……ノイスのことを思い出すことはねえんだ」
沈黙。
次の瞬間、ライトが顔を上げた。
「――そんなこと、認められるか!!」
《光の剣》が、眩い光を放つ。
「アリスの中からノイスを消させるなんて……
絶対に、させねぇ!!」
その叫びは、怒りではなく――
拒絶そのものだった。
「……ノイスが、最後に倒れる時――
何て言ったか、知ってるか?」
一瞬の間。
ライトは、アリスを真っ直ぐに見据えた。
「――“アリスちゃんを頼んだ”って、俺に言ったんだ」
声が、震える。
だが――揺らぎはない。
「だから……俺は、絶対に諦めねぇ!!
あいつの想いを、ここで終わらせてたまるか!!」
次の瞬間――
眩い光が、ライトの全身を包み込む。
《光の剣、盾、翼》
三つの光が顕現し、彼の背で唸りを上げる。
「行くぞ、アリス!!」
光を纏ったライトは、一切の躊躇なく――
アリスへと、一直線に踏み込んだ。
「ふふふ……ほんと、おバカね。ライト」
嘲るような笑みと同時に、アリスが詠唱を重ねる。
「《サンダースパロー》
《ファイヤーキャット》
《ウインドモンキー》
《アイスタートル》!」
彼女の周囲に、
雷・炎・風・氷――
四種の魔法が同時に展開され、空間が歪む。
「ライトッ!!」
グレンダの叫びが響いた。
「おい、アリス!!」
ライトは踏み込み、《光の剣》で《サンダースパロー》を掻き消した。
「……お前が好きになったのは、総帥なんかじゃねぇ!!」
「……さっきから、何を言ってるの?
いい加減……鬱陶しい……」
アリスの声は、ひどく冷たかった。
「思い出せ、アリス!!
お前が本当に待っていたのは――ノイスだ!」
炎の獣を跳び越えながら、ライトは叫ぶ。
「気弱で、優しくて……
それで魔法が大好きで、いつも必死に前を向いてた――ノイスだ!!」
「……そんな名前、知らないっ!!」
叫び返すアリスの声には、苛立ちと拒絶が滲んでいた。
「知ってるはずだ!!
心の一番奥だ……誰も入ってこれねぇ場所……
――そこに、必ずいるはずなんだ!!」
一気に距離を詰めるライト。
だが、《ウインドモンキー》に身体が弾かれる。
「ぐっ……!」
空中で体勢を崩し、そのまま地面へと叩き落とされた。
「……ぐはっ!」
砂煙が舞い、ライトは膝をついた。
「……ライト。お前ってやつは……」
地に伏すライトを見て、グレンダはそう呟いた。
涙を乱暴に拭い、ゆっくりと立ち上がる。
「あたしも――やるぜ」
斧を握る手に、力がこもる。
「アリスの大事な気持ちを――
踏み躙られて、たまるかぁ!!」
怒号と共に、グレンダは一歩踏み出した。
「……グレちゃんまで……」
アリスが嘲るように笑う。
「私には敵わないって、まだわからないの?
――《ファイヤーキャット》!」
炎の獣が唸りを上げ、グレンダへと突進する。
「チッ……!」
斧を振るい、正面から叩き潰す。
爆ぜた炎が霧散する中、グレンダは叫んだ。
「おい!アリス!!
総帥が好きだって? んなわけあるかよ!!
あんなジジイのどこがいいんだよ!
――目ぇ、覚ませよ!!」
一瞬、アリスの表情が歪む。
「……総帥になんてこと言うの?……許さない」
低く、冷たい声。
フルートを唇に当て、息を吹き込む。
「――《サンダーフェニックス》!!」
――ッピギャン!!
雷光を纏った雷鳥が空を裂く。
「くそっ!」
グレンダは身を翻して回避するが、雷鳥は執拗に追い縋る。
その間に、白い光が割り込んだ。
「――《光の盾》!!」
眩い光壁が展開され、雷鳥を真正面から受け止める。
「ノイスとの思い出は――
そんな簡単に捨てちまっていいものなのかよ!アリス!!」
ライトの叫びが、冷たい回廊に響いた。
「……さっきからノイス、ノイスって……!!」
アリスは顔を歪め、胸を押さえる。
「その名前を聞くと……なんかモヤモヤするの……頭が、痛い……」
グレンダは拳を握りしめ、震える声で続く。
「好きだったから……大好きだったから……
頭でわかんなくても、心は反応しちまう……
なぁ、アリス!!」
「やめて……!」
アリスの声が震える。
「やめて!やめて!やめてぇ!!」
その瞳には、理性を噛み砕く狂気と、
押し潰せなかった悲しみが、はっきりと宿っていた。
「……もう、いい……」
低く、冷え切った声。
「もう手加減なんて、しない……」
フルートを握る指に、力がこもる。
「二人には――ここで、消えてもらう……
――《ファイヤーキャット》!《ウインドモンキー》!」
炎と風の魔法が絡み合い、
熱を帯びた暴風となって通路を呑み込んだ。




