第七十二話 喧嘩
手を出さないライトに対し、カゲロウは容赦なく攻め立てる。
黒い影が唸りを上げ、刃となって迫る。
歪な形をした影の翼で、執拗にライトを追い詰めていく。
「どうした! どうしたァ!!
ライトの《光の剣》は、そんなもんじゃなかったぞ!
ニセライトには、使いこなせないのかァ!?」
「ちくしょう……俺は、どうしたら……」
ライトは《光の盾》を展開し、カゲロウの猛攻を必死に防ぐ。
空中での戦いには足場がなく、
盾で受け止めるたびに身体が大きく揺さぶられた。
――その時。
荒野を裂くような、必死の叫びが響いた。
「ライト!
ユージの体は、力に蝕まれているの!
このままじゃ、壊れてしまう――だから、戦って!!
その力に打ち勝って!!
ユージを救えるのは……もう、ライトだけなの!」
涙に滲んだその声は、アヤのものだった。
震えながらも必死に絞り出された言葉が、
ライトの胸の奥深くへ、痛いほど突き刺さる。
「……ユージを……救うために……」
零れ落ちた呟きは、
まだ断ち切れない迷いそのものだった。
今度は、グレンダの荒々しい怒声が飛んでくる。
「躊躇してる場合じゃねぇぞ!!
今、ユージを止められるのは――お前しかいねえんだよ!
これは殺し合いなんかじゃねぇ……
男同士の、“喧嘩”だろ?」
その一言で、ライトの中で何が吹っ切れた。
震えていた手が、今度は迷いなく――
はっきりと、光を掴んだ。
「……わかった」
静かな声だったが、そこにもう迷いはなかった。
「俺は――ユージを止めるために戦う」
次の瞬間、白光が炸裂した。
光の剣が、盾が、翼が――眩い光を纏い、彼の周囲を包み込む。
「ユージは友であり、家族だ。
だから……俺が殴ってでも引き戻してやらねえとな!」
ライトは一気に距離を詰める。
《光の剣》を振るい、真正面からぶつかっていく。
「話を聞いてくれねぇなら、力で叩き込んでやる!
久しぶりだな……ユージと喧嘩するのはよぉ!!」
黒い影がうねり、光の刃を受け止めた。
「何を言うかと思ったら……喧嘩だと……?
この戦争の只中で、そんな戯言を!!」
怒りと瘴気が爆発するように膨れ上がり、凄まじい影の力で押し返される。
砂煙が舞い、空気そのものが歪んだ。
それでも――お互い退かない。
踏みとどまり、奥歯を噛みしめ、叫び返す。
「いいや、これは喧嘩だ!
間違った方向に進んじまった友を、引き戻すための喧嘩だ!!」
その叫びに応えるかのように、《光の剣》がさらに輝きを増した。
「ふざけるなよ……
こっちは遊びでやってるんじゃないんだよォ!!」
影が渦を巻き、剣となり、斧となり、刃の雨となって四方から襲いかかる。
だが――
《光の剣》が閃く。
迫る影の武器を、一つ、また一つと打ち砕いていく。
二人の戦いは――互いの信念を叩きつけ合う“本当の激突”へと踏み込んでいく。
「どっちが正しいかじゃねぇ。お前を止める――それだけだ!」
真正面から叩きつけられた宣言。
光でいくら打ち消されても、影は止まらない。
影は霧のように広がり、刃となり、獣の牙のように形を変えながら、次々と襲いかかってくる。
「減らず口を……!」
怒声と共に、さらに濃い影が爆発するように広がった。
閃光と黒影が空中で激しく衝突する。
轟音――衝撃波。
大地が揺れ、砂塵が舞い上がり、空気そのものが悲鳴を上げた。
周囲にいた兵士たちは、ただ呆然と立ち尽くすしかない。
「な、なんだ……あれは……」
「俺たちじゃ……とても入り込めねぇ……化け物同士の戦いだ……」
恐怖と困惑が連鎖し、殲滅軍の列にざわめきが走る。
空を睨みつけるグレンダが、低く吐き捨てた。
「……半端じゃねぇな。
ライトとユージ――史上最悪の喧嘩だぜ……」
その隣で、アヤは両手を胸に当て、必死に祈るように空を見上げていた。
「……お願い……。
二人とも……無事でいて……」
その祈りは、爆ぜる光と影の中へ、かすかな願いとなって溶けていく。
――再び、衝突。
これまで防ぐことに徹していた《光の剣》が、今度は明確な意志を宿して振り抜かれた。
「……ッ!?」
閃光が走る。
影を裂き、影の刃を断ち、斧を砕く。
黒き影の武器が次々と霧散していく。
ライトの勢いに今度はカゲロウが押されていく。
「そんなに……魔族が憎いのか!ユージ!!」
振り下ろされた《光の剣》を、影の刃が受け止める。
火花が散り、衝撃が両者の腕を震わせる。
「ああ、憎いさ!
全てこの手で殺してやりたいほどになァ!」
鍔迫り合いの最中、影がうごめいた。
鎖へと変じ、絡め取るように伸びる。
――ギュインッ!
「っぐ! くそ!」
ライトの体は影の鎖に巻かれ、動けない。
「今までどれだけの人が魔族に苦しめられてきたか……
どれだけの人が恐怖しているのか……お前にはわからないのか!」
「わかってるさ……
でもそれは、互いを知らないからだ!
人間も魔族も、知らないから怖くなるんだ!」
影の鎖の中から《光の盾》が現れ、鎖を引きちぎる。
「怖い? 侵略するのはいつも魔族側じゃないか!
それに俺はノイスを奪った魔族を絶対に許さない!!」
カゲロウの周りの影が次々と槍の形になり、ライトに向かって飛んでいく。
「ノイスは……復讐なんか望んじゃいねぇ!!」
叫びと共に、《光の剣》がさらに眩く輝く。
何十本と飛んでくる影の槍を光が打ち消していくが、二、三本が体を掠める。
血飛沫が舞った。
「ぐっ……!」
ライトは怯まずに距離を詰めていく。
「お前にノイスの何がわかる!
龍型に取り込まれたお前にッ!!」
斧へ。大槌へ。まるで巨躯の怪物が振るうかのような、圧倒的な質量を伴った影の武器。
それらが次々と唸りを上げ、光を呑み込まんと振り下ろされた。
「……くぅっ!」
《光の盾》を展開し、辛うじて受け止める。
だが、直撃に近い衝撃は骨まで響き、腕が激しく痺れた。
「……ノイスは……優しいやつだった。魔族なんかに殺されていいわけがないんだ……まだ死ぬべきじゃなかったんだァァ!!」
怒りと怨嗟が混じった叫びと共に、影がさらに濃く膨れ上がる。
刃となり、矢となり、休む間もなく襲いかかってくる。
「そんなこと言ってても、死んだらもう戻らねぇ!
だからこそ――ノイスの意思を!生きた証を、俺たちが引き継ぐんだ!!」
怒号と共に、《光の剣》が閃いた。
押し寄せる影を一気に薙ぎ払い、その勢いのまま踏み込み――
ドンッ!!
腹部に叩き込まれた蹴りが、カゲロウの身体を大きく吹き飛ばす。
「ぐっ……ゲホッ……!」
血を吐きながらも、彼は歯を食いしばって立ち上がる。
「死んだら戻らないなんてことは……わかっている!
わかっているから……それを奪った魔族共が、許せないんだァ!!」
影を拳に纏わせ、殴りかかる。
「くっ……!
龍族にだって……あの時、死んじまった奴はいた!」
拳を避けるライト。
「魔族なんて、死んだってどうでもいいだろうが!」
避けた拳から影が飛び出し、ライトへ迫る。
その動きを読んでいたかのように《光の剣》で受け止めた。
「魔族だって生きてる……同じ命なんだ!
差別なんて……しちゃいけねぇんだ!!」
「いいや、魔族は――人間の敵だ!!
世の中から殲滅すべきだ!」
ライトは《光の翼》で一気に距離を詰めて斬り込む。
だが、影の盾が立ちはだかり、再び荒野を揺るがす激突音が響いた。
「敵なんて――最初からどこにもいねぇんだ!!」
「そんな綺麗事を並べて魔族を擁護する……
お前こそが、人間の敵だ!魔族よりもタチが悪い!!」
互いの攻撃が交錯し、光と影の爆ぜる閃光が空を裂く。
「その憎しみが戦いをさらに大きくして……
ノイスのような被害者を、増やすんだ!!
いい加減、わかれよ!!」
「わかりたくもない!!魔族の言い分なんぞ!!
大人しく滅んでくれれば、戦いはなくなるだろうが!」
「そんな……魔族にだって心があるんだぞ!」
荒い息の合間、低く吐き捨てるように続ける。
「……あの日、あの時から俺は生まれ変わったんだ……
力がなく、何も守れなかった弱い“ユージ”は――もういない!!」
「ユージは弱くなんてなかった……
今の“カゲロウ”を名乗るお前の方が、よっぽど弱えだろ!」
「こんなにも強い力を手にした俺が……以前より弱いだと!?
いい加減なことを言うな!!」
「自分が一番不幸みたいな顔して被害者ぶって……
アヤたちにも甘えて……踏み躙って……
その振りかざしてる力だって、結局は“貰いもん”だろ?」
言葉を畳みかける。
「それを弱くなったと言わず、何と言うんだよ!」
「……っ……!」
怒りに震え、拳を握り締めるカゲロウ。
「黙っちまうとは……図星か?カゲロウ様よ?」
「うるさいッ!!」
咆哮と共に影がうねり、
剣、鎌、槍、矢――無数の武器へと姿を変えて殺到する。
だがライトは、出力を上げた《光の剣》を振り抜いた。
一閃、また一閃。
迫りくる影を、次々と打ち消していく。
「もう……いいだろ……!頼むよ、ユージ!!
元のお前に、戻ってくれ!!」
振り下ろされた《光の剣》が、正面から仮面を叩き割った。
――ガキィンッ!!
甲高い音と共に破片が飛び散る。
「……ぐはっ!」
露わになったのは、かつてのユージの素顔。
だがそこには、深く刻まれた傷跡と紫色に波打つ血管が浮き出ていた。そして、表情が痛々しく歪んでいた。
「なあ……ユージ。俺はお前と、また笑い合いてぇ。
もう、こんなことはやめようぜ……」
《光の剣》を、ゆっくりと下ろす。
ライトは一歩踏み出し――そして、ためらいなく手を差し伸べた。
「ラ……ライト……」
震える声。
その名を呼ぶ瞳に、確かに理性の光が戻りつつあった。
「……ようやく、ちゃんと名前で呼んでくれたな。ユージ」
安堵の息を吐き、ライトは小さく笑みを浮かべる。
激しい戦いが嘘のように止み、戦場は静かになる。
「……正気に戻ったのか……?」
様子を窺うように、グレンダが低く呟いた。
「ライトの声……ユージに、届いたの……?」
アヤの瞳が、涙に揺れる。
――その瞬間だった。
「……ラ、ライト……ライト……ラ、ラララ……」
声が、歪む。
壊れた歯車が逆回転するように、瞳の奥で“何か”が軋み始める。
「ライトは……死んだ。死んだんだ!!」
叫びは、理性ではなく、
絶望と自己否定が混ざり合った――狂気そのものだった。
絶望と狂気が混じった叫びが、荒野を引き裂いた。
「落ち着け!ユージ!
俺は生きてる! お前の前にいるじゃねぇか!!」
必死に叫び返す。
信じているからこそ、目を逸らさなかった。
「……ライト……」
カゲロウの手が、震えながら伸びる。
ライトの差し出した手へ――ゆっくりと、近づいてくる。
「そうだ……ユージ……!」
掴める。
そう、確信したその瞬間――
カゲロウの視線が、ライトの手へと落ちた。
龍の鱗に覆われた、その腕に……
「……ライトは……魔族……」
声が冷え切る。
「魔族は……全部、殺す……」
一拍。
「――ライトも、殺すッ!!」
「な、何を――」
――ズシュンッ!!
稲妻のように伸びた影の剣が、ライトの腹部を正確に貫いた。
「……ぐはっ!!」
血飛沫が舞い、
次の瞬間――荒野は、音を失った。
ライトの身体が、力なく宙を舞い、そのまま地面へと叩きつけられる。
「ふはは、ふはははははははは!!!」
甲高く、壊れた笑い声が響き渡る。
ぐったりと地面に突っ伏すライト。
「やったぞ。龍型を……
いや――ライトを殺したぞ!!
ざまあみろォ!!
あっははははははははは!!!」
狂気に満ちた高笑いだけが、
冷たい風に乗って、荒野を支配していた。




