第七十一話 交わらない二人
――荒野。
乾いた大地を踏みしめ、魔族殲滅軍は規律正しく進軍していた。
旗印が風に煽られ、武具が擦れ合う金属音が一定のリズムを刻む。
その先頭を歩く仮面の男の姿は、一見すれば堂々としている。
だが、間近で見れば――その肩はわずかに震えていた。
額には冷や汗が滲み、呼吸は荒い。
体内で脈打つ“力”が、内側から全身を揺さぶっている。
「……ぐっ……はぁ、はぁ……まだか……まだ着かぬのか……!」
奥歯を噛みしめ、必死にそれを抑え込む。
足を止めれば、呑み込まれる――そんな焦燥が、その背中から滲み出ていた。
その様子を見かねて、すぐ後ろから声がかかる。
「ユージ……大丈夫なの?」
振り返った瞬間、瞳がぎらりと異質な光を帯びる。
まるで別人のような獣の目。
「……だ、誰だ……!
……ああ……アヤか……。問題ない……大丈夫だ……」
平静を装った言葉。
声は明らかに震えている。
その様子に、アヤは息を呑んだ。
(……ユージって名前も否定しない。
全然……大丈夫なんかじゃないじゃない……)
横目で見守っていたグレンダが、低く呟く。
「……やべえな。ギリギリで保ってる。そんな感じだ」
その言葉に、アヤの胸が締めつけられる。
「もう……ユージはダメなのかもしれない。
もし暴走したら……私たちで止められるの……?」
今にも泣き出しそうな声だった。
グレンダは横顔を一瞥し、苦く息を吐く。
「お前が一番、ユージを信じてただろ!
だから……簡単に諦めるな」
「……でも……!」
「暴走したら、あたしが全力で取り押さえる。
……それに、ユージはしぶとい。
そう簡単に折れるタマじゃねぇだろ?」
その言葉に、アヤは小さく頷いた。
涙をこらえ、顔を上げる。
「……わかったわ。もう泣き言は言わない。
でも、今のユージが暴走したらグレンダひとりで抑えるのはきっと無理だわ。
その時は、せめて……私の手で――」
言葉を飲み込み、拳を握りしめる。
グレンダは視線を前へ戻し、低く呟いた。
「……ライト。
お前なら……どうにか出来るのか?」
魔族殲滅軍は歩みを止めない。
砂塵を巻き上げ、隊列は確実に進む。
龍の巣窟――人魔革命団の拠点へ。
兵士たちの胸にあるのは、ただひとつ。
魔族への憎悪と、殲滅の使命。
――だが、その行く手を遮るように。
広がる荒野の中央に、ひとつの影が立っていた。
たったの一人で。
まるで進軍そのものを拒むかのように。
「……!? 人影だと……?いや、人じゃない……?」
「まさか……こんな所に……!」
ざわめきが走り、隊列がわずかに乱れる。
アヤとグレンダも顔を上げ、遠くの姿を凝視した。
「あれは……!」
「……ライト……!」
風に揺れる外套。
剣に手をかけることもなく、ただ真っ直ぐに軍勢を見据えるライト。
その姿を見た瞬間、先頭のカゲロウが籠るような笑い声を上げた。
「……ふ、ふはははははは。態々、出てきたというのか。
待っていたぞ……この偽物め……!」
抑えきれぬ力を含んだ声が荒野に響き、
兵士たちの背筋を震わせる。
だが、ライトは一歩も退かなかった。
荒野に向かって、まっすぐ声を響かせる。
「魔族殲滅軍……まずは話を聞いてくれ。
俺は戦うために来たんじゃない」
その言葉を、怒号が叩き潰す。
「何を今さらッ!!
話を聞いてくれ……だと?
魔族の分際でふざけているのか!!」
カゲロウが飛び出そうとした瞬間、背後から伸びたアヤの手がそれを止めた。必死に縋るような力だった。
「ちょっと待って!ユージ」
「離せ!何をする!!」
振り解こうとするカゲロウ。
「……やっぱり、お前が来たんだな。ユージ」
呼びかけられた名に、カゲロウの身体がぴくりと強張る。
「お前ならわかってくれるはずだ。
人間と魔族の共存こそが、本当の平和への道なんだ。
もっと理解し合えれば、戦いなんて――」
最後まで言わせなかった。
「黙れぇぇ!!
俺はユージなどではない……カゲロウだ!!
誰と勘違いしている!」
皮膚の下で何かが脈打ち、
黒い瘴気が滲むように周囲へ広がっていく。
影が渦巻き、周りに緊張感が走る。
そして、震える手で、剣が引き抜かれた。
「何を言ってるんだ、ユージ!!
人間と魔族の共存は……ノイスの夢でもあるんだぞ!」
――その名が出た瞬間。
空気が、凍りついた。
「ノイスは……お前たち龍型が殺したんだろうがッ!
お前みたいな偽物が口に出していい名前じゃあない!!」
吐き捨てるような叫び。
理性よりも、憎悪が先に噴き出していた。
「なあ……落ち着いてくれよ。
どうして俺たちが、ここまで敵対しなきゃいけない?
俺たちは……家族みたいなもんだろ!」
その言葉に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
だが――次の瞬間。
「……お前はライトではない」
低く、歪んだ声。
「ライトならば……龍型の味方なんかしない。
お前は誰だ?何なんだ?
ライトの皮を被った――偽物だろぉぉッ!!
汚らしい魔族が!!」
巨大化する影に兵たちが後ずさる。
隊列に動揺が走った。
耐えきれず、アヤが前に飛び出す。
「もうやめて!ユージ!!
ライトは……話し合いがしたいだけなの!!」
返ってきたのは、容赦のない一喝だった。
「黙れ!!そこの女! 邪魔だァ!!」
黒い衝動に突き動かされるように放たれた影の一撃が、
アヤの身体を弾き飛ばす。
視界が反転し、空が遠ざかる。
地面に叩きつけられ、苦痛に顔が歪んだ。
「……きゃっ!」
「おい!!」
怒りを露わに、ライトが叫ぶ。
「アヤに何てことしてんだ!!
お前は……そんなことをする奴じゃなかったはずだ!
一体……どうしちまったんだよ!!」
カゲロウは両耳を塞ぐようにして、狂ったように叫び続ける。
「黙れ!黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!
俺の何を知っている!!なんだ!お前は?
ライトの真似なんかしやがって……許せない!」
「お前……明らかに様子がおかしいぞ……どうなってんだよ!ユージ!!」
だが、言葉は届かない。
カゲロウの足元の黒い影が激しく蠢いた。
その影は渦を巻き、やがて――刃の形を成す。
「俺はユージじゃない……何回も言わせるな!
魔族は……そんなことも理解できねぇのかぁ!!」
影の刃が唸りを上げ、
一直線にライトへと迫った。
「く……くそっ! いきなり攻撃してくるなんて……!
俺は、ユージと戦いたくない! 頼むから、話を聞いてくれ!」
必死の叫びは、しかし憎悪に塗れた咆哮に掻き消された。
「魔族の言葉なんて、聞いていられるかァ!!
俺がお前を殺す――それだけだぁぁ!!」
もはや避けようのない激突。
黒い影が蠢き、次々と形を変えて襲いかかる。
剣。鎌。槍。斧。
影は様々な武器の形となり、獣のように執拗にライトを追いすがる。
「ふはははははは!この日をどれだけ待ったかァ!!」
四方八方から迫る殺意に、荒野の空気が悲鳴を上げた。
《光の翼》を展開し、左右に飛び回る。
「くっ……! このままじゃ――避け切れない!!」
咄嗟に掲げた腕の前で、眩い光が弾ける。
「……《光の盾》!」
展開された白光の障壁が、影の連撃を真正面から受け止めた。
――ガギィガギギギィン!!
だが、凄まじい衝撃が腕を痺れさせ、大地を砕き、砂煙が舞い上がる。
後退。
踏ん張る暇もなく、身体が押し流された。
「どうしたぁ、ニセライトォ!!
その程度か!? 俺の力の前に跪けよ!!」
瞳から理性の色が削れ落ちていく。
荒い息。歪んだ笑み。
声はもはや叫びとも咆哮ともつかない。
(前に会った時とは……まるで違う。
スキルの強さもだが、性格まで……まるで別人だ。
どうなってやがる……!)
「あははははははは! 俺を今までと同じだと思うな!!
俺は総帥に“祝福”されたんだよ!!
お前を殺すためになァ!!」
影の剣、鎌、槍、斧。影は自在に姿を変え、ライトを追い込んでいく。
――ビキビキッ!
《光の盾》が無慈悲削られていく。
「……っ! ヤベェ……!」
《光の盾》が砕け、光が散る。
その中でライトは《光の翼》を広げ、一気に宙へ舞い上がる。
そして、地上を覆う影の嵐を、紙一重でかわした。
「ユージ!! 目を覚ませ!!」
空中から放たれた叫びに、嘲るような声が返る。
「目を覚ませ……だと?
それはお前の方だ!ニセライトォ!!」
地を這う影が、さらに膨れ上がる。
黒い瘴気が渦を巻き、荒野を染めていく。
「俺がどんな思いで、ここまで来たか……」
その声は、ただの憎悪ではなかった。
積年の怒りと、押し殺してきた本音が混じった――悲鳴。
「何よりも大事だった友を……二人とも目の前で魔族に奪われた!!
それからの復讐のためだけに生きてきた。
それなのに、失意の底で見たのは……
魔族の味方をし、俺を邪魔する“ライトの姿をしたお前”だ!!」
荒野に、魂を叩きつけるような問いが響く。
「何故だ!?
何故、生きていたならすぐ俺の所へ来なかった!!
何故、魔族なんかを助けて……俺の邪魔をするんだァ!!何故、あの時、俺の手を取らなかった!!」
胸を抉る叫び。カゲロウの本音にライトは言葉が詰まる。
「……俺だって……色々あったんだ……!
本当は、すぐにでも会いに行きたかったさ!!」
だが、返ってきたのは絶望に満ちた断罪だった。
「今さら何を言う!!
もう……何もかも手遅れなんだよォ!!」
黒い影が渦を巻き、背中から歪な影の翼が生え出す。
影の翼を広げ、空を裂いて跳躍――一直線に迫る。
「くっ……! その影は何でもありなのかよ……!」
「お前が剣を抜かないなら――」
影が膨れ上がり、一つの塊になっていく。
「そのまま、大人しく死ねェ!!!」
影が巨大な拳の形を成し、天から叩き落とされる。
――ドンッ!!
咄嗟に受け止めようとするも、衝撃は桁違いだった。
「……がはっ……!」
身体が一直線に降下し、地面へと叩きつけられる。
砂埃が舞い、視界が揺れ、息が詰まる。
(……くそ……!
俺がここで倒れたら……後ろの拠点が危ねぇ……)
歯を食いしばる。
(だからって……
ユージを傷付けるなんて……俺には……)
脳裏に浮かぶ、優しい翠の瞳。
(龍鈴……
どうすりゃいいんだ……俺は……)
苦渋の決意が、ライトの表情を歪ませていた。




