第六十七話 変わりゆく世界
ーーゲトラム市場広場。
人魔革命団とエルディオの噂は、瞬く間に街中へと広まっていた。
露店の並ぶ道で、商人たちや市民が次々に噂を交わす。
露店の前で果物を選ぶ男が声を潜める。
「聞いたか? あのエルディオが、人魔革命団を認めたらしい!」
通りかかった若い兵士が驚いたように言葉を漏らす。
「最初は怪しい集団かと思ってたが……エルディオが認めたなら、信用できるかもしれん」
子どもを抱いた母親も不安げに呟く。
「もし本当に争いがなくなるなら……悪くない話よね」
「“共存”……。ありなのかもしれん!」
近くで荷を担ぐ男が、頬を掻きながら笑った。
その噂は路地から大通りへ、そして人々の間を駆け抜け――
やがて魔族殲滅軍の兵士たちの耳にすら届き始めていた。
“魔族との共存”という言葉が、人々の心の底で静かに灯り始めていた。
⸻
ーー聖剣の灯火・拠点。
薄明かりの中、仲間たちが集まった部屋では、抑えきれない期待のざわめきが広がっていた。
ひとりの団員が浮き立つように声を漏らす。
「龍鈴様とライト様のご活躍……悲願の成就も、もう間近かもしれませんね」
壁に立てかけた剣を磨きながら、ナタリアが静かに微笑む。
「ああ……ヘレン様が命を懸けて願った想いが、ようやく時を越えて実を結ぼうとしている」
その希望に満ちた空気を、別の団員の引き締まった声が切る。
「……ですが、このまま魔族殲滅軍が黙っているとは思えません」
ナタリアは表情を引き締め、頷いた。
「ええ。気は抜けないわ。彼らの動きは、これからも細かく追わなくては」
柔らかな期待と、鋭い緊張――
そのどちらも、拠点に漂う空気の中で確かに息づいていた。
⸻
ーー連盟・大議場。
重厚な天蓋の下、各国代表たちの怒号が渦を巻いていた。
「エルディオが……人魔革命団に加担した、だと!?」
「まずいな。民衆の英雄がそんな噂に染まれば、世界は一気に揺らぐぞ!」
「人魔革命団? 共存を謳っているが、結局は魔族の温床ではないか!」
ざわめきと怒声が波のように議場を駆け巡る。
その中心――
ひときわ高い壇上に立つ議長が、静かに手を上げた。
一瞬で、空気が張り詰める。
重く沈んだ声が、大広間の隅々まで響き渡った。
「――報告によれば、人魔革命団の介入によって戦況は大きく動き、魔族側は撤退した」
短く区切り、議長は一度視線を巡らせる。
「しかし同時に、人魔革命団が“魔族を庇った”との声も各地で上がっている。
功績と疑念――その両方が、今の状況だ」
「どっちにしろ危険だ! 排除すべきだ!」
「しかし、民衆の噂は既に広まっているぞ!下手に動けば反発を招く!」
「ここは人魔革命団との関係を築くのも手かもしれん」
怒声が重なり、議場は再び騒然となった。
連盟による会議は、もはや収拾のつかない混乱へと傾いていく。
――その時。
ギィ……。
重厚な扉が、ゆっくりと開かれた。
白服の者たちが、寸分の乱れもない足取りで列を成し、静かに議場へと進み出る。
その瞬間、ざわめきは喉元で凍りついた。
空気が、一気に冷え切る。
議員たちは言葉を失い、無意識のうちに息を呑んだ。
――ごくり、と誰かの喉が鳴る音だけが、やけに大きく響いた。
そして。
列の先頭に立つ男が、一歩前へ出る。
口元に浮かべたのは、柔らかでいて、どこか底知れぬ微笑。
「連盟の皆様――」
静かな声が、しかし不思議なほどはっきりと大議場に届いた。
「少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
場のどよめきがさらに強まる。
「……魔族殲滅軍の総帥か……!」
「まさか、お前自ら出てくるとは……」
低くざわめく議場を前に、総帥は肩をすくめるように微笑んだ。
「……会議中に申し訳ありません。
どうやら皆様、難しい判断に迫られているご様子でしたので――」
一歩、前へ。
「その件、すべて私にお任せいただけないかと思いましてね」
言葉は丁寧。
だが、その笑みには拒否を許さぬ圧が滲んでいた。
すると、ある国の代表が声を荒らげる。
「待て。今、世間は混乱している。
ここは慎重に事を進めるべきだ。お前の出る幕ではない」
総帥はその言葉を聞くと、わずかに首を傾げた。
「……出る幕では、ない?」
穏やかな声のまま、瞳だけが冷たく細まる。
「ははは……笑わせないでください。
人魔革命団のような危険思想集団が現れた今こそ――
我々、魔族殲滅軍の使命が問われているのですよ」
軽く肩をすくめ、嘲るように続ける。
「人魔革命団を放置すれば、いずれ人類にとっての大災厄となるでしょう。
――ゆえに、早急に排除すべき存在です」
総帥は薄く笑みを浮かべ、壇上に並ぶ各国代表をゆっくりと見渡した。
「我が魔族殲滅軍は、連盟直属の秩序維持機関。
その存在理由はただ一つ――
“人類の敵、魔族を根絶すること”にあります」
「しかし――人魔革命団は、もはや単なる敵ではないぞ」
議場の一角から、低い声が続いた。
「そうだ。彼らは今、共存思想を掲げている。それが“ひとつの考え方”として、人々に広まり始めている」
総帥は、その言葉を待っていたかのように口角を上げた。
「だからこそ――先手を打つのです」
「人魔革命団に関わる者を排除し、
共存思想がいかに危険で、いかに人類を滅ぼしかねないかを、世界に知らしめなければなりません」
議長は、長い沈黙のあと、ゆっくりとうなずいた。
「……よかろう。
評議はここに、人魔革命団を“監視・討伐対象”と定め、
その全権を――魔族殲滅軍に委ねる」
「いいのですか、議長!?」
「魔族殲滅軍に委ねるなど……!」
反対意見が、なおも上がる。
だが議長は、低く――断じるように言った。
「この混乱そのものが、人魔革命団のもたらした結果だ。
彼らの真の目的も、未だ見えていない」
議長は視線を伏せ、まるで自らに言い聞かせるように小さく呟く。
「……ここは、毒は毒をもって制すしかあるまい」
その瞬間――
総帥の口端が、ゆっくりと吊り上がった。
「フフ……毒で結構です」
穏やかな声音の奥に、冷たい確信が滲む。
「必ずや――その名を、この地上から抹消してみせましょう」
議長が鋭く視線を向け、問い質した。
「そこまで言う以上……策はあるのだろうな?」
総帥は一瞬だけ目を伏せ、愉しむように微笑む。
「もちろん。適任の人物がおりまして……」
そして、意味ありげに笑った。
「――ふふ。すべて、お任せください」
⸻
こうして――
連盟の正式決議をもって、魔族殲滅軍は
ついに本格的な“共存思想”の規制と排除へと踏み出した。
魔族殲滅軍の取締りは、以前にも増して苛烈さを増していった。
人魔革命団に関わったと“疑われた”者。
魔族との共存を口にした者。
ただ魔族に同情的な言葉を漏らしただけの者でさえ――
例外なく、
「反逆罪」
の名のもとに拘束され、牢へと放り込まれた。
それだけではない。
荷運び用に魔族パキラを使っていた商人。
移動のため、パキラを連れていただけの冒険者たちまでもが、
“魔族との関与”という曖昧な理由を突きつけられ、次々と逮捕され始める。
もはや、罪の有無など関係なかった。
殲滅軍の暴力は、
もはや戦場でも、思想でもなく――
一般市民の生活そのものへと、深く食い込んでいった。
抗議の声を上げた冒険者もいた。
だが、その多くは返り討ちに遭い、
広場に引きずり出され――
“見せしめ”として拘束され、晒し上げられた。
恐怖と圧政の空気が街を覆い尽くし、
やがて、誰も声を上げなくなっていく。
そして、ただ静かに――
世界は「共存」から、遠ざけられていった。
⸻
ーー魔族殲滅軍・訓練場。
薄暗いランプが不規則に揺れ、
床には砕け散った木片と、歪んだ鉄の破片が無残に散乱していた。
「あははははははははは!!
殺す……殺してやる!!俺は力を手に入れたァ!」
狂気じみた笑い声とともに、影が蠢く。
床を這い、壁を抉り、
並べられた木偶人形を――容赦なく、無残に切り裂いていく。
仮面の男――カゲロウ。
彼は訓練場を壊しかねない勢いで影を振り回していた。
それはもはや“訓練”ではない。
ただの――破壊だった。
「あはははは!!
こんな人形をいくら壊しても、力試しにもならないな!
魔導生物だ! 魔導生物を出せよ!!」
張り詰めたその声に、観測席にいたアヤが、思わず肩を震わせた。
一瞬の沈黙のあと、小さく息を呑む。
「……わかったわ」
次の瞬間――
ゴウン……と重い音を立て、隔壁のシャッターが開く。
封じられていた魔導生物が、鎖を引きずりながら解き放たれた。
「グガアァァッ!!」
咆哮とともに、魔導生物が猛然と飛びかかる。
だが――
影が形を変え、盾のように前へ躍り出た。
魔導生物の一撃は、影に触れた瞬間、音もなく止まる。
まるで“受け止められた”のではない。無効化されたかのように。
「……昔は脅威に感じた魔導生物も、この程度か」
冷え切った視線が向けられた、その刹那。
――ズバァッ!!
――ズバァッ!!
――ズバァッ!!
影の盾が刃へと変わり、
魔導生物は抵抗する間もなく刻まれた。
断末魔すら上げられず、
肉片となって床へ崩れ落ちる。
ぱら……ぱら……。
血の雫が床に落ちる音だけが残る。
カゲロウの皮膚には血管が浮き上がり、呼吸は浅く、荒かった。
瞳の焦点は定まらず――まるで、そこにいない何かを見つめているかのようだ。
その力は確実に、
かつてのユージを――遥かに超えている。
だが同時に、
そこに“以前のユージ”の面影は、もはや欠片も残っていなかった。
「……これが、《祝福の刻印》……」
アヤは呆然と呟き、震える指で口元を押さえる。
堪えきれず、瞳に涙が滲んだ。
ユージは、ライトとの戦闘のあと、さらに《祝福の刻印》を受けていた。
それ以来――
言葉は噛み合わなくなり、
残されたのは、ライトへの歪んだ執着と、制御不能な力の暴走だけだった。
「おい! もっとだ!
もっと強い魔導生物を出せ!!」
狂気を孕んだ叫びが、訓練場に反響する。
「もうやめて……ユージ。十分でしょ……?」
縋るような声が、かすかに震えた。
「……ユージ?」
低く、冷え切った声。
「誰の話だ。
俺は――カゲロウだ。二度とその名で呼ぶな」
影が膨れ上がり、刃のような殺気を孕んでアヤを睨みつける。
だが次の瞬間、その表情は――
不気味なほど歪んだ笑みに変わった。
「あいつは……ライトはなぁ……
龍型に、体を“乗っ取られてる”んだよ」
自分の手を見下ろし、陶酔したように呟く。
「可哀想だよなぁ……
あの小汚い龍型に、体も心も汚されて……」
ゆっくりと顔を上げ、笑みを深める。
「だから――
俺が、殺して救ってやらないといけないんだよぉ……」
影の刃が訓練場の壁に大きな傷をつける。
「……この間はあいつに負けた。
あの時はまだ力が足りなかった。
嫌だよなぁ、力がないって……それはとても怖いことだ。
だから次は、ちゃんと殺してやらねぇとなぁぁぁ……!」
「違う……違うよ!ユージ!
ライトは乗っ取られてなんかいない!!
お願い、目を覚まして……!!」
必死の叫び。
だが――
「目を覚まして……だって?」
乾いた笑いが漏れる。
「あはははは! 笑わせるな……
そこの……えっと……」
指先で仮面の顎を掻きながら、首を傾げる。
「名前……なんだっけか。
……まあ、どうでもいいか」
興味を失ったように言い捨て、
影を伸ばして訓練場のシャッターへと絡め取る。
――ギギギギ……ッ!!
金属が悲鳴を上げ、魔導生物を閉じ込めていた扉が、無理やりこじ開けられた。
「……私の名前まで……忘れてしまったの……?」
アヤの声は、かすれて震える。
「ひどい……
ユージを……返してよ……」
その視線は、訓練場ではなく――
《祝福の刻印》を施した“総帥”の影を、まっすぐに恨んでいた。
「あはははは!あんなのライトじゃない!ライトのことは俺が一番わかってるからな!!
ライトは寝てる時、左手をお腹の上に乗せるんだ!
あれは、寒いからなのかなあ?」
影の刃が、次々とシャッターを破壊する。
「飯を食う時は手前ものから先に食べるんだ!
食いしん坊だからなぁ!あいつは!
……あはは。あははははははは!!」
狂気じみた笑い声が訓練場を満たす。
解き放たれた魔導生物が一斉に飛びかかるが、
カゲロウに触れることなく、潰され、刻まれていく。
「弱い! 弱すぎるぞ!!
龍型はいないのか? いないのかぁ!?」
影が奔り、刃となって舞う。
魔導生物は抵抗する間もなく、次々と斬り刻まれ、肉片となって床に散った。
アヤは崩れ落ちそうになる体を必死に支え、その背中を見つめる。
「……もう、ユージは壊れてしまったの……?
昔のユージは……完全に、いなくなってしまったの……?」
嗚咽に近い声が、震えながら零れ落ちた。
その時――
砕けた訓練場の壁から差し込んだ月光が、
カゲロウの狂気に染まった顔を冷たく照らす。
増大し続ける力の中で、
かつて確かにそこにあった“優しさ”の欠片は――
すでに、跡形もなく消え去っていた。




