第五十四話 紅蓮宮
ーー聖剣の灯火・隠れ家。
温かなランプの下、龍鈴は深く頭を下げた。
龍鈴の傷は驚異的な速さで塞がり、既に完治していた。
「……これまでのお力添え、心より感謝いたします。
聖剣の灯火――人間の中にも私たちと共存を願ってくださる方がいると知り、胸が満たされました」
その言葉を、ライトが静かに通訳して仲間へ伝える。
ナタリアは胸に手を当て、感極まったように微笑んだ。
「いいえ……むしろ私たちの方が励まされています。
ヘレン様の願いは、ライト様、そして龍鈴様によって確かに受け継がれている……。
その凛としたお姿、まるで“聖剣の姫”ヘレン様を見ているかのようです」
龍鈴へ伝えると彼女は少し俯き、控えめに首を振る。
「……ヘレン様……ライトとリュウガのお母様ですね。
お話を伺う限り、とても高潔で立派な方……。
私では、とても及びません」
ライトはそんな龍鈴の肩を軽く叩き、照れくさそうに笑った。
「色々世話になった、ナタリア。またな」
「どうか……ご武運を」
聖剣の灯火が用意した郊外への道を行き、外へ出ると
静かな灯りが揺れ、夜風がそっと吹き込む。
二人が拠点へ向かい飛び立つ姿を、灯火の面々は希望の色を宿した瞳で見送っていた――。
⸻
ーー龍族の集落・人魔革命団の拠点。
遠征から戻ったライトと龍鈴を囲み、拠点は歓声と安堵の声に包まれた。
「龍鈴様だ!」「ご無事だったんだ!」
ざわめきはやがて涙と笑顔へと変わっていく。
龍鈴は皆を見回し、静かに頭を下げた。
「……ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
その声に胸を震わせ、団員たちは再び歓声を上げた。
リュウガは腕を組んだまま、厳しい声を落とす。
「ご無事で何よりですが……これからは、勝手な行動は慎んでください」
険しい響きの奥に宿る安堵は隠せていない。
龍鈴はやわらかく微笑んだ。
「……リュウガにも心配をかけましたね」
ドサイが豪快に腕を組む。
「まあまあ、結果的に無事だったんだ。皆で祝ってやろうじゃないか」
「ドサイ将軍も、留守をありがとうございました」
深々と頭を下げる龍鈴に、ドサイは満足げに頷く。
やがて龍鈴の瞳が鋭さを帯びた。
「留守の間……白虎軍の動きはどうですか?」
リュウガは短く返す。
「白虎たちは大人しくしています。人間領への侵攻も、こちらへの動きも確認できません」
「前の戦いで懲りた……ってわけか?」
ライトの言葉に、龍鈴は首を横に振った。
「いいえ。白虎はそんな生易しい相手ではありません。きっと、水面下で何か動き始めています」
ドサイがふと思い出すように声を上げる。
「白虎様の側近、ジャスミナとニャルカが数日姿を消していたらしいぞ。向かった先まではわからんが……」
龍鈴は目を細めた。
「このタイミングで動くなら……もしかしたら南魔王と北魔王のもとへ訪れたのかもしれません」
「南魔王と北魔王……?」
ライトが問い返す。
「南魔王・朱雀は南の孤島を治める存在。北魔王・玄武は広大な海域を支配しています」
「そいつらも、西魔王みたいに敵ってことか?」
「……今は断言できません。ですが“共存”を掲げて進む以上、必ず向き合わなければいけない相手です」
リュウガは険しい表情で問いかけた。
「……龍鈴様が直接伺うつもりですか? 危険すぎます。行くなら使者として俺が行く」
龍鈴は短く息を吸い、言い切る。
「いいえ。人魔革命団の団長として――私が直接、出向きます」
「……団長?」
ライトが目を丸くする。
龍鈴は照れたように、しかし凛とした笑みを浮かべた。
「ふふ……この“団”には団長が必要でしょう? 私がその役目を担います」
その柔らかな笑みに、リュウガは珍しく驚いたように瞬きをした。
「……まさか一人で行かれるつもりですか?」
「前みたいなことになったら洒落にならねぇぞ?」
二人の声が重なり、空気が一瞬だけ張り詰めた。
龍鈴は静かに頷く。
「わかっていますよ。もちろん、護衛は同行させます」
「……なら俺が行く。あの魔王ども、何をしでかすかわからん」
「俺もだ。龍鈴は、俺が守る」
龍鈴はふっと柔らかく微笑んだ。
「二人とも……ありがとう。魔王と対等に話すには、こちらも“力”を示さねばなりません。
もっとも、荒事はできるだけ避けたいですが……」
リュウガは鼻を鳴らす。
「……善処します。ですが、龍鈴様に牙を剥くようなら容赦しません」
「そうはならないといいのですが……」
拠点を見回し、ドサイが宣言する。
「俺はここを守る。白虎様がこのタイミングを狙っているかもしれん」
「助かります。ドサイ将軍がいてくだされば安心です」
信頼を寄せられたその言葉に、ドサイは少し照れたように鼻を鳴らした。
そして――。
龍鈴は静かに歩みを返し、皆を見渡した。
「では、向かいましょう。まずは……南の孤島。南魔王・朱雀のもとへ」
ーー空。
光を帯びる翼を広げ、ライトは龍鈴とリュウガと共に、雲を切り裂きながら南へ翔けていた。
「……上から見ると、すげぇな。人間の街も森も、全部ちっちゃく見える」
眼下に広がる人間の領地――その営みは点のように霞んで見えた。
「調子に乗るな。人間どもに見つかれば大騒ぎになるぞ」
「確かにな。それでさ、南の孤島って人間の領地のすぐ近くなのか?」
龍鈴は静かに首を振る。
「いいえ……さらにその先。
人間が辿り着けぬ海の果てに浮かぶ島です」
「島……? そんな場所に魔族が住んでんのか」
「知らなくて当然だ。人間ごときが踏み込める領域ではない」
龍鈴は前を見据えながら告げる。
「……南の孤島――そこに、南魔王・朱雀の宮殿がそびえ立っています」
「南魔王・朱雀って、どんなやつなんだ?」
「軽薄で、気まぐれな男だ。だが侮るな。東西南北の魔王の一角……目をつけられればただでは済まぬ」
龍鈴も表情を引き締めた。
「それに、ジャスミナとニャルカが向かったという噂も気になります。
もし先手を打たれているなら……慎重に構えなくては」
「もし西魔王と協力関係にあるなら、危険じゃねえか?」
「そうですね……。ですが、遅かれ早かれ無視は出来ない存在です。
お二人は白虎ほど好戦的ではないはずですし……今のうちに話を通しておくべきです」
「そうか。まあ、いざとなったら龍鈴は俺が守る!」
その言葉に、龍鈴の睫毛がかすかに震える。
やがて、ほんのり微笑んだ。
「ふふ、頼もしいですね、ライト」
ーー三人の影が陽光の中を駆け、海の上へと差し掛かる。
その先に見えてきたのは紅蓮の炎が渦巻く島。
灼熱の大地に立つ、南魔王・朱雀の宮殿だった。
⸻
ーー南方・紅蓮宮。
赤黒い岩に覆われた孤島。
その中心には、まるで炎そのものが形を成したかのような宮殿が不気味な存在感を放っていた。
紅蓮の瓦は灼けるように輝き、吹き荒れる熱風は近づくだけで皮膚を刺すほど熱い。
「……すげぇ……これが南魔王の宮殿か」
「気を抜くな。ここは南の孤島、朱雀の領地だ。
どこで誰に見られているかわからんぞ」
熱風に身をすくませながら、三人は巨大な門の前へ降り立った。
その時――
赤い羽根を大きく広げ、鳥人の魔族が空から舞い降りる。
「――あなたたち、何者かしら?」
龍鈴は一歩前に出て、頭を下げる。
「東の地より参りました。龍族……
魔王・黄龍の娘、龍鈴と申します。
南魔王・朱雀様にお会いしたく、参上いたしました」
鳥人はその名を聞き、わずかに表情を変えた――が、
「……東の龍族ね。
それで――そちらの“混じり者”は?」
疑いの視線が、真っ直ぐライトに注がれる。
「俺は龍族と人間の混血だ。
でも、俺達は敵じゃない!朱雀に会わせてくれ!」
「なっ……朱雀様を呼び捨てに!? なんと無礼な!!」
「も、申し訳ありません!
ライト、なんてことを……!」
「あっ、す、すまねぇ!!
朱雀“様”に……お会いさせてほしいんだ!」
横でリュウガが額を押さえる。
「……ふん。緊張感のない奴だ」
鳥人はしばらく鋭い目を向けていたが――
やがて羽根をふわりと揺らし、背を向ける。
「……わかった。朱雀様にお取次ぎしましょう。
ここで待っていなさい」
炎の宮殿の奥へ消えていく鳥人。
三人は熱風の中、無言のまま待つしかなかった。
やがて――
先ほどの鳥人が再び姿を見せる。
「朱雀様から、お許しが出た。……入れ」
ギィィィ――……。
炎の紋章が刻まれた巨大な扉が、重々しく開かれていく。
その先に広がるのは――
“南魔王・朱雀”が待つ灼熱の謁見の間だった。
ーー紅蓮宮・謁見の間。
扉が開いた瞬間、甘く濃い香がむわりと溢れ出し、
女たちの嬌声と笑い声が空気を震わせた。
「きゃあっ、朱雀様ぁ!」
「だめですってば!」
「あはは……もっと楽しめ。僕の退屈を紛らわせろ!」
眩い光に照らされた広間は、豪華絢爛。
朱の絨毯が敷かれ、炎を象った燭台がゆらめき、
妖艶な鳥人の女たちが朱雀の周囲を囲んでいた。
玉座にもたれ、黄金の盃を片手にした朱雀は、
艶やかな赤い羽根を揺らしながらも――
その紅の瞳だけは鋭く、侵入者の三人へ突き刺している。
「……ふむ。君が“黄龍の娘”龍鈴ね――」
龍鈴は静かに歩み出て、その場に膝をついた。
「……南魔王・朱雀様。龍鈴と申します。本日はご挨拶に伺いました」
朱雀は盃を傾け、赤い酒を舌で味わいながら
艶めいた笑みを浮かべた。
「ほぅ……なかなかに美しいじゃないか?
あの仏頂面の魔王の子とは思えないね」
女たちがクスクスと笑う。
だが朱雀の瞳は――愉快そうでいながら、底知れず鋭い。
龍鈴の内側まで見透かすような目つきだった。
「父をどう評されようと構いません」
その毅然とした声に、朱雀は唇を歪める。
「ほぅ……挑発には乗らないか。まあ、いいや。
それで――何の用?」
龍鈴は背筋を伸ばし、真っ直ぐ朱雀を見据える。
「私達は今、“人魔革命団”を立ち上げました。
人間と魔族の共存を掲げております」
「……共存? 人間と魔族の?」
朱雀は喉の奥でくつくつと笑い、盃を乱暴に卓へ置いた。
「あはは、面白い冗談だね、それは」
朱雀は唇に残った酒を指で拭いながら、まるで玩具を選ぶ子どものように龍鈴を眺める。
「――まさか、本気で言ってるわけじゃないよね?」
先ほどまでの陽気さが嘘のように消え、紅の瞳がスッと細められる。その視線には、笑みとは裏腹の圧が宿っていた。
龍鈴はその圧力に屈せずに堂々と胸を張る。
「冗談を言うためにここまで来たわけではありません。
私たちは本気で、魔族と人間が手を取り合って生きる世界を“実現させる”つもりです」
「あぁ……そう」
朱雀は視線だけを横に流し、心底興味がなさそうに肩をすくめた。
ただ、その紅い瞳の奥だけは、なおも龍鈴を値踏みするように細められていた。




